高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

中部天竜機関支区のクモハ51021 (蔵出し画像)

2016-02-11 00:47:22 | 旧型国電
 若干ブレ気味のモノクロ画像ですが、こちらは静チウのクモハ51021です。残念ながらこの車輌に関してはこの写真しか見つからず... 運転台の両側の窓がHゴム化されています。おそらく関西にいたときは関西型通風機が付いていたものと思われます。



本車の車歴ですが、

1937.4 汽車会社東京支店製造(東ミツ)→1943.11.20改造 (モハ41076)→1950.9.17大ミハ→1951.12.19改造(吹田、モハ51021へ復旧)→1954.2.10更新修繕I(吹田)→1956.3.1大タツ→1962.9.15大アカ→1969.5.1静ママ→1978.10.1静トヨ→1978.12.20廃車

 元々は中央線向けとして三鷹電車区に配備され、さらに戦時中にモハ41に編入され、そしてモハ43らとの交換で関西へ行きモハ51に復旧、京阪神緩行線をお役ご免になって飯田線へと流れてきました。関東13年、関西19年、飯田線9年といった経歴です。


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2 コメント

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Unknown (管理人)
2016-02-14 23:36:16
昭和44-45年の京阪神緩行線のクモハ51,54形の大量転出は、万博を控えて少しは京阪神間普通電車に新性能車を配備しなければと103系の新製投入が明石区に行われた結果ですね。
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Unknown (原口 悟)
2016-02-11 11:07:09
昭和44年から45年は飯田線、身延線のクモハ14型が一挙に廃車された時期で、同時期に両線区へ京阪神緩行線のクモハ51,54形が大挙転出しています。また、大糸線と福塩線のクモハ51形の転入も同時期です。
これらの車は、先に触れた吹田工場でのHゴム工事がほぼ完了してから転入したため、それ以前の転入車と比べるとHゴム窓の割合が多く、「関西色」が強いのが特徴だったといえます。
写真の運転席側の窓が先に触れた「気動車用の窓」の転用が疑われるもので、確かに寸法はキハ20系の前面窓と共通だったとの報告をかなり前の「我が心の飯田線掲示板」で見つけました。
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