昔昔の幼少時代とか青春時代のお話です。
自分はなぜ農業を継がなかったのかと言う話。
簡単に言えば農業はキツイという事。
想像を絶する広大な実家の畑を見ると今でも目がくらみます。
畝の向こう側までは100mある。
中学・高校生の頃、鍬でサツマイモを掘っていた
夏休みは早朝からイモ掘りの手伝いである。
この畑は、播州平野の海岸にある砂地の「成山新田」
戦後、海をコンクリートで囲み、海水を汲みだして開拓された畑。
兵庫県下では優れた農業生産量を誇り、多種類の野菜を出荷する。
海の干拓で生まれた広大な砂地の畑は、スイカやメロンなど糖度が高い。
飛行場並みの広大な砂地の畑は生まれたが、野菜は栽培できる?
最初の頃(幼少の頃)石ころと貝殻ばかりを拾い集め、捨てていた。
開拓地だから仕方がない。
遊びたい年頃だったが、家業の手伝いで日が暮れていく。
とにかく農業はきつい、が当然のことで何も感じない時代だった。
★今でこそビニールハウス栽培も可能で生産性は伸びている。
昔は完全に路地栽培で台風などの自然災害は頻発していた。
海に面しているので仕方のない事。
塩分を含んだ砂地で野菜を育てると美味しい野菜が作れる。
トマトやスイカやメロン等、甘くて美味しい。
この砂地で育つ大根は長さ80cm位の長さに成長する。
農業の大変さは生まれた時から実感している。
中学生の頃、帰宅早々、手伝いをしなければならないので
好きな野球部にも入れなかった。
もしあの時、野球をしていたら違った人生を歩んでいたかもしれないな。
実家が農業だから子供も働くのが常識の時代。
仕方なく比較的練習が自由な陸上競技を選んだが、
指導者はいなくて、中途半端な練習は実力を出せなかった。
今思えばひとつの悔しさ。
兵庫県たつの市御津町 綾部山の新舞子ガーデンホテルからの眺望です。
向こうには干拓地である我が家の畑が広がる。
その向こうは姫路市網干区の木材港や工業地帯がある。
ここから下を見れば、遠浅の砂浜で潮干狩や海水浴の新舞子浜がある。
南(右)を見れば瀬戸内の家島諸島や小豆島が見える。
更に晴れた日は四国方面が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/18/6421ed04ea705f93f5fce3367f1aee56.jpg)
晴れの日は東北に、遥かに姫路城が小さく見えるはずです。
眼下右下にホテル・シーショア御津岬がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/a2/63977333b0272d89394848df05b653f2.jpg)
実家の畑では、イチゴが収穫時期を迎えて家族で楽しめる。
人生は自分のもの、一度しかないから夢のある職業についてみたかった。
1969年に東京オリンピック(中学3年生)があり、
次の大阪万博1970年を目前にして、日本経済が右上がりに進みだした頃。
日本は新しい発想と技術力でどんどん前進していた。
自分はグラフィックデザイナーの道を目指していた。横尾忠則や宇野昭など
新進気鋭のイラストレーターがデザイン界で活躍しだした頃、
自分の夢は叶い、華やかな職種である大阪の企業に就職できた。
大阪万博で梅田が新しく変貌した頃で、関連した仕事にも触れられた。
思えば夢は叶う。
好きな仕事が出来るので毎日が楽しい。
大都会の真ん中で華やかな仕事ができる嬉しさ。
今は、家業の畑を苦労して守ってくれている弟に感謝している。
あれから50年以上が過ぎた。
農業は機械化されたが、実入りの少ない実態は同じみたいだ。
農業における3Kとは「キツい・汚い・嫌い?」かな 笑
今だに多くの社会人の就職選択肢には入ってこないかもしれない。定かではないが、全国の農家平均年齢は約70歳以上で、
毎年上昇傾向にあるのではないのかな。
90歳という過疎地もあるかもしれない。
高齢化と後継者不足は危機的状況に違いない。
地方や農業に興味のある若者が少しずつ増えていると聞いた。
今後の農業は、いかに魅力的に、かつハードルを下げられるかが
重要になってくるのではないのかな。
農業のこれからは「稼ぐ・効率化・簡略化」の新3Kが
農業の未来を切り開くキーワードになるんだろうな。
今の自分は、身の丈に合う 気楽な趣味の家庭菜園を楽しんでいる。
子供の頃に体験した苦い思い出も、高齢になってから野菜作りは楽しいな、と思える勝手気ままな自分がいる
自給自足気分で気楽な余生を楽しむ、、とは想像もしていなかったのだけど