これは昨年のクリスマスのことだが、中環にある三聯書店で何気なく「愛上珈琲」(コーヒーに魅せられて)という本をぺらぺらめくっていて、ふと値段を見ると定価が35ドルとあった。
な、なんだとー!
装丁といい、紙質の良さ、それに写真の多さといい、これで35ドルとは安すぎるではないか。しかも、それは割引値段のシールではなくて本に印刷してある値段だった。これなら普通100ドル以上するはずだ。いったいどうなってるんだ。
しかし、頭に上った血が徐々に引いて冷静になってみると、それは簡体字で書かれていた。つまり大陸で出版された本だったのである。どうりで値段が安いはずだ。
私たち日本人の大部分は中国語というと普通話であり、簡体字で習う。私もそうだったし、そのため繁体字に慣れるには少々時間がかかった。しかし、慣れてしまうと繁体字の方が好きになり、繁体字の縦書きでなきゃ中国語じゃない、とまで言うようになってしまった。
香港の友人には簡体字が読めないというやつだっているのだから、私はいわば両刀使いなわけだ。
また、もともと簡体字が読めるものだから、何気なく手にとって読んでいるぶんには意味がするする入るため、その時は間抜けなことに簡体字で書かれていることに気がつかなかったのである。
以前なら、大陸の本は表紙は薄く、紙質も悪かった。装丁にしても愛想のないことおびただしい。だから一目見ればそれが大陸のものか香港や台湾で出版されたものかがわかったものだ。これはやはり大陸の経済発展の賜物ではあるだろう。
しかし、本というものは中身が勝負だし、安ければいいというものではない。大陸では出版できないものなら香港や台湾で出版された繁体字の値段の高い本でも読者の需要さえあれば売れ行きということでは別に問題はないだろうし、住み分けは可能だろうと私は考えていた。
例えば、「ワイルドスワン」を書いた張戎が毛沢東を批判的に書いた「毛澤東―鮮為人知的故事」(毛沢東―知られざる物語)などはやはり大陸では印刷も出版も難しいだろうから、私が買ったのは香港で印刷され出版されたものだ。
みんなが跑馬地の入り口に新しくできた新華書城は本が安いから、行け行けと口々に言うため、本ばかりは安けりゃいいものじゃない、と考えつつも行ってみた。4階建ての香港としてはかなり規模の大きなそこでは大陸の出版物にかなり重きを置いた販売をしていた。
ところが、である。これは別の店での話だが日本の妹尾河童の翻訳本が売られていたのでつい買ってみた。「工作大不同」という本だが、これは多分「河童が覗いた50人の仕事場」で、そして新華書城では「河童旅行素描本」、つまり「河童のスケッチブック」を発見した。
ここが、ところが、なのだが、台湾版の「工作大不同」は385ページで116ドルだったが、大陸版の「河童のスケッチブック」は250ページで定価18ドルなのだ。もちろん大陸版は簡体字で書かれている。
現在中国元と香港ドルは逆転し、元の方が高くなっているが、それでも大雑把に言って1対1だろう。確かに「工作不同」は135ページ多いから、分量だけで計算すると、「河童のスケッチブック」は約65パーセントの分量となり、台湾版の116ドルを元に計算すれば75.4ドルになるはずである。
まぁものがものだけに分量だけで計算するのは問題なのだが、しかし、値段の格差の違いは明らかだ。しかも本自体の質には差がなく、ただ繁体字か簡体字かの違いだけしかない。
そして「河童のスケッチブック」をめくっていて突然「欧巴桑」という文字が目に飛び込んできた。
こ、これは「おばさん」ではないか。日本が台湾を占領していた時代に残った言葉の一つである。えっ、もう大陸にもこの「おばさん」が中国語として浸透してしまっていたのか。し、知らなかった。この驚愕の事実に私は打ちのめされた。多少なりとも中国通を自負していたが、もうその看板は下ろさねばならない。
ところが、またところがなのだが、表紙の裏に小さな文字で「本書の訳文は台湾の遠流出版事業株式会社より権利を譲渡され使用しているものである」と書いてあった。
つまり、もともとは台湾の遠流出版が版権を買って翻訳し、その中国語を大陸の出版社がただ単にそのまま簡体字に組みなおして大陸で印刷し出版しただけだったのである。それが、めぐりめぐって香港に入ってきたわけなのだ。
それにしても、大陸の読者は「欧巴桑」なんてなんのこっちゃわからなかったのではあるまいか。実にいい加減といえばいい加減。おおらかといえばおおらかなことではある。
だが、確かに今の香港の大人は簡体字にはなじんでいないが、子供たちはもう学校で普通話の授業がある。大陸との往来は日を追うごとに増している。7月26日のテレビのニュースでは、深圳の住民200万人に香港への自由往来のパスを与えてはどうかという案が検討されようとしていると報道されていた。
さらに、毎日200人が移民として移動してきているし、大学も大陸の優秀な学生を入学させようとあれこれ努力している。
今後簡体字を読める、あるいは簡体字にさほど違和感を覚えないという人もどんどん増えるだろう。台湾でさえ簡体字の本が売られるようになったとも聞く。香港で出版される本でも繁体字であっても横書きのものがどんどん増えてきている。
もし、大陸の出版社が日本の版権を直接買えるなら、印刷製本のコストはかなり低く抑えることができだろう。それに今後は香港でも簡体字に違和感を覚えない人の数もどんどん増え続ける一方に違いない。大陸ばかりでなく香港や台湾に安い値段で卸されれば、台湾の日本語翻訳本の出版社は太刀打ちできないだろうし、印刷製本業者の商売もあがったりということになる。
さらに、もし大陸の自由化がもっと進み、発禁処分を受ける本がもっと減れば、安くて面白い本がもっともっと入ってくるようになるだろう。私の好きな「縦書き繁体字の本」の命運ももう風前の灯なのかもしれない。
本というものは単なる商品ではないにしろ、こんな側面からも大陸と香港台湾との関係がじわじわと変わっていることが身に沁みてわかってくる今日この頃である。
な、なんだとー!
装丁といい、紙質の良さ、それに写真の多さといい、これで35ドルとは安すぎるではないか。しかも、それは割引値段のシールではなくて本に印刷してある値段だった。これなら普通100ドル以上するはずだ。いったいどうなってるんだ。
しかし、頭に上った血が徐々に引いて冷静になってみると、それは簡体字で書かれていた。つまり大陸で出版された本だったのである。どうりで値段が安いはずだ。
私たち日本人の大部分は中国語というと普通話であり、簡体字で習う。私もそうだったし、そのため繁体字に慣れるには少々時間がかかった。しかし、慣れてしまうと繁体字の方が好きになり、繁体字の縦書きでなきゃ中国語じゃない、とまで言うようになってしまった。
香港の友人には簡体字が読めないというやつだっているのだから、私はいわば両刀使いなわけだ。
また、もともと簡体字が読めるものだから、何気なく手にとって読んでいるぶんには意味がするする入るため、その時は間抜けなことに簡体字で書かれていることに気がつかなかったのである。
以前なら、大陸の本は表紙は薄く、紙質も悪かった。装丁にしても愛想のないことおびただしい。だから一目見ればそれが大陸のものか香港や台湾で出版されたものかがわかったものだ。これはやはり大陸の経済発展の賜物ではあるだろう。
しかし、本というものは中身が勝負だし、安ければいいというものではない。大陸では出版できないものなら香港や台湾で出版された繁体字の値段の高い本でも読者の需要さえあれば売れ行きということでは別に問題はないだろうし、住み分けは可能だろうと私は考えていた。
例えば、「ワイルドスワン」を書いた張戎が毛沢東を批判的に書いた「毛澤東―鮮為人知的故事」(毛沢東―知られざる物語)などはやはり大陸では印刷も出版も難しいだろうから、私が買ったのは香港で印刷され出版されたものだ。
みんなが跑馬地の入り口に新しくできた新華書城は本が安いから、行け行けと口々に言うため、本ばかりは安けりゃいいものじゃない、と考えつつも行ってみた。4階建ての香港としてはかなり規模の大きなそこでは大陸の出版物にかなり重きを置いた販売をしていた。
ところが、である。これは別の店での話だが日本の妹尾河童の翻訳本が売られていたのでつい買ってみた。「工作大不同」という本だが、これは多分「河童が覗いた50人の仕事場」で、そして新華書城では「河童旅行素描本」、つまり「河童のスケッチブック」を発見した。
ここが、ところが、なのだが、台湾版の「工作大不同」は385ページで116ドルだったが、大陸版の「河童のスケッチブック」は250ページで定価18ドルなのだ。もちろん大陸版は簡体字で書かれている。
現在中国元と香港ドルは逆転し、元の方が高くなっているが、それでも大雑把に言って1対1だろう。確かに「工作不同」は135ページ多いから、分量だけで計算すると、「河童のスケッチブック」は約65パーセントの分量となり、台湾版の116ドルを元に計算すれば75.4ドルになるはずである。
まぁものがものだけに分量だけで計算するのは問題なのだが、しかし、値段の格差の違いは明らかだ。しかも本自体の質には差がなく、ただ繁体字か簡体字かの違いだけしかない。
そして「河童のスケッチブック」をめくっていて突然「欧巴桑」という文字が目に飛び込んできた。
こ、これは「おばさん」ではないか。日本が台湾を占領していた時代に残った言葉の一つである。えっ、もう大陸にもこの「おばさん」が中国語として浸透してしまっていたのか。し、知らなかった。この驚愕の事実に私は打ちのめされた。多少なりとも中国通を自負していたが、もうその看板は下ろさねばならない。
ところが、またところがなのだが、表紙の裏に小さな文字で「本書の訳文は台湾の遠流出版事業株式会社より権利を譲渡され使用しているものである」と書いてあった。
つまり、もともとは台湾の遠流出版が版権を買って翻訳し、その中国語を大陸の出版社がただ単にそのまま簡体字に組みなおして大陸で印刷し出版しただけだったのである。それが、めぐりめぐって香港に入ってきたわけなのだ。
それにしても、大陸の読者は「欧巴桑」なんてなんのこっちゃわからなかったのではあるまいか。実にいい加減といえばいい加減。おおらかといえばおおらかなことではある。
だが、確かに今の香港の大人は簡体字にはなじんでいないが、子供たちはもう学校で普通話の授業がある。大陸との往来は日を追うごとに増している。7月26日のテレビのニュースでは、深圳の住民200万人に香港への自由往来のパスを与えてはどうかという案が検討されようとしていると報道されていた。
さらに、毎日200人が移民として移動してきているし、大学も大陸の優秀な学生を入学させようとあれこれ努力している。
今後簡体字を読める、あるいは簡体字にさほど違和感を覚えないという人もどんどん増えるだろう。台湾でさえ簡体字の本が売られるようになったとも聞く。香港で出版される本でも繁体字であっても横書きのものがどんどん増えてきている。
もし、大陸の出版社が日本の版権を直接買えるなら、印刷製本のコストはかなり低く抑えることができだろう。それに今後は香港でも簡体字に違和感を覚えない人の数もどんどん増え続ける一方に違いない。大陸ばかりでなく香港や台湾に安い値段で卸されれば、台湾の日本語翻訳本の出版社は太刀打ちできないだろうし、印刷製本業者の商売もあがったりということになる。
さらに、もし大陸の自由化がもっと進み、発禁処分を受ける本がもっと減れば、安くて面白い本がもっともっと入ってくるようになるだろう。私の好きな「縦書き繁体字の本」の命運ももう風前の灯なのかもしれない。
本というものは単なる商品ではないにしろ、こんな側面からも大陸と香港台湾との関係がじわじわと変わっていることが身に沁みてわかってくる今日この頃である。