ホテルで読んだ新聞に、成都では最近若いOLたちに「洗脚」が流行っているという記事があった。洗脚とは、日本でいうなら「フットケアマッサージ」のことだ。
贅沢だとか、いい若いもんが按摩なんかするもんじゃねぇ、とかいう批判も一部にあるが、疲れが取れるし、ストレスが解消できて心身ともにリフレッシュできる、と好評なのだという。
経済発展につれて中国の若い女の子も富裕化してきていることがこの記事でも知ることができる。が、それはさておき、私は大のマッサージ好きなのである。これはひとつ体験してみるべきではないか、とチャレンジ精神がひくひくうごめき始めた。
それにはまず事前調査が必要だ。私は街をぶらぶらしながら観察してみた。洗脚と看板に出ている店を何軒か見かけたが、結構豪華で規模が大きい。ある店なんかは4階建てのビルで、そのすべてがマッサージに使われているようだった。ロビーもゆったりと広くホテルのようである。
料金は、例えば90分80元(当時のレートで1元15円で換算すると、1200円程度)とか書いてある。その他のサービスの料金もいろいろ書いてあったが、中国としてはかなりなお値段である。
しかし、何しろここは中国である。何か男性向きの特殊なサービスがあったりしてもおかしくないし、そんな店に一人で入るのは警戒心が邪魔をする。
それでもOLの女の子が行くぐらいだから、まぁそういかがわしいこともないだろう、という考えも一方ではあり、根が臆病な私は気持ちが揺れた。
ただ、街を観察していてついでに発見したことがもうひとつあった。これは洗脚の店よりはるかに多いのだが、あちこちに「盲人按摩」と書かれた看板を揚げた店があるのだ。
盲人とあるが、ちらっと覗いた限りでは、スタッフは目が不自由ではなさそうな健常者にしか見えない。この種の店は規模も小さく、普通の家の1階とか、3、4階建てのアパートの1階部分だけの、いたって簡素な、まぁ普通のマッサージ屋さんといった風情だ。
ではあるが、ある店では派手なワンピースに網タイツの脚をこれみよがしに組んで、見るものを悩殺せんとたくらむ、どう見ても素人さんとは思えない女性がいたりしたから、やはりそれなりに風俗的なサービスを提供する店もあるのではないかと思う。
考えすぎかもしれないが、どっちに転んでも風俗関係の懸念は消えそうにもない。現地に知人でもいれば情報も得られるが、残念ながらそれはない。いつまで考えても時間の無駄だ。覚悟を決めてとにもかくにも物は試しで一度入ってみるしかない。
私はホテルの前の総府路という大通りを東の方へ歩いていった。
総府路はすぐに大慈寺路と名前が変わり、それからまた東方路と変わる。ややこしい。
しばらく歩くと川があり、橋を渡って南へ折れ、めぼしをつけていた洗脚の店やその近くの盲人按摩の店を覗いてみたが、どうもピンとこない。なぜか入る気が起こってくれないのだ。
しかたなく、また大通りへ戻り、今度は大通りの北側へ入ってみた。行き当たりばったりは私の特技だが、いい加減にしないと道に迷ったり、結局時間切れということになりかねない、と少しばかり焦りも出てきた。
私はまた横道に入り込んでみた。そのあたりはいわば下町の住宅地のようなところで、3階建てや4階建てのアパートが軒を連ねていた。そしてそこにまたもや盲人按摩の看板を見つけた。隣は美容院だった。
マッサージ屋の店の前では麻雀卓を囲んでスタッフらしい女の子たち5、6人が盛り上がっている。中国人は香港だろうが大陸だろうが賭け事がお好きである。
ちょっと足を止めたが、誰も見向きもしてくれないので通り過ぎた。だが、その先へ進んでも何もなさそうだった。しゃーないなぁ、と私は回れ右をした。
また戻ってきたが、マージャン中の女の子たちは相変わらず客になるかもしれない通行人に関心がない。昼下がりの客の少ない時間帯なので、休憩がてらのんびり気晴らしをしているようで勤労意欲のかけらもない。
開け放たれたドアを通して見ると、中では客が二人ベッドにうつぶせになってマッサージをしてもらっている。表は全面硝子の窓で、中は明るくオープンな感じだ。これなら安全だろう、と私は踏んだ。
とは言うものの、誰に声をかけていいものやらわからず、私は麻雀卓を見下して、ちょっと立ちすくんだ。
その時、マージャンを打たずに見物していたひとりの浅黒い肌の大きな目をした女の子がふと頭をあげ、私と視線が合った。
「マッサージ?」
と女の子は聞いてきた。
「洗脚やってる?」
私が訊ねると、その女の子は立ち上がり、
「中に入ってよ」
私の返答を待たずにさっさと中に入っていった。
小陳(シャオチェン)との遭遇である。
贅沢だとか、いい若いもんが按摩なんかするもんじゃねぇ、とかいう批判も一部にあるが、疲れが取れるし、ストレスが解消できて心身ともにリフレッシュできる、と好評なのだという。
経済発展につれて中国の若い女の子も富裕化してきていることがこの記事でも知ることができる。が、それはさておき、私は大のマッサージ好きなのである。これはひとつ体験してみるべきではないか、とチャレンジ精神がひくひくうごめき始めた。
それにはまず事前調査が必要だ。私は街をぶらぶらしながら観察してみた。洗脚と看板に出ている店を何軒か見かけたが、結構豪華で規模が大きい。ある店なんかは4階建てのビルで、そのすべてがマッサージに使われているようだった。ロビーもゆったりと広くホテルのようである。
料金は、例えば90分80元(当時のレートで1元15円で換算すると、1200円程度)とか書いてある。その他のサービスの料金もいろいろ書いてあったが、中国としてはかなりなお値段である。
しかし、何しろここは中国である。何か男性向きの特殊なサービスがあったりしてもおかしくないし、そんな店に一人で入るのは警戒心が邪魔をする。
それでもOLの女の子が行くぐらいだから、まぁそういかがわしいこともないだろう、という考えも一方ではあり、根が臆病な私は気持ちが揺れた。
ただ、街を観察していてついでに発見したことがもうひとつあった。これは洗脚の店よりはるかに多いのだが、あちこちに「盲人按摩」と書かれた看板を揚げた店があるのだ。
盲人とあるが、ちらっと覗いた限りでは、スタッフは目が不自由ではなさそうな健常者にしか見えない。この種の店は規模も小さく、普通の家の1階とか、3、4階建てのアパートの1階部分だけの、いたって簡素な、まぁ普通のマッサージ屋さんといった風情だ。
ではあるが、ある店では派手なワンピースに網タイツの脚をこれみよがしに組んで、見るものを悩殺せんとたくらむ、どう見ても素人さんとは思えない女性がいたりしたから、やはりそれなりに風俗的なサービスを提供する店もあるのではないかと思う。
考えすぎかもしれないが、どっちに転んでも風俗関係の懸念は消えそうにもない。現地に知人でもいれば情報も得られるが、残念ながらそれはない。いつまで考えても時間の無駄だ。覚悟を決めてとにもかくにも物は試しで一度入ってみるしかない。
私はホテルの前の総府路という大通りを東の方へ歩いていった。
総府路はすぐに大慈寺路と名前が変わり、それからまた東方路と変わる。ややこしい。
しばらく歩くと川があり、橋を渡って南へ折れ、めぼしをつけていた洗脚の店やその近くの盲人按摩の店を覗いてみたが、どうもピンとこない。なぜか入る気が起こってくれないのだ。
しかたなく、また大通りへ戻り、今度は大通りの北側へ入ってみた。行き当たりばったりは私の特技だが、いい加減にしないと道に迷ったり、結局時間切れということになりかねない、と少しばかり焦りも出てきた。
私はまた横道に入り込んでみた。そのあたりはいわば下町の住宅地のようなところで、3階建てや4階建てのアパートが軒を連ねていた。そしてそこにまたもや盲人按摩の看板を見つけた。隣は美容院だった。
マッサージ屋の店の前では麻雀卓を囲んでスタッフらしい女の子たち5、6人が盛り上がっている。中国人は香港だろうが大陸だろうが賭け事がお好きである。
ちょっと足を止めたが、誰も見向きもしてくれないので通り過ぎた。だが、その先へ進んでも何もなさそうだった。しゃーないなぁ、と私は回れ右をした。
また戻ってきたが、マージャン中の女の子たちは相変わらず客になるかもしれない通行人に関心がない。昼下がりの客の少ない時間帯なので、休憩がてらのんびり気晴らしをしているようで勤労意欲のかけらもない。
開け放たれたドアを通して見ると、中では客が二人ベッドにうつぶせになってマッサージをしてもらっている。表は全面硝子の窓で、中は明るくオープンな感じだ。これなら安全だろう、と私は踏んだ。
とは言うものの、誰に声をかけていいものやらわからず、私は麻雀卓を見下して、ちょっと立ちすくんだ。
その時、マージャンを打たずに見物していたひとりの浅黒い肌の大きな目をした女の子がふと頭をあげ、私と視線が合った。
「マッサージ?」
と女の子は聞いてきた。
「洗脚やってる?」
私が訊ねると、その女の子は立ち上がり、
「中に入ってよ」
私の返答を待たずにさっさと中に入っていった。
小陳(シャオチェン)との遭遇である。