私の隣の窓際に坐っていたのはがっしりした色黒で頭は五分刈りという、見たところ肉体労働者風で50代半ばぐらいの一見恐そうな顔つきの男である。
関空もそうだが香港の空港も遠い。空港を出て九龍半島とランタウ島を結ぶ青馬大橋を越えるだけでもう20分が過ぎてしまう。バスはそこから香港側の税関がある落馬州へ向かって走る。
私は何気なくバスの切符を取り出して眺めていた。すると、隣の男が北京語で声をかけてきた。
「あんたのはなんで180ドルなんだ?俺のは200ドルなんだが」
切符を差し出してきたのでよく見ると広州往きである。
「俺は東莞までだからね。広州の方が遠いんだから、それで高いんだろう」
ああ、そうなのか、と男は納得した。
で、今度はこっちが聞いた。
「あんたどこの人?」
「台湾の新竹だ。あんたは?」
「俺は日本人だよ」
「商売できたのか?」
「いや、旅行だ。退職したんでね。今はやることがないんだ。で、あんたは?」
「焦炭を掘ってる。焦炭は今でも日本で使ってるか?」
不覚にも私は焦炭を練炭と間違えた。
「いや、日本じゃ今はもう使ってないなぁ、俺が子供の頃は使ってたが」
新竹男は、ふんふんと頷いた。
「日本は進んでるからな。もう使わなくなったのかも知れんな」
ここまで話して、はたと思い出した。焦炭とは製鉄で使うコークスのことではないか。それなら日本の製鉄所でも使うだろう。とんだ間違いだ。しかし、今更訂正するのもかっこ悪いので、私は知らん振りを決め込んだ。それに、ひょっとしたら何か新しい技術が開発されてコークスは要らなくなったのかもしれない、とも考えた。とにかく素人にはよくわからない問題だから避けて通ることにした。
その新竹男は私より一才年下だったが、子供はもう大学を卒業して土木の設計技師をしているのだという。
こう書くといかにも会話がぺらぺらみたいに見えるだろうが、実のところ相手のなまりがひどくて、というか私のヒアリング力も悪いのだが、聞き取れるのは八割程度である。だが、八割わかれば大体の話には問題はない。これが通訳とか商談といった込み入った話になると100%正確でないと後々問題が起きるが、気楽な旅の空だから、うわの空でもかまわないのである。
だが、このなまりというやつには成都でも散々悩まされた。
「コークスを掘るったって、どこで掘ってるの?」
「広西だよ。もうベトナムの国境に近いとこなんだが、質のいいのが取れるんだ」
広西壮族自治区のはずれのベトナム国境近くといえば、田舎も田舎、土田舎である。そこには台湾人は自分ひとりしかいないと言う。ベトナムにもたまに出かけることがあるとも言った。
「治安の方はどうなの?」
と聞いたら、最近は随分ましになって、あまり問題はないと答えた。ということは逆に言えば昔は結構危なかったということになる。腕っ節は強そうだから、度胸もあるのだろう。地元の役人に金も使ってはいるだろうが、やはり現場では身体を張って仕事をしているのだろう。相手は大陸の中国人だからなめられたらおしまいである。
しかし、台湾人がそんなところまで出張っているとは、その商魂のたくましさには感心した。今日は広州についたら商売先との接待の場に出て、夜行バスで仕事場のある広西に行くのだという。タフなのである。とてもじゃないがまねできない。
「いやあ、疲れるよ」
新竹男はうんざりしたように顔をしかめた。まぁ、いくらタフとはいえ50も半ばを超えれば身体もそうそう無理がきかなくなるだろう。
そういえば、台湾の総統選挙があった。男は見たところ本省人だろうが、一体国民党と民進党のどっちを支持したのだろう。私がそう聞くと男はにやっと笑った。
「大陸で商売してる人間は馬英九に入れるさ。今日だって直行便があったら、広州まで直行できるんだ。何もこんな遠回りしなくてもな」
そりゃ、そうである。台湾の桃園空港から香港へ来てバスを乗り継いで広州へ行く、それは時間も体力も消耗するだろう。国民党の総統になり、台湾と大陸の関係はずいぶん近づくに違いない。台湾人自体それを望む声が多くなっている。昨今では大陸の大学へ留学する台湾人も増えているし、第一ビジネスの面からして台湾はすでに大陸抜きではやっていけなくなっている。
これはそれこそ香港の「いつか来た路」を思わせる。近い将来台湾と大陸が合体する日が来ても私は驚かない。その際には「一国二制度」ではなくて「一国三制度」とでもいうのだろうか。物事は動き始めるとあっという間に終点に向けて突っ走るものだ。
「あんたそんなに中国語がうまいのにコークス売ったらどうだ?」
ほら来た。中国人はすぐこれである。
「いや、俺は商売の才能はないからだめだよ」
「どうってこたあないよ。物があるんだから、その買い手を見つけるだけの話だ」
彼らのその前向きというか、楽観主義は、時には学ばねばならないと思うが、商売がそんなに簡単にいくものなら、失敗して泣きを見る人間はこの世にいやしないことになる。現に自分だってそんな辺鄙な田舎に単身赴任して、現地の人間相手に悪戦苦闘してるはずだ。もっとも、単身赴任のおかげで若い二号さんを囲ってうまいことやってる可能性は大だが。
「はっは、俺は商売人じゃないんでね」
大して金があるわけではないが、金のためにあくせくするのはもうこりごりである。残った人生で好きな本でも読んで旅行ができれば、もうそれで御の字だ。人間欲をかくとろくなことにならない。
「そうかぁ、もったいないよなぁ」
親竹男は、さも残念そうに言った。私がその気になれば、ひょっとしたら日本に直接輸出して大口の顧客を獲得できるかもしれないと、とっさに算盤をはじいたらしい。
関空もそうだが香港の空港も遠い。空港を出て九龍半島とランタウ島を結ぶ青馬大橋を越えるだけでもう20分が過ぎてしまう。バスはそこから香港側の税関がある落馬州へ向かって走る。
私は何気なくバスの切符を取り出して眺めていた。すると、隣の男が北京語で声をかけてきた。
「あんたのはなんで180ドルなんだ?俺のは200ドルなんだが」
切符を差し出してきたのでよく見ると広州往きである。
「俺は東莞までだからね。広州の方が遠いんだから、それで高いんだろう」
ああ、そうなのか、と男は納得した。
で、今度はこっちが聞いた。
「あんたどこの人?」
「台湾の新竹だ。あんたは?」
「俺は日本人だよ」
「商売できたのか?」
「いや、旅行だ。退職したんでね。今はやることがないんだ。で、あんたは?」
「焦炭を掘ってる。焦炭は今でも日本で使ってるか?」
不覚にも私は焦炭を練炭と間違えた。
「いや、日本じゃ今はもう使ってないなぁ、俺が子供の頃は使ってたが」
新竹男は、ふんふんと頷いた。
「日本は進んでるからな。もう使わなくなったのかも知れんな」
ここまで話して、はたと思い出した。焦炭とは製鉄で使うコークスのことではないか。それなら日本の製鉄所でも使うだろう。とんだ間違いだ。しかし、今更訂正するのもかっこ悪いので、私は知らん振りを決め込んだ。それに、ひょっとしたら何か新しい技術が開発されてコークスは要らなくなったのかもしれない、とも考えた。とにかく素人にはよくわからない問題だから避けて通ることにした。
その新竹男は私より一才年下だったが、子供はもう大学を卒業して土木の設計技師をしているのだという。
こう書くといかにも会話がぺらぺらみたいに見えるだろうが、実のところ相手のなまりがひどくて、というか私のヒアリング力も悪いのだが、聞き取れるのは八割程度である。だが、八割わかれば大体の話には問題はない。これが通訳とか商談といった込み入った話になると100%正確でないと後々問題が起きるが、気楽な旅の空だから、うわの空でもかまわないのである。
だが、このなまりというやつには成都でも散々悩まされた。
「コークスを掘るったって、どこで掘ってるの?」
「広西だよ。もうベトナムの国境に近いとこなんだが、質のいいのが取れるんだ」
広西壮族自治区のはずれのベトナム国境近くといえば、田舎も田舎、土田舎である。そこには台湾人は自分ひとりしかいないと言う。ベトナムにもたまに出かけることがあるとも言った。
「治安の方はどうなの?」
と聞いたら、最近は随分ましになって、あまり問題はないと答えた。ということは逆に言えば昔は結構危なかったということになる。腕っ節は強そうだから、度胸もあるのだろう。地元の役人に金も使ってはいるだろうが、やはり現場では身体を張って仕事をしているのだろう。相手は大陸の中国人だからなめられたらおしまいである。
しかし、台湾人がそんなところまで出張っているとは、その商魂のたくましさには感心した。今日は広州についたら商売先との接待の場に出て、夜行バスで仕事場のある広西に行くのだという。タフなのである。とてもじゃないがまねできない。
「いやあ、疲れるよ」
新竹男はうんざりしたように顔をしかめた。まぁ、いくらタフとはいえ50も半ばを超えれば身体もそうそう無理がきかなくなるだろう。
そういえば、台湾の総統選挙があった。男は見たところ本省人だろうが、一体国民党と民進党のどっちを支持したのだろう。私がそう聞くと男はにやっと笑った。
「大陸で商売してる人間は馬英九に入れるさ。今日だって直行便があったら、広州まで直行できるんだ。何もこんな遠回りしなくてもな」
そりゃ、そうである。台湾の桃園空港から香港へ来てバスを乗り継いで広州へ行く、それは時間も体力も消耗するだろう。国民党の総統になり、台湾と大陸の関係はずいぶん近づくに違いない。台湾人自体それを望む声が多くなっている。昨今では大陸の大学へ留学する台湾人も増えているし、第一ビジネスの面からして台湾はすでに大陸抜きではやっていけなくなっている。
これはそれこそ香港の「いつか来た路」を思わせる。近い将来台湾と大陸が合体する日が来ても私は驚かない。その際には「一国二制度」ではなくて「一国三制度」とでもいうのだろうか。物事は動き始めるとあっという間に終点に向けて突っ走るものだ。
「あんたそんなに中国語がうまいのにコークス売ったらどうだ?」
ほら来た。中国人はすぐこれである。
「いや、俺は商売の才能はないからだめだよ」
「どうってこたあないよ。物があるんだから、その買い手を見つけるだけの話だ」
彼らのその前向きというか、楽観主義は、時には学ばねばならないと思うが、商売がそんなに簡単にいくものなら、失敗して泣きを見る人間はこの世にいやしないことになる。現に自分だってそんな辺鄙な田舎に単身赴任して、現地の人間相手に悪戦苦闘してるはずだ。もっとも、単身赴任のおかげで若い二号さんを囲ってうまいことやってる可能性は大だが。
「はっは、俺は商売人じゃないんでね」
大して金があるわけではないが、金のためにあくせくするのはもうこりごりである。残った人生で好きな本でも読んで旅行ができれば、もうそれで御の字だ。人間欲をかくとろくなことにならない。
「そうかぁ、もったいないよなぁ」
親竹男は、さも残念そうに言った。私がその気になれば、ひょっとしたら日本に直接輸出して大口の顧客を獲得できるかもしれないと、とっさに算盤をはじいたらしい。