日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

今日は 木曜日

2014年07月03日 06時45分31秒 | 日記
10時から パソコンやタブレットを駆使してUSTREAMに・
ラジオはFM 78.6Mhz にチューニングよろしく・・・
FAX 099-218-0321 メールは m@fm786.jp までどしどし
今日もまた楽しく笑えることでしょう 期待しましょう

今日も辛いお話の報告です。今回の旅の辛く悲しい報告は
今日を最後にして、以後は明るい話題の旅の報告にして
行きたいと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%B8%89%E9%99%B8%E7%94%BA%E9%98%B2%E7%81%BD%E5%AF%BE%E7%AD%96%E5%BA%81%E8%88%8E

南三陸町・・〔旧志津川と歌津〕も多くの報道をされた悲しい
物語の町でした。
まだまだ 残骸がすべて片付いていたわけではなくて
いろんな物議をかもし出している町でもあります。
南三陸・震災・等でユーチューブを検索されますと、沢山の
動画や記録が残されています。
私は ここを訪れるのは初めてでした・・バスの中で子供を
連れて志津川駅までの親子と話を聞きました。
母親と祖父母を亡くして・・まだ仮設暮らし・・学校に通う
のに40分歩いて・・でも子供もその父親も明るく話してくれ
ましたが・・笑顔はありませんでした。
そんな幼い子供たちの将来が・・この町で夢と希望に満ちた
学生生活が過せるのか?? 甚だ疑問にも感じました。
その私との瞬間がすべてではないでしょうが、今朝も我が家
の前を子供たちが ワイワイガヤガヤ登校して行く後姿と
余りにもかけ離れていることに・・寂しさと不安を感じます

今回の南三陸の海岸線の旅・・悲しい物語は今日までと
させていただき、次からは明るい話題で行きたいと思います



















最後までアナウンスをしていた危機管理課の女性職員は
犠牲になり、他の職員から「上へ上がって 未希ちゃん 
上がって」という呼びかけを最後に音声が途切れている
この放送は今でも私の脳裏に焼きついている











生死を分けたこの建物の屋上からの写真や動画・・悲しい
今は廃墟となっているが ここでも多くの犠牲者かあったとか







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8 コメント

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出かけまえに力をもらいました (姉です)
2014-07-03 08:30:34
ワイコマさん
毎回あなたに頂くエネルギー。もちろんこの1週間にたくさんのエネルギーを皆さんからいただきました。

毎回のことでかける前のこの緊張感をふっとやわらげてくださるコメントなどに 心をいただいています。

今日は天気も持ち直せそう。

この辛い報告も、私に「甘えてはいけないよ」と伝わりました。有難う。もしかしたら今日の分話題にさせていただくかもです。ご了承を。 姉より
返信する
お疲れさまでした. (ひまわり)
2014-07-03 14:31:32
こんにちは~.

一瞬にして.人生が変わってしまった.震災地..
お出かけに成って~驚いた事と思います.

私も.一年経った頃.復興支援の旅~海岸沿いに行って来ました.企画は.福島.ハワイアンズも楽しみに入っていましたが..?ガレキの山.半壊の家.土台だけの土地
悲惨な状況を見て.海の怖さ..津波の怖さ.自然の怖さを痛感して来ました.

現に.わたしの通うスポーツジムにも.奥さんを失い.
松本に勤務の息子を頼って~せめて体を動かしたい.
友達も.ばらばら~寂しい.そのような方がいます.
「帰れるものなら.帰りたい.」そう呟いています.

四賀村にも.数名.子供が見えているようです.
出来るだけ.協力してあげたいですね.
本当に.お疲れ様でした.
返信する
鹿児島の姉上様へ (ワイコマです)
2014-07-03 17:09:58
てんがらもん・・聞きました。 お疲れ様でした
3人体制でも十分可能ですね。よかったですよ
相変わらずの方言・・向井さんの言葉と声が
しっかりしているので・・なお更に 面白さが
伝わりますね。彼女はレギュラー候補として
指導してあげてください。吉永さんもだいぶ板に
ついてきて安心して聞いていられる。
私の苦言まで・・正直でいいことですね。
他の皆さんは 原稿を読むので それなりの
リズムとスピード・・姉上は原稿があってないが
如しなので・・ちょっとリズムが早い・・でも
それが逆に面白いのかも・・余分な苦言を
申し訳なく思いました。
返信する
一言 (TK)
2014-07-03 17:16:04
お疲れさまでした。
返信する
ひまわりさんへ (ワイコマです)
2014-07-03 18:15:02
私たちの身近にも いるのですが・・ほとんど
詳しい話はしませんし、多くを語りません。
まだまだ 被災地の復興はスタートラインまで
到達していないのでは・・と感じる一方
大都市や中都市ではだいぶ元の賑やかさが
戻っているように感じました。
今回は釜石から海岸線を仙台まで30分電車
一時間バスなどの繰り返しで地域の生活の
足や買出しの老人たちの話が悲しく感じました
家の無いことが・・家族を離散させて・・被災地に
老人だけが・・これでは復興どころでは無いと
まだまだこの先、予測がつきません
またいいアドバイスを・・お願いします
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TK さま (ワイコマです)
2014-07-03 18:16:15
ねぎらいの お言葉に 応えられるように・・
更に研鑽を重ねます。 いつもありがとうございます
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こんばんは~ (mappee)
2014-07-03 20:14:34
雨の中の写真が全部を 物語てますね・・・
アナウンスを最後までされた役場に行かれたのですね 
テレビでしか聞いてない観てないけど・・・忘れていない出来事です・・・
遠い所に居ると 忘れがちになります このように伝えてくれる人がいる・・・有難い事ですね 頭が下がります
返信する
mappeeさんへ (ワイコマです)
2014-07-04 07:37:13
私も この役場後は初めてでしたが・・多くの役場職員
が殉職した役場跡を取り壊すのか残すのか検討中
その状況を残された白い建物の屋上で記録していた人
まさしく生と死を分けた二つの建物のその存否が問われ
いますが・・バスに乗り合わせた親子は、言葉少なく
どっちでもええ・・・と複雑な心境を物語っていました
でも現実の今日の姿も忘れてはならないと・・
心に再度焼き付けた旅となりました。
返信する