香港独言独語

長らく続く香港通い。自分と香港とのあれやこれやを思いつくままに語ってみる。

また17歳の頃

2009-09-11 17:40:29 | Weblog
私の自転車旅行は九州を半月かけて一周することだった。毎日のバイトや通学、それに田舎だからどこに行くにも自転車しかなかったので脚には自信があった。家が丘の上にあったから、その坂道を上ることも自然と鍛錬になった。

当時は、くそっ、なんで俺の家はこんなところにあるんだ、と不満たらたらだった。牛乳配達を終えて一旦家に戻るのに坂を上り、学校が終わって帰宅するのにも上らねばならない。しかし、毎日最低2回坂道のぼりをやって脚力が自然と鍛えられたのだから、人間何が幸いするかわからない。

自転車の後ろの荷台にはバニアバッグという振り分け荷物型のバッグを掛けて、リュックサック(今のディーバッグより古風なものである)とその上に冬用の寝袋を載せて縛った。

前輪の上にはフロントキャリア(要するに前輪つける荷台だ)をつけて、そこに四角いフロントバッグを載せたが、これらすべてがあちこちからの借り物で、自転車関係の部品は懇意にしてくれた自転車屋のガラクタの中から拾い出したものだ。荷物を積んだ自転車は、一見、カタツムリのように見えなくもなかった。

九州は福岡県から長崎県方面へと西側を先に回り、その後鹿児島から今度は宮崎県へと東側を北上するコースを取った。

第一日目に約140キロを走って下関に到着したが、翌日に筋肉痛になったり、疲労が残ることもなかった。大体1日120キロから140キロが平均的な走行距離だったと記憶しているが、あの頃の体力があればツール・ド・フランスの全コースを走破するなんて目じゃない。まあタイムは横に置いといての話だけれど。

自転車旅行者は大抵が一人旅だった。だが、同じルートを走っている旅行者に出会うと、よく二人で一緒に走ることになった。1日だけのこともあれば3日一緒だったこともある。そして、目的地が違うところまで来ると、互いの健闘を祈ってさよならをした。英語なら「グッドラック」なんていう場面である。

自転車旅行者同士のマナーというものがあった。対向してくる相手には、すれ違う時、お互い笑顔で手を上げて挨拶をする。峠越えで喘ぎながら必死に上っている時、上から猛スピードで下りてくる相手が「がんばれよ、あとちょっとだあー」と声をかけてくれる。逆の場合は私が声をかける。

その「あとちょっと」というのが、まだ大分先のことが往々にしてあったが、それはこちらを励ましてくれているのであって騙しているわけではないのである。

その「あとちょっと」を聞くと、意地でも自転車から降りないぞ、とペダルを踏む脚に力が入るのである。多くの山を越えたが、私はよほどのことがない限り、自転車を降りて押すことはしなかった。

一緒に走った相手とは名乗りあうこともあれば、ただどこから来てどこへ行くのか、とだけ話しただけの相手もあった。名乗らなかったとはいっても、別に気が合わなかったわけではなくて、その時の流れのようなものだ。それで何の不都合もなかったのである。

しかし、中には住所を交換し、しばらく文通を続けたやつらもいる。いちばん長いので10数年も年賀状のやり取りをしたやつもいた。その男は北海道出身だったので、大学に通うようになってから、北海道旅行をした際に、就職先の寮に泊めてもらったことがある。

その後実社会へ出て、もまれ流され時に抗う長い生活の中で、今ではもう誰ともコンタクトはなくなったが、でもみんなまだこの空の下のどこかで私と同じように年をとって、たまに若い頃の経験を思い出していることだろう。

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