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香港独言独語

長らく続く香港通い。自分と香港とのあれやこれやを思いつくままに語ってみる。

香港で中医(漢方医)にかかる(1)

2005-06-30 22:52:45 | Weblog
人間年をとると体質が変わる。それまで何ともなかったことが突然えらいことになったりする。

7、8年前のことになるが、香港から帰りの飛行機に乗ったあたりで、妙に唇がごわごわしてきた。変だなぁ、と思いながら、まぁすぐに治るだろうと高をくくって一晩寝た。

翌朝になると、これが段々痒くなってきた。痒みは更に増し、ぼりぼりかいているうちに口の周りに赤いぶつぶつができてきて、唇もたらこのように膨らんできた。しかもそれが頬やあごの辺りにも飛び火してきて、耳たぶまで痒くなってくる。

鏡で見ると悲惨な顔になってしまっていて、そして何よりも、痒くてたまらん、のである。しかももっとまずいことにおしっこをする末端器官までが痒く、腫れ上がってきた。最悪である。

老姑婆に言わせると、

「象さんのみたい」

なのだそうだが、象のそれを見たことがあるのか、と私は強く反論した。

いったい何が起こったのか、私はパニックになり、とうとう皮膚科に駆け込んだ。

お医者さんは患部をしばらく眺めた上で言った。

「何か普段と変わったもの食べました?」

「いえ、特には・・・」

考えてみても特別変わったものは食べていない。香港には行ったが、そこで食べたものはここ10年以上毎年食べているものばかりだし・・・。

「香港に行ってたんですが、特には変わったものは食べなかったんですけどねえ」

「香港ねえ・・・。マンゴーか何か食べました?」

「はあ?え、ええ、マンゴー食べました、たくさん」

「こりゃ、マンゴー皮膚炎ですなあ」

「????」

何?それ、てなもんである。

「で、でも先生、マンゴーは好きでずっと食べてましたけど、何ともなかったですよ」

私は果物大好き人間で、マンゴーも好物だった。日本ではなかなか食べられないが、香港ではさほどの値段でもないので、よく友人宅などで食べていた。今回も帰国前夜のバイキング料理(香港ではビュッフェというが)にあったので、根が意地汚い私はここぞとばかりむさぼり食ったのであった。

「いやあ、年をとると何かの拍子で体質が変わることがよくあるんですよ。だから最近中年になってからアトピー性皮膚炎にかかる人が結構増えてましてね」

マンゴーなど熱帯の果物はもともとあくが強いので、日本人には合わない人が割りといるそうだ。私の場合、中年になってから何かのきっかけで体質が変わり、マンゴーにアレルギーを起こすようになったのだろう、ということであった。

とほほ、である。とろりとした熟したマンゴーの黄色い果肉が目に浮かび、甘い味が口の中に広がる・・・。あれが食べられなくなってしまうのか。

どうしても食べたければ、小さく切ってフォークか何かで刺し、皮膚に触れないようにして直接口に入れるように、と先生は言った。とにかくマンゴーの汁が皮膚につくとそこがかぶれる。それだけでなく、やっかいなことにマンゴーを触った指で自分の身体を触ってもそこがまたかぶれてしまうのだ。

どおりで耳たぶや、おしっこの末端器官までもがかぶれたわけである。何となくちょっと耳を触ったりすることもあれば、トイレに行けば当然末端器官を手で操ることにもなる、それで「象さんのもの」みたいになってしまったわけだ。

まったく人間年をとるものではない。とんだ災難だった。

「貼士」(チップ)についてのあれやこれや(7)

2005-06-28 22:01:19 | Weblog
とはいうものの、その後ある点だけは老姑婆が方針を転換した。それはトイレのチップである。

香港旅行をした人ならわかると思うが。香港ではトイレに苦労する。日本のような喫茶店はほとんどないし、駅にもトイレがない。商場(商店街)のトイレも今でこそ入りやすくなったが、以前はスタッフオンリー(職員専用)となっていて、鍵がないと入れないというのも結構あった。

しかも、何よりも香港のトイレはあまりきれいではなかったのだ。そこそこのレストランやホテルでもいくつかの便器のうちのひとつかふたつが使用不能だったりするのはごく当たり前だし、使い方がこれまたきたない。

これがなぜだかわからないのだが、大きい方が流してないことなども珍しくはない。香港なんかどの家も水洗のはずだからなぜなのだろう。不思議である。

日本では客商売の場合、トイレは大体清潔にしてある。そうでないと客が逃げるだろう。

香港の女性トイレで用をたす場合、女性は便器の上に座るのではなく、あの便座の上に乗ってしゃがむのである。したがって便座の上は足跡だらけということになる。

これは相当不安定な気がするが、おそらく彼女たちも外の便器は汚いと思うのだろう。香港女性はやっこらせと便座に乗り、ハイヒールでも何でも委細かまわず果敢にしゃがむわけである。このおかげで香港女性の平衡感覚はかなり鍛えられているのに違いない。

以前ある日本人女性から聞いた体験談だが、彼女がある商場でトイレに行って鍵のかかってない個室のドアを開けた時のことである。彼女は、当然中は無人だ、と思った。

ところが、そこには用たしの真っ最中の女性がしゃがみこんでおり、正面から鉢合わせとなった。二人の視線ががちんと衝突した。

彼女は度肝を抜かれ一瞬凍りついたが、慌ててドアを閉め、気が動転し、そこを走って逃げ出した。トイレ意欲は跡形もなく消え去ってしまったとのことである。

しかし、彼女が後になって冷静になって振り返ってみると、慌てたのは彼女だけで、相手の女性は慌てず騒がずけっこう平然と彼女をにらみ返していたらしい。ここらあたりに香港人と日本人の感覚の違いも見受けられて面白い。

さて、小学生の頃器械体操が苦手だった老姑婆はこの香港スタイルが苦痛だ。そこでウェットティッシュを持参し、なおかつポケットティッシュを何枚も使って便座を拭いた後使用することになる。

したがって、我々が香港へ行く前は必ず街頭で配っているティッシュをできるだけ多く収集するよう努力している。(この件に関しては、数々のテレクラや、武富士、アコム等サラ金関連各社にも大変お世話になっており、この場を借りて御礼申し上げたい)

これは日本人がきれい好きすぎるのだと言われるが、こればかりはもうなんともしようがない。それに香港人だって汚いトイレは嫌だと口では言うのだ。では、なぜきれいにしないんだと聞くと、ほんだよねぇ、などと他人事のように答えるのである。

とにもかくにも老姑婆にとって香港のトイレは悩みの種なのであった。

そんなある時、尖沙咀のオーシャンターミナルで緊急にトイレの必要が生じ、老姑婆は隣にあった香港ホテル(当時)に駆け込んだ。

しばらく待っていると、老姑婆はしごく満足げな表情で意気揚揚と出てきた。

「いやあ、やっぱりホテルのトイレがええわあ。チップ要るけどきれいやもん」

その後老姑婆はトイレに関する限りは認識を改めチップを容認するようになった。

もちろんそれは払うに値する対価が得られるという老姑婆なりの合理的な理由があるからで、私のような考えとは違うのだ。私のそれは老姑婆にとってはやはり理解不能な無駄金ということになるのである。


「貼士」(チップ)についてのあれやこれや(6)

2005-06-26 09:51:07 | Weblog
さらにもうひとつ、私のチップに対する「思想的」背景をなす経験がある。

これも直接香港とは関係がないのだが、1974年に初めての外国旅行で、私はリュックを背負い日本を出て東南アジアを目指した。そのとっかかりが香港だったのだが、次に私はタイに渡った。

その後バンコクで数日間過ごしてからラオスに行った。その経路はバンコクからバスに乗って、1日かけて国境の町ノンカイに行き、その当時そこにはまだ橋がなかったから、小さな乗合ボートでメコン川を渡りラオスに入るというものだった。

ラオスで一週間過ごした私はまたタイへ帰った。往きは昼間のバスだったが、帰りは夜行バスでノンカイからバンコクまで走ってみようと思った。お金はなかったが、何しろ若かったので体力はあったのである。

夕方、私は入国手続きを終えてノンカイの税関の外へ出た。

だが、バスターミナルがわからない。来た時と同じようにサムローという人力三輪車に乗ろうと思った。そして今回は絶対ぼられないようにしようと硬く心に誓った。

一週間前バスターミナルから税関までサムローに乗った時、私は5バーツ払った。しかし、ビエンチャンの安宿に泊まっていた時、あるアメリカ人が、俺は3バーツだった、と言って私を笑った。

「そりゃ、ぼられたんだぜ」

それがしゃくにさわり、私は帰りはぜったいぼられないぞ、と肩に思い切り力をこめていた。

そこへひとりのサムロー曳きらしい青年が近づいてきた。

「サムロー?」

「イエス。ハウマッチ?」

「10バー」

現地の人の発音は「バーツ」とは聞こえない。

「けっ」

私はうんざりした顔でそっぽを向いた。

途端にそのサムロー曳きはがくんと値段を下げた。案外気の弱いやつらしい。

「6バー」

私は首を振った。私は相手が弱いと途端に強くなれる性質なのである。

「3バーツ。いやなら行っていいぜ」

「5バー」

「3バーツ。外の客をあたれよ」

私はしっしっと手を振って追い払うまねをした。

「オーケー、オーケー。3バー、オーケー」

サムロー曳きは仕方なさそうに苦笑いをして、自分のサムローを指さした。

バスターミナルまで、のんびり走るサムローでも10分とかからなかった。サムローを降りて、私はサムロー曳きに5バーツ玉を渡した。

サムロー曳きは私の掌から5バーツ玉を受け取ると、自分のポケットをあちこち押さえた。

その顔には照れ笑いのような表情があった。

「ユー ノー スリーバー?」(あんた、3バーツない?)

「ノー」

サムロー曳きは首を回しちらちらと左右を見た。まるで誰かつり銭を貸してくれる人間を探している振りをしているかのように見えた。黒い肌の下で顔が赤くなっているのがはっきりわかった。

妙におどおどした眼差しで私を見上げてサムロー曳きの青年は言った。

「ユー、ユー ニード トゥーバー?」(あ、あんた 2バーツ 要る?)

一瞬私は言葉に詰まった。ほんの一、二秒かそこらの短い時間だったが、その間思いもかけず色んな考えが私の頭の中を駆け巡った。

演技といえばいかにもわざとらしい演技だった。あるいは詐欺師とすれば駆け出しもいいところだ。しかし、その顔に浮かんだ初心な表情をも演技とすれば、それはたいした演技力だった。

だが、私だって苦労知らずのお坊ちゃんではない。そこそこのすれっからしである。その初心な表情だけは本当だということぐらいはわかった。

私が言葉に詰まったのは、その演技にだまされたからではなかった。その青年サムロー曳きは私と同じぐらいの年齢だろう。汚れてよれよれになった半ズボンの下から出た筋肉質な脚は埃にまみれていた。その足元は磨り減ったビーチサンダルに裸足である。

私はその時、そのサムロー曳きに自分の姿を見たのだった。

私がタイに生れていたなら私もきっとサムローをこいでいたに違いない。今こんな風に、たとえ貧乏旅行とはいえ海外旅行にやってこれたのは私自身の実力ではない。それは日本という国の経済発展のおかげだ。

もし、タイだったら、私の境遇ではどうにかがんばっても中学卒業がいいところだろう。働きながらにせよ大学へ行けるというのは夢物語のような話のはずだ。

しかも、アルバイト生活を切り詰め、奨学金を貯め、教授を泣き落として学費免除を勝ち取るなど、ありとあらゆる手段を使って旅費を工面できたのも日本に生れたからこそで、もしタイでなら海外旅行どころか国内旅行ですら不可能だろう。

貧乏旅行とはいえ、私はバンコクでは30バーツ、日本円にして一晩450円の宿に泊まることができる。しかし、このサムロー曳きはわずか2バーツ、つまり30円の金のために自尊心も捨てて必死にならなければならない。

その時、目の前の私と同年齢のサムロー曳きを見て、私の頭に浮かんだのは同情とか憐れみとかの感情ではなかった。上から下への視線ではなく、同じ高さのそれだった。

私は思った。金は天下の回りものだ。この2バーツ、つまり30円は、いくら私が貧乏だからといってもさしたる金額ではない。しかし、この男にとっては奮闘して獲得するに値する金額なのだ。

だったら、このわずか2バーツの金はこの男のところにある方が価値があるということになる。この2バーツはこの男のところへ行くべきなのではないか。そしてこの金は上から下へではなく横へ移動していくだけなのだ。

それは施しではなく、あるべきところへ行くという当たり前の道理のように思えた。

「オーケー ユー キープ トゥーバーツ」(いいよ 2バーツは あんたが持っときな)

サムロー曳きはほっとした笑顔を浮かべた。

「サンキュー サンキュー」

私はちょっと手を上げて、それから夜行バスの切符を買うため売り場の方へ歩いていった。振り返るとそのサムローがまたゆっくりと税関の方角へ走っていくのが見えた。

あのサムロー曳きも数年とたたないうちにすれっからしとなり、平然と観光客にふっかけるようになるのだろう。またそうしなければ生きていくことはできない。世の中とはそういうものだ。甘いことを言っていては自分の首をしめることになるだけである。

しかし、その時私が考えたことは間違ってはいなかったとその後も私は思い続けている。それは甘ちゃん的考え方というのとはちょっと違う。いわば、何といいましょうか、政治家や学者のそれとは異なる、庶民としての「思想」の根っこのようなものだ。

くだくだと書いたが、これが老姑婆と違う私のチップに対する姿勢の背景にある考え方である。

もっとも老姑婆に言わせれば、何をそんなたいそうな、ということになる。これも単なる自己正当化の屁理屈に過ぎず、このあたりにも私の「ええかっこしい」が表れているということになってしまい、私の旗色は依然として悪いのに変わりはない。

「貼士」(チップ)についてのあれやこれや(5)

2005-06-24 22:08:50 | Weblog
なぜ私がチップをあげたがるかということを私なりにも考えてみた。自分が「ええ顔しい」であることはある面認めるにやぶさかではないが、そればかりではないと思う。

私は若い頃とても貧乏であった。ほんとうに自慢できるぐらい貧乏だったのである。(自慢するのもどうかと思うが)

したがって、大学もアルバイトで自活しながら行った。で、ありとあらゆるバイトをやったのだが、その中でも割りのいいのが引越しのアルバイトだった。

というのも個人宅の引越しの場合、ほとんどが昼ご飯と心付(チップ)をもらえるからである。

ある時、とある大会社の社宅の引越しのアルバイトをした。日当は3500円で、これが当時の肉体労働としては一般的な相場だった。

しかしうまみがあったのは、転勤の引越しだったので東京から大阪の社宅に到着した荷物を降ろすだけということだ。普通大阪府内の引越しなら、積んで降ろすという作業を計2回しなければならない。

現地に行ってみると、家は団地の最上階の4階でエレベーターがない。うあっ、と思ったが仕方がない。

トラックが着き、とりあえず4階の部屋に行き、依頼主さんに挨拶をすることになった。

「ごめんなさい、エレベーターがなくて」

依頼主さんは申し訳なさそうな顔をして、私たち作業員4人それぞれに小さな封筒を渡してくれた。

「あっ、すみませんねぇ。ありがとうございます」

と言って、辞退することなく受け取る。

ここで、渡す側にとって肝心なのが、引越しで心付を渡す場合先に渡すことなのである。というのも心付とチップは意味合いが違うからだ。

チップはしてもらったサービスに対する評価なので事後に渡す。当然、サービスがよければはずむが、悪ければ額を減らす。

一方、心付はいわゆる「よろしくお願いします」という意味で渡すものだ。だから先に渡さなければならないのである。

でないと、えっ、くれないのか、と思って、働く側は戦意喪失、力が半減してしまうものなんである。経験者が語るのだから間違いない。

それともうひとつ、これは一人一人に手渡しすべきで、まとめて代表者に預けてはならない。そんなことをすると、そいつがネコババしかねないし、渡したことが作業員に伝わらないので、全員の勤労意欲を高める効果が期待できない。

ま、これがチップと日本式心付との大きな違いである。

さて、私はその封筒の厚みが気になった。当時引越しのチップといえば、ぐっとよくて1000円ぐらいのものだった。しかし、どうもこの厚さからみて札が1枚という感じではなさそうだ。ひょっとすると五百円札が3枚?となると1500円か、これはすごい。悪くても2枚で1000円となり、まずまずといえる。

どうにも気になって仕方がない。私はトラックのところへ戻ると、焦って封筒を開けてみた。すると、な、なんと、千円札が3枚も入っていたのである。1500円どころではない。ほぼ日当に匹敵する金額だった。

こうなると人間は現金なもので、いやが上にもやる気が出る。階段で上がる4階の高さも一向に苦にならない。さらに少しでも傷をつけないように身を呈して家具を守るようにする。お金の威力たるや実に絶大なのである。

これだからチップをもらう側の心理というのが私にはよくわかるわけで、そこでついつい多めにあげてしまいたくなるのである。

「貼士」(チップ)についてのあれやこれや(4)

2005-06-23 22:33:37 | Weblog
わが配偶者老姑婆は大阪商人の娘である。したがってお金には厳しい。

「わては浪速の商人(あきんど)だす。出さんですむんやったら、舌かて出す気はおまへん」

と、まあこれが基本姿勢である。

その老姑婆に言わせると、田舎育ちの私はどうもええかっこしいの見栄っ張りということになり、常に批判の対象となっている。

田舎出身ということで大都会で馬鹿にされてはいけないと背伸びする癖がついたのではないか、というのが老姑婆の分析だが、そうなんだろうか。

この二人の違いが顕著となるのが香港におけるチップだ。私はできるだけ気前よくあげようとするが、老姑婆は無駄なチップは出したくない方なのである。

今ではほとんど見られなくなったが、以前は大きな酒楼やホテルなどではトイレに白い上っ張りを着たおじさんやおばさんがいて、用を足して手を洗う時にさっと蛇口をひねって水を出してくれ、手を洗い終えると乾いたタオルハンカチを渡してくれる。

手洗いの上にはステンレスの小さなトレーが置いてあり、そこにはチップが入っている。1ドルや2ドル、あるいは5ドル、時には10ドル札が入っていたりする。

初めの頃は1ドルだったが、その後でもせいぜい2ドルぐらいが相場ではなかったろうか。10ドル札を置くなんて人は普通いないと思うが、おそらく10ドル札熱烈歓迎、という見せ金なのだろう。

こんな場合私は積極的にあげたい方なので、とても気になる。トイレに行く時は必ず小銭を携帯していくことにしていたし、先に行った友人が帰ってくると、ここではチップを払わねばならないかどうか聞くことにしていた。

しかし、老姑婆は違う。そんなん、自分で洗って自分のハンカチで拭けばええやん、と言って7サービスを受けずに自分で処理すればいい、もったいない、と言う。

だが、私にしてみると、いいじゃないか、あんなトイレの中に一日中いる仕事なんだから、あげないとかわいそうだ、とつい思ってしまうのだ。