日本人の香港人観はとかく偏りがちである。
で、とにかくお金第一で、抜け目がない。元気でパワフル、悩みなんかなさそうで、のーてんき。ま、日本人から見たステレオタイプの香港人像とはこんなところだろうか。
だが、香港にだって自殺者はいるし、精神病患者もいるのである。香港人だって、いつも明るい顔をしているわけではないのだ。失恋もあれば、会社の首切りもあり、離婚もあれば、嫁姑問題もある。
数年前友人であるスタンレーのいとこが鬱病になり、面倒見のいいスタンレーはしょっちゅう電話したりして相談に乗っていた。その人はある大手の会社の結構な地位にあるらしかったが、仕事のプレッシャーにつぶれてしまったのだ。
「あいつはまじめすぎてなぁ・・・」
珍しく眉間にしわを寄せてスタンレー自身も鬱病のような顔をした。
そういえばこの間桜見物に来たクリスティーヌも自分の女ボスとの人間関係に頭を痛めていた。
「同性同士って却って難しいのよねぇ・・・」
実は香港人も私たちと何ら変わりはないのである。「打工仔」であろうと「老板」であろうと、生きている間悩みは尽きない。
まして香港は生存競争が厳しい。スタンレーはいつもうらやましそうに言う。
「日本は福祉制度があるからいいよ。香港じゃ自分の面倒は自分で見なくちゃいけないんだから」
公務員以外は安定とは程遠い人生で、健康保険だって民間の保険会社で「買う」のであり、日本のような国民皆保険制度はない。
しかも、1980年代、香港社会は1997年の中国への返還を前に次第に浮き足立ってきて、移民熱に拍車がかかりつつあった。当時の香港人とは、香港社会全体に漂う不安定感を考えれば、日本人よりはるかに悩み多き人々なのだった。
あの97年の返還時に盛んに言われた言葉に「明天会更好」(明日はもっとよくなる)というのがあったのは皮肉だが、「秋天的童話」のラストシーンがいっているのも正しくそれだ。
がんばればきっとうまくいくよ。だからどんなにつらくてもとにかくがんばって夢を追おう。そこにはきっと明るい明日が待っている。
まぁ、何と短絡的で甘ったるい考え方だろうか、と歯が浮いてくる人もいるだろうが、それはがんばる必要のない人の考え方だ。
観客たちは20ドル(その当時は多分それくらいだった)を払って周潤發の笑顔を見、明日になれば自分にもいいことがありそうだ、と思う。そして、それならもう一日がんばって仕事に行ってみるか、という気になれるのである。
香港を離れアメリカやカナダ、オーストラリアに移民しても、その先に待っているのはこれまでとまるで違う世界でのさらなる闘いであり、どこにもパラダイスはないのだ。
それでも、がんばればきっとその先には明るい明日が待っていると思えなければ、人々には生きていくすべがない。
香港人たちは奮闘努力の人々だ。厳しい現実の中で、ひたすら前を向いて進んで行く。
そんな香港人たちをメイベル・チャンは愛すべき同胞とみて、同時代を生きるものとしてこの映画を作らなければならない、と考えたに違いない。だから、その時代の香港人の姿の記録と彼らに対する応援歌というふたつの意味が「秋天的童話」にはこめられている、と私は考えている。
で、とにかくお金第一で、抜け目がない。元気でパワフル、悩みなんかなさそうで、のーてんき。ま、日本人から見たステレオタイプの香港人像とはこんなところだろうか。
だが、香港にだって自殺者はいるし、精神病患者もいるのである。香港人だって、いつも明るい顔をしているわけではないのだ。失恋もあれば、会社の首切りもあり、離婚もあれば、嫁姑問題もある。
数年前友人であるスタンレーのいとこが鬱病になり、面倒見のいいスタンレーはしょっちゅう電話したりして相談に乗っていた。その人はある大手の会社の結構な地位にあるらしかったが、仕事のプレッシャーにつぶれてしまったのだ。
「あいつはまじめすぎてなぁ・・・」
珍しく眉間にしわを寄せてスタンレー自身も鬱病のような顔をした。
そういえばこの間桜見物に来たクリスティーヌも自分の女ボスとの人間関係に頭を痛めていた。
「同性同士って却って難しいのよねぇ・・・」
実は香港人も私たちと何ら変わりはないのである。「打工仔」であろうと「老板」であろうと、生きている間悩みは尽きない。
まして香港は生存競争が厳しい。スタンレーはいつもうらやましそうに言う。
「日本は福祉制度があるからいいよ。香港じゃ自分の面倒は自分で見なくちゃいけないんだから」
公務員以外は安定とは程遠い人生で、健康保険だって民間の保険会社で「買う」のであり、日本のような国民皆保険制度はない。
しかも、1980年代、香港社会は1997年の中国への返還を前に次第に浮き足立ってきて、移民熱に拍車がかかりつつあった。当時の香港人とは、香港社会全体に漂う不安定感を考えれば、日本人よりはるかに悩み多き人々なのだった。
あの97年の返還時に盛んに言われた言葉に「明天会更好」(明日はもっとよくなる)というのがあったのは皮肉だが、「秋天的童話」のラストシーンがいっているのも正しくそれだ。
がんばればきっとうまくいくよ。だからどんなにつらくてもとにかくがんばって夢を追おう。そこにはきっと明るい明日が待っている。
まぁ、何と短絡的で甘ったるい考え方だろうか、と歯が浮いてくる人もいるだろうが、それはがんばる必要のない人の考え方だ。
観客たちは20ドル(その当時は多分それくらいだった)を払って周潤發の笑顔を見、明日になれば自分にもいいことがありそうだ、と思う。そして、それならもう一日がんばって仕事に行ってみるか、という気になれるのである。
香港を離れアメリカやカナダ、オーストラリアに移民しても、その先に待っているのはこれまでとまるで違う世界でのさらなる闘いであり、どこにもパラダイスはないのだ。
それでも、がんばればきっとその先には明るい明日が待っていると思えなければ、人々には生きていくすべがない。
香港人たちは奮闘努力の人々だ。厳しい現実の中で、ひたすら前を向いて進んで行く。
そんな香港人たちをメイベル・チャンは愛すべき同胞とみて、同時代を生きるものとしてこの映画を作らなければならない、と考えたに違いない。だから、その時代の香港人の姿の記録と彼らに対する応援歌というふたつの意味が「秋天的童話」にはこめられている、と私は考えている。