日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

リフォームされた gooBlogから・・

2019年03月25日 12時37分02秒 | 日記
今朝はgooさんのBlogの模様替えリフォーム
がありまして、投稿が遅れてしまいました。
新しく変わった フォームから初めての投稿
をしております。今朝の信州は寒くて氷点下
6度、まさに冬に戻りました。
日本初の電子式卓上計算機(電卓)が発表
されたのは、一週間前の月曜日の3月18日丁度
東京オリンピックの年の1964年だったそうです
早川電機(現シャープ)が1964年に発表した
CS-10Aは世界初のオールトランジスタ
ダイオードによる電卓で、価格は当時の乗用
車と同程度の53万5千円で、重量は25キロも
ありました。その後、各社が相次いで電卓市
場に参入し、「電卓戦争」が勃発。競争の過程
の中で、トランジスタがICに置き換わり、
さらに集積度を高めたLSIの登場によって
電卓の小型化・軽量化・低価格が進みました。
電卓の歴史の中でエポックメイキング(革新的)
な出来事はいくつかありますが、1972年に登
場したカシオミニは「とかくこの世は計算さ・
数と数との絡み合い 答え一発!カシオミニ」
のCMとともに大ヒット。この商品の登場によ
りそれまで業務用だった電卓が個人でも手軽に
使えるものになりました。電卓市場には一時50
社以上のメーカーが乱立していたと言われます
が、電卓戦争で最終的に生き残ったはシャープ
とカシオのみでした。
1964年に登場した初期型の電卓は横幅が40
cmもありましたが、1978年には名刺サイズに
まで小型化しており、結果として後年の半導体
産業やコンピュータ、液晶、太陽電池等の産業
に大きな影響を与えています。
ちなみに、多数のメーカーがしのぎを削っていた
頃、日本のビジコンというメーカーは、電卓の
機能をLSIに書き込み、そのプログラムを書き
換えることによって様々な仕様の電卓を生み出
せないかと考えます。専用のLSIの開発を日本
のメーカーに依頼したことろ全て断られますが、
ビジコンの依頼を引け受けたのが創業間もない
米インテルでした。ビジコン側が論理設計を、
インテルが回路設計を担当し、1971年、世界初
のマイクロプロセッサ(MPU)の開発に成功し
LSI開発におけるビジコンとインテルの当初の
契約は、開発費をビジコンが負担し、製品の
独占販売権をビジコンが持つというものでした
が、MPUの将来性が有望とみたインテルは
開発費を返却し、MPUの独占販売権も取り戻
します。ビジコンは熾烈な価格競争の渦にのま
れ1974年に倒産しますが、インテルのその後の
発展は語るに及ばずです。あのビジコンの手腕
が惜しまれる現代です。

東京最後の・・写真です






















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コメント (10)
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