インターネットは日進月歩で、今ミクシーというのが流行っているそうだが、メーリングリストはどうなってしまったのだろうか。とんと噂を聞かなくなったが、今でもやっている人はいるのだろうか。
私も昔香港好きの集まるメーリングリストに参加していたことがある。パソコンなど大の苦手の私がそのメーリングリストに参加したきっかけはもう忘れてしまったが。
だが、香港狂いの人たちとのメーリングリストでの情報交換や交流は面白かったし、若い人たちからインターネットのことについて教えてもらったのは本当にありがたかった。
私が今もメールソフトのBecky!を使い続けているのは、そのメーリングリストの影響であり、思い入れでもある。
そのメーリングリストは、インターネットがまださほど普及していなかったために相互扶助的な雰囲気があった牧歌的なネット時代と、爆発的に普及し始める時期との狭間にあったと思う。エチケットとネットを組み合わせた「ネチケット」などという言葉がまだ生真面目に語られていた頃だ。
しかし、現在問題になっている匿名性を利用した悪意ある言動や攻撃の氾濫の兆し、あるいはプライバシーの保護の重要性の問題もそこで実体験した。
書き言葉というものは、実際にしゃべるよりはるかに強いインパクトを持つ。だから、気をつけないと、ほんの些細な言い回しが原因で相手がこちらの意図を誤解して、非難、ひいては攻撃されていると受け取ってしまうことがしばしば起こってしまう。今盛んに使われている絵文字はその緩衝材の役目をしているのではないかと私は考えている。
メーリングリスト上でわずかな意見の違いから、罵詈雑言、誹謗中傷が飛び交うのを目の当たりにしてあ然としてしまったことは何度もあった。ちょっとした反論を非難ととらえ、怒りの文章を返す、すると返された相手も、さらに強い調子で反駁し、論戦はエスカレートしてどちらかが怒って脱退するまで続く、といった具合だ。
若い女の子が「てめえ、頭のネジが2、3本ぶっ飛んでんのじゃねえのかあ!」などと書いたメールを配信したりする。
おそらく、その女の子も面と向かって話をするなら、こんな言葉はさすがに使わないだろう。相手の顔が見えない、ハンドルネームを使った匿名性の世界だからこそ、そこまで突き進んでしまう。そして、それは今のネット上で日常的に起こっていることだ。
私自身オフ会の連絡をしようと慌ててしまい、ある人の携帯番号をメールで全員に発信してしまうという大失態を演じてしまい、お目玉を食らったこともある。
オフ会で実際に会ってみると、メールではあれほど多弁でユーモラスな人が、実際はひどく無口ではにかみやだという正反対の顔をした人だったりしたことも珍しいことではなかった。
けれど、オフ会でそれまで顔を知らなかった者同士が、同じ趣味という共通項でつながり、盛り上がるのは実に楽しい経験だった。
そのメーリングリストはある会員が会則に違反した内容のメールを繰り返し発信したために大論争なり、ついに管理人が閉鎖を宣言して終わりとなった。
大げさに聞こえるかもしれないが、私はそこでかなり早い段階でインターネットの光と影を体験することができた、と言っていいと思っている。
それもこれもずっと時間がたった今となっては懐かしい思い出だけれども。
をっと、(この「を」の使い方もそれこそそこで勉強したひとつだ)話が大幅にそれてしまった。
実は今回「紅白藍袋外史」というエッセーを訳そうと思うのだが、この「紅白藍袋」とは、あの安物だが極めて丈夫な赤と青と白の縞模様をしたビニール袋のことだ。
大陸の人がパンパンに膨れたそのビニール袋をいくつも抱えて羅湖の税関を通って香港へやってきたり、逆に一目見て大陸の人らしいと分かる風体の人たちが、香港で買った物をいっぱい詰め込んだその袋を羅湖へ向かうKCRの車内の床にいくつも置いて、放心したような目で車外を眺めている、といったイメージが私たち夫婦にはあり、そこでその袋を「チャイナの袋」と呼んでいた。
だが、例のメーリングリストでは、香港駐在者などは「アマさんの袋」と呼んでいたのである。「アマ」とは多分「阿媽」と書くのだろうが、おそらく香港在住者の家にいるお手伝いさんの意味だろう。
私は最近このエッセーを読んで初めてそのビニール袋の「正式名称」を知ったというわけで、これはいっちょう訳さねばなるまい、と思い立った次第だ。実は、まぁ要するにそれだけの話である。
とある知人が、このブログは話がくどくど長い、と言っていたが、今回もだらだらと長くなってしまった。
私も昔香港好きの集まるメーリングリストに参加していたことがある。パソコンなど大の苦手の私がそのメーリングリストに参加したきっかけはもう忘れてしまったが。
だが、香港狂いの人たちとのメーリングリストでの情報交換や交流は面白かったし、若い人たちからインターネットのことについて教えてもらったのは本当にありがたかった。
私が今もメールソフトのBecky!を使い続けているのは、そのメーリングリストの影響であり、思い入れでもある。
そのメーリングリストは、インターネットがまださほど普及していなかったために相互扶助的な雰囲気があった牧歌的なネット時代と、爆発的に普及し始める時期との狭間にあったと思う。エチケットとネットを組み合わせた「ネチケット」などという言葉がまだ生真面目に語られていた頃だ。
しかし、現在問題になっている匿名性を利用した悪意ある言動や攻撃の氾濫の兆し、あるいはプライバシーの保護の重要性の問題もそこで実体験した。
書き言葉というものは、実際にしゃべるよりはるかに強いインパクトを持つ。だから、気をつけないと、ほんの些細な言い回しが原因で相手がこちらの意図を誤解して、非難、ひいては攻撃されていると受け取ってしまうことがしばしば起こってしまう。今盛んに使われている絵文字はその緩衝材の役目をしているのではないかと私は考えている。
メーリングリスト上でわずかな意見の違いから、罵詈雑言、誹謗中傷が飛び交うのを目の当たりにしてあ然としてしまったことは何度もあった。ちょっとした反論を非難ととらえ、怒りの文章を返す、すると返された相手も、さらに強い調子で反駁し、論戦はエスカレートしてどちらかが怒って脱退するまで続く、といった具合だ。
若い女の子が「てめえ、頭のネジが2、3本ぶっ飛んでんのじゃねえのかあ!」などと書いたメールを配信したりする。
おそらく、その女の子も面と向かって話をするなら、こんな言葉はさすがに使わないだろう。相手の顔が見えない、ハンドルネームを使った匿名性の世界だからこそ、そこまで突き進んでしまう。そして、それは今のネット上で日常的に起こっていることだ。
私自身オフ会の連絡をしようと慌ててしまい、ある人の携帯番号をメールで全員に発信してしまうという大失態を演じてしまい、お目玉を食らったこともある。
オフ会で実際に会ってみると、メールではあれほど多弁でユーモラスな人が、実際はひどく無口ではにかみやだという正反対の顔をした人だったりしたことも珍しいことではなかった。
けれど、オフ会でそれまで顔を知らなかった者同士が、同じ趣味という共通項でつながり、盛り上がるのは実に楽しい経験だった。
そのメーリングリストはある会員が会則に違反した内容のメールを繰り返し発信したために大論争なり、ついに管理人が閉鎖を宣言して終わりとなった。
大げさに聞こえるかもしれないが、私はそこでかなり早い段階でインターネットの光と影を体験することができた、と言っていいと思っている。
それもこれもずっと時間がたった今となっては懐かしい思い出だけれども。
をっと、(この「を」の使い方もそれこそそこで勉強したひとつだ)話が大幅にそれてしまった。
実は今回「紅白藍袋外史」というエッセーを訳そうと思うのだが、この「紅白藍袋」とは、あの安物だが極めて丈夫な赤と青と白の縞模様をしたビニール袋のことだ。
大陸の人がパンパンに膨れたそのビニール袋をいくつも抱えて羅湖の税関を通って香港へやってきたり、逆に一目見て大陸の人らしいと分かる風体の人たちが、香港で買った物をいっぱい詰め込んだその袋を羅湖へ向かうKCRの車内の床にいくつも置いて、放心したような目で車外を眺めている、といったイメージが私たち夫婦にはあり、そこでその袋を「チャイナの袋」と呼んでいた。
だが、例のメーリングリストでは、香港駐在者などは「アマさんの袋」と呼んでいたのである。「アマ」とは多分「阿媽」と書くのだろうが、おそらく香港在住者の家にいるお手伝いさんの意味だろう。
私は最近このエッセーを読んで初めてそのビニール袋の「正式名称」を知ったというわけで、これはいっちょう訳さねばなるまい、と思い立った次第だ。実は、まぁ要するにそれだけの話である。
とある知人が、このブログは話がくどくど長い、と言っていたが、今回もだらだらと長くなってしまった。