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yokkieの気になること

障害者・児童福祉のことが多くなるかな

『子ども虐待という第四の発達障害』を読んで

2015-01-31 23:21:42 | 福祉
「子ども虐待という第四の発達障害」 杉山 登志郎:著 2007年

発達障害、子ども虐待の臨床研究の分野では大変著名な著者によって書かれた、ショックを受ける人が多いだろう内容の本です。著者がこれより後に書いた本は読んだことがあるので、この本で書かれた内容の本旨は初めて触れたわけではないのですが、こうやってしっかりまとまった書籍を読むと自分の中への入り方が違ってきます。

虐待による脳への発達の影響を、国内では随一ではないかという豊富な臨床データと、精神医学、脳科学の知見を交えて、説得力を持って書かれています。子どもの虐待がいかに脳に器質的変化のレベルでの変化を与えてしまうか、結果として自閉症やADHDといった発達障害と重なることからくる診断の難しさ、虐待の連鎖の問題、対応方針などが比較的わかりやすく説明されるだけでなく、臨床例の重さに心が重くなる内容でもあります。もちろん、臨床例によって説得力が増し、具体的イメージもしやすいともいえます。

最近では、発達障害と子どもの虐待の症状の類似や、発達障害が虐待の原因になりやすいことなどは、子ども関係の研修などでもよく話題になり、杉山先生の著作が引用されることが多いですが、こうやってまとまった形で読むと問題への認識をしっかり持つことができます。子ども分野に携わるなら、一度は読んでおくべき本なのではないでしょうか。

とにかく読んでくださいという感想なのですが、この本に関連して思ったことを少し。著者の研究は、あいち小児医療総合センターの立ち上げから中心となって活躍することで進んできた面があります。同センターは全国でも特筆すべきしっかりした体制で医療・保健活動を繰り広げています。私は医療関係に詳しくないのですが、東京の武蔵野市で働いていて、近隣であいち小児医療センターのような取り組みが進んできているようにはあまり思えません。これだけ有名な取り組みが、なぜ広がりをみせないのかな、自分が知らないだけなのかな等と思いました。

親に責任を負わせる論調は、かえって強さを増しているように感じるしなあ。なんの意味もないどころか、害ばかりなのに。

「幼稚園と保育所は一つになるのか」を読んで

2014-09-20 23:30:45 | 福祉
「幼稚園と保育所は一つになるのか  -就学前教育・保育の課程と子どもの発達保障」 藤永 保:著 2013年

 この本は、発達心理学を専攻とする著者が、2004年から2011年にかけて連載した論考に加筆・修正し、新たな項目も書き足してまとめられた本です。第1部では、私事と考えられていた子育てが公事として取り組まざるをえなくなってきた社会背景、しつけ文化の変遷と困難化といった時代背景、状況把握から始まり、困難の原因と著者が考える経済的貧困と人間関係の貧困にと話を進められます。地域社会の弱体化や人間関係の希薄化、価値基準の多様化による規範の揺らぎ、経済的格差と貧困問題などは、現代社会の子育ての困難性が語られるうえでよく語られる要素です。そのなかで、本著ではより役割を増した幼児保育・教育が、学校教育と断絶されていることを問題しており、これを幼保一元化という視点から掘り下げていく次章につながっています。

第2章では、表題からも読み取れる「幼保一元化とは何か」という主題について、歴史的経過も追いつつ論じられています。幼稚園の幼児教育と保育園の保育の成り立ちの違いと発展、それぞれの抱える問題点について説明しつつ、何度か盛り上がりの機運をみせつつ実施に至らなかった幼保一元化の動きを分析しています。幼児教育と保育についての比較では、倉橋惣三と城戸幡太郎を大きく取り上げ、双方の意義と問題点について分析していますが、著者は倉橋にも歴史的意義と評価を示しつつも、城戸の理念に強く共感しています。二人の考え方について「城戸が就学前からの教育の連続性を主張するのに対して、倉橋はあくまで幼児教育の独自性を堅持する。二つの原理の葛藤は相いれないまま、今も解けていない。」というまとめ方をしていますが、本著の後半では、幼児の保育・教育は、その後の学校教育や発達の連続性を踏まえたものであるべきだという主旨の言説が繰り返し語られます。

 グランドデザインが描かれずに政治的動きだけで進んだ幼保一元化は、一元化どころか、三省庁が絡む認定こども園によって、より分かりずらい状況となっています。第3章では、描かれなかったグランドデザインを再考するには、もう一度就学前の発達の課題と目標について捉え直す必要があるとして、「気になる子」「虐待」「いじめ」といった現在の子育てにおける大きな課題を挙げながら論じています。このなかで著者は倉橋の提唱した情操教育を評価しつつ、幼児教育の特殊性を強調するのではなく、発達の段階に応じて必要な就学前期の課題として生かすことが重要だと説きます。ここでの情操教育とは情緒的な発達をという捉え方ではなく、内発的動機づけを高め、高い文化的価値に対する憧れや希求の感情を持つことだと説明されており、ことばや数の教育について具体的な方法論にも言及しています。

 保育園ではよく生活全般の力をつける、年齢に応じた発達の保障をといった言葉を聞きます。しかし、著者の論旨をもとに考えると、それはどれだけ学齢期への連携が図られているのか、正直不足しているということになるのだろうなと思いました。

 著者の主張は、個別ではどうかなと思う部分がいくつもあります。気になる子や発達障害については、社会環境、家庭での子育て養育環境、本人の遺伝的器質など複雑な要因が絡んで分析が難しいと思っていますが、養育環境面を強調し過ぎかなと思いますし(改善を図りやすいのがそこなのはわかりますが)、新自由主義を批判するわりには、保育のコストのデータは明らかに新自由主義よりの学者のデータを使うし、幼稚園のくくり方も大雑把ですし。つまるところ、私の感覚からすすと、不十分なデータと論証で断定的に論じ過ぎじゃないかと思うわけです。

 しかし、就学前から就学期を通じた見通しを持ったうえでの就学前保育・教育の重要性を語り、保育士の専門性を評価し待遇の改善を主張する姿勢は重要だなと思いますし、歴史的経過に沿って重要な学説を取り上げて論じた部分はとても参考になりましたので、読んでよかったなという本した。



「男性保育士物語」を読んで

2014-09-14 11:55:19 | 福祉
「男性保育士物語 みんなで子育てを楽しめる社会をめざして」 小崎恭弘 2005年:ミネルヴァ書房

保育士として12年勤務し、現在は大阪教育大学教育学部 准教授の筆者が男性保育士について、筆者自身の経験を中心に男性保育士の意義や社会の中での子育てなどの考え方も含めて書かれた本です。

2005年5月発売なので、ほぼ10年前ということになり、描かれている時代は20数年前~10年前といった頃です。本書で描かれている姿はまだ「珍しい」存在としての男性保育士ですが、現在は珍しくはなくなったけど、圧倒的に少数派なのは変わりないといった状況でしょうか。そのため、世の中の偏見に関してはこの20年間でだいぶ変わってきたなと思う反面、少数派としての悩みなどは変わらない部分があるなと思います。

また、男性保育士や育児をするパパに関する理解は表面的には進んできたと思う反面、性差によるレッテルを根強く持っている社会だなというのは、今も変わらないんだよなと改めて思いました。保育に際して性別は一つの重要な要素ですが、一人一人が持つ要素は様々で、その中の一つに過ぎないというのが著者の考え方で、現在もそれを広めている立場であり、NPO法人ファザーリングジャパンの顧問も務めています。

私も現在の仕事柄、よく男性保育士とも接していますが、とにかく集団の中で少数派というのは難しい面があるよなというのが率直な感想です。もっと比率が高まるといいなと思っています。そんなことを思う中、筆者の紹介したEUにおける男性保育士のレポートのなかで、興味深い記述がありました。「保育においては、社会的地位や作用による区別を含み、性別により分離された労働市場の一端となっていない男性は、ごく少数しかいない。男性に支配された職業は社会的地位が高く影響力が強い。そしてそれと正反対のことが女性が支配的な職業に関して言える。保育や福祉に関連する職業は社会的地位が低く、影響力が弱いがこれに反して、子どもや老人そして病人と密接に触れ合い、多大な満足感を我々に提供することができるのである。」
園の保育の中での男性保育士のことだけでなく、男性保育士の社会的意義を考えることは、日々悩んでいる男性保育士にとっても大切な視点かもしれません。

この本を読んでいて少し引っかかっていたのが、これだけ男性保育士について熱く語っている筆者が、この本を書いた時点では職を辞して大学講師になっていたこどです。社会に対する問題意識が高じて、大学教授の道を選んだのかなと思いましたが、保育士時代の話だけでなく、そう決断した経緯も書いてくれるともっと共感して読みやすかったのかなと思います。




「愛することからはじめよう 小林堤樹と島田療育園の歩み」を読んで

2014-08-24 16:00:55 | 福祉
「愛することからはじめよう 小林堤樹と島田療育園の歩み」 小沢浩:著 2011年:大月書店

多摩市にある、日本で最初の重症心身障害者施設である島田療育センター(旧 島田療育園)の成り立ちについて、初代園長である医師の小林堤樹の半生を通して書かれた本です。本著は、現在は島田療育センターはちおうじの所長である著者が、島田療育園と重症心身障害児の歴史を一人でも多くの方に伝えたいという思いで書かれています。

明治41年(1908年)生まれの小林堤樹が医師になった時代、医師も障害児は誰も引き受けなかった時代であり、恥として座敷牢に閉じ込められることが普通の時代でした。健康保険でも「治癒の見込みのない病気や障害は入院治療に値しない」とされ、施設建設の交渉の場では国から「障害が重くて社会の役に立たないものには国の予算は使えません」という言葉が返ってくると書かれたいます。

当時の時代性を踏まえるために、あえて「精神薄弱」「白痴」といった言葉も当時のまま使われています。堤樹をはじめとする登場人物の言葉も、その言葉だけを捉えて今の基準で考えてしまうと差別的表現じゃないかなと思ってしまうことがあるほど、当時と現在の社会的状況は異なっています、表面上は。でも、実際の社会では根本的には昔と変わらない差別は存在していて、施設を作ろうとする際の反対運動などでは端的にみえてくるものです。

新しい時代を切り開き、福祉を進めていくときには、多くの場合小林堤樹のような純粋な思いで献身的で圧倒的な情熱を傾ける方が存在します。そして、彼を支え広げていく熱意と献身性を持った人たちが集まり支えていきます。しかし、福祉が制度となり組織が大きくなってきたとき、また別の問題が出てきます。本書では、組合活動とストライキが大きな問題として取り上げられており、実際に小林堤樹は組合交渉での苦痛が重なり園長を辞職することになります。福祉を社会的に継続させていくには、働く人たちの待遇改善は重要ですが、本書ではまず子どもたちの安全や幸福が一番であるだろうと、やや否定的に書かれています。社会福祉の費用と人件費水準の課題は現在にも共通する課題です。

小林堤樹が中心ではありますが、篤志家である島田夫妻、彼らを支える様々な人々の様子が時代背景とともに書かれており、文章も読みやすく一気に読める本でした。


「あなたの夢はなんですか?私の夢は大人になるまで生きることです。」を読んで

2014-08-24 14:47:52 | 福祉
「あなたの夢はなんですか? 私の夢は大人になるまで生きることです。 そのとき少女はこう答えた。」 
池間 哲郎:著  2011年:致知出版社

1時間もあれば読める分量の本ですが、内容はかなりインパクトがあります。

表題は、ビデオカメラマンをしていた著者と、フィリピンの煙と悪臭が漂うごみの山でごみを拾って集める少女とのやり取りです。「あなたの夢はなんですか?」と聞いた時、少女がニコニコしながら「私の夢は大人になるまで生きることです。」と答えたそうです。大人になるまえ生きるなんて当然のことだと思っていた著者は、そんな当たり前のことが夢だと聞いて愕然とし、自分の人生を変えていくことになります。著者は現在、NPO法人アジアチャイルドサポートの代表として、沖縄を拠点にアジアの子どもたちの支援活動を行っています。

この本は、厳しい環境で必死に生きる子どもたちの姿を伝えることで、日本中の子どもたちが真剣に生きる大切さを学んでほしい。そして一生懸命生きることの大切さに気づいてほしいという思いで書かれた本です。そして、世界の食料生産は十分なはずなのに、米国や日本に偏在するために多くの子どもたちが飢えに苦しんでいること、ほんの百円ばかりのお金がなくて秒刻みのペースで死んでいっていることとともに、フィリピン、タイ、カンボジア、モンゴル等の子どもたちの様子が描写されています。

途上国の子どもたちが貧困に苦しんでいることは知っていると思っていたのに、こんなにも厳しい現実なのかと胸が詰まる思いで読みました。まさに自分で見て聞いた話の強さを感じる本です。著者の撮った写真も載っており、さらに説得力を増しています。

シンプルな内容なだけに、いろいろと考えさせられる本です。一つ思ったのは、大人になることを目指すのは、多くの生き物と同じ状況なのかもしれないということです。だとすれば、人間の築いてきた文明は、21世紀にいたっても、多くの人々を大人になることが厳しい状況におくという犠牲の上に成り立っているに過ぎないのでしょうか。

とにかく簡単に読める本なので、ぜひ読んでもらえればと思います。