
久しぶりに英語の小説を読んだ。タイトルは「American Dirt」。「アメリカの土(泥)」、もしくはスペイン語版のように「アメリカの大地(Tierra Americana)」とでも訳すのか。
かつて観光で栄えたメキシコ南部の都市「アカプルコ」で小さな書店を営むリディア(Lydia)には、8歳の息子と新聞記者の夫がいる。生まれ育った風光明媚な街は、麻薬マフィア組織(Cartel)に牛耳られて治安が悪化し、反骨精神旺盛な夫が書いたマフィア組織のボスの正体を暴く記事が、リディアの姪の誕生祝いに集まった家族・親族16人が惨殺されるという報復の悲劇を呼ぶ。しかも、こともあろうに、そのマフィアのボス(Javier)はリディアの書店の馴染み客で、共に詩を語り合う仲になっていたことでリディアは罪悪感に苛まれる。
唯一生き延びたリディアと息子のルカ(Luca)は、記事のせいで最愛の娘を自殺で亡くしたJavierの追求を逃れるために、「ラ・ベスティア(La Bestia、『野獣』という意味のスペイン語。別名『死の列車』とも呼ばれる貨物列車)」の屋根に乗って、不法移民となるべく“El Norte(北)”の地アメリカを目指す。メキシコシティ、グアダラハラ(Guadalajara)、エルモシージョ(Hermosillo)と「北」への2300キロの遡行で待ち受けるのは、カルテルが放った追っ手や、移民の金を巻き上げ、若い女性を蹂躙し、子供も惨殺する警備隊を名乗る恐るべき武装集団だ。
移動する貨物列車に飛び乗るのも命懸け。夜間に眠り込んで屋根から滑り落ちたり、低いトンネル通過時にノックオフされたり、警備隊の急襲に列車を飛び降りて命を落とす移民もあとを経たない。何度も絶体絶命の危機に遭いながらも、移民たちは助け合って、生き延びたものは北を目指す。リディアとルカも、ホンジュラスから逃れて来た10代の2人の美しい姉妹と心を分かち合い、移民管理の厳格化でサンディエゴから強制送還された婦人や、米国への出稼ぎで何度も国境を往来している屈強なメキシコの兄弟たちと一つのグループとなって、最も信頼できるという移民密入仲介者(coyoteと呼ばれる)エル・ジャッカル(El Chacal)に従い、アリゾナ州と国境を接する街ノガレス(Nogales)から夜間に国境を越える。灼熱の太陽が照りつける砂漠と山脈の道なき道を2晩3日歩いて、約束の地ツーソン(Tucson)を目指すが、アメリカ側の国境警備隊のパトロール車の影を見れば直ちに身を伏せ、急激に温度が下がる夜の砂漠で豪雨に遭って体温を奪われる。10人超のグループ全員が無事に「北」で待ち受ける運び屋の車に辿り着けるわけではない。
著者のジャニーネ・カミンズ氏は、プエルトリコとアイルランドの血を引くが、スペイン語、ドイツ語、フランス語など40カ国で訳された本書(日本語訳は出ていない)は2020年の発売以来、半年間以上NYタイムズのベストセラーリストに載り、全世界で400万部の大ベストセラーとなった。一方で、そのマフィアや暴力の描写がメキシコや移民をステレオタイプ化していると批判の的にもなったという。
過酷なジャーニーに耐え、なんとしても息子を守って生き延びようとするリディアの強靭な意志や移民たちの同胞愛は、一行に同行しているようなリアルさで読者の心を鷲掴みにする。フィクションとはいえ、不法移民の実態の一部を写しているのは間違いないだろうし、トランプ政権の移民排除、強制送還の現実を移民側の視点から想像するにも役立つ本だと思う。図書館で借りた本だが、手元に置いておきたい一冊となった。