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香港独言独語

長らく続く香港通い。自分と香港とのあれやこれやを思いつくままに語ってみる。

続胡志明市の過馬路

2007-05-06 20:17:13 | Weblog
ホーチミン市で道路を渡る時、バイクと歩行者の間に、何といえばいいか、束の間ある種の無言のコミュニケーションが生まれているかのように、私には見えた。それが信号のないホーチミン市の道路に自然発生的な秩序を作り出しているのである。

これが中国ならどうだろうか、と考えた。

「うーん、中国なら無理ちゃうかなぁ」

と小村さんは腕組みをして首をひねった。

中国にはこれほどバイクは多くないようだが、中国人運転者なら歩行者に譲ることはまずないだろう。

「おらあっ!死にてえかあ」

と逆にフルスロットルで突っ込んでくるのではないだろうか。これはご意見無用のチキンレースであり、よけた方が負けである。しかし、大概は歩行者が逃げるだろう。歩行者に優しい中国人運転者というのはなかなか想像できない。

私がホーチミン市の路上で感じたことは、気質的に言ってベトナム人の方が中国人よりソフトなのではないかということだ。どうも中国人の方が、おれがおれが、の傾向が強いように私には思える。

こういうことを言うと中国人からブーイングが起きそうだが、路上でのバイクと歩行者との間の微妙なコミュニケーションなど中国の路上では生まれそうにない、と、まぁこれは私の独断と偏見なのだが、つくづく思ってしまう。

よく中国人は絶対自分の非を認めないと言われる。これは大陸に投資して会社や工場で中国人を雇っている人の経験談として頻繁に耳にする話である。

仕事上でミスをしても、あれやこれや言い訳をして、絶対謝らない、すみませんを言わない。ここで日本人は頭を抱えてしまう。しかし、これはもう彼らの文化なので、最後にはこちらが慣れるしかない。が、悪くなくてもとりあえず先に謝ってしまうのが日本人の文化なので、この壁を乗り越えるのが一仕事なのだそうだ。

「ベトナム人の仕事振りってどうなんですか?」

私は小村さんに聞いてみた。

「そうやねぇ・・・。まじめやし、一生懸命働きますよ。そやけど・・・、そこまでなんやねぇ」

「そこまで?」

「う~ん、なんちゅうかなぁ、言われたことはきちんとやってくれるけど、その先がないんやね」

だが、中国人は違うと小村さんは言う。中国人はその先を考え、自分でどんどん進めることができる。

「ただねぇ・・・」

小村さんは苦笑しながら続けた。

「それが危ないんですよ。例えば、自分で改良したり開発したり努力してくれるんやけど、仕事や商売を覚えると、今度はこっそり外で自分の会社を作ったりしよるんやね。それから段々自分の会社の方へシフトして行ってね。段取りが十分整った段階でこっちの会社を辞めて独立するわけですわ。そんで、その時こっちの客もごそっと持って行ってね。気がついたら、こっちの会社はすっからかんになってしもうてるゆうわけやね。そんなんで失敗した日本の中小企業、ようけありますよ」

私はかつての香港の友人サニー張のことを思い出した。

サニー張は1970年代初頭に、大陸から海を4時間以上泳いで香港へ密入国してきたのだが、頭もいいし、仕事もできる男だった。

いろいろあった後、ある時知人と三人で会社を立ち上げた。出資分はサニー張がわずか15%で、残りは他の二人が負担したのだが、実際の仕事はすべてサニー張まかせだった。

アルミ製品加工の工場だったが、生産と営業両方とも二人は未経験で、サニー張に頼らざるを得なかった。本当のところは、金は出すから、後はよろしく頼むといったことだったのだろうと思う。

サニー張は努力家だし、目端も効く、会社の運営は徐々に軌道に乗っていった。

だが、会う度に、サニー張は他の相方二人のことを軽蔑したような口調で言っていた。

「あいつらは全然仕事ができないからな。オフィスで座ってるだけなんだ。もう一人なんか毎日昼間からマージャンだよ」

そしてにやっと笑って言った。

「俺は今自分の会社を作る準備をしてるんだ。この会社は踏み台だよ」

サニー張はハナからそのつもりだったようだ。それからしばらくして広東省の江門で大陸にいる弟に工場を作らせ、そこで生産を開始した。

香港の密かに作った自分の会社はしばらくは奥さんがひとりで事務所を守り、サニー張は二つの会社を掛け持ちでやっていたが、営業はじわじわと自分の会社に軸足を移していき、見通しがついたところで独立した。もちろんその際顧客リストをごっそり持って行ったのは言うまでもない。

日本人ならこれは「裏切り」であり、もう「ひとでなし」と言いたくなるところだが、こうした話は中国人社会では常識のようだし、サニー張にしても何ら悪びれたところはなかった。

しかし、これはいい悪いの問題ではなく、社会通念というか文化の違いとでもいうしかないだろう。中国人が家族や親戚で会社を作ったり、あるいはとにかく自分が老板(社長)になりたがるのはこうした他人を信用できないといった社会的背景に原因があるのかもしれない。

香港学の大家山口文憲先生はその著書「香港世界」の中で香港のことを次のように書いておられる。

・・・若い女の子に声をかけて、こちらがよその国の人間であることが分かってもすぐに相好をくずしたりしません。眉をひそめて、「なんか用?」という感じ。これは基本的にhostileな社会だからですね。・・・

hostileとは「敵意のある」とかいった意味の言葉である。だが、これは香港だからだけではなく、中国人社会が本来持っているもなのではないだろうか。そういった人間たちの世界ではまず自己主張が必要であり、自分の非は認めず、自分を強固に守ることが勝ちに繋がる。そこは勝つか負けるかの世界である。

となると、路上でも相手に譲ろうという気は起こるはずがない。わしが先やどかんかい、とばかりに気迫をみなぎらせて前進あるのみである。

それに較べるとベトナム人はまだ大分おとなしい、と小村さんは言う。

仕事上のミスを中国人なら謝らず、注意するとむきになって反駁して自己正当化を図ろうとするが、しかしベトナム人はそんなことはない。

だが、それで大団円というわけではない。

ベトナム人を叱ると、反駁とか言い訳はしないが、すぐにすねるんだそうである。

「ほんま、子供みたいやもんなぁ・・・」

ここでもまた小村さんは苦笑する。

どっちにしたってやりにくいったらありゃしないのである。こればかりはそれを理解してこちらがうまく操縦するしかないようだ。ベトナムだろうと中国だろうとそこは相手の国であり、こちらは向こうの土俵で相撲をとっているのだから、成功しようと思えば相手に合わせるしかない。

日本人にとってベトナム人はまだ中国人より相性がいいのではないか、と小村さんは考えているようだし、極めて限られた見聞の中でだが私もそう感じる。おれがおれが、よりももう少し他人との和を大切にするというか、あいまいさを残し、まあまあその辺でという雰囲気がありそうだ。

だから、路上のバイクの流れの中に立ちつくし、走ってくるバイクに眼を向け、その運転者がわずかに減速して私との距離感を図る瞬間、私はベトナムがhostileな社会ではないことを実感するのである。