山崎元の「会社と社会の歩き方」

獨協大学経済学部特任教授の山崎元です。このブログは私が担当する「会社と社会の歩き方」の資料と補足を提供します。

【秋学期 11回目】 「内部告発」で組織人の倫理を考える

2010-12-08 19:41:49 | 講義資料
 世間ではウィキリークスが話題になっていることでもあり、今回は、「内部告発」の問題を取り上げて、組織人(会社員・公務員等)にとっての倫理の問題を考えてみたい。
(1)リーク報道についてどう考えるか、
(2)個人の正義感と組織人としての立場をどう整理するか、
(3)自分が当事者になった場合どう判断すればいいか、
の三つの問題意識を持って考えてみて欲しい。
 実は、私も、ウィキリークスのような大きな問題には発展しなかったが、内部告発に関わったことがあるので、授業ではその際の話もする予定だ。

 以下は、内部告発について考えるための参考素材だ。何れも、私が「ダイヤモンド・オンライン」(私の連載のバックナンバーは、http://diamond.jp/category/s-yamazaki)に書いた原稿だ。

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★『リーク報道は新しいジャーナリズムなのか?』』

<面白い情報はリークから>

 ここのところ、興味深い報道の多くが何らかの「リーク」によるものだ。
 もちろん、その筆頭は連日のように新たな重要事実が報道されるウィキリークスだ。米軍ヘリからの民間人への銃撃映像は衝撃的だった。各国首脳への赤裸々な酷評も、報道価値に多少の疑問があるとしても、外交の現実を垣間見させてくれる面白さがあった。決して、報道価値ゼロの内容ではない。
 アフガン政府に対するアメリカのクラスター爆弾使用要求や、情報機関に対してアメリカ政府が国連職員や海外外交官に関する個人情報収集を指示したといった、政府の逸脱的行為に対する報道は、権力のチェックを行うべきジャーナリズムのアウトプットとして本来高く評価できるものだ。
 ウィキリークスによる秘密文書大量公表を「情報版の911テロ」とテロになぞらえる向きがあるが、政府の非合法行為に関わる情報公開の本質はむしろウォーターゲート事件に近い。ウィキリークスが情報の門を開けたという意味も込めて「ウィキ・ゲート事件」とでも名付けたらいいのではないか。
 我が国でも、公安警察の人権侵害的とも思える活動が情報流出の形で明らかになった。また、その行動に対して賛否両論があるとしても、尖閣諸島沖での中国漁船と我が国巡視船の衝突の映像は一海上保安官の動画ネット投稿によって、多くの国民の目に触れることになった。
 日頃はインターネット嫌いで、ネットの情報には責任を伴った信憑性が乏しいなどと述べることの多いテレビ局が、「sengoku38」の投稿による映像を繰り返し長時間放映する様子は、報道における主役の交代を象徴しているようにさえ思われた。
 アメリカでさえニューヨーク・タイムスといった主要メディアがウィキリークス発の情報を無視できないし、他人の情報を報じることを割合恥じない日本のメディアは、連日ウィキリークス関連の情報を報じている。
 一方、日本の新聞、テレビは、よく見るほどに相変わらず記者クラブ経由の官製情報が中心だし、与野党共に緊張感を欠く、政治家の「いかにもありそうなこぼれ話」的な観測記事などを読んでもさっぱり面白くない。リーク情報と既存メディアを、善悪は別として、コンテンツとしての魅力で評価すると、話にならにくらいの大差で前者の勝ちだ。

<リークの善悪に揺れる世論>

 一方、リーク情報に関する善悪の判断については、我が国でも、外国でも、人々の間に迷いがある。
 尖閣沖の動画を投稿した海上保安官に関しては、彼の行動こそ愛国的だと賛美する声もあれば、一定の武力をも持つ海上保安庁の公務員が職場のルールを逸脱していることを戦前の軍部の暴走になぞらえて危険視し、これを厳しく処断すべきだという議論もある。
 ウィキリークスに関して、アメリカ国民は、今のところかなり批判的だ。民間調査会社ゾグビーが行った調査によると「ウィキリークスは安全保障上の脅威だと思うか」という質問に対して77%が肯定的に答えている。
 米政府としては、「海外で働く米兵の安全」を脅かす可能性があることを強調して、反ウィキリークスの世論を喚起したいはずだ。世論が十分に批判に傾いていない段階でジュリアン・アサンジ氏の逮捕等の表だって強権的なウィキリークス潰しに出ると、追加でさらに致命的な情報が流出する可能性もあり、政権に批判の矛先が向かう可能性がある。
 クリントン国務長官は、「ウィキリークスの情報公開には偏向が含まれている可能性もあるので注意すべきだ」という微妙な言い回しでウィキリークスを牽制している。これは、「権力のチェック」がジャーナリズムの重要な機能の一つであることを踏まえた、慎重な物言いだ。単に「違法行為だ」と批判の声を上げた、我が国の前原外務大臣と比較すると、思慮と悩みの深さには大人と子供くらいの差がありそうだ。

<大事な論点は複数ある>

 ことを善悪の判断に限っても、リーク情報問題には、複数の論点がある。「ウィキリークスは、いいのか悪いのか?」といった大雑把な問題だけを立てると、肝心な問題を幾つも見落とすことになる。
 肝心な問題とは何か。
 ウィキリークスの問題でいうと、ウィキリークスが外交機密に当たる情報を公開していることよりも、そもそも情報が漏れるような体制であった米政府の情報管理責任の方が遙かに大きな問題だ。機密情報に関して、こんなに間抜けな管理がまともなはずがない。
 米政府はウィキリークスに対する圧迫を強めるだろうし、今後、アサンジ代表が逮捕・訴追される可能性もある。情報提供者に対して違法行為を教唆しているという点での非倫理性が、確かにウィキリークスにはある。しかし、そうした情報収集行為はそもそも既存のジャーナリズムが行ってきたことでもある。その正否を、目的の善し悪しを含めて、社会的に判断してきたのが、アメリカの伝統だった。
 圧倒的に非があるのは、国務省をはじめとするアメリカ政府だ。アメリカの国益が損なわれ、海外の米兵が危険に晒されたのだとすれば、その第一の責任は、ウィキリークスよりも、アメリカ政府にある。本件に関しては、クリントン国務長官が引責辞任して当然だと筆者は思うのだが、さて、今後の推移はどうなるのだろうか。
 我が国の公安警察の情報流出も大問題だ。当局は、流出した情報が自らのものであることについて曖昧にしたまま、自らを被害者として、情報漏洩のルートに関して捜査を開始した。
 捜査すること自体は良かろう。しかし、真の被害者は、個人情報を不当に晒された人達なのだ。警察当局は先ず自分たちの非を認めて、被害者の救済に全力を挙げるべきだ。もちろん、情報の管理責任も問われるべきだし、過去及び現在の公安情報収集活動自体の適切性も検証されるべきだ。
 もちろん、情報漏洩者の法律上の問題は別個に存在する。これは、否定できないし、無視すべきではない。但し、社会の倫理の問題としては、彼らの行為が正しいのか否かについて、情報の内容、告発の目的などの点も含めて総合的に評価すべきだろう。
 いかにも野暮だが、あえて箇条書きにまとめると、
① リークの対象になった政府その他の行動の正否、
② 上記を公開し晒す行為の公益性、
③ 情報の取得と公開にあたってルールを逸脱することの罪の軽重、
④ リークがなかった場合の既存メディアの行動、
といった複数の論点があり、全てが個々に重要だ。
 日本の既存メディアは、行為の主体(「sengoku38」にしても「ホリエモン」にしても「小泉純一郎」にしても)の善悪を一方に決めつけて、全て「善い」か「悪い」の文脈で物事を伝えようとする傾向があるが、こうした短時間のテレビ番組的な決めつけでは、問題を的確にとらえることができない。
 尖閣沖の問題で考えると、以下のような整理になろう。
① そもそも事実はどうで、何が問題だったのか。特に、独自のルートで中国と裏交渉したといわれる日本政府の行動は適切だったのか。
② 衝突のビデオを国民一般に知らせることに公益性はあるか。
③ 情報を流した海上保安官の行為をどの程度悪い逸脱行為だと見るか。
④ 海上保安官が情報を公開しなかった場合に代替的な事実を知るための手段があったか(論理的には、「一般国民に事実を知らせる必要はない」という議論もあり得る)。
 情報を流出した海上保安官への社会的評価は、②、③、④を総合的に評価することによって決まるものだろう。②や④だけを評価するのはアンバランスだし、少なくとも海上保安官は身分的に自由意志が認められていない奴隷のような存在ではないのだから③だけで総合的に「悪い」と決めつけるわけにはいかない。当たり前の話だ。

<日・米メディアのちがい>

 リーク問題の推移を見ると、我が国の既存大手メディア、端的にいって記者クラブ所属のメディアのあり方について考えざるを得ない。
 記者クラブに所属し、政府や自治体から、便宜を受けると共に情報の提供も受ける我が国のメディアについて考えると、そもそも「ジャーナリズムとしての権力のチェック」を期待することが非現実的だ。
 彼らは、一つには記事を広く且つ高く売りたいビジネスの従事者だし、社内で評価を受け出世するにはどうしたらいいかと悩む一サラリーマンにすぎない。この点を踏まえると、彼らにとっては、取材源である政府その他と対立しない方が、仕事もやりやすいし、社内で出世もしやすい場合が多かろう。記事のジャーナリズム的価値よりも、社内出世や年金、退職金などを重視して入手した事実の報道に自主規制が掛かる記者個人は、特にメディアでも長期雇用が前提で、給与水準も(年金も)悪くない我が国では「普通」だろう。彼らに、純粋なジャーナリズム的価値観を期待するのは愚かだ。
 メディアの人々がネットの情報との対比でよく問題にする、会社や媒体の信用や、ひいては記者の信用と生活を掛けた記事の信憑性は、記者クラブがはびこる我が国の場合、むしろジャーナリストが権力のチェックを行えないことの理由になっている。
 そして、近年、主にネットの普及によって、大手メディアから情報を発信できる人でなくとも、重要情報を持った個人は、その情報を広く一般に周知する手段を持つようになった。
 この際重要なことは、職業ジャーナリストだけが特権階級として、情報を公開し世に問う権利を持っているのではないということだ。
 新聞記者などの取材にも、公務員に対して情報の漏洩を教唆する行為が含まれる。しかし、その行為に対する最終的な評価は公益性等の報道の目的を含めて総合的に評価される。ウィキリークスであっても、sengoku38であっても、ごく一般の一個人であるとしても、最終的な善悪が問われるのは、こうした文脈においてであるべきだ。もちろん、情報発信先の範囲が広いことに対しては、相応に大きな責任が伴うことも、大手メディアの記者と全く一緒だ。
 残念ながら、日本にはまだウィキリークスのような情報発信者は存在しないが、ジャーナリズムは一部の既存メディアの独占物ではない。
 それにしても、多くの優秀な人材を擁し(←皮肉も少しありますが)、多大なコストを掛けながら、記者クラブに依存したメディアの流す情報の何とツマラナイことだろうか。このツマラナさは、現実に対して大きな影響力を持っている。

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 以下も、「ダイヤモンド・オンライン」に向けて私(山崎元)が書いた原稿だ。会社の中で社内のルールに基づいた内部告発を行い、その結果、不適切に扱われている社員の問題を取り上げている。(http://diamond.jp/articles/-/1497)
 皆さんが、この社員の立場だったら、どうするだろうか?考えてみて欲しい。

<先ず、会社の不正行為を知った時点で>
① 内部告発はしない
② この社員と同じような内部告発をする
③ 別の方法で内部告発を行う

<会社に不当に扱われた時点で>
① 会社とは争わない
② この社員と同様に会社と法的に争う
③ 別の手段を採る

★『オリンパスのケースに見る内部告発者の悲惨な現状』

 経済、政治に大きなニュースはあるのだが、今回は、別の問題を取り上げる。2月27日の各紙で報道された、内部告発の問題だ。

一番詳しく報じていた読売新聞(27日朝刊)の記事に基づいて内容をざっと伝えると、東証1部上場の精密機器メーカー「オリンパス」の男性社員が、社内のコンプライアンス通報窓口に上司に関する告発をした結果、配置転換などの制裁を受けたとして、近く東京弁護士会に人権救済を申し立てるという。

告発の内容は、浜田正晴さん(48歳。申し立てを行っているとして既に実名報道されている)が大手鉄鋼メーカー向けに精密検査システムの販売を担当していた2007年4月、取引先から機密情報を知る社員を引き抜こうとする社内の動きを知った。浜田さんは不正競争防止法違反(営業秘密の侵害)の可能性があると判断し、当初は上司に懸念を伝えたが、聞き入れられなかったため、この件を、同年6月にオリンパス社内に設置されている「コンプライアンスヘルプライン室」に通報したという。

 記事によると、オリンパスは、浜田さんの告発を受けて、相手側の取引先に謝罪したという。謝ったということは、浜田さんが告発した内容そのものについては「不正競争防止法違反」の可能性があると判断し、悪いことだと認めたということだろう。

 しかし、告発した浜田さんのその後のが、何ともやり切れない。読売新聞の記事によると、オリンパスのコンプライアンス窓口の責任者は、浜田さんとのメールを、不正の当該部署の上司と人事部にも送信した(先ずは、ここがまずい)。約2か月後、浜田さんは、なんとその上司の管轄する別セクションに異動を言い渡された。配属先は畑違いの技術系の職場で、現在まで約1年半、部署外の人間と許可なく連絡を取ることを禁じられ、資料整理しか仕事が与えられない状況に置かれているという。人事評価も、長期病欠者並の低評価だという。

浜田さんは昨年2月、オリンパスと上司に対し異動の取り消しなどを求め東京地裁に提訴し、係争中だ。窓口の責任者が「機密保持の約束を守らずに、メールを配信してしまいました」と浜田さんに謝罪するメールも証拠として提出されたというが、オリンパス広報IR室は「本人の了解を得て上司などにメールした。異動は本人の適性を考えたもので、評価は通報への報復ではない」とコメントしている。

 常識的に判断するかぎり、コンプライアンス窓口に通報する社員が、相手に対して自分が通報者だと通知することを了解するとは考えにくい。これは、オリンパスの説明のほうに無理があるのではないか。

 2006年4月に施行された「公益通報者保護法」に関する内閣府の運用指針には、通報者の秘密保持の徹底のほか、仮に通報者が特定されるようなことがあっても、通報者が解雇されたり、不当な扱いを受けたりすることがないようにと明記されている。また、読売新聞によると、オリンパスの社内規則でも、通報者が特定される情報開示を窓口担当者に禁じているという。記事を読む限り、オリンパスは、内閣府の運用指針も自社の社内規則も尊重していない。

 オリンパスにとって、この内部告発は会社の利益になったと考えられる。取引先から機密情報を知る社員を本当に引き抜き、後々明るみに出たら、不正競争防止法違反になって、もっと大きな問題となったかもしれない。そう思ったからこそ、オリンパスは“引き抜き”を止めたのだろうし、後々問題化すると困るから相手側に謝罪したのだろう(ところで、本筋には関係ないが、この「引き抜かれなかった社員」のその後も気になる)。それなのに、浜田さんに対するこの扱いは釈然としない

 このオリンパスのケースに限らず、企業社会の現実として、内部告発者が不当に扱われることは十分にあり得る話だ。たとえば、ある上司をセクハラで訴えたら、その上司が会社で重宝されている人だったために、訴えたほうが最終的には会社にいられなくなるように追い込まれたといった、とんでもない話を聞いたこともある。

 読者への率直な忠告としては、まず会社のコンプライアンス窓口やいわゆる目安箱的制度を簡単に信用してはいけない、と申し上げておこう。

 問題を起こしている当事者や責任者が、会社の中で有力者だった場合、通報窓口が裏切る可能性を覚悟しておくべきだ(いかにいけないことだとしても、現実に起こりうる)。その際に、どうするかも考えてから告発を行うべきだ。

 徹底的に不正を止めるつもりなら、メディアに告発するなど、次の手段も検討しておきたい。ただ、そこまでやる場合には、自分の職業人生をどうするかも考えておく必要がある。転職などの「退路」を準備しなければならない場合もあるだろう。

 会社のコンプライアンス窓口に自ら名乗り出る以外の告発の手段も検討しておこう。コンプライアンスの窓口なり社長室なりに対して匿名で、あるいは外部者を装って告発をして、様子を見る手もある。また、一般論として、そういう不正のケースがあるということを、マスコミに書かせる選択肢もある。上手く行くと、問題の人物や組織が悪事を止めるように促すことができる。

 そもそもコンプライアンス窓口のレポートラインに問題があるケースもある。理想論を言うと、コンプライアンス部署は、オペレーションのラインとは別のラインで株主に対して直結しているべきで、社長に対しても牽制が聞くようでなければならない。しかし、実際には、社長であったり、管理担当の役員であったり、オペレーションラインの実質的な影響下にあるケースが少なくない。

 また、告発を行う場合には、どのような告発内容を伝えたのか、その時に相手が何を言ったのか、記録をきちんと取っておくことが重要だ。オリンパスのケースでは、メールの転送については本人の了承を得たと会社側が言っているが、事実が凝れと異なる場合、そうした言い訳をさせないためにも、絶対に社内に漏らさないと確認した上で、どういうやり取りがあったのか記録をしておきたい。付け加えると、告発内容そのものに関しても、いつ何があったのか記録を持っていることが大事だ(ノートや日記、手帳へのメモでもいい)。最終的に何か争いになったときには、自分を守るために記録が役立つことがあるし、また、きちんと記録しておけば、相手に対して、適度なプレッシャーをかけることにもなる。

(中見出し)内部告発者のための制度的整備が必要

 それにしても、今回のオリンパスのケースを見ると、内部通報者の立場があまりに可哀そうだ。告発をして、告発が正しいものとして扱われ、かつ告発された側が眼を覚まして、目的が達成されたとしても、何ら本人のメリットにはならない。

 もちろん個人的なメリットのために告発を行うのではいけないが、告発者の側が、自分で悪いことをしたわけでもないのに、自分が告発したことを誰かに知られるのではないかと、びくびくしながら、毎日を過ごさなければならないのでは割りに合わない。不正に手を染めずに済んだとか、不正を見過ごさずに済んだという社会人としての正しい満足感はあろうが、少なくともサラリーマンとしては、リスクとデメリットばかりが目に付く。

 せいぜいうまくいっても何もなしで、何かまずいことがあると逆恨みされ、人事上不利益となる。むろん、内部告発者を解雇してはいけない、不当に扱ってはいけないことは前述のとおり公益通報者保護法で明記されているから、企業側と争い裁判で勝って不当な人事を撤回させることは可能だろう。だが、そこまですると、会社での“居づらさ”は増すだろうし、事実上居られなくなることもあるだろう。

 制度にも問題があるのではないだろうか。内部告発の扱いに関して不正が明らかになった場合の企業への罰則規定は最低限必要だ。また、企業が内部告発者を不当に扱ったことによって、内部告発者に不利益があった場合、その不利益と精神的苦痛を十分に補うだけの補償がなされるように規定を整備すべきだ(仮に判例が出来てもそれだけでは不十分であり、明文化された規定があることが望ましい)。

 ここ数年間いろいろな企業不祥事が出てくるようになったが、不祥事は急に増えたのではなく、昔からあったのだろう。それが多数表面化し出したのは、内部告発が多少なりとも機能するようになったからだろうし、これ自体は世の中にとって良いことだ。

 率直に言って、申し立てを行う立場にまで追い込まれたオリンパスの浜田さんの、今後のサラリーマン人生は大変だろうと思う。筆者は、原稿で応援することぐらいしかできないが、会社のためにも社会のためにもなる正しいことをしたのだと胸を張って、負けずに頑張ってほしい。

 以上

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