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yokkieの気になること

障害者・児童福祉のことが多くなるかな

「講座 子どもの心療科」を読んで

2014-08-01 00:15:28 | 福祉
「講座 子どもの心療科」 杉山登志郎:編著 2009年

あいち小児保健医療総合センターの杉山センター長が立ち上げた小児科医向けの実践講座を基に作られた本で、センターの心療科の臨床をベースに最新の知識と心の臨床のスタンダードについて解説した本です。膨大な予約を抱えたセンターが、地域の小児科医と連携して課題を解決していくために開いた講座なので、医療の面からみた実践的な知識が説明されており、子どもに関わる職種の方にとって大変役に立つ本だと思います。しっかりアプローチできている医療の現場ってこうなんだなって羨ましく思ってしまうくらいです。

多くの知識が書かれてお腹いっぱいになってしまいそうな内容ですが、特に印象に残ったところをいくつか挙げておきます。

まず、自閉症スペクトラム障害等について、基本症状(社会性、コミュニケーション、想像性の障害…ウイングの3組ですね)、付随症状(間隔以上、興奮、癇癪、攻撃性、パニック、不器用、睡眠障害、等々)、二次症状(精神病性症状、気分症状、フラッシュバック、解離、社会的引きこもり、反社会的行動 等々)にしっかり分けて考え、治療的介入の優先順位をつけることが繰り返し書かれています。治療方法も症状の種別によって大きく変わってきます。例えば薬物療法は適切に用いれば効果的ですが、主に付随症状、加えて二次症状にも有効な手段であり、あくまで基本症状への療育を円滑に行うための手段であることが書かれています。こう説明してもらうと、福祉を多少かじった程度で医療的な知識が少ない私でも、なんとなく捉えていた薬物療法の役割がしっかり見えてきます。

また、杉山先生は他の本でもそうですが、日本の虐待への対応の遅れ、特に性的虐待への対応の遅れについて強い危機感を抱いているとともに、自閉症スペクトラムとの強い関連性を指摘しています。この本でも虐待、不登校、摂食障害についてはかなりの分量がさかれています。実際の医療現場で深刻な問題なのだろうということを感じます。

入院加療については看護師が執筆しています。入院における看護師の役割と重要性を理解することができ、センターの看護師が誇りを持って働いている姿が目に浮かんできました。ほんと、こういうセンターが各都市にほしいです。

そして、この本で特筆したいのはその価格です。これだけびっちり書かれていて1,500円というのは、専門書としてはとても安く感じます。正直、一読するだけでなく、持っておきたいタイプの本なので、この価格は素晴らしいですね。 

「ぼくには数字が風景に見える」を読んで

2014-07-20 22:57:50 | 福祉
「ぼくには数字が風景に見える」 ダニエル・タメット著(2007)

誰もが認める計算と語学の天才と評されるダニエル・タメットの自伝的作品です。その才能と特性は、サヴァン症候群とアスペルガー症候群、さらに数字が美しい風景に見えるという共感覚の持ち主であることからきているとされています。

ちなみに、ネットで辞書を引くと、サヴァン症候群は「自閉症や知的障害をもちながら、ある特定の分野で非常に卓越した才能を発揮する症状の総称。男性に多く、記憶力・音楽演奏・絵画などにおいて天才的な能力をもつ。」と説明があり、共感覚は、「音を聞くと色が見えるというように、一つの刺激が、それによって本来起こる感覚だけでなく、他の領域の感覚をも引き起こすこと。」と書かれています。

彼がアスペルガー障害と診断されたのは25歳ですから、両親は彼の言動に困惑しながらも、愛情と忍耐にあふれた子育てを行い、思春期以降の友人にも恵まれています。先に読んだグニラ・ガーランドに比べると非常に順調な成長と人生を歩んできた彼は、両親の理解が間違っていた部分については率直に書きつつも、二人への感謝の言葉を何度も書いています。また、数字や語学、そして自分の障害や特性に関する素直で非常に高い関心について率直に書かれており、子どものような純粋な関心は微笑ましく感じます。

現在の彼は、イギリスやアメリカのテレビ番組に出演したり、この自伝的著作が世界中で読まれたりということで、著名人になっているようです。確かにこの本で書かれている彼の外国語を覚える能力や数字の暗記や計算力などは信じがたいレベルですし、ポジティブでわかりやすい文章はとても魅力的です。多くの人に読まれたことがうなずける内容で、彼のような人がいることへの驚きと、気持ちのよい読後感を与えてくれる本です。

彼の存在は多くの科学者も引きつけているようです。彼も進んで被験者になっているので、今後サヴァン症候群や共感覚、さらに脳機能についての研究が進むかもしれません。ただ、グニラの本と続けて自伝的作品を読んだせいか、読後に少し考えました。それは、この本はあくまでも本人が書いた自伝で、第一にはエンターテイメントとして、障害を学ぶという意味では参考程度に読むべきものかなということです。誰でも自分の能力を客観的に捉えて表現するのは難しいことです。さらに、過去の体験は自分のフィルターを通してしかみられません。一般化すべき知見は研究者たちの今後の研究を俟つべきなのだろうなと思います。

「ずっと「普通」になりたかった」を読んで

2014-06-14 11:45:18 | 福祉
ずっと「普通」になりたかった  グニラ・ガーランド著  ニキ・リンコ訳 2000年


今回は少し読了まで時間が掛かった。落ち込み気味の時に読むと、正直、読む進めるのがきつい内容だ。その反面、後半は一気に読まされた。

自分もまわりも高機能自閉症のことを知らずに、しかも夫婦間に亀裂が入った家庭環境に育った筆者が、自分のことを知るまでの物語だ。幼少期化から誤解を受け、誰からも理解されず、虐待、いじめを受ける描写が続く。説明はやや冗長で、まわりの人間の無理解が強調されているように感じてしまう。

もちろん、自分が多数派の側だから、彼女の説明が心に刺さるに過ぎず、しかも自分の痛みなど、きっと彼女の苦しみの何万分の1なのだ。障害の当事者の言葉は、確かに新たな驚きを与えてくれる。自治体のケースワーカーで接する自閉症の方は、そもそも高機能の方が少ないうえに、ここまでまわりが無理解な状況で出会うことはほとんどない。
多くの人々の顔が空っぽにみえて区別がつかないこと、「裏側」や「向こう側」があることをある日発見するまで全く想像がつかないこと、多くの音や声から特定の人の声を聞き取ろうとするだけでほとんどのエネルギーを費やしてしまうこと、どれも知識として知っていたが、多くの実例で繰り返し説明してもらうことで、それこそ私が冗長と感じる描写だったことで、知識が少し実感に変わることができたのではないかと思う。

後半になると、本人は破滅的な自分探しを始める、人とのコミュニケーション手段としてのセックス、ドラッグ。恋人を持つのも、正常な人間に近づきたいから、お手本にする人を得たいから。彼女がどう自分を知ることができるのか、この本を書くにいたるのか、それを早く知りたくなって後半は一気に読んだ。

訳者のニキ氏も自閉症スペクトラムの障害を持つ。彼女はあとがきで、「障害を持って生まれながら、何も知らず、健常児として育つ。それはときに、二重の意味で屈辱的な経験になることがあります。一つは、人と同じことができないのに、理由がわからないので、自分のせいだと思ってしまう屈辱。もう一つは、みんなの能力の差を埋めようとせっかく自分で工夫したやり方を、不自然だ、ごまかしだ、卑怯だと思いこんでしまう屈辱です。」と書いている。それは本当に苦しみだったのだろう。

それでも、こういった苦しみを乗り越えてきたから、得られた力があるのかもしれない。著者もそう考えているところもある。彼女個人にとって、何がよかったのはわからない。ただ、それは自閉症のことを知る人が増え、屈辱的な体験を過ごさずにすむようになってほしいという思いを妨げるものではない。うん、当たり前なことを書いているな。

「ひきこもる思春期」を読んで

2014-06-09 23:56:22 | 福祉
こころのライブラリー(8) 
「ひきこもる思春期」 斉藤環:編 2002年

ひきこもり関係の著作で有名な(といっても私は単著を読んだことはないが)、
精神科医の斉藤環氏が様々な書き手に依頼して編集を行った著作。

編者が最初に自分の基本的な理解やスタンスを簡潔に示した後で、
座談会の記録と10編以上の寄稿が並んでいるのだが、ユニークなのは、
明らかに編者と意見が異なる者に原稿を依頼していることである。

読んでいて、これは全然違う立場だよなと当然思いながら読んでいると、
書き手は最後に「本稿の内容を予想した上で、あえて私に執筆を
依頼したであろう斎藤の開明性に、少しでも応えようとして、私は
本稿を書きしるした。斎藤と私は、たがいに発想の原点というべきものが
異なっている。しかし、斎藤のような開明性のみが、「ひきこもり」を
めぐる日本の精神医療業界の閉鎖性に対し、風穴をあけることができる
ことも、また確かであると考えられる。」と書くのだ。

引きこもりについても全然詳しくないのだが、それでも
これは、この後風穴は空いたのか、確かめたくなる。
幸い、この本は2002年に書かれているので、10年後を
知ることができるのだ。またこの関係の本を読まねばならないかな。

「ある精神科医の試み」を読んで

2014-06-01 15:15:51 | 福祉
「ある精神科医の試み 精神疾患と542試合のソフトボール」 織田淳太郎:著

かつては炭鉱の町としてにぎわった、北海道の小さな市の総合病院。ある精神科医が、
ソフトボール療法として約11年間の間に542試合もの交流戦を行った。多くの患者、
スタッフ、対戦相手の病院や施設が関わったこの営みをノンフィクションライターが
描いたのが本著だ。

ソフトボール療法中心となった宮下医師をはじめ、登場人物の物語、人間性が
飾ることなく描かれており、個々の物語と、それぞれにとってのソフトボールとの関係が
縦横の糸となって紡がれる魅力がそこにある。

宮下医師もいうとおり、ソフトボール療法が病気にどこまで効果的だったのかは
はっきりしない。しかし、関わった多くの人に、少なくとも一時的には
楽しみな時間を与え、生活のメリハリをつけ、日常生活にも活気を与えた。

服薬治療は、医学的な効果こそかなりの精度で検証されているが、
だから人生が大きく好転するとは限らない。ソフトボールを楽しみに
生活する時間を得ただけでも、生きる喜びを感じることができる
貴重な取り組みではないかと感じる。

また、患者の中にはアルコール等の依存症患者の描写も多く、
精神疾患とはまた違った、依存症の厳しさを伺い知ることができた。

宮下医師の、頑固で勝ち負けにこだわり、精神科医1人体制に苦しむ姿は、
彼の強い個性を感じさせ、人間臭さが伝わってくる。薬物療法中心となりがちな
医療機関とは違った姿がそこにはある。

残念なことに、宮下医師は、昨年の8月に心療中に患者に刺されるという
ショッキングな事件で亡くなっている。彼の投じたソフトボール療法の輪が、
今後もつながっていってほしいと願う。