さて、男の先生は「阿Sir」、つまり「ア・サー」と呼ぶのだが、実はこれは警察官に対する呼びかけ語でもある。警官の場合は「おまわりさん」という感じだろうか。
それではなぜに警官が「阿Sir」なのか、と別の友人に聞いてみると、
「そう呼んであげると、警官の方も飄飄然(うれしくて舞い上がっちゃう)になっちゃうからじゃないの」
とのことであった。
そういえば、私もツアー旅行の時、身分不相応なホテルに泊まって、蝶ネクタイをした風格のあるスタッフから「sir」と呼びかけられ、恐縮して何だかお尻のあたりがこそばゆくなった経験がある。
広東語では警官は「差人(ちゃいやん)」と呼ぶ。映画「無間道Ⅲ」の予告編の中で劉徳華が「我都係差人」(おれも警察官だ)というセリフを叫ぶ場面があるが、あれである。
ちなみに、もうひとつ「差佬(ちゃいろう)」という言い方もあるが、これは「ポリ公」ということになるので、警察官の近くで発するのは避けたいものである。
それにしても、なんで「阿Sir」なのか。阿は「さん」あるいは「ちゃん」のような親しみを込めた接頭字で、中国でも南方方言で使われるのだが、それでは「Sir」とは何ぞや、という疑問が残る。
それはくだんの友人の話ではこうなるらしい。
イギリス植民地時代の皇家警察(ロイヤルポリス)では上官はイギリス人であり、この場合英語が指揮命令系統用語での基本となる。
警察は階級社会だから上官にはすべて「sir」をつけて返答する。ジャッキー・チェンが「A計画」や「ポリスストーリー」で敬礼して、「イエッ、サー!」と大きな声で言う場面があるが、あれがそうだ。
それが、英語のできない庶民から見ると、何やらわけはわからないが、とにかく「sir」という言葉が耳についてしまい、それで「sir、sir」という人ということで「阿Sir」となった、という話である。
それに、「sir」と呼ばれて悪い気はしないはずだから、庶民が権力者である警官にとりあえず機嫌を取る手段のひとつだったというのが起源なのだそうだ。
そして学校の先生だって生徒の側から見るとある種の権力者だから、そこで同様に「阿Sir」と男の先生を呼ぶようになったわけなのだ。
と、まぁこれがその友人による「阿Sir」起源説である。
ま、このあたりは諸説色々あると思うし、その信憑性については私もよくはわからないが何となく納得してしまう話ではある。
しかし、「無間道Ⅱ」でも、97年の中国への返還に際して、警官の徽章を皇家警察のものから中国のものへ付け替える場面があったが、97年以後、「阿Sir」や「Miss」はどうなってしまったのだろうか。
今では小学校から「普通話」つまり、北京語を基礎にした中国の標準語を国語の時間に教えるようになり、阿ジョーの息子である小学校2年の浩仔も中国国歌である「義勇軍行進曲」を普通話で歌って聞かせてくれたことがある。もっとも阿ジョーを含めて大人は誰も歌えなかったのだけれど。
また、学校では子供たちが整列した前で五星紅旗を掲揚する儀式が行われるようになったのをテレビの報道で見たこともある。香港は中国の一部だから、こういったことは当たり前といえば当たり前で、不思議がる方がおかしいと言われそうだが、以前の香港の雰囲気からするとずいぶん変わったものだと感慨を禁じえない。
それでは学校では相変わらず先生を「ミッシー」、「ア・サー」と呼んでいるのだろうか。それともこれも「老師」とか何とか中国風に変わってしまっているのだろうか。ここは次回行った時に調べてみる必要がありそうだ。
だが、いくら中国化が進行しているとはいっても、まさか警官を「阿Sir」ではなく「民警同志」などと呼んだりはしないだろうとは思うのだが。
それではなぜに警官が「阿Sir」なのか、と別の友人に聞いてみると、
「そう呼んであげると、警官の方も飄飄然(うれしくて舞い上がっちゃう)になっちゃうからじゃないの」
とのことであった。
そういえば、私もツアー旅行の時、身分不相応なホテルに泊まって、蝶ネクタイをした風格のあるスタッフから「sir」と呼びかけられ、恐縮して何だかお尻のあたりがこそばゆくなった経験がある。
広東語では警官は「差人(ちゃいやん)」と呼ぶ。映画「無間道Ⅲ」の予告編の中で劉徳華が「我都係差人」(おれも警察官だ)というセリフを叫ぶ場面があるが、あれである。
ちなみに、もうひとつ「差佬(ちゃいろう)」という言い方もあるが、これは「ポリ公」ということになるので、警察官の近くで発するのは避けたいものである。
それにしても、なんで「阿Sir」なのか。阿は「さん」あるいは「ちゃん」のような親しみを込めた接頭字で、中国でも南方方言で使われるのだが、それでは「Sir」とは何ぞや、という疑問が残る。
それはくだんの友人の話ではこうなるらしい。
イギリス植民地時代の皇家警察(ロイヤルポリス)では上官はイギリス人であり、この場合英語が指揮命令系統用語での基本となる。
警察は階級社会だから上官にはすべて「sir」をつけて返答する。ジャッキー・チェンが「A計画」や「ポリスストーリー」で敬礼して、「イエッ、サー!」と大きな声で言う場面があるが、あれがそうだ。
それが、英語のできない庶民から見ると、何やらわけはわからないが、とにかく「sir」という言葉が耳についてしまい、それで「sir、sir」という人ということで「阿Sir」となった、という話である。
それに、「sir」と呼ばれて悪い気はしないはずだから、庶民が権力者である警官にとりあえず機嫌を取る手段のひとつだったというのが起源なのだそうだ。
そして学校の先生だって生徒の側から見るとある種の権力者だから、そこで同様に「阿Sir」と男の先生を呼ぶようになったわけなのだ。
と、まぁこれがその友人による「阿Sir」起源説である。
ま、このあたりは諸説色々あると思うし、その信憑性については私もよくはわからないが何となく納得してしまう話ではある。
しかし、「無間道Ⅱ」でも、97年の中国への返還に際して、警官の徽章を皇家警察のものから中国のものへ付け替える場面があったが、97年以後、「阿Sir」や「Miss」はどうなってしまったのだろうか。
今では小学校から「普通話」つまり、北京語を基礎にした中国の標準語を国語の時間に教えるようになり、阿ジョーの息子である小学校2年の浩仔も中国国歌である「義勇軍行進曲」を普通話で歌って聞かせてくれたことがある。もっとも阿ジョーを含めて大人は誰も歌えなかったのだけれど。
また、学校では子供たちが整列した前で五星紅旗を掲揚する儀式が行われるようになったのをテレビの報道で見たこともある。香港は中国の一部だから、こういったことは当たり前といえば当たり前で、不思議がる方がおかしいと言われそうだが、以前の香港の雰囲気からするとずいぶん変わったものだと感慨を禁じえない。
それでは学校では相変わらず先生を「ミッシー」、「ア・サー」と呼んでいるのだろうか。それともこれも「老師」とか何とか中国風に変わってしまっているのだろうか。ここは次回行った時に調べてみる必要がありそうだ。
だが、いくら中国化が進行しているとはいっても、まさか警官を「阿Sir」ではなく「民警同志」などと呼んだりはしないだろうとは思うのだが。