放浪日記

刮目せよ、我等が愚行を。

エチオピア→ケニア 死の移動(後編)

2007年02月28日 | 半死的世界旅行
(お詫び)
エチオピア→ケニア 死の移動(後編)のアップが大幅に遅れたことをお詫びいたします。
なかには、こんな記事があったことを忘れている方も多いでしょう。
書き始めたのはいいものの、この後編(これこそがこの3部作のメインでもある)を書くにあたって、この移動を思い出すたびに、いやな気持ちとなり、ときには本気で吐き気ももよおしてくるという、まさに思い出したくない思い出ワースト1の出来事なだけに、書くのをためらってきました。書けずにきました。
でも、やはり書かねば、書いて自分の気持ちの中を整理しようという気持ちもあり、大幅な遅れを気にしつつも、しあげることにしました。








エチオピア南部で少数民族と年越しをして、僕は次の目的地ケニアに向かうことにした。

ただ、このエチオピアからケニアへの陸路移動は、旅行者たちのウワサで「かなりしんどい」と評判のルートだ。
なにがどう具体的にしんどいのかはよくわからなかったが、エチオピアでのトラックの荷台に揺られ続けた経験からして、もうさすがにしんどい移動といってもあれ以上はないだろう、と高を括っていた。


エチオピア国境とケニア国境の町はモヤレという。
モヤレからローリーと呼ばれるトラックに乗って移動するというのが、貧乏旅行者の定番だったのだが、最近は国境から首都ナイロビまでバスも出ているらしく、そちらで移動する人も増えてきたという。
僕がエチオピアからケニアの国境を越えて入国したとき、いままでの蓄積疲労もあって少し寝坊してしまった。
通常であれば朝9時ごろにはケニアに入って交通手段を確保せねばいけないかったのに、10時ごろになってしまったのだった。
ケニア側に入ってから、僕はバスを逃してしまったことを教えられ、さらにローリーの出発も逃してしまったことを知った。
やむを得ず、モヤレでさらに一泊することとなり、出発は翌日となった。



翌朝、念のために7時起きで準備完了。いざ、バスに乗ろうとすると、なんとこの日はバスが出ないという。
バスは毎日あるわけではなかったのだ。
しんどいと評判のローリーに乗るか、それともバスが来るまでこのなにもない国境の町で待機するか、決断を迫られた。

そして迷った末に、僕はローリーで少しでも首都ナイロビに近づくほうを選択した。

ローリーはナイロビまでは行かず、イシオロという町までそれに乗り、そこからバスに乗り換えるというものだった。
イシオロまでは、コーディネーターの言うことによると、約16時間。深夜に到着するという。

ローリーにはもちろん座席(助手席)と荷台があり、外のほうが当然安い。
値段のこともあったが、それよりもしんどいことで評判のこの移動を体験してやろうという好奇心のほうが強く、僕は荷台席を選択した。

僕の乗った荷台にはなにも積まれておらず、運転手に話を聞くとモヤレをこのまま出るという。
なかには荷物の上に座り続けるという話も聞いていたため、ラッキーだとほくそ笑んだ。


そして出発。
荷台の後部に陣取った僕。
ローリーのエンジンがかかり、走り出した。
その瞬間、




僕は2メートルほど縦にふっ飛び、荷台に着地したときに激しく腰を強打した。
一瞬、なにが自分の身に起こったのか、まったく理解できなかった。
だってそうでしょ?
車のエンジンがかかる→車が走り出す→僕が2メートル吹き飛ばされるって。
この原因は、悪路によるものと、サスペンションがまったく利いていない荷台によるものだった。
運転席に近づけば近づくほど、揺れも少なく、フツーに乗れている。
僕が痛めた腰をひきずるようにしながら、荷台前方へ少しでも移動することで、揺れ問題は多少解消したが、今度は、ケニア人との陣取り合戦という新たな問題が勃発した。
揺れの少ない場所に乗りたい気持ちは僕もケニア人も一緒で、なるべく楽な席を確保しようと、お互いが身を乗り出して、まるでサッカーでコーナーキックを蹴るときのゴール前のポジショニングのように激しい場所争いが待っていた。

アフリカ人のフィジカルは強いですヨ、といつかセルジオ越後が言っていたなと思い出しながら、僕はまさに世界レベルの席の取り合いをしなければいけなかった。

(これから先、ずっとこのポジショニング争いは続く。これを書き始めるとキリがないので、以下は省略するが、つねにひじやひざでポジショニングを確保し維持し続けていることを前提に読んでいただきたい)

ローリーは順調に走っていた。
しかし迫りくる砂埃のため、周りに広がる雄大なサバンナを見ることは不可能だった。
ところが、このローリー、順調に走っているな、と思い始めると、いたるところで停車し、なにもない道路に立って来る車を待っている地元民を載せていく。
もともとローリーは荷物を運搬するもので、人が乗るものではない。それを交通手段の少ないこの道で、少しでも安く移動したい人たちを見込んで、勝手に、自分たちの小遣い稼ぎのために乗せていくのだ。つまり、載せれば載せるほど、運転手たちは儲かるのであって、どんどん載せていくのも理解できる。ただ、それによって、ますます荷台の安全スペースが狭くなって、ポジショニングがたいへんになっていくのだが、それは荷台で勝手に行なわれていることであって、運転手たちにはまったく関係なく、これでもかというほど人は乗り込んでくるのである。

最初のうちは止まるたびに、おいおい、なんて思って怒ったりもしていたが、次第にそれが慣れてくる。
出発直後の腰の打撃が痛くて動けないために、痛みをこらえるのが精一杯で、とりあえず前に進めばいいとばかり念じていた。


出発して約2時間後。
ドカーン! ガリガリガリガリ!!! という音とともに、ローリーは停車した。
パンクだった…。
すぐさま修理にとりかかる運転手。
ところが、その作業も途中でやめて、タバコをふかしはじめた。
いままで数多くのパンク場面に遭遇してきたが、途中で修理をあきらめたのは初めての経験だ。
おい、いったいどうしたんだ? と聞くと、どうやら換えのタイヤチューブがないらしく、それがないと走れないとぬかした。
ちゃんと用意しとけよ、毎回パンクくらいしてんだろ! と文句を言っても、アフリカ人には通用しない。こういう場合は、ひたすら我慢するしかない。イスラム圏ならアッラーに、キリスト圏ならジーザスに祈るしかないのだ。

オオ、ジーザス!

その後後続車が何台も通るも、すべて無視されて走り去っていった。
当たり前だ。
もしそんな換えチューブを渡してしまったら、もし自分のローリーがパンクしたときにどうしようもなくなる。僕が運転手でもそうする。

結局、3時間後に、人のよさそうな運転手が乗るトラックが停車してくれ、チューブを手に入れることができ、僕たちは助かった。



今までの遅れを取り戻すがごとく、勢いよくローリーは走り出したが、ものの30分も走らないうちにまた停車し、運転手が「今日はここまで。ここで一泊する」と言い出した。
なにを言われているのか、最初は理解できなかった。一ヶ月に一回ほどの割合で強盗が出るというウワサのこの道だけに、夜間の移動は避けるのだろうと、僕は一人納得した。
家が数件とモスクがひとつ、食堂件ホテルが2件しかない、この辺鄙な名もないような集落で僕は夜を越した。
腹が減っていたので飯を食おうと食堂に入ると、豆の煮物しかないと言われた。こんなに人が少ない集落では、飯のメニューが選べないのが当然だとあきらめて、その豆の煮物とライスを注文した。エチオピアで食べるのと比べると数倍の値段だったが、腹が減っては戦ができぬと、なけなしの金をはたいて食べることにした。
しばらくして、僕の目の前に運ばれてきたのは、小盛りライスと豆の缶詰だった…。
目の前で、缶詰を開けられて、そのままライスにドバッとかけられた。
もちろん冷たいままで。
僕も今までいろんなところでいろんな飯を食ってきたが、食堂と名のついたところである程度の値段をとっておいて、目の前で缶詰を切られるのは初めてだった。


電気も満足にないその集落では、夜はまったくやることがなく、寝るしかなかったが、運転手いわく、翌朝4時に出発ということで、食堂付属の簡易宿がかなり汚く、値段も豆の缶詰並みにボッてきたため、トラックの荷台で寝ることにした。
ところが、その荷台、僕が飯を食っているあいだに、いつのまにか砂が一面に敷き詰められていた。なんだ、この砂は? と疑問に思わなかったわけではないが、とりあえず柔らかくなったし寝やすいか、と思い、満天の星空を眺めながら、砂の上で寝たのだった。





翌朝、かゆくて目が覚めた。
頭の付近に置いてあったメガネをはめて、自分の体を見ると、わけがわからないくらいに赤い斑点状のものが広がっている。なんらかの虫に刺されたようだ。
蚊に刺されたのもあるだろう、しかし、そのほとんどが、ダニやノミだったことがのちのち判明する。
もちろん赤道直下のこのあたり、マラリア蚊の生息地帯になっており、蚊に刺されることでマラリアになる危険性も含んでいるので、かなり危ない状況だったのだが、移動に疲れ果てていた僕がその危険性に気づくのも、これまた後日だった。



僕が刺されたのは、なぜダニやノミだったのか。それは僕の下に敷かれていた砂に原因があるのだった。
翌朝6時にローリーが出た。4時といっていたのに運転手は小汚い宿屋で爆睡しており、結局僕が起こさなければもっと遅くまで寝ていて出発が遅れただろう。いいかげんすぎる。

痒くなった体を我慢しながら、僕は砂だけを積んだトラックに乗っていた。
なぜに砂だけが突然積まれたのか。その答えを僕はすぐに知ることになる。

ローリーが走り出して約10分後、いきなり道路からはずれ、草と砂しかない、ただだだっ広い土地へ停車した。
何が起こっているのか、理解できない。
運転手に聞くと、牛、牛、としか答えない。
そう、このローリーは牛を乗せるためのローリーだったのだ。
そのために出発当初は荷台が空で、昨晩砂を敷き詰めて、今朝の牛のために準備していたのだ。っていうことは、牛が日常使っている砂、糞尿が垂れ流されている砂、確実に再利用されているだろう砂の上で、僕は夜を越したのだ。体が痒くなって当然だ。真っ暗闇だったから寝れたのだろう。もし昼間に見ていたら、ノミやらダニやらがピョンピョン跳ねていたに違いない。

ところが待てど暮らせど、牛は来なかった。
というか、平原のど真ん中にローリーが止まってるだけ、近くには動物の影すらない。
そして1時間以上、その場で待った。
太陽が昇り、アフリカの大地を赤く、そして明るく照らした。大自然のなか、僕はまたひとつ朝を迎えた。

そのとき、はるか地平線のむこうになにやら動く影を見つけた。なんだ、あれは?
遠すぎてなにかはわからなかったが、次第に近づいてくるその影を、じっと目を凝らして眺めていると、それは牛の群れとそれを引率する牛飼いたちだった。
彼らは地平線の向こうから、このローリーを目指し、歩いてきたのだった。
さすがアフリカ、スケールが違う…。







(続く)

この記事の文字数がちょっと5000字を超えそうなので、もうひとつ分けてアップします。







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2 コメント

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アフリカってのは・・・ (ぽんすけ)
2007-03-02 19:16:29
そういうとこなんだよ・・・合掌
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Unknown (にいや)
2007-03-04 05:14:50
ぽんすけさん>
まさしく…。
そのとおりです…。
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