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歴史の大きな歯車が一つ回った ‐ 巨人GM の破綻

2009-06-02 | GMと米自動車危機
冒頭10分足らずのスピーチの後の50分はすべて記者とのQ&Asに終始した。もちろん自主廃業した日本の証券会社の社長のように号涙するなんてことはあり得ないし、FH会長はいつもどおり淡々と、しかし厳粛な面持ちで、GMの株主や債権保持者、従業員、UAW、コミュニティー、そしてアメリカ国民の大きな犠性(sacirifice)の上に、今回最後のチャンスとなる再建にかける、と率直に語った。 http://media.gm.com

質疑応答は、GMの工場で1万人以上が働くメキシコのTV局の女性記者の問いに始まり、米国だけでなくサーブのあるスウェーデン、オーストリア、また中国の記者からも海外のオペレーションはどうなるのか、と質問が続いた。 そこで判明したのは、連邦破産法の適応は、合衆国国内だけであり、海外の事業はこれまでどおりの生産販売活動を続けるということだ。 加マグナとの協力関係に入り、ドイツ政府の支援も受けて再建するオペルにも、GMは35%の株主として残る。 当面60%を新生GMに出資するアメリカ政府と並んで、12%を保有するカナダの国内の事業も同様だ。フィアットに漁夫の利をさらわれることもなく、ブラジルや中国、インドといった成長市場の基盤もこれまでどおり維持される。 一方、アメリカ国内では、ブランドと販売店の削減、工場閉鎖と従業員数のカットと、更に血の出るようなリストラが続く。 しかし、海外事業にも連鎖的にGM恐慌が波及するという事態は防げることがこれで明確になった。これは一つ大きいだろう。

一か月以上前にもこのブログで書いたが、オバマ政権は、早い段階でクライスラーとGMの破産法による再建が不可避と読みきっていたと思われる。 そして、着実にコミュニケーションを積み重ね、事前に枠組みを作る方式で、今回のソフトランディングを見事に成功させた。 経済の不安材料が一段落したことで、株式市場もむしろ値上がりした。 リーマンショックとは大きな違いだ。

GMの将来の再建の可能性については、いくつか厳しい質問も出た。 過去を清算できることで、バランスシートはきれいになり、「今後は製品と顧客に集中し、アメリカ国内で燃費の良い小型車を開発する」というが、それはこれまで歴代CEOが何度も繰り返してきた言葉ではないか。アメリカ国民は、今回に限ってそれが本当だとどうして信じられるのか? と厳しい質問をぶつけたメディアもいた。それはそのとおりだ。小型車の再生を期したサターンも、世界初の量産型電気自動車EV1も継続発展できなかったから、その疑問は当然だ。財務統治を中心にすえ、優れた技術や製品を作ることを最優先する経営やカルチャーを確立することが、一体アメリカの製造業に可能かどうかは、いまだに「?」である。アメリカの自動車産業は、いうなれば、メーカーとユーザーが一種談合のような形で、年度ごとのモデルチェンジや、低金利ローン、アメリカ人好みのビッグ&パワフルなクルマをお約束事と示し合わせてきたようなところがある。 それへの反動が70年代の二度の石油危機の折の日本の小型車ブームだったのだが。 現に、ホンダやVWなどの人気はインテリや学生の間で強く、彼らは一種リベラルな階層だった。 しかし、結果的に、ガソリン高騰の危機が過ぎれば、日本車もアメリカ式に同化することを選んだのだ。 その方が楽で利益が出たからだ。 

しかし、オバマ政権が2016年までに39 MPGという厳しい燃費規制を打ち出した今、その公式に戻ることは不可能だ。 燃費の良い小型ガソリンエンジンやディーゼルおよびハイブリッド、クルマの軽量化とダウンサイジングが、これからは否が応でも必要になる。 この環境の変化に、新生GMやクライスラーは、真正面から挑まなければならない。 そして、そこに新生GMが本当のイノベーションをするチャンスもあるだろう。 GMはそれを成し遂げるリソースと意欲は十分持っていると思う。

FH会長は、101年に渡るGMの幕引きCEOとして、いかにもGMのトップらしいオープンかつフランクな態度で記者会見を終えた。 GM中興の祖、A.スローンを引きながら、スローンが1920年頃、最初の危機に陥ったGMの再建に Depontと共に加わり、再生させて今日の組織学やマーケティング、財務規律を確立したとき、きっと今の自分と同じようにただ一途に職務に邁進しただろう、と述べた。

最後にFH会長が述べた、GMは規模は小さくなってもleadershipは維持するだろう、leadershipとは規模ではない、開かれた透明性の高い経営を土壌として受け継がれるものだ、と言ったのは印象的だった。 GMには80年近くにわたって、世界のトップに君臨してきたリーダーとしての態度と風土があるのは間違いない。 常にフォロアーとして、誰かを真似それに追いつこうとするメンタリティーと、常にリーダーである人の意識は根本的に違う。(筆者もそれをGMに世話になった8年余りの時間に体感した。) そのリーダーシップは、アメリカの組織文化の最良の部分として、連綿とGMのトップに受け継がれてきたものだ。 FH会長にはその醇乎たる精神を受け継いできた明朗さがある。 

振り返って日本をみると、政治家にも経営者にも、言葉でまともにコミュニケーションをする文化が欠落している。 訳の分からない国会答弁や不祥事企業のトップの会見などを見ると、日本が世界とまともに会話し議論を戦わせることが出来る日は、いつ来るのであろうかと暗澹たる気持ちにならざるを得ない。GMが100年の生を一度終えたごとく、日本の政治も戦後64年の清算をするときが、迫っていると日増しに思う。 大した審議事項もないのに、無駄な55日の国会延長などもっての他であろう。 顧客を見失った企業が破綻するように、国民とまともに向け合えない政治は、そろそろ退場する時期が近づいている。



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