香港のマンションではトイレが2ヶ所あるところが多い。これはひとつはお客さん用で、こういうのは欧米スタイルなのだということらしい。さすがはイギリス植民地だけのことはあり、いろいろなものが欧米スタイルなのだ。
香港ユースホステルではバスルームともうひとつキッチンから外に出る小さなベランダの端にトイレがあり、私はもっぱらそっちを利用していた。
何しろ1970年前半の話である。日本では洋式トイレはまだ全然普及しておらず、私はここでお座り方式の洋式トイレの洗礼を受けることになった。
しかし、初めてのことである。不特定多数の人が座る便座に直接肌をつけるということにはどうにも抵抗があった。そこでトイレットペーパーを便座に敷いてその上に座ることにした。この点では香港女性が便座の上にしゃがむという心情が私にも十分理解できる。
それにしても清潔さからいえば、しゃがみ方式の方が圧倒的に衛生的だと思うのだが、見も知らぬ人間のお尻がべったりと触れていたところに自分の肌をつけて欧米人はよく平気だと感心する。だって、ひょっとしたら前の人のおしっこなりが付着している可能性だってあるのだ。うえっ、きたねえ、とは思わないのだろうか。
さすがに肉食人種は神経が大雑把だ。文化の違いは本当にすごいとつくづく思ったものである。
さて、トイレに行く前に小さなベランダを通るのだが、そこで私はよく下を見下ろし、また上を見上げた。
香港のマンションは日本のように平べったい建物ではない。土地の有効利用と地盤が固く地震がないことから、まるで鉛筆のような形で細長く上へ上へと伸びている。もちろん庭などもあるわけがない。
ベランダから見ると向かいや左右に、手が届かんばかりの距離で別のビルが建っている。下に眼をやれば、四方を細長いビルに囲まれた小さな空間が一直線に下に落ち込んでいて、まるで深い谷底を見下ろしているような感じがした。そしてその途中に無数の窓があり、そのひとつひとつからそれぞれの家庭の生活の匂いが立ち上ってくるのだった。
視線を上に上げれば、はるか上空に四方をマンションのビルに切り取られた狭い空があった。私はよくそこに立ち、深い谷底と狭く切り取られた空に交互に見とれながら、香港という世界の一段面を知らず知らずのうちに理解していったのだった。
香港ユースホステルではバスルームともうひとつキッチンから外に出る小さなベランダの端にトイレがあり、私はもっぱらそっちを利用していた。
何しろ1970年前半の話である。日本では洋式トイレはまだ全然普及しておらず、私はここでお座り方式の洋式トイレの洗礼を受けることになった。
しかし、初めてのことである。不特定多数の人が座る便座に直接肌をつけるということにはどうにも抵抗があった。そこでトイレットペーパーを便座に敷いてその上に座ることにした。この点では香港女性が便座の上にしゃがむという心情が私にも十分理解できる。
それにしても清潔さからいえば、しゃがみ方式の方が圧倒的に衛生的だと思うのだが、見も知らぬ人間のお尻がべったりと触れていたところに自分の肌をつけて欧米人はよく平気だと感心する。だって、ひょっとしたら前の人のおしっこなりが付着している可能性だってあるのだ。うえっ、きたねえ、とは思わないのだろうか。
さすがに肉食人種は神経が大雑把だ。文化の違いは本当にすごいとつくづく思ったものである。
さて、トイレに行く前に小さなベランダを通るのだが、そこで私はよく下を見下ろし、また上を見上げた。
香港のマンションは日本のように平べったい建物ではない。土地の有効利用と地盤が固く地震がないことから、まるで鉛筆のような形で細長く上へ上へと伸びている。もちろん庭などもあるわけがない。
ベランダから見ると向かいや左右に、手が届かんばかりの距離で別のビルが建っている。下に眼をやれば、四方を細長いビルに囲まれた小さな空間が一直線に下に落ち込んでいて、まるで深い谷底を見下ろしているような感じがした。そしてその途中に無数の窓があり、そのひとつひとつからそれぞれの家庭の生活の匂いが立ち上ってくるのだった。
視線を上に上げれば、はるか上空に四方をマンションのビルに切り取られた狭い空があった。私はよくそこに立ち、深い谷底と狭く切り取られた空に交互に見とれながら、香港という世界の一段面を知らず知らずのうちに理解していったのだった。