2/27夜、色々とありまして
52歳にもなってくると色々と親にも手がかかってくるようになるのです。
子供の頃には手をかけてしまったので今はその恩返しの時期。
オヤジは84歳になれました。
私にはタイに住んでいる弟もいたりしまして、、、。
以下、連絡事項
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靖久へ
オヤジが昨日風呂上がりに倒れた。
風呂の扉の(ドアの)取っ手が外れたらしい。
取っ手が外れていた。
バランスを崩し
室外機に背中をぶつけて一時気を失っていた模様。
初めに伝えておく。
今は特段の問題はない。
お袋が慌てふためいて頓珍漢な事ばかりするので救急車を呼んだ。
掛かり付けの愛里病院に救急搬送されたのである意味良かった。
1週間ぐらいの入院となるらしい。
PS.
お袋の慌てぶりに対応するのに、俺もすねを思い切り打ってしまった。
入院治療計画書の画像を添付しておく。

ついでに俺のスネの写真も。

以上、カペルミュールの広告でした。
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当時(小学校入学前に)、新築中だった家の駐車場にオヤジと二人で寝泊まりして、家が出来上がるのを楽しみに待っていた。
バラックと言っていいと思う「トタン屋根」と旧倉本家の廃材で一時的に建てた、粗末な(木造)家屋。
駐車場といってもトヨタのパプリカがやっと1台入るぐらいのスペース。
それでも自分は小さかったので十分だった。
オヤジにはとっても狭かったんじゃないだろうか?
家ができる喜びがあったから、新しいスタートが始まるから?
まあ、希望があったからこそ耐えられたのでしょう。
私は、小学校に入学するので、そこからスタートした方が良いだろうということで連れてこられていた模様。
母親と弟とお婆ちゃんは5kmぐらい離れた知り合いの家を借りて住んでいた。
そこに「たまの週末」行ける時には「豪邸」に行く気分であった、、、。
2階建てだったのでそれまで平屋にしか住んだことがない私には本当に豪邸に見えた。
もしかして、屋根裏部屋だったのかもしれないが、、、。
階段がとっても大きく見えた記憶がある。
目の前には、牛乳屋さんがあり、当時「パンピー」を飲むのが超ご馳走だった。
腰に手を当てはしないが、
上を向いてグビッと!
もできずに紙の蓋を外して
「スッスッ」とすするのが、
とっても、とっても、と~っても、うまかった。
5円でお菓子が一個買えた時代。
話がだいぶそれたが、車一台分のスペースに父親と二人で生活っていうのはものすごく深く脳裏に焼きついている。
銭湯に行くときには、一日いい子でいた時には「パイゲンC」を買ってくれた。
また飲み物の話だ、、、。
車一台分のスペースで生活っていう体験はなかなかできるものではないし、今では気が狂うかと思う。
「夢」っていうのは辛い時期を我慢できるとっても「貴重なもの」なんだ。
新築の家ができた後も、家自体にはお風呂がないので銭湯に通った。
銭湯がなくなってから駐車場スペースに風呂場を作った。
風呂場にイク時には表から見えてしまうのでタオルを腰に巻いて2枚のスノコに足を乗せる。
昨日(7/27)私はここでコケた。
オヤジが退院できるまでに歩きやすいように直しておこう。
自分で風呂に入るという「小さな夢」を見てもらおう。
さあ、これから私も皆様の「夢」を組み立てますか、、、。
仕事が遅くなって申し訳ございません。
そんなFitteでも宜しければ、これからも応援よろしくお願い致します_(._.)_