10年経った
月日はあっという間に過ぎていくという
一言はなんだか軽軽しく感じられる
わたしは10年前の阪神淡路大震災を体験していない
ちょうどインドにいた。
一年の旅の途中だった。
インドの最南端のケララ州から列車を何日か乗り継いで
カルカッタからタイへ戻る飛行機に乗る時だった。
カルカッタの街を歩きながらなんだか気分が悪かった。
胸がムカムカそわそわする感じだった。
早朝ゲストハウスを出発しタクシーに乗って空港に向かった。
そこで自分の乗るはずの飛行機が曜日変更になったことを知るはめに。
ちょうどヨーガアシュラムで過ごす前にリコンファームしていたので
その後、曜日が変更したらしい。
航空会社の人に訴えまくってホテルを用意してもらった。
(何か月ぶりに湯船につかった!!!)
そのホテルのレストランでウェイターに地震のことを教えてもらったのだ。
そして10年が経った
去年の春からまたひさしぶりに長期に渡って日本を出ようと思っていた。
でも冬の終わりから春にかけて何度も倒れたりとかなり不安定な状態だったこともあって,ちょっと躊躇していた。
今はその時ではないのかなと予定を変更し、大阪で過ごすことにした。
自分の活動にエネルギーを注ぐことで生き返ってきたし
日々のいろんなことに感謝を感じられる毎日を過ごせたことがうれしく
いい選択をしたと納得していた。
そんな時にスマトラ沖大地震が起きた。
はっとした
本能で避けていたのかもしれない
意味のない不安感や、踏み出せないこと
それは予感であることもあるのだ
去年たぶん初めてわたしにとっては大きめな地震を感じた
ちょうど豊中のスペース草さんで、堀尾貞治さんの地震がテーマの展覧会を見た後のことだった。
ちょうど妹とふたりでうどんやさんにいた時に空間が揺れ出した。
お店の中で動揺してたのはわたしの妹だけだった。
みんな地震のことを口にはするけれども
まったく気にかけてないみたいだった。
何も起こってないかのように食事したり話したりしている。
お店の人も同様。
揺れはかなりひどくなり、縦に揺れているのが感じられた。
妹はおびえて泣き出した
わたしには分からなかった。
恐れをしらない赤ちゃんのようにわたしには分からなかった。
目の前の妹がそんなにおびえていることのほうが衝撃的だった。
そばで手をにぎることしかできなかった。
わたしの敬愛するアーティストの東野健一さんは
絵巻紙芝居師として有名なのだが
彼の作品で地震をテーマにしたものがある。
なまずが出てくるお話だ。
この大地をなまずが支えてくれている。
そのなまずに対して感謝の気持ちを忘れた時に起こるのが地震だから、
いつもなまずのことを忘れないようにしようというメッセージが心に残る。
この一瞬一瞬
畏敬の念をこころのどこかに
そして微笑みと笑いも絶えさぬように
月日はあっという間に過ぎていくという
一言はなんだか軽軽しく感じられる
わたしは10年前の阪神淡路大震災を体験していない
ちょうどインドにいた。
一年の旅の途中だった。
インドの最南端のケララ州から列車を何日か乗り継いで
カルカッタからタイへ戻る飛行機に乗る時だった。
カルカッタの街を歩きながらなんだか気分が悪かった。
胸がムカムカそわそわする感じだった。
早朝ゲストハウスを出発しタクシーに乗って空港に向かった。
そこで自分の乗るはずの飛行機が曜日変更になったことを知るはめに。
ちょうどヨーガアシュラムで過ごす前にリコンファームしていたので
その後、曜日が変更したらしい。
航空会社の人に訴えまくってホテルを用意してもらった。
(何か月ぶりに湯船につかった!!!)
そのホテルのレストランでウェイターに地震のことを教えてもらったのだ。
そして10年が経った
去年の春からまたひさしぶりに長期に渡って日本を出ようと思っていた。
でも冬の終わりから春にかけて何度も倒れたりとかなり不安定な状態だったこともあって,ちょっと躊躇していた。
今はその時ではないのかなと予定を変更し、大阪で過ごすことにした。
自分の活動にエネルギーを注ぐことで生き返ってきたし
日々のいろんなことに感謝を感じられる毎日を過ごせたことがうれしく
いい選択をしたと納得していた。
そんな時にスマトラ沖大地震が起きた。
はっとした
本能で避けていたのかもしれない
意味のない不安感や、踏み出せないこと
それは予感であることもあるのだ
去年たぶん初めてわたしにとっては大きめな地震を感じた
ちょうど豊中のスペース草さんで、堀尾貞治さんの地震がテーマの展覧会を見た後のことだった。
ちょうど妹とふたりでうどんやさんにいた時に空間が揺れ出した。
お店の中で動揺してたのはわたしの妹だけだった。
みんな地震のことを口にはするけれども
まったく気にかけてないみたいだった。
何も起こってないかのように食事したり話したりしている。
お店の人も同様。
揺れはかなりひどくなり、縦に揺れているのが感じられた。
妹はおびえて泣き出した
わたしには分からなかった。
恐れをしらない赤ちゃんのようにわたしには分からなかった。
目の前の妹がそんなにおびえていることのほうが衝撃的だった。
そばで手をにぎることしかできなかった。
わたしの敬愛するアーティストの東野健一さんは
絵巻紙芝居師として有名なのだが
彼の作品で地震をテーマにしたものがある。
なまずが出てくるお話だ。
この大地をなまずが支えてくれている。
そのなまずに対して感謝の気持ちを忘れた時に起こるのが地震だから、
いつもなまずのことを忘れないようにしようというメッセージが心に残る。
この一瞬一瞬
畏敬の念をこころのどこかに
そして微笑みと笑いも絶えさぬように
我が家(東淀川区)はほとんど無傷だった。虫の知らせという言葉があるが、危険からのがれてるらしい。その友達も三ヶ月前は神戸の六甲道に住んでいたのだから、難を逃れることができたのだと思う。
今住んでる家はどうなのか。まだ築後三年だから心配はしてないけれど、海が近いだけに津波のひどいのが来たらヤバイかもしれない。家にいるときに地震が起きるわけじゃないし。いろいろ想像すると安全なところは少ないと思う。生かされてるという気持ちは歳とともに強く感じている。
死んでいたかも知れないと思うような目に何度も会ってるから。
「あかりついとうよー」
「この家あかりついとうねんてー」
あかり、ついとうよー。
ついとうよー。
あたたかい何かでつながっていけることを願ってるわあ。
まずは自分に灯りをつけることなんやろね。