今日は夜バスケ観戦(もちろん田臥君の応援)に行くので、午前中から長い記事をアップしておきますね
大掃除は来週から頑張ろうと思います
瀬尾まいこさんに惚れてしまい、また2冊読みました。
私はこの映画を観ていないので、内容は全然知らないで読み進めました。
かなり衝撃的なラストが待っていてちょっとびっくりでした。
映画も観てみたいので、DVDをいつか借りようと思います。
以下引用。
P122…他人じゃないと救えないものが直ちゃんにはある。きっと、同じように私にも。
P220…「早く明日にならないかなあ」
私が思わずつぶやくと、父さんが笑った。
「子どもはいいなあ」
「どうして?」
「次の日が楽しみになるなんて、大人になるとそうそうないからな」
P271…私は大きなものをなくしてしまったけど、完全に全てを失ったわけじゃない。私の周りにはまだ大切なものがいくつかあって、ちゃんとつながっていくものがある。
『卵の緒』はデビュー作なんですね。
もう1編『7's blood』が入っています。
こちらは淡々と進むお話。
でも心にじんわり入ってきました。
まず『卵の緒』から1箇所引用。
P60…たまに外れたことをしてみないと、ものの重要度がわかんないの。
『7's blood』から1箇所引用。
P203…私の中には、七生と過ごした時間が克明に刻みこまれている。誕生日に腐ったケーキを食べたり、夜中に何キロも歩いたり、七生の気遣いにくすぐったくなったり、邪気のないしぐさに思わず笑ってしまったり。はたして、忘れられるのだろうか。記憶はこの先薄れていくだろうけど、その時感じた感覚はずっと私の中に根をおろしていく。七生の存在しか知らなかった一年前の私には、戻れるわけがない。それは、とても幸せなことで、そても切ないことだ。
引用が少ないのは、瀬尾さん本人のあとがきと、あさのあつこさんの解説がとてもとてもいいからです。
瀬尾さんのあとがきから引用。
P208…私には父親がいない。それはたいして重要なことではないし、私は女ばかりで構成され、類まれな生活力を持つ自分の家族を気に入っている。けれど、「家族」というものに憧れがあった。手に入らないとわかっているからこそ、焦がれていた。
先輩の家で過ごす三人の時間には、私の触れたかったものがあった。本当の家族にはないきれいな優しさと、他人の間には流れない緩やかな時間があった。ちょうどよい温度を持って、私たち三人は繋がっていた。
そこら中にいろんな関係が転がっていて、誰かと繋がる機会が度々ある。それは幸せなことだ。
あさのあつこさんの解説から引用。
P211…小学生の少年の一日、一日が淡々と過ぎていくだけなのだ。なのに揺すぶられる。心が疼いて、その疼きは、ずくずくと意地悪い痛みではなく、疼くことで、あなたの心はここにあるよと教えてくれるような疼きなのだ。
優しく、温かく、鋭く、痛い。
人と人とが繋がっていく。結びついていく。解けていく。別れていく。そんな、人であるがゆえの関係をこんなに穏やかに、痛く書き上げられるものなのだ。
それを知ったうえで、もう一度、あなたとあなたではない誰かとの関係を見つめてごらんよ。
P214…家族といったって、人と人との結びつきの形、その名前にすぎない。だとしたら、いろなん家族が、いろんな結びつき方があっていいはずだ。そうだよね、逞しい父と優しい母と元気な子どもたちだけで形成されるのが家族じゃないよね。(中略)すてきな本というものは、どのような意味においても、価値を押し付けない。強要しない。これを信じろとか、これが正義だなんて、大声で語らない。ただ、静かに沁みてくる。沁みてきて、強張っていた心を解してくれる。力を抜く手助けをしてくれる。そうすると首が回りだし、自分を囲む世界が見えてきたりするのだ。
自分が頑なにこうだと信じてきた、あるいは信じさせられてきた世界を、新たな視線で眺めることになるのだ。
子どもを愛さねばならないと思い込んでいませんか。
優しい母にならねばと思い込んでいませんか。
親なんだから当たり前とか、子どもなんだから当然とか思い込んでいませんか。
自分で自分に枷をつけて、息苦しくはありませんか。
「卵の緒」から私に向けて、穏やかな問いかけが流れてくる。そう、すてきな本の定義をもう一つ、付け加えるなら、独自の言葉をもっていることだ。
この本にしかない独自の言葉を聞くことのできた本読み人は幸せである。
あさのあつこさん、圧巻
私の言いたいこと、感じたことをぜ~んぶ言ってくれています。
ねっすてきな本でしょ
みゃあさんのところでサンタさんのお話が出ているので、私の思い出話をどうぞ。
(スキャナーつなぐのめんどくさくてデジカメで撮ったものを載せるので、ちょっと読みにくくてごめんなさい)
私にとって子どもたちからもらったとってもいい思い出です。
今日の空です。
とってもいいお天気です
大掃除は来週から頑張ろうと思います
瀬尾まいこさんに惚れてしまい、また2冊読みました。
幸福な食卓 (講談社文庫)瀬尾 まいこ講談社このアイテムの詳細を見る |
私はこの映画を観ていないので、内容は全然知らないで読み進めました。
かなり衝撃的なラストが待っていてちょっとびっくりでした。
映画も観てみたいので、DVDをいつか借りようと思います。
以下引用。
P122…他人じゃないと救えないものが直ちゃんにはある。きっと、同じように私にも。
P220…「早く明日にならないかなあ」
私が思わずつぶやくと、父さんが笑った。
「子どもはいいなあ」
「どうして?」
「次の日が楽しみになるなんて、大人になるとそうそうないからな」
P271…私は大きなものをなくしてしまったけど、完全に全てを失ったわけじゃない。私の周りにはまだ大切なものがいくつかあって、ちゃんとつながっていくものがある。
卵の緒 (新潮文庫)瀬尾 まいこ新潮社このアイテムの詳細を見る |
『卵の緒』はデビュー作なんですね。
もう1編『7's blood』が入っています。
こちらは淡々と進むお話。
でも心にじんわり入ってきました。
まず『卵の緒』から1箇所引用。
P60…たまに外れたことをしてみないと、ものの重要度がわかんないの。
『7's blood』から1箇所引用。
P203…私の中には、七生と過ごした時間が克明に刻みこまれている。誕生日に腐ったケーキを食べたり、夜中に何キロも歩いたり、七生の気遣いにくすぐったくなったり、邪気のないしぐさに思わず笑ってしまったり。はたして、忘れられるのだろうか。記憶はこの先薄れていくだろうけど、その時感じた感覚はずっと私の中に根をおろしていく。七生の存在しか知らなかった一年前の私には、戻れるわけがない。それは、とても幸せなことで、そても切ないことだ。
引用が少ないのは、瀬尾さん本人のあとがきと、あさのあつこさんの解説がとてもとてもいいからです。
瀬尾さんのあとがきから引用。
P208…私には父親がいない。それはたいして重要なことではないし、私は女ばかりで構成され、類まれな生活力を持つ自分の家族を気に入っている。けれど、「家族」というものに憧れがあった。手に入らないとわかっているからこそ、焦がれていた。
先輩の家で過ごす三人の時間には、私の触れたかったものがあった。本当の家族にはないきれいな優しさと、他人の間には流れない緩やかな時間があった。ちょうどよい温度を持って、私たち三人は繋がっていた。
そこら中にいろんな関係が転がっていて、誰かと繋がる機会が度々ある。それは幸せなことだ。
あさのあつこさんの解説から引用。
P211…小学生の少年の一日、一日が淡々と過ぎていくだけなのだ。なのに揺すぶられる。心が疼いて、その疼きは、ずくずくと意地悪い痛みではなく、疼くことで、あなたの心はここにあるよと教えてくれるような疼きなのだ。
優しく、温かく、鋭く、痛い。
人と人とが繋がっていく。結びついていく。解けていく。別れていく。そんな、人であるがゆえの関係をこんなに穏やかに、痛く書き上げられるものなのだ。
それを知ったうえで、もう一度、あなたとあなたではない誰かとの関係を見つめてごらんよ。
P214…家族といったって、人と人との結びつきの形、その名前にすぎない。だとしたら、いろなん家族が、いろんな結びつき方があっていいはずだ。そうだよね、逞しい父と優しい母と元気な子どもたちだけで形成されるのが家族じゃないよね。(中略)すてきな本というものは、どのような意味においても、価値を押し付けない。強要しない。これを信じろとか、これが正義だなんて、大声で語らない。ただ、静かに沁みてくる。沁みてきて、強張っていた心を解してくれる。力を抜く手助けをしてくれる。そうすると首が回りだし、自分を囲む世界が見えてきたりするのだ。
自分が頑なにこうだと信じてきた、あるいは信じさせられてきた世界を、新たな視線で眺めることになるのだ。
子どもを愛さねばならないと思い込んでいませんか。
優しい母にならねばと思い込んでいませんか。
親なんだから当たり前とか、子どもなんだから当然とか思い込んでいませんか。
自分で自分に枷をつけて、息苦しくはありませんか。
「卵の緒」から私に向けて、穏やかな問いかけが流れてくる。そう、すてきな本の定義をもう一つ、付け加えるなら、独自の言葉をもっていることだ。
この本にしかない独自の言葉を聞くことのできた本読み人は幸せである。
あさのあつこさん、圧巻
私の言いたいこと、感じたことをぜ~んぶ言ってくれています。
ねっすてきな本でしょ
みゃあさんのところでサンタさんのお話が出ているので、私の思い出話をどうぞ。
(スキャナーつなぐのめんどくさくてデジカメで撮ったものを載せるので、ちょっと読みにくくてごめんなさい)
私にとって子どもたちからもらったとってもいい思い出です。
今日の空です。
とってもいいお天気です
最近は普通のおうちでもイルミネーションやってますね。エコじゃない気がするけど…。
野暮なこと言いっこなしですね^^。
みなさんプレゼントには苦労されているんですね。私は子供の頃、親が何かキャラメルのひとつでも入れてくれないかと、毎年これ見よがしに2段ベッドに靴下を吊るして寝ましたが、朝何か入っていたことはめったにありませんでしたね~。あれで我々姉弟は現実の厳しさを学んだのかも知れません^^。
「幸福な食卓」のラストは私は気に入りません。なにもあんな風にする必要はないんじゃないの?って思いました…。それまですごく良かったのに~。
こんなサンタさん素敵です。
やさしい・夢あるサンタさんありがとう
どこの家もサンタさんは大変ね。
家はね…、小さい頃から欲しいものはおじいちゃんサンタだったの…。
我が家にやってくるサンタは、図鑑シリーズだったり、世界のの歴史、日本の歴史の全セットだったり、講談社版日本語大辞典だったり、重たい本がいっぱいでした。
二男が、わくわくしながら、四角い重たい紙包み開けて中身が「講談社版日本語大辞典」だった時は、ベソかいてました。今は結構重宝しているみたい…。
今年のサンタは何持ってくるのかな??
多少LEDでエコを意識しているようですが…
私の実家も割りと現実っぽかったかも。
昔は家庭自体に余裕がないですよね。
「幸福な食卓」のラスト、すっごくびっくりしました。
なんで?って感じです。
子どもには夢を信じてほしかったのかな。
我が家は親戚のオバサンが毎年今でも本を届けてくれます(*^_^*)
お子さんの喜んだ顔、贈り物を大切にしてくれてる様子が分かるような気がしてステキです♪
確かに今は色々余裕があるから親はがんばるのかもしれませんね。。
昔はそういう習慣も今ほど根付いてはなかったでしょうし。。
サンタの夢をあげられる親も、子供もしあわせなのかもしれませんね(*^_^*)
みなさんが、わたしのグチグチした悩みに付き合ってくださったのを、ありがたく思っています(>_<)
ええと。。
プレゼントを見たお子さんのお顔と、大切に使っている様子が分かる気がしてステキです♪
昔は今ほどサンタからのプレゼントっていう習慣が根付いていなかったのかもしれませんね。。
今は、そんな夢を贈れるのも、色々余裕が前よりあるからなのかも。。
そういう意味では、親も子供もしあわせなのですね。。
みなさんがわたしのグチグチした悩みに快く付き合ってくださって、ありがたいと思っています(*^_^*)
そうだとおもいます。
感覚、そう他の誰にも説明できない自分の中だけに残る感覚、それは幸せなことでせつないこと、そしてもうひとつ付け加えると(不遜にも)
とても贅沢なこと、だとわたしはおもいます☆
思い出話もとてもよかったです
サンタさんやプレゼントってまずクリスマスが行事として根付いてからのことだし、そこには日本という国の経済成長も関連していたと思うのです。
そういう意味で考えると金額的には今年のサンタさんは厳しいのかな~(^^ゞ
でもプレゼントを開けるときのワクワク感は子供たちに与えたいですよね(^_-)-☆
親子で“楽しむ”を原点に。