えっと、四季話題の続き。
てか高木美果なる女優さんへの一応フォロー。
木村花代さんと比べて、この人新しい人らしい。
Wikipedi(Webの百科事典)で引いても、木村花代さんは記事があったのに、
高木美果さんは、四季で引いて“主な所属女優一覧”の欄を見ても、
名前すら載ってなかった。
(Wikiは不特定多数のWebユーザーが参加して作る百科辞典だが、
よほど著名な人か、よほど熱心なファンや調査者のついた項目・人でないと、
そもそも(中身のある)項目が掲載されない。
一旦書いたら、記載事項へのチェックがシビアだから。
この場合、中身があるってのは、文字通り、項目のみ(中身無記載)でなく、
その項目に何らかの記載があるってこと。)
だから、大目に見てあげるべきかも。
もう一つ。
日本、特に四季ファンの、ミュージカル女優の好みは結構偏っている。
男優さんについてはまあ、あまり偏りは無いと思うのだが。
欧米に比べて、小柄で痩せ型、少女のような体系と、それ系の声の人が好まれる
場合が多い。
ずっと前に、週刊新潮(私はこの雑誌を結構買って(評価して)いる)の、
雑駁なコラム欄(日本駐在の海外からの特派員の記事みたいの)にも載ってた。
日本のミュージカル女優はそんな感じだと。(ウエストサイド物語のマリアについてだった。)
海外(欧米)では、一応成熟した、体型も成熟した大人の美人、ってのがプリマに
なるんだけどね。
で、これって、四季の代表の浅利慶太の好みでもある。
だから、四季の看板女優は皆この系統。浅利さんの今の奥さんも、元看板女優。
ちなみに、私の会社時代の友人の妹さん(東京音大出)が、四季に所属してる(今は
どうか判らないけど)が、その人は痩せ型だが背が高かったせいか、四季内で著名とされる
域には達していなかった。
だから、高木美果さんにも不利かも。
私も、ミュージカル好きが高じて、海外(ロンドン)でミュージカル(オペラ座の怪人)を
見たことがある(勿論日本でも何回も見た)のだが、
ロンドンのクリスティーヌ(主役の女性)と、日本の四季のは、感じが違う。
ロンドンのクリスティーヌは、成熟した清純な、愛らしい女性で、声量も豊か、
背も高い、という感じだった。
日本の四季のクリスティーヌは、四季のトップ女優がやるから当然、“ガリガリのちび”。
(ちょっと言葉悪いけど。)
そういうのはある。
だから、声量豊かな美声系は好まれないのかも。高木美果という人には不利かもね。
まあ元々、今回の“ジーザス - ”は、ジャポネスクの公演が決まった後で、
エルサレムVerを演ることも追加で決まったらしいから、後で決まった方の
キャストの質が落ちるのはしょうがないのかもしれないね。
それと。ついでに。
これは一般的に、ミュージカルだけでなくどういう歌でも言えるのだが。
欧米と日本では、歌詞が(翻訳してるのだけれど)違ってくる。
英語の方が、一般に内容が多いのだ。
これは、日本語は全部の音に母音が付いて、発音するのに時間がかかるせいだろう。
メロディーに乗せる必要性もあるしね。
だから、英語の原詩の方が、意味が充実している。
例えば。
私の一番好きな、“ジーザス - ”の“私にはイエスが判らない”の歌。
(マグダラのマリアの歌ね。)
これだと、曲名からして違う。
原題は、“I don't know how to love him.”
“love”ですよ。ジーザスに対する歌に。べっくらこくよね。
以下、ちょっと出だしとかを書いてみる。
英語:
I don't know how to love him,
What to do, how to move him,
I've been changed, yes really changed,
In these past few days when I've seen myself
I seem like someone else. --
直訳:
どのように彼を愛していいのか判らない
どうしよう、どうやって彼の心を動かそう
私は変わった、本当に変わってしまった。
この過去の数日間、私自身を振り返ると、まるで別人のようだ
日本語歌詞:
私は判らない
どうしてあげたらいいの
昨日の私とは 何故こんなに変わるのでしょう
言っておくが、四季や最近のミュージカルの翻訳や歌詞のレベルは高い。
昔の子供向けの、思わず笑ってしまうようなのではなく、練りに練りこまれている。
だからかなり、感情移入できる。
だが、この内容の差。いかんともしがたい。
有名な歌ほどそう。
次に、同じ“私には-”のサビ。
英語:
Yet if he said he loves me
I'd be lost, I'd be frightend,
I couldn't cope, just couldn't cope,
I'd turn my head, I'd back away
I wouldn't want to know
He scares me so
I want him so
I love him so.
直訳:
もしも彼が私に愛していると言ったなら、
私は困惑し、おびえて、
私には耐えられない、耐えられない、
私はきびすを返して、彼の前から走り去るだろう
私は知りたくない。(そうなりたくない、かな?)
彼はこんなにも私の心をかき乱す
私はそれを望んでいる
私は彼をこんなにも愛している
日本語歌詞:
見つめられたなら 何も判らなくなるわ
どうにもならない想いよ
あの人は失くせない 怖くない
愛してる
(この場合、“I couldn't cope, just couledn't cope,”
の間のメロディーには、日本語の歌詞の全体との兼ね合いから
歌詞が付かない。だから、より意味が少なくなる。)
・・・どうでしょうね、この歌詞の意味合いの量の差。
日本語の歌詞も努力して、意味は伝えてるけど、最後の辺は、(英語の歌詞もだけど)
なんとなく意味がつかみにくい。
次に、キャッツの“メモリー”のサビ。
英語:
Touch me, it's so easy to leave me,
All alone with my memory
Of my days in the sun,
If you touch me you'll understand
what happiness is
Look, the new day has begun.
直訳:
私に触って、私から離れていくのはとても簡単よ
私を、私の太陽の下での日々の記憶と共に残して
私に触れば、貴方は幸福というものがどういうものか判るわ
見て、新しい日が始まるわ
日本語歌詞:
お願い 私に触って 私を抱いて
陽はもう昇る
この夜を思い出に渡して
明日へと向かうの
歌の本質は伝えているんだ。努力の成果だと思う。
ただ、この内容の充実の差は、いかんともしがたい。
英語で聞いた方が、更に感動が増す(理解できればね)。
・・・いや、英語が判るよ、って自慢したいんじゃないけど。
だらだら書いたけどさ。言いたいのは。
“やっぱ、ミュージカルっていい。英語でも日本語でも。”
ってことかな。
結局、この項目書いたのはそのためかも。