おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

三島由紀夫も人間だ、と思う。-はりぼての優雅は誰でもツラい-

2024-06-15 15:40:53 | 日記
「三島由紀夫は生き方に中途半端だったからだ」

大江健三郎との違いを、話しているうちに、福島の被災者の女性に言われたことばである。

確かに、私が、あまりにも闘病生活(→むしろ過剰処方からの減薬生活)がキツくて
「いつ死んでもいいや」
など、と、考えていたとき、三島由紀夫は輝いていた。

しかし、
闘病をしながら、
「後遺症があっても生きていきたい」
と思う度に、三島由紀夫はかすんでいった。

なぜだろう??

確かに、三島由紀夫の著作を真っ向から批判できるひとは少ないだろう。

しかし、三島が、自決した理由を大江健三郎かもしれないと感じた理由のなかに、私は、何らかの、解がある気がした。

「生きる」とか「書く」ということの定義も定理も私はあやふやなのに、そう、思ったのである。

思うに、三島は
「優雅」を装うことに疲れていたのではないだろうか。

証明なんて出来ないが、そう思うのである。

『豊穣の海』をシリーズみていても、私は、「春の雪」の清顕、「奔馬」の勲や、「暁の寺」の本多や、そして、偽物である「天人五衰」の透にそれを感じてしまう。

それは、確かに、私も、病を経て30代後半になるまで、わからなかった。

10~20代の私は、透に肩入れしており、「天人五衰」のやり方にも賛同していた。

ただ、ほんとうに、生死の境を彷徨った経験から、三島と現代の精神医療の問題点について描いてみたいと思う。

また、三島は、文豪である以前に、人間だったことを見つめたいと思う。

三島だって、見栄っ張りだったし、それを続けるのがツラかったのだろうから。

今後、作品をもとに、そう考えた理由を徐々にだが、描いていきたい、と思う。