つれづれ日記(或いは日々雑感)

40代前半、人と少し違った道を行く筆者の、日常の雑感を綴ります

<ニュース>トールキンの未完作、息子が完成

2006-09-21 01:18:06 | 時事
えっと、皇室関係でもうちょっとのたのた書いていたかったのだけど、
いや、今でも書くつもりは(あと少し)あるが、
yahooのニュースで、意外というか、うれしいものを見たので、ちょっとだけ。
いや、まだまだ気ぜわしいのだけれど。

<トールキンの未完作を息子が完成=来年出版、第2の「指輪物語」か>
だそうで。

内容はというと、
クリストファー・トールキン氏(J.R.R.トールキンの生存する3人の息子の一人で、
父の生前の遺作編集・編纂に当たっている)が、父の未完作を完成した、とのこと。
何かというと、
「チルドレン・オブ・フーリン」
だそうだ。

これ、聞いてわかる人、どのくらいいるかな。
私、詳しいつもりだったけど、始めぴんとこなかった。
実は、ドワーフの話か、と思ってしまった(不覚)。
って、どっちにせよ、指輪物語の追補編か、シルマリルの物語を熟読してないと
判らないのだけれど。

ちょっと解説。
トールキンの世界では、ドワーフの伝説の父祖をデュリン(ドゥリン)という。
そっちの話かと勘違いした。ドワーフの父祖の話かと。
えらく地味だなと。

でも、違いました、多分。間違いありません。
フーリンの息子(子供)たちの話、というのは、多分、第一紀の、人間族の話。
「ナルン・イ・ヒン・フーリン」(多分エルフ(シンダアル)語で)という。
(↑は、そのまま“フーリンの子供たちの話”の意。眠りに落ちかけて思い出した。)
モルゴス(冥王)との戦いが終盤にさしかかり、いよいよ暗さと絶望を深める中で、
自分たちが仕えたエルフの王(トゥアゴン)を逃がすため、踏みとどまって
多勢に無勢の中、モルゴスの軍勢を防ぎ、囚われてモルゴスの許に送られて、
直接尋問を受けながら、トゥアゴンの隠された都の位置を明かさなかった、
人間の王族の一人。
為にその家族はモルゴスに呪われ、悲惨な運命を辿るのだ。ハムレットや
オイディプスよりも悲惨な。
息子トゥーリンは、人間随一の武勇の持ち主と称えられたのに。
でも、その一族は、モルゴスに屈しなかった。そして、みな滅び、
ドリアス(ルーシアンの生まれ故郷、ガラドリエルの嫁ぎ先)へも、
滅びをもたらすこととなり、更には、隠された都の位置も、大まかに敵に
知らせることになった。

でも、この話、シルマリルの物語の中では、初期には一番好きな話だったん
ですよね~。
特に、フーリンとその妻が、自分たちの子供の眠る墓(ネタばれごめん)で
最期に再会し、言葉を交わすシーンが。涙なしでは読めないんですよ。

そして、この、フーリンの弟のフオル、彼は兄フーリンが囚われた戦いで
戦死するのですが、この息子のトゥオルが、隠れ都を見つけ、トゥアゴンに会い、
そして後にその娘のイドリル・ケレブリンダル(銀の足の、の意)と結ばれる。
人間とエルフの、最初の結婚です。そして生まれるのが、エアレンディル。
絶望の中からの思いがけない救済に遭遇する、後代に続いた人々の陰に隠れた、
でも時代を担い、苦悩の中に生きながら、暗黒に屈しなかった人間たちの話。

ごめんなさい、マニアな話です。ついていけない人が大部分と思う。
でも、忙しくても読みたい、絶対読みたい、この話。
まあ、発行は来年のようだから、先で読みますかね。

あ、ここを読んでくれてる皆さん、訳の判らない名前の羅列が続いてごめんなさい。
もしよければ、トールキンの著作を読んでください。
でも、ここにたどり着くまでには、指輪物語とシルマリルの物語を読破しないと
いけないからなぁ。限りなく不可能に近い。

あ、でも、なんか近頃、異様にアクセスが多いんですけど、このブログ(このブログに
してはだけど)。
なんででしょうね。

ああ、もひとつでもでも。
中学の頃から、指輪物語の世界に没入してきて幾年月、最初に渡欧した英国で、
ペーパーバックを買い求め、そしてその話が、思いもかけない完成度で映画化され、
数々の続編が(遺稿の整理を息子がするという、限りなく理想的な形で)発表されるのを
目にし、その末に、“一番読みたいと思う話”がその手で刊行されるのを見ることが
できるなんて。
生きていると、いいことがあるものですね。長く(?)生きてると。
生まれて来てよかった。長く生きててよかった。と、しみじみ思いました。
生きる楽しみ、ってのの大きなのがここにある、っていうか。

皇室のこと3、の追伸

2006-09-10 08:25:51 | 時事
えっと、皇室に対する思い(特に今上天皇)の追加。

明治、昭和の天皇が比較的優れていたし、今の天皇もまあまあ
(と言っては僭越極まるかもしれないが)だと思うので、
ちょっとそれ関連で。

今の皇室の主要な方々(昭和、今上天皇)を見ていると、思うのだ。
この方々が、もはや統治権はないものの、この国の、いわば“王”
の血筋として、国のために振舞っておられると。
天皇家が戦前に言われた如く、“125代に亙って万世一系”とは
思っていないけれど(なんちゃって)、少なくとも有史以前からの
歴史を持った、日本の歴史と共にあるご一家であることは確かで、
初期にはともかく、奈良・平安以降は日本を統べる(実権のありなしを
問わず)ご一家であったことは確かだ。
(実際の所、史実としてほぼ確かだと言われているのは、26代の
継体天皇(4~5世紀頃)辺りからだそうだ(数代後は用明、推古
天皇など、飛鳥時代(聖徳太子の時代)である。っていうのは、
古代史(歴史)ファンであるうちの実家の家族から得た知識なのだが。
ついでに言うと、“継体天皇帰化人(大陸由来=朝鮮半島由来)説”
もあるようだけど。)
ご存知の通り、特に平安後期頃からは、摂関家や武士などに実権を
取られ、以来明治に至るまで、実権はお持ちではない。
(明治~戦前の昭和天皇も、本当に持っていたと言えるかどうかは
議論を待つところだろう。)
ただ、国を統べるものの有り方として、今の天皇家は、統治権は
勿論無いものの、“自国の国民を(自分の民として)思いやる心”は
お持ちのように思える。(少なくとも、昭和、今上天皇は。)

例えば、昭和天皇は、戦後、戦禍で荒廃した全国を回られることを
ご自分で立案され、全都道府県を回られている。
(確か、沖縄が一番最後で、そのときは誰か子供が石か何かを
投げつけた不敬事件が起こったと思う。)
これも、“自分たちに出来る(せめてもの?)こととして、
国民を元気付ける”というお気持ちがあったのだと思う。
また、死の床につかれた時も、苦痛を出来る限りお現しにならなかった
という。(自分が騒ぐと、皆に特に迷惑がかかるから、という配慮。)

また、今上天皇のなさったことで私が印象に残っているのは、昨年
アジアの数カ国を歴訪され、サイパンに行かれた時のことだ。
サイパンと聞くと、私の世代位では既に、“リゾートの島”という
印象が強いが、戦史マニアの兄を持ち、小学校時は道徳の副読本を
やたらと読んでいた私のような人間には、この島はまず
「玉砕の島」である。
私の感覚からすると、サイパンに行って海ではしゃぐ、というのは
とても出来ない。
私が行ったら(行ったことが無いが)、まず、“バンザイクリフ”に
行くだろう。(ハワイだったら真珠湾(行けたら)に行くと思う。
行ったことないけど(ハワイ自体)。)
ここで、両陛下は勿論、バンザイクリフを訪問され、更に、
近くにある、朝鮮人(日本軍に徴兵された)の慰霊碑も
参拝された。
これは、両陛下のご意志で、事前に公にするといろいろと議論を
呼び、変な反応(右翼の妨害?)が入る可能性があるので、
直前まで秘密にされていたと言う。
この碑に関わる、徴用朝鮮人の会(遺族会?)の方が、とても
感激しておられた(のが、テレビで放映されていた)。
大戦で、天皇の名のもとに傷ついた人々全てへの心遣い(意見を
恐れず言ってしまえば、お詫び)が、感じられると思う。
こういう行動は、前例を気にしたり、天皇の権威が云々と
言っていたら出来ないことだ。こういうことをなさるというのが、
偉い(ご自分に許される限りで、こういう行動を実際に取られる)
と思う。

(え、そもそもバンザイクリフって何? という人は、
その位自分で調べてください。常識です(一応)。)

こういうこと(新しい良いことをする、革新する)に関し、宮内庁を
当てにしても無駄である。
これも兄からの知識(まあ常識かもしれないが)であるが、宮内庁の
お役人と言うのは、他の役所から数年間の期限付きで、転勤して
順繰りに回ってくるのだという。
その間になにか粗相があっては大変だ。また、数年で変わるから、
この役所で熱血してもしょうがない、大過なく、前例に従って
過ごすのが一番、という人ばかりの役所。
だから、天皇(皇族)が自分の意見を通されるのも、かなり大変だろう。
秋篠宮も、“皇族でいることの辛さ”を述べられていたこともあるという。
まあ、普通そうだろう。

秋篠宮家のお二人(また、お子様)に、それ(自発的に良いことをする、
少なくとも後戻りしない)が期待できるだろうか。
手話を習われるのは偉い。それは認める。
でもそれは、“社会福祉の心”が動機ではなく、皇室にすんなりと
適応する為、例えば、受験生が合格目標の学校の出題傾向に合わせて
勉強をするのと同じ類の行動ではないか?
あのお二人(やお子様)に、昭和、今上両天皇が取られた、本当の
意味での“上に立つものとして敬愛、敬慕されるべき行動”が
取れるのか?
(皇太子ご夫妻やそのお子様には、出来る可能性が高い気がする。)
せいぜい、有職故実を引っ張り出して、前例に固執し、悪い意味で
優等生として振舞うだけではないのか。
そこまで期待するのは、無理なのかなあ。
それに、子供の資質は、親に似ないこともあるしね。
よし、それを期待しようか。

<追伸の追伸>
実家の家族と話したら、兄が“ああいう行動(上に書いたような諸天皇の
行動)は、あの方々の意思とは言えない(他人がシナリオを書いている)”
と言っていた。
必ずしもそうとは思わないが、そういう考えもあるのかなぁ。

皇室のこと3+アルファ

2006-09-07 08:10:59 | 時事
<前書き>
えっと、昨日からちょっと書いた文を、いまから学校に出かけるので(多分)載せ逃げ
する積りだったのだが、ブログの編集画面を開けてみて、あらびっくり。
なんか昨日のアクセス数がすごいんですけど(このブログにしては)。
ブログばれした人々が、その他の人にばらしちゃったのかな、と思うくらい。
それとも、皇室云々について、いろいろ書いてたからかな。
まあ、又書きます。

----------以下本文-----------

えっと、また、皇室関連。
もうやめよう、これっきりと思うのだが。

生まれられたそうで。
男のお子様だそうで。

一応、日本国民として、言わなければならないかと思うから
(人間としても)言っておく。
「おめでとうございます」

実は、夏ばて気味で気力がなえたので、忙し気味にも関わらず、
昨日は学校をさぼくって家に居たのだが、
一日中ご出産のニュース(しかも、お昼過ぎのワイドショーは
女性週刊誌調で更に不快)なので、その手のニュースになると
チャンネル回したりして(テレビ東京は偉い! こういう時にも
通販番組とかやってる)。
大好きなNHKのニュースでも、“お二人が卒業された学習院の
ある、目白の住民によるお祝いの踊り”とかが流れると、
わざと教育テレビ(普段は滅多に見ない)に回したりして。
“そんなに騒ぐんなら、“日嗣の御子は生れましぬ”とでも
歌えば”なんて思ったりして。
(注:上記の歌は、今上天皇(戦前生まれ)がお生まれになった
時の慶賀の歌。)

とにかく、もう言うのをやめようと思うが、私はこの人の子供が
皇位を継ぐのはとても嫌だ。(まだ決定されている訳ではないが。)
新潮でも言っていたが、“女性皇族の公務を勤められるのは今、
この人だけなので、過重な公務をこなしておられる”と聞いてもね。
“人は、何をしたかで判断される”のは認めるけれど。
(↑は、地下鉄サリン事件の林郁夫受刑者の言。)
上に立つ人には、先見と品位が必要なのだと思う。
あのお二人にはそれがない。
まあ、これまでの経緯といろいろな人々の反応を見ると、
“誰も、皇室にそんなこと求めちゃいない”みたいなので、
これでいいのかもしれないが。
うちのダンナの言。
“勝ち組になれば勝ち”だそうだ。

最後になるかもしれないので、皇室に対する思いを少し、つらつらと。
(どこかで書いたかもしれないが。)

私は、現皇室を、結構いいと思っている。
それは、明治、昭和の両天皇がなかなか優秀な方だったからだ。
明治天皇は、明治の変化期を、トップとして上手く乗り切られた。
(まあ、主導権はあまり持っていなかったとは思うが。)
昭和天皇も、大戦、敗戦、戦後の復興を、陰で支えられたところが
絶対有ると思う。
(大正天皇は、精神的に欠陥をお持ちだったそうなので、除外ね。)
まあ、戦後も天皇家が存続したのは、アメリカの統治政策のお陰って
いうのが主であるけれど。
当の天皇が馬鹿では、話にならなかっただろう。

それに、昭和天皇は、いろいろな意味でバランスの取れた方だった
ようだ。
まあ、帝王学とやらを学ばれていたそうなので、2.26事件では、本当に
激怒して(帝位を揺るがすものだったから)、厳格な処分を命じたらしいが。
それも、“帝位についているもの”としては、妥当な行動と言えるだろう。
例えは、献上されるもの、お好きなテレビ番組などに関しては、その後の
影響を慮って“どれも好き”と言われるのを常とされたとか。
学者としても、独り立ち出来るレベルではあったとか。
(まあ、これは“帝王の学問が本格的レベルになった”という程度の
評価でしかないようだが。)
これも、理系(生物系)の者には嬉しい。

今上天皇も、昭和天皇の後継であるせいか、結構バランスが取れている
ように思う。こちらも、学問に明るい方であった気がする。
民間から后を迎えられ、きちんと暮らされているのも好感が持てる。
今上天皇に3人ものお子様がいらっしゃるのは、“新しい血”を入れた
せいが多いだろう。
ご兄弟の常陸宮様(だっけ)の奥様は、多分皇族か華族の出でいらっしゃる
と思うが、お子様がいらっしゃらない。血族結婚の弊害がでているという
ことだろう。

そういえば、美智子皇后は、流産をされているそうだ。
この記事とかを書くので、いろいろ調べていて知った。
(皇太子様と秋篠宮の間で。)
雅子様も、愛子様を懐妊される直前に、流産されているよね。
この時(初めての懐妊→流産)の騒ぎ(発表前にマスコミが
がたがた騒ぎまくった)は、私にとってとても不快だった。
その時流行だった、午後10時代のニュース番組、10chの“ニュース
ステーション”では、懐妊発覚時、学習院幼稚園(だったと思うが)
の女児たちに、番組がインタビューしていて、“貴方達に弟か妹さんが
来るんだよ”とか、当然何のことか判らない女児たちに向かって
言っていた。
その、視聴率至上主義の番組作りに胸がむかついた。
以来、私は、ニュースステーションを1回も見ていない。
(その前から嫌いであったのだが。)

皇后様、雅子様は、どのように思われているのだろう。
エリートでらっしゃるから、それらしく感慨を持たれて
いるのだろうか。
お二人の健やかなことを願う。

皇室のこと2

2006-09-03 09:11:43 | 時事
紀子妃のご出産が迫っているので、駆け込みで。
いろいろ書きたいと思っていたのだが、時間が無いのでちょっと。
(もう十分だって?)

紀子妃のご懐妊が明らかになった今年2月の少し前の昨秋にネットで見た、
某若手人気俳優の庶子問題について、感動秘話みたいのをつらつらと
書いてみたいと思っていたのだが、調べてみたら感動でもなかったので、
急遽取りやめ。
(“女性のあり方”について、紀子妃と対比する積りだった。ちなみに
俳優とは山田孝之です。)

で、先週の(今週のではない)週刊新潮の皇室関連記事の見出しを
代わりにつらつら書いてみようと思う。

いや、この記事の中で、美智子様が前置胎盤の発覚後、着帯の儀で
皇居を訪れられた紀子妃の手を握られ、ハラハラと落涙されたと
いう話を読み、“なら、あまりうるさいことを言うのは止めようかな
(美智子様の涙に免じて)”と思ったのだが、やっぱり止められない。

で、記事4つのうち、気になる見出しを2つ。
・「「出産予定日」9月6日に「両陛下ご不在」の不思議」-(1)
・「「男の子」が生まれても、「皇太子」にはなれない?」 -(2)
(後の2つは、紀子妃の入院されている病院と病室(1日滞在費用
含む)について、と、オランダ静養中の雅子様に関する若干過激な
独誌の記事(ご静養その他が日本で注目されていることと、どうして
この時期に静養? ということ、結論として解決策は“皇太子ご夫妻
の離婚”という極論的内容)の紹介、である。)

えっと解説すると、(1)の方は、両陛下は地方巡幸のご予定だからだ。
理由として、書いてあったのは、雅子様の帰国がおそらく、オランダの
次にかつて(高校時代?)滞在経験のあるスイスなどで静養され、9月を
過ぎるのではと言われていたからだ。
(皇太子と愛子様は新学期などのため帰国される。)
だから、もし生まれるお子様が男子の場合など、雅子様が一族揃っての
公式の祝いの席に不在となると、またぞろバッシングやその他厄介な
事が起こるから、両陛下がその事態を回避される為にそうされたのでは
とのことだった。皇族の出産時のご不在は異例のことだそうだが。
(帝王切開だから、あまり遅れるのは好ましくないが、日の設定は
選択の余地がある。巡幸はもう決まっていたから、待つ必要が無いと言う
ご判断ってことだ。)

まあ、もう帰国されたらしいから、杞憂に終わったようだけど。

(2)の方は、意外と思われる人もあるかと思うが、そうなのだそうだ。
(いや、私は“そうか~”と思った。)
男子が生まれても、皇太子に万一のことがあるまで(亡くなられるまで)
皇統は皇太子ご一家にあり、この男子は「秋篠宮家の親王」に過ぎない。
そうなると、皇太子が特に受けられるような教育(例えは、皇太子は
昭和天皇がお元気な頃は、今上天皇に連れられ、週に1度は食事を
共にされていたそうだ)が受けられない。
“古今の最高の学者を集めて講義をさせた昭和天皇の頃は今は昔として”
という但し書き(というか枕詞)で新潮が書いていたが、そういう天皇の
実際の実務について、幼少から、その任にある人に親しく接する機会が
あるのとないのでは、違うのでは、ということである。
なんか、今の制度では、やっぱり皇太子家に男子がいるのがベストらしい。
そういうのも何かな、と思ったけど、なんか秋篠宮家に一矢報いて(?)
やった(別に私は何もしてないが)気がしてちょっと気分を良くした
意地悪な私でした~。

今現在、6日の帝王切開が固まったようであるが、報道とかでは、
男子だという雰囲気みたいだね。
実家の兄は、“あれだけ確信的に振舞ってる所を見ると、どうも
もう調べて確定しているらしいっていう噂があるね”と言っていた。
今は、超音波で男子なら、特徴が見える場合ははっきり判るし、
羊水検査とかもあるからね。

まあ、うちの実家の兄に言わせると、“(皇室後継問題全般について)
そんなものは全然興味ない、そんなものがどうなろうと経済に全く
影響が無いから”だそうだ。
(うちの兄の職業は金融機関勤務のしがないサラリーマン。特殊だが一応、
業績の良い金融機関ではあるが。システム系だし。)
まあ、実際そうだ。このことで騒ぎたがるのは、年配者と女性らしい。

ああ、でももうちょっとだけ。

両妃殿下がご成婚された時の親御さんのご挨拶(マスコミ向け)、
というか発言の対比。

紀子妃(発言者は父親(学習院大教授 川嶋辰彦氏)
ご成婚時、ご心境はと聞かれて
「におやかな東雲の雲が心の中を漂うような、はれやかな心持ち
でございます」
とかなんとか、何か訳のわからない、はぐらかされたような気に
なる発言。

雅子様(発言者は小和田氏夫人(母))
「わが娘ながら、大事なお預かり物をしていた心持ちで
ございまして、今、ほっと安堵しております」
と、なかなか的を射た、さすが外交官夫人と言う感じの
発言。

ちなみに、ちょっと話が外れるが、美智子様(皇后)は、
いわゆる“非の打ち所の無い優等生”でいらっしゃった
ようだ。(聖心の主席で、卒業式に総代として答辞を読んだ。)
ご実家の一族(日清製粉創業家)もそうであるようだ。
(にもかかわらず、皇族(特に香淳皇后(昭和天皇の皇后)
の取り巻き)の一部からは、“ミラーズドーター(粉屋の娘)”
と陰で呼ばれていじめを受けたと言われるが。
生まれは良くても卑しい人々の典型のように思える。)
そういえば、雅子様のご成婚時は、母方にチッソの関係者が
いること、紀子妃の場合は、親族に“香具師”まがいの人々が
いるとの話があった。

なんかまた、勝手な事を書いてしまった・・・