山崎元の「会社と社会の歩き方」

獨協大学経済学部特任教授の山崎元です。このブログは私が担当する「会社と社会の歩き方」の資料と補足を提供します。

【6月24日】 転職を巡るあれこれ

2010-06-23 17:51:11 | 講義資料
 手間を掛けて選び、就職した会社でも、何らかの理由で転職した方がいい状況になることがある。会社の業況が理由の場合もあれば、職場の人間関係が理由の場合もあるだろうし、自分の興味関心が変化する場合もある。
 何れにしても、「転職という選択肢もある」という前提で職業人生を考えるなら、選択の余地が大きく拡がる。
 但し、その場合、転職は具体的にどうするのか、大まかではあってもイメージを持っておく必要がある。

 以下の文章は、リクルート・エージェント社のホームページに「転職原論」と題して私(山崎元)が書いた数編の文章から抜粋したもので、転職手順のあれこれについて述べている。
(リクルート・エージェント社のサイト:http://www.r-agent.co.jp/guide/genron/)


(1)自分でアプローチするのが基本

 現在の職場に不満を持ち、転職したいと思った場合に、転職先をどう探せばいいのだろうか。

 入社したいと思う会社が最初からある場合は、きっかけを作るべく、自分でアプローチするのが基本だ。仕事で付き合った相手を辿る、学生時代などの友人・知人に仲介を頼む、会社のホームページの人材募集を見て問い合わせてみる、といった個人的な努力を先ずは考えよう。自分が働きたいと思う部署のマネージャーに会うことが出来れば理想的だ。

 当面の求人がなくても、将来の候補としてマネージャーの記憶に残ることがあるし、どんな条件の人材が欲しいかについても教えてくれるだろう。優秀なマネージャーは、自分の部下になりうる候補者に常に関心があるのが普通だ。それに、自分の会社や仕事に対して真面目な関心を持ってくれる人に対して悪い印象は持たない。

 もちろん、目標とする会社がライバル会社だったり、取引先だったりする場合には、ビジネス上の配慮が必要だ。特に、自社の情報を漏らしたり、悪口を言い過ぎるのは良くない。しかし、相手の会社で働くことに関して積極的な関心を示すことは構わない。
紹介会社を通じて「マーケット」を知る

 日頃から、いわゆる「横のつながり」(同業他社の人との付き合い)を心掛けていると、転職先へのアプローチは、案外、自分でも出来ることが多い。

 しかし、そもそも自分の適職が自分でよく分からない場合や、転職したいと思っている業界の求人状況や求人の条件など、転職マーケットの状況が分からない場合は、人材紹介会社が持っている情報を利用しよう。

 近年は、求人についてネットだけでもかなりの情報が手に入るようになったが、それでも、直接コンタクトしてきた相手にしか開示されない情報も多いから、ネット経由で、あるいは直接、人材紹介会社のコンサルタントと相談してみるといいだろう。

 どんな職種に求人があるか。採用側が求める候補者の条件は何か、そのためにはどのような準備が有効か。求人のある職種はどんな経済的条件か。どこの会社の調子がいいか。こういった基本的な事柄について、プロである紹介会社のコンサルタントから出来るだけ多くの情報を引き出そう。

(2)ヘッドハンターとの付き合い方

 人材紹介会社ないしは、そこで働いている人のことを、俗に「ヘッドハンター」と呼ぶ。特に、「エグゼクティブ・サーチ」と言われるような、企業側の依頼に基づいて、特定のポジションに採用する人を探す職業がこう呼ばれることが多い。アメリカのビジネス界では、医者と弁護士とヘッドハンターにそれぞれいい友人を持て、といわれるくらい、ヘッドハンターは、ビジネスパーソンにとって身近な存在だ。これら三つの職種は、特に自分がピンチの時に役に立つ点が共通だ。

 ヘッドハンターにも種類がある。転職しようとする側で厳密に区別する必要はないことが多いが、(1)特定のポジションの候補者を探すエグゼクティブ・サーチなのか、一般的な人材紹介会社なのか、(2)依頼先から報酬の一部ないし全部を前金(リテイナー・フィー)で受け取っている会社なのか、そうではないのか、(3)仕事の内容が候補者探しなのか、社員を別の会社に転職させることを請け負う「アウトプレイスメント」なのか、が主な区別だ。

 エグゼクティブ・サーチの会社で特に前金で報酬を受け取るような会社からコンタクトがあった場合は、どこかの会社が、自分に興味を持ってアプローチしてきた場合が多い。基本的に話を聞いてみていいだろう。また、特定の求人が背後に無い場合にもアプローチがあるケースがあるが、こうした時にも、情報収集を兼ねて会ってみることは悪くない。

 ヘッドハンターからのアプローチがあった場合に注意すべきケースが二つある。一つにには、現在の職場の様子や心境について根掘り葉掘り訊いてくるケースで、これは、ヘッドハンターを使った情報収集やアウトプレイスメントでのアプローチの場合がある。

 もう一つは、履歴書を手に入れて、これをばら撒いて、成約できれば儲けものといった乱暴な仕事をするヘッドハンターだ。通常この種の履歴書は社名と氏名を匿名にして流通させるが、転職のアプローチは、ヘッドハンターを通さない方がいい場合もあるし、ライバル会社や取引先などに自分が職探しをしているという情報が漏れて不都合な場合がある。初対面の相手に直ぐに履歴書を渡さないことと、履歴書を渡す場合は、匿名であっても企業に履歴書を回付する場合は一件一件相手先毎に必ず自分に確認を取ることを条件とすることが大切だ。この条件を守らないヘッドハンターとは一切付き合わない方がいい。

 アメリカ人を真似るわけではないが、ヘッドハンターと個人的に付き合うのはいいことだ。筆者も、ヘッドハンターに転職戦略を相談して進路を決めたことがある。ヘッドハンターとの付き合いでは、先方からは主に転職市場の情報を得るわけだが、反対にこちらからは候補者となる人の紹介と自分の業務の専門知識の提供(仕事に関わる技術や制度の説明やトレンドの解説など)が程よい「ギブ・アンド・テイク」となる。

(3)面接は積極的に受ける

 どんな求人情報があるのかを具体的に調べてみると、必ずしも第一志望ではないが、興味はあるという程度の求人が見つかることがある。こうした場合、「第一志望ではないから」、「まだ転職すると決めたわけではないから」といった理由で面接に行くことを躊躇する人が居るが、これは勿体ない。

 先ず、採用されれば入社すると決めていなくても、興味のある会社なら、面接を受けに行くことは失礼ではない。それに、実際に相手の会社の誰かに会ってみなければ、会社の実情も、職場の雰囲気も分からないことが多い。情報収集の観点からも、面接の機会は大いに利用すべきだ。

 副産物として、面接の練習という意味がある。はっきり言って、第一志望の会社との面接が初回の場合、いきなり自分のベストの面接が出来る人は少ない。面接を受ける際に何が自分の課題なのかを見極めるためにも、興味のある会社・職種の募集があれば、面接に行ってみることをお勧めする。

 相手企業に対するアプローチにせよ、求人に応募して面接に出向くことにせよ、結果的に採用に直結しなくとも、情報収集や経験として十分に元が取れる場合が多い。人生全般に通じる傾向だが、恥ずかしがらずに自分から積極的にアプローチしてみる方が何かと実りが多いものだ。

(4)応募書類は相手の立場に立って書く

 転職に自分から応募するとき、面接抜きに、書類選考だけで採用が決まることは、ほぼ無い。転職しようとする場合、最初に目指すのは、面接まで辿り着くことだ。通常は、履歴書と職務経歴書を送って、面接の可否の連絡を待つことになる。面接のアポイントメントが取れたら、履歴書・職務経歴書は役割を果たしたと考えていいだろう。基本的には、面接が勝負だ。

 上手い履歴書、あるいは職務経歴書の書き方として、特別なノウハウがあるわけではないが、基本的に考えるべきことは「読み手の立場に立って書く」ことで、これに尽きる。初歩的には読みやすく正確に書くということが大事だし、もう一歩先のレベルでは、先方が応募者の何を知りたいと思っているのかを推測して書くことが重要だ。自分を表現したりアピールしたりするのではなく、自分に関する「情報」を相手に適切に伝えるのだ、という気持ちで書くといい。

 仕事に無関係な趣味の資格などを書いても仕方がないし、応募職種にもよるが、外資系の会社に応募するのに「英検二級」なら書かない方がまだいい(どのみち面接でテストされるだろうが「英検一級」なら履歴書に書いた方がいい)。一方、募集している仕事に関係のある経験やスキルを持っている場合はそれが伝わるように職務経歴書を書こう。
面接の前に準備しておくこと

 面接で採用側が知りたいことは、重要な順に、
(A)募集職種に於ける候補者の能力と経験(この人にこの仕事を任せて大丈夫だろうか?)、
(B)候補者の人柄(一緒に仕事をして楽しい人だろうか?)、
(C)どれくらい入社したい気持ちがあるのか(本当に来てくれるのだろうか?)、
(D)将来も働いてくれるだろうか(近い将来、辞めてしまう心配はないか?)、
といったことだ。

 新卒学生の面接なら、「学校で勉強したことを簡単に説明して下さい」、「どうして当社に入社したいのですか」、「当社に入ったら何をしたいと思いますか」という三つくらいの質問をすることで、(A)~(C)くらいまでは短時間で分かる。たとえば、学校の専門について訊くと、どの程度まじめに勉強したか、それを他人に過不足無く分かりやすく説明できるか(素人に専門内容を説明できる人は「頭がいい」)、といったことが相当程度分かる。

 学生なら、上記の三つの質問に関して答えを自分のものにしておけば大丈夫だが、転職の面接の場合、もう一つ準備が必要だ。それは「(以前の、あるいは、今の)会社を辞めた理由は何ですか?」という質問に対する回答だ。仕事の能力に問題がない場合、採用する側が一番聞きたいのはこの質問に対する答えだ。

 この質問で問われるのは、過去の経緯と仕事に対する考え方とと共にビジネス的なコミュニケーション能力だ。嘘を答えてはいけないし、露骨な答えや、投げやりな答えはビジネスのやりとりとして不適切だ。

 しかし、会社を辞める事に関しては、何となく疾しい感じがして必要以上に言い訳口調になったり、過去の経緯があると感情が高ぶったりすることがある。この質問を上手くこなせない場合、面接全体の出来にも影響するので、過去の転職について「辞めた理由」、これからについて「辞めてもいいと思っている理由」の二点は、あらかじめ答えを紙に書いて、自分で吟味してみるくらいの周到な準備が必要だ。

(5)いきなりお金の話はしない

 面接は、基本的に、(1)採用側から見て候補者が仕事とに合っているか、(2)候補者側から見て会社と仕事に関して疑問はないか、そして(1)、(2)について問題がないことが確認されたら、(3)経済的な条件を含めて条件面で合意できるか、という流れで進むと考えておこう。「仕事」が第一に重要で、給料を含めて「条件」はその次の話題、というのが尊重すべき建前だ。

 最初に質問するのは採用側だし、その後に「何か質問はありませんか?」と訊かれても、「要はいくら貰えるのですか?」といった質問をするのは印象が悪い。ドライだと言われる外資系の会社でも、これは、そうだ。

 お金が重要でないとは言わない。しかし、仕事が何で、どのように進める必要があるのかということは、転職後の居心地と共に将来の自分の人材価値にも関わることなので、非常に重要なのだし、面接中は「仕事の内容の方がお金よりも大切だ」と思っている方が結果がいい場合が多い。

(6)面接は自分という商品を売る「商談」

 面接の服装だとか、応募書類の作り方だとか、あるいは話の仕方にしても、基本的には「面接は自分(の仕事)という商品を売るための商談なのだ」と理解しておけば良く、殆どのことはその延長線上で適切に判断できるはずだ。

 商談だから、時間も服装も相手に合わせる(相手に対する敬意が伝わるようにする)ことが大事だし、話の呼吸も、交渉の詰めが肝心でリスクや曖昧さを取り除かなければならないことも、転職面接の基本的な考え方は全て商談と一緒だ。

 尚、さまざまな調査で面接は、最初の1分くらいの印象で決めた結果と長時間やりとりして決めた結果とに殆ど差がないことと、誰かが好印象を持つ相手は、他の面接者が見ても好印象を持つらしいことが報告されている。最初の印象で決まるのは事実だろうが、最初が良ければ後で失敗してもいいということではないし、後の準備に自信がなければ最初に好印象を与えることも難しい。

 一つの心構えに集中するとすれば「これからお互いにとって良いビジネスを作るのだ」という「緊張感のある楽しみな感じ」を自分に言い聞かせることだろう。

 もう一言付け加えておこう。書類選考も、面接も、相手の都合で決まることだから、落選することがある。筆者も、過去の転職活動で何度も不採用を経験してきた。不採用の通告は、人間としての自分が否定されるか嫌われるかするような情けない気分になりやすいものだが、これも「あくまでも『商談』の不成立であり、自分の全人格ではなく、自分の仕事という「商品」が今回は売れなかっただけなのだと割り切って気分を切り替えよう。

(7)転職の基本は「猿の枝渡り」

 転職するか・しないか、最後の決断は誰にとっても悩ましい。決断のポイントの前に転職の基本を説明しておくと「次の入社が確実に決まるまで、現在の会社を辞めるアクションを一切起こしてはいけない」ということを肝に銘じて欲しい。

 仕事と生活のリスク管理上当然のことなのだが、この基本が守れない人が少なくない。自分は今勤めている会社を辞めるかも知れないと臭わせたり、実際に我慢しきれずに辞めてしまったりするのだ。前者は全く余計な行動だし、自分に関心を惹こうとしているようで大人として見苦しい。後者は、後のことを考えるといかにも不利だ。

 会社を辞めてしまうと、仕事のキャリアに空白が出来て人材価値が下がる、次の入社の際の給与交渉で無収入状態は不利だし、無業状態が続くと焦りが出て転職活動に悪影響を与える、といった不利がある。

 また、「辞めたい」あるいは「辞めるかも知れない」と一度口にした人は、組織の中で信用を失い、価値が下がる。使う側は、辞めるかも知れない社員に重要な仕事を任せないだろうし、仕事上の重要な情報を伝えるのも躊躇するようになる。

 筆者はよく「転職の基本は猿の枝渡りだ」と説明する。猿は次の枝を握ってから、現在掴んでいる枝から手を離すというのが主な理由だが、ついでに地上に落ちた猿は弱いということも併せてイメージしておこう。

(8)リスクとリターンで判断する

 転職の決断には、必ず何らかの不確実性が伴う。しかし、転職に限らず「現在よりも『絶対に』良くなるのでなければ○○しない」といっていると、人生で重要なことは何も決められない。転職は、大まかでも確率を一緒に考えて、投資の世界でリスクとリターンを考えるように決めなければならない。

 転職先の職場のことが完全に分かることはあり得ないし、転職後の自分の気分にも不確実性がある。しかし、現在の職場についても、将来の会社の盛衰、自分や上司の人事異動など、不確実なことは山ほどあることも考えなければならない。一般に、後者を軽視しがちな傾向があるし、自分が決めたことで後悔したくないという心理が働くので、現状維持に過大なウェイトが掛かりがちになることが多いかも知れない。

 また、逆に、今の職場が嫌だと思っていると、次の職場を過度に美化して、早く転職を決めたいという心理になることもある。現在の自分が、どちらの偏りを持っているのかを考えて、意識的に気持ちをリセットしよう。

 二つの職場をできるだけ公平に較べることが大事だし、完全にはそれが出来なくても、そうしようと努めたことが転職してもしなくても、自分の決定に対する納得の源になる。

 考慮すべき要素は人それぞれだが、一般的には、
(1)その転職がもたらす自分の人材価値への影響はどうか、
(2)二つの仕事はどちらが自分の価値観に合っているか、
(3)働くための組織の環境はどちらがいいか、
(4)経済的にはどちらが勝るか、といった点がポイントだ。

 大雑把な質問で言い換えると、
「仕事のスキルはどっちの会社にいる方がアップするか?」、
「どっちの会社の仕事が誇らしいと思うか?」、
「どっちの会社の方が自分をフェアに評価してくれそうか?」、
「損得を年収換算するとどれくらいか?」、といったところか。
若い読者に対して、敢えて一点だけに絞るなら、(1)だけを集中的に考えるのがいい場合が多いと言っておこう。自分の仕事のレベルを上げることが出来れば、それを後からお金や時間や自由に換えることが可能だ。

(9)転職の相談相手

 転職は基本的に自分で決めるものだが、自分の頭の整理のためにも相談相手が欲しい場合がある。こうした場合、どうすればいいか。

 理想的な相談相手は「同業他社の優れた先輩」といったところだろうか。

 絶対にやってはいけないのは、自分の会社の同僚や上司に相談することだ。情報が漏れる危険があるからということもあるが、相手が秘密を守ってくれるとしても、相談された側は、友人の秘密を守るべきか、それとも会社の為に友人の状況を然るべき相手に報告すべきかという問いに晒される。人間として、相手を「試す」ようなことはすべきでない。

 妻や夫といった家族も、生活上の利害が絡むし、相談者と距離が近すぎて、あまり適当な相談相手でないことが多い。

 尚、採用の面接をしていて好感触を伝えると、「それでは家に帰って妻(夫)とよく相談して、お返事します」と答えられて脱力することがある。妻や夫の賛否で自分の仕事を決めるという説明はいささか恥ずかしい。

(10)転職の失敗は後からリカバーできる

 今の会社か、転職先か、どちらかの方が「良さそうだ」という暫定的な結論が出ても、踏ん切りが付かないことがある。特に、一回目の転職については、転職自体の経験がないので、「良いだろう」と思っても決めきれない人が時々いる。

 こうした人には、転職の失敗(転職しないことの失敗も含めて)は、後から十分取り返しが利くということを言っておきたい。転職に失敗した場合、人生の中の 1、2年の貴重な時間をある意味で無駄にすることは事実だが、その後にまた転職することは十分出来る。

 仕事の内容さえ十分確認して転職していれば、それほど人材価値を落とさずに再び転職が可能な場合が多い。

 人生の時間は貴重だが、チャンスは何度か自分で作ることが出来る場合が多い。

(補足)「やる気」と「健康」があれば大丈夫!

 実は、若い頃の筆者は、当時、転職が一般的でなかったこともあって、最初の転職にあたっては大いに悩んだ。その時に、自分なりに考えに考えて得た結論は「もし、この転職で失敗しても、健康で働く気さえあれば、元より得ではなくとも、人生は何とかなるのではないか」という大雑把な割り切りだった。

 転職するにしても、しないにしても、自分で決定することを恐れていてはつまらない。

  以上

【6月17日】金融業の付加価値の源泉について

2010-06-16 15:53:19 | 講義資料
 今回は、金融業の付加価値の源泉について考えてみよう。
 以下の文章は私(山崎元)が「現代ビジネス」に寄稿した原稿で、日本振興銀行と木村剛氏について書いたものだ。
(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/712)
 今回のテーマに関係があるのは、文中の半ばくらいにある、振興銀行のビジネス・モデルに関する考察の部分だが、「金融業の付加価値はどこから出てくるのか」、「金融業の競争力とは何か」ということを考えながら読んで欲しい。

 その後、以下の点について考えよう。
(1)「ミドルリスク、ミドルリターン」のビジネスモデルが難しいのは、なぜか。たとえば、ハイリスク、ハイリターンの消費者金融と較べて、どこが難しいのか?
(2)日本人は、なぜ低金利でも預金を好むのか?
(3)振興銀行はどうして上手く行かなかったのか?

=============================
●秀才と街金。木村剛氏に金貸しはできるのか?

 日本振興銀行に警視庁の家宅捜索が入り、先に会長を辞任した木村剛氏にも任意の事情聴取があったと報じられている。目下の嫌疑は検査妨害で、重要案件に関わる社内メールの大量削除などがあったらしい。メールの削除があったことについては、西野社長が認めている。但し、木村氏は今のところこの件への関与を否定しているという。
 振興銀行への金融庁検査は、異例の長期間にわたって続いていた。加えて、先の決算は51億円の赤字で、これはSFCGによる債権の二重譲渡問題の影響を含まない業績だ。ビジネス的には傍目からも変調と見える状況だった。木村氏は、先般、この決算の責任を取る形で会長を辞任した。
 加えて、報道を見る限り、出資法違反の疑いが濃い。SFCGから買い取った債権を一ヶ月後にSFCGに買い戻させる実質的に融資になる取引で、この際の手数料は経済的には金利に外ならない。手数料を利回りに換算すると年利45.7%にもなり、出資法の上限金利29.2%を上回っているとされる問題だ。当時会長で行内随一の権力者だったはずの木村氏が、こうした重要案件について認識していなかったとは想像しにくい。
 これらの問題がどの程度の拡がりを見せるか、現時点では分からないが、振興銀行は、木村氏にとって一つの「挫折」であったように思える。

 筆者が木村氏に最初に会ったのは、村上龍氏が主宰するメールマガジン「JMM」(Japan Mail Media; http://ryumurakami.jmm.co.jp/)の座談会の席上だった。当時、木村氏は、竹中経済財政担当大臣のブレーンとして、不良債権処理のアドバイスで活躍していた。座談会でも弁舌爽やかで、終了後に村上龍編集長も感心していた。
「木村さんという人は、最終的に、ご本人としては何をやりたいのでしょうか。政治家になろうとしているのかな。そうでもないのかな?」と仰っていたのが、記憶に残っている。以後、「木村剛(氏)は、何をしたいのか?」という問いが、筆者の頭の中にずっと引っ掛かっている。

 木村氏は、その後「竹中プラン」の中心人物の一人として日本の銀行の不良債権問題に当たり、金融庁の顧問も務めた。同時に、精力的に著作を発表し、自身のコンサルティング会社も業容を拡大して行った(業績が本当に順調であったのかどうかは分からないが、活動は多岐にわたっていた)。
 この頃、筆者が、確か二度目か三度目に木村氏にお会いした時に、「いいですか、ヤマザキさん、日本には評論家はもういらないのです。必要なのは実践家だ」と仰っていたのを記憶している。
「論を正しく論じるなら、評論家にも『一人前』程度の存在意義はあるのではないか」と反論したいのをぐっと堪えつつ、弁も筆も立つ論客であった木村氏が、評論家を捨ててこれから何をしたいのか、筆者は注目していた。

 木村氏の次の一手は、日本振興銀行の設立だった。中小企業向けの融資を中心に行い、日本経済を底上げしたいと語った、あの時が彼のこれまでのキャリアの中で絶頂期だったのではないか。
 低利で安全な大企業にだけ貸すような「ローリスク、ローリターン」でもなく、街金(まちきん)のようなもの高利貸しでもない、「ミドルリスク・ミドルリターン」のビジネスモデルを追求する、という当時の木村氏の説明は理路整然としていた。金融機関の「貸し渋り・貸し剥がし」が社会問題化している中で、颯爽としたチャレンジだった。

 ただ、当時から、日本振興銀行のビジネス・モデルに対しては、筆者も含めて、幾ばくかの疑問を抱いていた人もいた。
 借り手に(貸し手から見て)ローリスクな借り手とハイリスクな借り手がいて、その中間のミドルリスクの借り手が存在するはずだということは分かる。このミドルリスクの借り手に対して適切な金利のプライシングを行えば儲かるのではないか。また、ミドルリスクの案件を多数こなして分散融資すると、全体としてリスクを落とすことが出来るのではないか、ということも理屈上は納得できる。
 しかし、「理屈上は、こんなに上手く行きそうなのに、それでは、どうして既存の銀行がこの分野を手掛けないのか?」という疑問が湧く。まして、日本の銀行は過去少なくとも20年、貸し先の開拓に苦しんで、有価証券運用を積み上げてきた。「ミドルリスク、ミドルリターン」のビジネスモデルが上手く行くなら、彼らが手掛けていても良さそうなものではないか。
 スタート時からそんな疑問があったのだが、自信満々の木村氏なら何とかするのだろうと、他方で期待もしていた。

 しかし、結局のところ、ミドルリスクの借り手を正確に評価することと、ミドルリスクと見える相手と適切な契約を行うことは、情報に不完全性がある現実の世界では極めて難しかった。たぶん、与信判断としては、このゾーンが最も難しい。
 相対的に上質の借り手は少しでも低利で借りようとする。そして、「ミドルリスクだが優秀な借り手」だと明らかに分かる場合は、既存の金融機関もこの貸し先に貸したいだろうから競争が発生する。加えて、本来ハイリスクの借り手がミドルリスクの顔をして紛れ込んでくる。これらを見分けることは簡単ではない。まさに、金融業の総合力を問われる種類の判断だ。
 既存の金融機関だって、何も考えていないわけではない。リスクとリターンから判断して間尺に合う借り手を懸命に探しているが、これが見つからないというのが現実だ。
 結局、振興銀行の方が、彼らよりも情報が豊富であるか、審査力があるといえる根拠がなければ、彼らのビジネスモデルは成立しない。新興勢力でもあり、情報の蓄積も乏しいはずの振興銀行で、この分野の勝負に乗り出すことは無謀だったのではないか。
 「中小企業向けの『少し高利』の融資」が上手く行かないのは、一足先に行き詰まった新銀行東京の例を見ても分かる。日本郵政の資金運用を論ずる際にも、「中小企業向けの融資」という言葉が出て来やすいが、これは非現実的な暴論だということが分かる。

 結局、振興銀行は、きれいなビジネスモデルでは勝負にならなかったのだろう。収益を挙げるために、貸金業者の債権を買い取ったり、あるいは振興銀行が影響力を行使できる企業のネットワークを作り、これを利用して実質的に高利の貸金業を行ったりする、実質的には「ハイリスク、ハイリターン」の街金・高利貸し的なビジネスモデルに移行せざるを得なかったのではないか。
 しかし、切った張ったのハイリスク金融道に、制度に通じているとはいえ、元秀才の木村剛氏は不向きだったように思われる。

 振興銀行に関しては、設立当初から、次のような指摘もあった。
 振興銀行は銀行免許を持って預金を受け入れる銀行なので、この銀行の預金も当然預金保険の対象になる。従って、預金者から見ると1千万円までの預金の元本と利息の両方が保護の対象になるので、お金は集まるだろう。あとは、これをリスクの高い分野に投入して、儲かれば良し、失敗したら預金保険で預金者に弁済するという「究極のモラルハザード銀行」が可能だというものだ。
 預金保険付で1千万円までノーリスクなら、少し高い金利を付けたらお金は集まるはずだ、という目の付け所は制度に通じた木村氏らしい。振興銀行の定期預金金利は、1年物0.6%、10年物2.0%(「振興ダイレクト」6月7日現在。何れも税引き前)と高めに設定されている。事実、振興銀行には、預金はそこそこに集まっており、21年度末には5927億円の残高があった。この辺りには、市場メカニズムが確かに働いている。
 尚、制度としての預金保険が、本来銀行のリスク水準を反映して決まるべき金利の部分まで含んで元本と共に保証することは不適切なのではないだろうか。元本のみの保証とするか、最低レベルの金利の保証とすべきだろう。
 木村氏が、メインシナリオとして運用(貸し出し)失敗を描くとは思えなかったから、設立当初に「モラルハザード銀行を作ろう」と考えていたとは思わないが、スタート時から毀誉褒貶のあるビジネス・プランであった。

 振興銀行は、スタートして間もなく、創業メンバーの一人で当初は社長に就任する予定だった落合伸治氏と木村剛氏がいわば仲間割れし、結局、落合氏の持ち株を木村氏側が買い取って、落合氏を振興銀行の経営から排除することで決着したトラブルがあった。この際に、木村氏の親族名義の会社に対して振興銀行が行った融資が不適切だったのではないかという疑義が持ち上がったこともあった。
 実は、筆者は木村氏と落合氏が揉めている時期に、あるパーティーで落合氏に会ったことがある。
 この時、筆者は落合氏に振興銀行について訊いてみた。
「木村さんのやり方で、振興銀行は儲かりますか?」と筆者が訊くと、落合氏は、「木村さんのような、あんな、銀行員みたいなことをやっていても儲かるわけないでしょう」と腹の底から笑って答えた。「では、落合さんが経営する儲かりますか?」と訊くと、「ええ、儲かります。それなりのやり方をしなければなりませんが、私がやれば儲かりますよ」ときっぱり答えた。正確なやりとりについては覚えていないが、「それなりのやり方」とは、当時の街の金融業者のような、厳しい条件での融資と取り立てを行うことのようであった。
 この時に、落合氏が木村氏のビジネス・プランを心底から嗤っていたことと、落合氏の醸し出す「一種の迫力」から、「ああ、木村氏は、彼には手に負えない世界に手を出してしまったのだな」と思ったこととが、今も記憶に残っている。
 木村氏、落合氏の何れかに対して、悪いとかレベルが低いとか言いたいわけではない。彼らが別世界の住人であることが、実感として分かったのだ。

 論者としての木村剛氏は、登場当初の「金融行政に通じたキレ者で政策立案者」から「中小企業のオヤジの浪花節も分かる経営のカリスマ」に、いつの間にか立ち位置を移してきた。彼が、今、最も大切にしている支持層は、中小企業の経営者たちであるようだ。これは、彼なりに考えたマーケティング上の戦略だろう。著作では、自らも経営者として苦労していることを強調する。
 前述のように、木村氏は弁も筆も立つ。講演は、緩急が巧みで聴衆を飽きさせない。文筆家としても多産で、単行本をゴーストライターを使わずにどんどん自力で書ける。近年では「コンプライアンス不況」といった適切な言葉を捻り出すような造語能力もある。また、早くから始めていたブログや、彼が立ち上げた雑誌「フィナンシャル・ジャパン」の誌面を見ると、編集的な才能も持っているように思える。
 加えて、自分よりも年上の有力者に支持して貰う術を心得ている「爺殺し」の技の持ち主でもある。彼のバックアップをしてきたのは、たとえば小泉純一郎元首相や竹中平蔵元経財相、福井俊彦前日銀総裁といった面々で、これらの人々の他にも、「木村君のためなら、一肌脱ごう」という有力者が何人も居た。
 個人としての木村氏が、豊かな才能と可能性を持っていることは間違いない。

 木村氏は、それこそ、政治家にでもなれば良かったのかも知れないが、実践の場としてビジネスを選んだ。
 筆者は、ここ数年、木村氏と年に二、三回会っていた。雑誌やテレビ番組の対談ということもあれば、木村氏の主宰する「フィナンシャル・クラブ」等が主催するセミナーの講師を頼まれて、その際に会うこともあった。今年に入ってからは、一度振興銀行の顧客に向けた講演を頼まれたことがある。
 会う度に木村氏は、筆者に対して、
「ヤマザキさん、今、何をやりたいと思っているのですか。株式会社マイベンチマークは順調に発展していますか?」(注;株式会社マイベンチマークとは筆者が経営する小さな会社。投資教育のコンサルティング等を業とする)と質問する。「大事なのは、ビジネスなのですよ」と念押しするかのようなニュアンスを感じた。
 彼にとっては、ビジネスこそが実践であり、ビジネスで成功することが持論の正しさを証明することだと考えているようだった。振興銀行は、木村氏にとって、必ず合格点を取らなければならないテストのようなものだったのではないか。そこで「成功して見せる」ことが是が非でも必要で、そのための無理を重ねた結果が、今回の問題につながったような気がするのだが、どうだろうか。
 ただでさえ難しいビジネスに挑むのに、「失敗したらやり直せばいい」という気楽さではなく、「絶対に失敗できない」とばかりに自らを追い込むのでは厳しい。
 それにしても、金融の世界には深い闇がある。たとえば、出資法違反に関する報道が事実だとすれば、金融検査に通じた理論派の木村氏が、法人向けの貸金業者であったあのSFCGを相手に、高利のお金を貸し付けて、違反行為に走った事になる。常識的には想像しにくい事であり、お金がお金を生む世界の魔力というしかない。

 今回の件の捜査の結果がどうなるは、筆者には未だ分からない。しかし、白と出るにせよ黒と出るにせよ、木村氏には、振興銀行でこれまでにやってきた事の総括的説明を求めたい。「再チャレンジ」はそれからだ。
 もちろん、木村氏にも法的な防御権があるし、ビジネス上秘密にしておきたい事柄もあるだろうが、最大限に率直にありのままを公開して欲しい。かつて不良債権問題の処理にあたった木村氏であれば、オープンに説明できないビジネスやそれに関わる債権が「ろくなものではない」ことをよくご存知だろう。今後の金融業界の浄化のためにも、何が問題だったのか、行政の不備も含めて総括して欲しい。振興銀行は、金融ビジネスを考える上では貴重な実験だったし、失敗の実験からも学べる点は多々あるはずだ。
 振興銀行に関する総括を済ませた後であれば、多才な木村氏には、今後いくらでも再起の機会があるだろう。「キムラさん、次は何がしたいのですか?」という質問は、その時まで取っておこう。

 以上
 =======================

【6月17日】転職の理由と目的

2010-06-16 06:01:36 | 講義資料
 以下の文章は、私(山崎元)がリクルート・エージェント社のサイトに書いたもので、転職の理由について説明したものだ。
(「転職原論」第5回。http://www.r-agent.co.jp/guide/genron/genron_05.html)
 
==============================
★転職に「攻め」も「逃げ」もない

転職の理由は何でもいい。本人の心の中にごまかしが無ければ、本当に何でも構わない。

しかし、世間を見渡すと、若者の転職にケチを付ける大人の言動が少なくない。たとえば、「攻めの転職はいいけれども、逃げの転職は良くない」などという、分かった風な言い草だ。転職に慣れていない人は不安もあるし、現在の職場を離れることに対して後ろめたい気分を持つことがあるので、自分がしようとしている転職は「逃げ」なのではないか、などと気に病む場合がある。

しかし、転職自体は自分の取引相手となる会社を変えるだけのことであり、何らやましいことではない。

「逃げはいけない」と言っている人は、やりかけの仕事から離れることがよくないと言っていたり、嫌な環境を克服できないことがよくないと言っていたりするようだ。そして、もう少し現在の職場で時間を使えば「逃げ」が必ずしも「逃げ」ではなくなる、というようなことを言う。

だが、基本的に仕事に責任を負っているのは会社の代表者や上司の側であり、彼らの要求を無限に聞く必要はないし、それを聞かないことを「逃げ」呼ばわりされるいわれはない。また、職場との相性は誰にでもある。転職でこれを改善しようとするのは普通のことだ。

そして、もっと大切なことは、時間は無限ではないし、チャンスには限りがあることだ。「よりよい職場」があるなら大体は早く移る方がいいし、転職のチャンスがいつでもあるとは限らない。説教好きの大人は、しばしば若者の持つ時間の価値に対して鈍感だ。無意識のうちに、若者が持っている時間に嫉妬しているのかも知れない。

★人間関係が理由で辞めても構わない

転職の「実質的な理由」でたぶん一番多いのは、職場の人間関係だろう。世間の転職の半分以上が、そうではないだろうか。上司との関係で悩む人も多いし、同僚との人間関係がしっくりいかないという人もいる。人間同士が集まって仕事をしている以上、これは仕方がない。自分が他人に対してそうならないという保証はないが、「嫌な人」「苦手な人」というのは、どこにでもいるものだし、これが我慢できないこともある。不必要な我慢はしなくていいし、不可能な我慢は不必要な我慢である。

ただ、転職の「実質的な理由」と書いたように、対外的な説明では、必ずしも人間関係の困難を、転職したい主な理由として述べる必要はない。最初に転職を考えたきっかけが人間関係だとしても、具体的な転職を決めるときには「こちらよりも、こちらがいいと思ったから」という理由があるはずだ。もっとも、この場合でも、転職を決意した理由の一部として人間関係を挙げることは何ら悪いことではない。

経営学者の故P・F・ドラッカー氏は組織を辞めることが正しい時として「組織が腐っているとき、自分がところを得ていないとき、あるいは成果が認められないとき」を挙げている。人間関係が上手く行かないと感じているときの多くは、これら三つの何れかに該当するのではないだろうか。

★転職の三つの理由

筆者の転職にも、特に若い頃には、職場の人間関係がきっかけだった場合が何回かある。しかし、もう少し距離を取って個々の転職の意味を考えると、自分の転職には次の三通りの「意味」あるいは「目的」があった。

若い頃の転職で多かったのは、「仕事を学ぶ」ための転職だった。最初の転職は、ファンドマネジャーの仕事を覚えるための転職だったし、その後二回の転職も目的は、もっと自分の仕事のスキルのレベルを上げられる職場に移ることだった。

外資系の会社に移る頃からの転職の典型的な理由は「機会を得る」ということだった。経済的な条件も考慮しないわけではなかったが、主な目的は、よりよい仕事の環境を得ることだった。尚、この段階に入ってからも、よりよい仕事を覚えることに主目的のある転職が二回ほど混じっている。

最近二回の転職は40歳代になってからのものだが、これらの目的は「ライフスタイルの実現」であった。会社の仕事と自分の仕事を並行して行う形を作り、また、自分の名前で自由に意見を発表できるような仕事の条件をつくることが、転職の目的だった。自分が働きたい形で働けるようにということもあるし、将来への準備を早めに始めるという意味もある。

読者がしようとしている転職も、「仕事を学ぶ」・「機会を得る」・「ライフスタイルの実現」の何れかの意味があるのではないだろうか。
「前」と「後」を冷静に比較して決める

転職の理由は場合によっていろいろだが、他人の言葉や評価を気にする必要はない。但し、転職を決めるにあたっては、現在の職場よりも、これから移ろうとする職場を冷静に偏り無く評価して、後者の方が総合的に「良い(のではないか)」という明確な理由が必要だ。

「偏り無く」というのは現実には難しいが、一般論としては、人は、これから手に入れるものよりも、現在手に入れているものの価値を過大に評価しがちなので、この点に注意すべきかも知れない。これは、全く同等と思える場合は、新しい会社の方がいいという意味だ。

何れにせよ、転職に明確な理由があれば、それを他人にも堂々と説明できる。この点は精神衛生上大変重要だ。
===========================

以上

【6月17日】12回の転職の中で大きかった3回の転職

2010-06-16 05:55:55 | 講義資料
 以下の記事は、5年ほど前に『読売新聞』に載ったもので、私(山崎元)の転職にあって、大きな意味があったと本人が思う3回の転職について説明している。上下二回に分かれていて、読売オンラインで読むことが出来る。

==================================
12回の転職の中で大きかった3回の転職(上) 山崎 元さん

 決して自慢になる話ではないが、筆者はこれまでに12回の転職を経験した。多くの転職を重ねたことを、決して恥じてはいないのだが、「想定の範囲外」であったことは認めざるを得ないし、転職に伴ってかかった有形無形のコストも小さくなかった。

 ちなみに、「コスト」というのは、たとえば、転職の時期によって貰えるはずのボーナスを満額貰い損なったり(合計6回ある)、退職金や年金で損をしていたり、新しい職場に適応するために手間が掛かったり、といったことだ。少なくとも経済的な損得からいえば、転職すること自体は得ではないから、覚悟されたい。しかし、幸い、筆者の場合はそれ以上に自分の仕事の内容や環境を自分で選択できたことのメリットが大きかった。

 さて、12回の転職は、後から振り返ってみると、自分にとって全てが等価であったわけではない。今回は、自分の職業人としてのライフスタイルの選択に大きく関わっているという意味で、自分にとって大きな意味を持っていた三つの転職について少し詳しく触れてみよう。
(1) 最初の転職(三菱商事→野村投信)

 最初の会社に就職する時から「十年も経てば世の中が変わっているだろうから、その時にまた考え直そう」というくらいの気持ちではあったのだが、4年目の時点で、世間的には「いい会社」といわれることの多い会社を辞めるにあたっては、かなり考えた。かれこれ1年以上かけて行き先を探していたのではあったが、現実に転職先が見つかってみると、「日本にあって、最初に勤めた会社を辞めても大丈夫なものだろうか」という事について、理屈では「大丈夫だろう」と思っていても、実感がないので自信が持てなかったのだ。

 結局、〈1〉仮に多少損になることはあっても、〈2〉心身共に元気で且つ人並みの勤労意欲があれば、〈3〉食うには困らないだろう、と最悪の事態について見当を付けることによって、自分の選択を肯定した。

 実際にやってみてどうだったのか、といえば、まだ大きな企業からの転職が珍しかった時期(1985年)のことでもあり、新しい職場への適応や、転職者であることへの自意識に苦労をしなかったといえば嘘になるが、結果的にはプラス面が大きかった。

 プラスと思えた要因は、〈1〉新しい仕事を覚えて職業人としての価値を向上させることができた、〈2〉自分で進路を選択して無事働けたことで自信がついた、〈3〉特に前の会社との「距離感」が分かって、会社というものを客観視する事ができるようになった、という三点だ。

 三点目について補足すると、一つの会社の中にずっと居ると、世の中におけるその会社の重要性や自分個人にとっての重要性がどれくらいのものかが分からなくなり、同時に会社にとって自分がどれくらい重要なのかも分かりにくくなる。しかし、一度転職を経験すると、自分が所属している会社が世間や自分にとって不可欠なまでに重要なものではないことや、自分が居なくてもその会社は無事に動いている、というようなことが分かる。

 要は、会社についても、自分についても、客観的な視点を持てるようになるということなのだが、筆者以外の転職経験者の話を聞いてみても、大なり小なりそのような実感を持つようだ。たぶん、転職を経験すると「少しオトナになる」ということなのだろう。

つづく
(2005年5月27日 読売新聞)
http://job.yomiuri.co.jp/howto/experience/ex_05052701.htm


12回の転職の中で大きかった3回の転職(下) 山崎 元さん

(2) 外資系的な雇用契約へ(住友信託銀行→シュローダー投信)

 最初の転職をクリアして、二度目、三度目の転職は、結果の成否はともかく、自分の意思でコース選択することができた。かくして辿り着いた会社は、当時の同僚に恵まれたこともあって、気に入った職場だった。

 しかし、ここでは事の詳細には触れないが、会社の方針について筆者としてはどうしても許すことができない点があって、せっかく張り合いのあった職場を早く離れた方がいいと思うような事態に至った。それまでに、三回転職していることもあり、日系の会社で良い就職口を探すのは大変だろうと思われたし、また、当時の日系の会社にはさほど魅力的な会社が見つからなかった。

 そんな訳で、「そろそろ外資に出る頃合いかな」と思って、外資系の会社に転職したのが、33歳の時であった。

 外資系の会社では、基本的に、報酬は個々人が別々に決まるし、何といっても、「クビ」の心配がある。近年は、日系の会社でもクビがあるし、年俸制の契約もあるが、外資系の会社の緊張感はまた少しちがう。

 しかし、考えてみると、一人一人違う個人が「自分の仕事」を売るわけだから、「給与テーブル」によってではなく、個々人が個別に評価され、かつ個人と会社が合意の上で取引をするのが当たり前の姿だろう。ちなみに、日本企業の「成果主義」は、マネジメント構造をそのままにして相対評価にお金を絡める「陰気な成果主義」だが、外資系のそれは、会社によって差はあるとしても、成果(≒利益)への貢献に対して喜んで報酬を払う「陽気な成果主義」であって、両者は似て非なるものだ。

 外資系の会社に転職して以降、筆者は日系の会社に勤める場合も、個人として年俸を決めるような形で会社と契約して働く道を選択している。勤め人ではあっても、ある意味では個人事業主の感覚だ。雇用の保障は曖昧になるが、近年では、日系の会社でも交渉次第で外資系的な年俸を払うようになっている。

(3) より自由な働き方を求めて(明治生命→UFJ総研)

 大きかったと思う三つ目の転職は、働き方を大きく変えた11回目の転職だ。

 それまで三社ほど、日系の会社に外資系的な報酬で勤める形を取っていたのだが、もっと自由な時間あるいは仕事が欲しかったことと、特に自分個人の名前で(正々堂々と)意見を言いたいという欲求が強まってきた。数年前から、かなりの頻度で雑紙に原稿を書いたり、専門書を書いたりしていたのだが、前者では多くが匿名ないし筆名の原稿であって、意見発表の形態としては不満であった。

 また、年齢的にも40代に入り、当面はいいとしても、50代以降に自分のペースでできる仕事の基礎を作っておきたいということも考えた。

 さりとて、いわゆる「起業」が好適とも思えなかったので、次のような仕組みを考えた。先ず、(1)勤務の日と時間が自由で、(2)個人としての発言の自由が確保され、(3)副業(もちろん本業と競合しないものだが)を認める、という条件の職場を探した。ただし、自由度が大きい代わりに、(4)収入は少なくても(前職の半分以下で)満足する。そして、自分の活動(ほぼフリーの個人としての活動と友人との会社的活動の両方)とサラリーマンとしての立場を両方確保するライフスタイルを軌道に乗せようと試みたのだ。

 この働き方は、現在も試行錯誤的に進行中だが、個々の仕事の稼ぎ能率はそれほど良くないものの、収入源が多方面にわたる分リスク分散が働いており、何よりも個人としての自由度が大きい。自分で自分を要領よくマネジメントしなければならない、といった多少の苦労もあるが、今のところ気分も経済的条件もまあまあだ。

 一人が一社に完全に取り込まれる形以外にも、会社と個人双方にとってリーズナブルな雇い方・雇われ方(より正確には対等の契約なのだが)があるのではないか。働き方にはまだまだ多くの工夫が可能なのだろうと思う。

以上
(2005年6月8日 読売新聞)
http://job.yomiuri.co.jp/howto/experience/ex_05060801.htm
=================================

以上

【6月10日】「内部告発」について考えてみて下さい

2010-06-09 16:50:25 | 講義資料
 以下は、「ダイヤモンド・オンライン」に向けて私(山崎元)が書いた原稿だ。会社の中で社内のルールに基づいた内部告発を行い、その結果、不適切に扱われている社員の問題を取り上げている。(http://diamond.jp/articles/-/1497)
 皆さんが、この社員の立場だったら、どうするだろうか?考えてみて欲しい。

<先ず、会社の不正行為を知った時点で>
① 内部告発はしない
② この社員と同じような内部告発をする
③ 別の方法で内部告発を行う

<会社に不当に扱われた時点で>
① 会社とは争わない
② この社員と同様に会社と法的に争う
③ 別の手段を採る

=========================
(タイトル)
オリンパスのケースに見る内部告発者の悲惨な現状

(本文)
 経済、政治に大きなニュースはあるのだが、今回は、別の問題を取り上げる。2月27日の各紙で報道された、内部告発の問題だ。

一番詳しく報じていた読売新聞(27日朝刊)の記事に基づいて内容をざっと伝えると、東証1部上場の精密機器メーカー「オリンパス」の男性社員が、社内のコンプライアンス通報窓口に上司に関する告発をした結果、配置転換などの制裁を受けたとして、近く東京弁護士会に人権救済を申し立てるという。

告発の内容は、浜田正晴さん(48歳。申し立てを行っているとして既に実名報道されている)が大手鉄鋼メーカー向けに精密検査システムの販売を担当していた2007年4月、取引先から機密情報を知る社員を引き抜こうとする社内の動きを知った。浜田さんは不正競争防止法違反(営業秘密の侵害)の可能性があると判断し、当初は上司に懸念を伝えたが、聞き入れられなかったため、この件を、同年6月にオリンパス社内に設置されている「コンプライアンスヘルプライン室」に通報したという。

 記事によると、オリンパスは、浜田さんの告発を受けて、相手側の取引先に謝罪したという。謝ったということは、浜田さんが告発した内容そのものについては「不正競争防止法違反」の可能性があると判断し、悪いことだと認めたということだろう。

 しかし、告発した浜田さんのその後のが、何ともやり切れない。読売新聞の記事によると、オリンパスのコンプライアンス窓口の責任者は、浜田さんとのメールを、不正の当該部署の上司と人事部にも送信した(先ずは、ここがまずい)。約2か月後、浜田さんは、なんとその上司の管轄する別セクションに異動を言い渡された。配属先は畑違いの技術系の職場で、現在まで約1年半、部署外の人間と許可なく連絡を取ることを禁じられ、資料整理しか仕事が与えられない状況に置かれているという。人事評価も、長期病欠者並の低評価だという。

浜田さんは昨年2月、オリンパスと上司に対し異動の取り消しなどを求め東京地裁に提訴し、係争中だ。窓口の責任者が「機密保持の約束を守らずに、メールを配信してしまいました」と浜田さんに謝罪するメールも証拠として提出されたというが、オリンパス広報IR室は「本人の了解を得て上司などにメールした。異動は本人の適性を考えたもので、評価は通報への報復ではない」とコメントしている。

 常識的に判断するかぎり、コンプライアンス窓口に通報する社員が、相手に対して自分が通報者だと通知することを了解するとは考えにくい。これは、オリンパスの説明のほうに無理があるのではないか。

 2006年4月に施行された「公益通報者保護法」に関する内閣府の運用指針には、通報者の秘密保持の徹底のほか、仮に通報者が特定されるようなことがあっても、通報者が解雇されたり、不当な扱いを受けたりすることがないようにと明記されている。また、読売新聞によると、オリンパスの社内規則でも、通報者が特定される情報開示を窓口担当者に禁じているという。記事を読む限り、オリンパスは、内閣府の運用指針も自社の社内規則も尊重していない。

 オリンパスにとって、この内部告発は会社の利益になったと考えられる。取引先から機密情報を知る社員を本当に引き抜き、後々明るみに出たら、不正競争防止法違反になって、もっと大きな問題となったかもしれない。そう思ったからこそ、オリンパスは“引き抜き”を止めたのだろうし、後々問題化すると困るから相手側に謝罪したのだろう(ところで、本筋には関係ないが、この「引き抜かれなかった社員」のその後も気になる)。それなのに、浜田さんに対するこの扱いは釈然としない

 このオリンパスのケースに限らず、企業社会の現実として、内部告発者が不当に扱われることは十分にあり得る話だ。たとえば、ある上司をセクハラで訴えたら、その上司が会社で重宝されている人だったために、訴えたほうが最終的には会社にいられなくなるように追い込まれたといった、とんでもない話を聞いたこともある。

 読者への率直な忠告としては、まず会社のコンプライアンス窓口やいわゆる目安箱的制度を簡単に信用してはいけない、と申し上げておこう。

 問題を起こしている当事者や責任者が、会社の中で有力者だった場合、通報窓口が裏切る可能性を覚悟しておくべきだ(いかにいけないことだとしても、現実に起こりうる)。その際に、どうするかも考えてから告発を行うべきだ。

 徹底的に不正を止めるつもりなら、メディアに告発するなど、次の手段も検討しておきたい。ただ、そこまでやる場合には、自分の職業人生をどうするかも考えておく必要がある。転職などの「退路」を準備しなければならない場合もあるだろう。

 会社のコンプライアンス窓口に自ら名乗り出る以外の告発の手段も検討しておこう。コンプライアンスの窓口なり社長室なりに対して匿名で、あるいは外部者を装って告発をして、様子を見る手もある。また、一般論として、そういう不正のケースがあるということを、マスコミに書かせる選択肢もある。上手く行くと、問題の人物や組織が悪事を止めるように促すことができる。

 そもそもコンプライアンス窓口のレポートラインに問題があるケースもある。理想論を言うと、コンプライアンス部署は、オペレーションのラインとは別のラインで株主に対して直結しているべきで、社長に対しても牽制が聞くようでなければならない。しかし、実際には、社長であったり、管理担当の役員であったり、オペレーションラインの実質的な影響下にあるケースが少なくない。

 また、告発を行う場合には、どのような告発内容を伝えたのか、その時に相手が何を言ったのか、記録をきちんと取っておくことが重要だ。オリンパスのケースでは、メールの転送については本人の了承を得たと会社側が言っているが、事実が凝れと異なる場合、そうした言い訳をさせないためにも、絶対に社内に漏らさないと確認した上で、どういうやり取りがあったのか記録をしておきたい。付け加えると、告発内容そのものに関しても、いつ何があったのか記録を持っていることが大事だ(ノートや日記、手帳へのメモでもいい)。最終的に何か争いになったときには、自分を守るために記録が役立つことがあるし、また、きちんと記録しておけば、相手に対して、適度なプレッシャーをかけることにもなる。


(中見出し)
内部告発者のための
制度的整備が必要

 それにしても、今回のオリンパスのケースを見ると、内部通報者の立場があまりに可哀そうだ。告発をして、告発が正しいものとして扱われ、かつ告発された側が眼を覚まして、目的が達成されたとしても、何ら本人のメリットにはならない。

 もちろん個人的なメリットのために告発を行うのではいけないが、告発者の側が、自分で悪いことをしたわけでもないのに、自分が告発したことを誰かに知られるのではないかと、びくびくしながら、毎日を過ごさなければならないのでは割りに合わない。不正に手を染めずに済んだとか、不正を見過ごさずに済んだという社会人としての正しい満足感はあろうが、少なくともサラリーマンとしては、リスクとデメリットばかりが目に付く。

 せいぜいうまくいっても何もなしで、何かまずいことがあると逆恨みされ、人事上不利益となる。むろん、内部告発者を解雇してはいけない、不当に扱ってはいけないことは前述のとおり公益通報者保護法で明記されているから、企業側と争い裁判で勝って不当な人事を撤回させることは可能だろう。だが、そこまですると、会社での“居づらさ”は増すだろうし、事実上居られなくなることもあるだろう。

 制度にも問題があるのではないだろうか。内部告発の扱いに関して不正が明らかになった場合の企業への罰則規定は最低限必要だ。また、企業が内部告発者を不当に扱ったことによって、内部告発者に不利益があった場合、その不利益と精神的苦痛を十分に補うだけの補償がなされるように規定を整備すべきだ(仮に判例が出来てもそれだけでは不十分であり、明文化された規定があることが望ましい)。

 ここ数年間いろいろな企業不祥事が出てくるようになったが、不祥事は急に増えたのではなく、昔からあったのだろう。それが多数表面化し出したのは、内部告発が多少なりとも機能するようになったからだろうし、これ自体は世の中にとって良いことだ。

 率直に言って、申し立てを行う立場にまで追い込まれたオリンパスの浜田さんの、今後のサラリーマン人生は大変だろうと思う。筆者は、原稿で応援することぐらいしかできないが、会社のためにも社会のためにもなる正しいことをしたのだと胸を張って、負けずに頑張ってほしい。

  以上

【6月10日】日常的な情報の収集と整理

2010-06-09 16:24:18 | 講義資料
 以下の文章は、私が『Business Media誠』に向けて書いた原稿だ。
(http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0901/08/news003_2.html)

==========================
●整理下手な経済評論家のものぐさな情報管理法

 昨年の出版界の大きなトレンドの一つは「勉強法」だった。著者でいうと、何といっても勝間和代さんだ。茂木健一郎さんの脳の本もよく売れていたが、こちらにも需要の底流には効率のいい勉強をしたいというニーズがあったと思う。実際には、勉強法を変えただけで、人間が急に利口になることは稀だろうが、ノウハウ本の著者を恨んではいけない。この種の本は、本を読んでいる間に、「この方法でもっと効率が上がるにちがいない!」という精神的高揚感があれば、商品として十分ではないか。
 さて、筆者は、勉強法にはあまり大きな期待を持っていないのだが、効率が良くて実用的な情報の管理法には興味を持っている。正確にいうと、過去から現在まで大いに興味を持ち続けている。それは、筆者自身が情報の管理が上手くなかったということだ。
 筆者は、証券会社の社員、小さな自分の会社の社長、それに経済評論家を兼ねているので、情報管理法にはニーズがある。日々の情報収集の他に、文章を一つ書くにも、データが必要な場合が多々あるし、記事の出典を確認しなければならない場合も多い。
 そんな中、昨年手に取ったノウハウ本の中では、「情報は一冊のノートにまとめなさい」(奥野宣之著、ナナ・コーポレート・コミュニケーション)がなかなか実用的だった。この本は、どこにでも大体100円で売っているようなA6のノートに情報をまとめる方法を説明している。詳しくは原本にあたってほしいが、一冊の小さなノートに何でもメモして、記事のスクラップなどもできるだけ集約して、このノートを何時でも持ち歩こう、ということが書いてある。最後の2ページをテープで貼ってポケット状の袋を作り、この中に名刺やスケジュール(表)などを入れておくといった、細かなテクニックも紹介されている。ローコストな方法でもあり、筆者も、試してみたくなった。
 奥野氏の本については、既に多くのレビューが書かれているので、以下、整理下手な経済評論家である筆者の、現時点での情報管理法を報告してみよう。100円ノートが大いに役立っているのだ。
 筆者が使っている100円ノートは現在三冊目だが、基本的に、メモは、これにボールペン(三菱のジェットスリームの三色で太字のものが圧倒的に書きやすい)で何でも書くことにしている。電話の相手、用件のメモのこともあれば、経済指標の数値を書き込むこともある。携帯で自分にメールする方法もあるが、この種の情報のメモは手書きの方が早い。
 経済ニュースは、日付が分かれば、要点をネットで検索することができるので、詳しい記事を保存しておく必要はまずない。「08年12月22日 トヨタ、今期営業赤字1500億円に下方修正 !」くらいのことが書いてあれば、あとは必要に応じて内容を調べることが出来る。「いつ」と「何」だけ痕跡が残っていれば十分だ。
 新聞は仕事の必要上6紙購読しているが、新しいニュースのチェックは、グーグルのリーダーを使うことが多い。ロイター、日経ネット、朝日ネット、WSJ(これだけ有料)など数個のニュースサイトを登録している。
 切り抜きやコピーを100円ノートに貼ることがあるのは、要人の発言など、文のニュアンスが重要な情報の場合だ。たとえば、昨年、原油価格が夏にピークを打って急落したが、FRBのバーナンキ議長は4月の時点(2日の議会証言)で商品市況が将来下落する見通しであることを明言していた。こういう発言は、スクラップのしがいがある。
 ただし、発言がネットに載っている場合は、その記事をグーグルのGMailの自分宛のアドレスに送ることにしている。記事であることを示す「データ記事:」といったキーワードをタイトルに付けておくと、後から検索でまとめて取り出しやすい。
 1ページを超えるような記事や論文はスクラップして小型ノートに貼るのは大変なので、スキャン(プリンタ・FAX兼用の複合機を使っている)するかデジカメで写すかして、画像をGMailに送っている。最近のデジカメの解像度があれば、少々雑に写しても文字は読める。自分が原稿を書き送る場合にもGMailにコピーを落とすので、自分の原稿と資料に関しては、PCを使える場所なら(セキュリティーが厳しい場合は別だが)どこででも利用することができる。
 携帯の場合、重い画像ファイルを見ることはできないが、それでもデータの掲載された記事をGMailで検索して取り出し、確認することができる。
 尚、本や文章の構成を考えるなど、物事を「考える」には、A4の紙に落書きしながらが好都合だ。A4のレポート用紙はあちこちに置いているが、紙を2、3枚つまんで、折りたたんでポケットに入れて出掛けることもある。あるいは、短い記事や論文をA4の紙にプリントして、その裏面を使うこともある。取材を受ける時などで、図解が必要な場合にも役立つ。この種のメモで捨てがたいものもスキャンしてGMailに送る。
 100円ノートの最終ページにテープを貼って作った袋には、名刺が2枚と、月曜日の日本経済新聞に載っている景気指標の一覧表(二週分)とYahoo!カレンダーの自分のスケジュールのプリントアウトを折りたたんで入れてある。テレビのコメントのような場合に、数字を確認するのに景気指標の一覧表は便利だし、定点観測的に見るにも良い。普通の解説で必要な程度の数値は、ほとんど網羅されている。
 スケジュール管理(これも苦手だ)は、現在、能率手帳とYahoo!カレンダー(複数の関係者が閲覧・書き込みが出来て便利だ)の併用だ。今のところ、手帳が主で(「元帳」的な役割だ)、Yahoo!カレンダーが従の関係だが、そろそろ長年使った紙の手帳を卒業できるかも知れないと感じている。
 気がついてみると、私の仕事の場合、ほとんどこれで用が足りている。
 あとは、情報のインプット、アウトプットの技術を磨かなければならないわけだから、やっぱり、これから「勉強法」を勉強すべきなのか。
 もっとも「情報整理」にはあまり根を詰めないことにしている。基本的に、必要なことはその都度調べるといいし、知っている範囲で考えられることを書けばいい。
 筆者の携帯の待ち受け画面は長年アインシュタインの写真なのだが、それは、彼の「わしは調べりゃわかることは、覚えないことにしている」という言葉が好きで、彼の顔を見ると和むからだ。(注;博士は、講演中に簡単な計算に詰まって、聴衆から簡単な公式を教えて貰った時にこう答えたという)
==========================

【6月10日】新聞との付き合い方を考える」

2010-06-09 16:13:44 | 講義資料
 今回は、ビジネスパーソンの日々の情報収集について考えてみよう。
 以下の文章は、昨年の11月に私(山崎元)がブログに書いた記事だ。

===========================
 筆者は、「週刊現代」で「新聞の通信簿」という新聞6紙の記事を較べ読みする連載を担当していた。魚住昭氏、佐藤優氏、青木理氏と私の4人でリレー連載していたものだが、現在発売中の「週刊現代」(11月14日号)をもって、筆者の担当回は最終回となる。最近編集長が交代したこともあって、連載の見直しをするようだ。「週刊現代」は、記事に読み応えが増えて、グルメ情報とオヤジ読者向けのグラビアが充実してきている。雑誌としては面白くなっているので、今後に期待したい。

 連載最終回の原稿は、連載担当期間中最大の事件であった金融危機を取り上げた「リーマンショック一周年」の記事の採点と、過去通算40回分の採点の発表を一緒にしたものだったが、過去の採点表を載せるスペースがなかったので、ここでご紹介する。

 連載メンバー4人の中で筆者は、いわば「経済部」であり、主に経済記事を取り上げて評価したが、過去に取り上げたテーマを一覧して眺めてみると懐かしい。

 あくまでも経済記事が中心で、それも全紙を均等に深く読んだのは連載担当の場合だけなのだが、個人的な印象としては、点差は大きくないが、「読売新聞」の取材がしっかりしているように思った。民主党のマニフェストや公的年金の損失額を手に入れるのが明らかに他紙よりも早かったし、経済記事の見せ方も気が利いていた(ただし、社説は切れ味が今一つだと思う)。他紙に対する評価は、「週刊現代」をご一読いただきたい。

 この連載を止めると、自宅購読に6紙は多すぎる(片付けだけでもかなり大変だ)。連載を始める前までは、自宅で「日本経済新聞」と「朝日新聞」を読んでいた。これからどうするかというと、もともと自宅で読んでいた2紙に「読売」を加えた3紙を読むことにした。仕事上「日経」は必要だとして、ここのところ「朝日」が頼りない印象だし、「朝日」とは別の意見を持ちやすい新聞をもう一紙読む方がいいと考えたので「読売」を加える(佐藤優さんによると、霞ヶ関の人々が気にしている新聞は圧倒的に「朝日」らしい。現段階で「朝日」は止めにくい)。

 私の場合は、「新聞の通信簿」が終了しても、その他の原稿書きなどを考えると、新聞を3紙購読しても十分にペイするが、仮に、私が近年就職したビジネスパーソンだとすると、新聞は自宅で購読しなくてもいいような気がする。

 ロイター、朝日、日経、時事通信くらいに2、3の海外メディアを加えてニュース・リーダーに登録しておいて、毎日チェックするとニュースに「遅れる」ということは先ずないし、いつどんなニュースがあったかが分かれば(つまりニュースを検索すれば)、事柄の詳しい内容を知りたい場合に十分な手掛かりとなる。自宅で紙の新聞を購読することは必ずしも必要ではない。アメリカなどで見られるように、紙ベースの新聞を中心とするメディアの経営は今後苦しいに違いない。

 今しばらくは(長くても数年の「しばらく」だろうが)、新聞社が記事の内容に責任を持っていて、記者も新聞社も名誉と法的なリスクを負って記事を発表していることで、新聞の記事に一定の権威がある。しかし、今後、書き手が実名のニュースが発表されるようになると、ネットの記事でも(たとえば一ジャーナリストのブログでも)、書き手にとってのいわば「賭け金」は変わらない意味を持つので、記事は同様の信憑性を持つようになるだろう。そうなると、紙の新聞そものには特別な権威や価値が残るわけではない。現在は過渡期だろう。

 複数の新聞社が現在のJALと似た経営問題を抱え、新聞記者OBの年金を削減できないかといった議論をするようになる時代が遠からず訪れるようになるのではないだろうか。ただし、この場合、新聞社は構造不況業種になるが、個々の記者の中にはジャーナリスト個人として大きな経済的価値を持つようになる人が現れるのではないか。経済価値が、新聞紙や新聞社ではなく、個々のジャーナリストなりニュース記事なりに対して発生するようになるなら、それはいいことだろう。

 そうした場合に、たとえば、ジャーナリスト個人が広告スポンサーの影響を受けずに客観的な記事を書くことが出来るかが問題になる。もちろん、記事の質に関する評価情報にもニーズもあるにちがいない。何らかの形で「ジャーナリストの通信簿」的な第三者による評価が行われることになるかもしれない。
=============================

 以下が、『週刊現代』に掲載された連載最終回の記事の原稿だ。

=============================
 私の担当回はこれで最後だ。約3年間経済記事を中心に6紙を評価してきたが、最も大きな出来事は何といっても、昨年9月15日のリーマンショックで一気に加速した世界金融危機だった。リーマンショック一周年の時期に、各紙は特集記事を用意したが、これを読みながら、過去の評価と合わせた各紙の経済記事に対する総評を記す。
 本文中の点数は今回も含めた私の担当全40回の平均点(端数切捨)だ。今週の点は別欄を参照されたい。
 経済専門紙『日経』は記事の量が多いが、中でも注目度の高い朝刊1面左側の特集で「危機再発の芽消えず」(9月15日)と伝えた。ウォール街に十分教訓が浸透していないことと、米国の住宅だけではなく商業用不動産の不良債権問題を指摘した記事の納得性は高い。
 金融危機は「大規模だがごく普通」のバブルの形成とその崩壊(バブルだから必然的に崩壊する)だった。その原動力は単に人間一般の欲だけではなく、他人のお金でリスクを取り高額の成功報酬を貪る金融のビジネスモデルにあるが、この原因はほとんど手つかずに残った。同様の問題が遠からず起きるにちがいない。
 総合点で『日経』は66点と経済記事では他紙をはっきり凌駕した。さすがだ。しかし、偽装請負問題でキヤノンを批判できなかったような根性の無さや、一般記事で時に一歩遅れて「日を経た」記事を書く弱点がある。ビジネスパーソンは他紙と併読したい。
 『読売』の指摘する「懲りないウォール街」(9月14日朝刊)、原油・金価格の再騰に見る「マネーの再膨張」(9月15日社説)の懸念はもっともだ。各紙を読み比べると『読売』の取材力は充実していた。民主党のマニフェストも公的年金の損失額も他紙よりも早く抜いて書いていた。総合61点。
 『朝日』(9月15日)が指摘するように実体経済面で日本の傷は深く、「需要もとに戻らぬ」が現実だ。「中央銀に『やりすぎ』批判」(9月14日朝刊)といった視点も大切。過去三年、『朝日』は60点だ。偽装請負の報道はスポンサーを怖れず面目躍如だったが、ここのところ取材力が落ちている(明確に読売に劣る)。
 『毎日』は一周年の15日の朝刊トップで「強欲が復活ウォール街」と大見出しを打ったが、「変わらぬ『無責任』の土壌」と題した前日の社説と共に、最重要のポイントを突いた。過去を含む総合評価は60点。記事の分量は読・朝とはっきり差があり戦力不足が見える。日米政府に分け隔て無く説教する社説など、取材力不足をオピニオンで補う産経的路線にやや傾く。
 オピニオンといえば『産経』だが、総合的に経済記事は手薄だった。49点。主なニュースが外国で起こる時に夕刊無しは痛い。リーマンショック1周年の特集は充実しており、日本のデフレの指摘(11日)も重要。
 『東京』の経済記事は分量は多くないが、的確な理解が好印象。64点。今回はシリーズとして読み応えあり。
 読者のご愛読に深謝。
===============================

【6月2日】会社員の自由と不自由

2010-06-02 22:24:05 | 講義資料
 今回は、会社員になると、どんな自由と不自由があるかについて考えてみましょう。以下の拙文は、私のブログ「評論家・山崎元の『王様の耳はロバの耳』」にも同文を投稿しました。
(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/)
 働く大人の読者から有益なコメントが入るかも知れないので、そちらの方もたまに見てみて下さい。

===========================

「会社員の7つの不自由」

 今週は、獨協大学の学生諸君と、主に「フリー」と呼ばれる立場との比較で、会社員の何が自由であり何が不自由かということについて考えてみたい。私は、十分とはいえないが、両方を経験しているので、実感を正直に書いてみたい(「お前は、どっちも中途半端ではないか」という批判は甘んじて受ける。批判すること自体がアホらしいだろうけど・・・)。

 フリー(独立自営業)は、まさにフリーと呼ばれるくらい自由なので、会社員の不自由な点を幾つか挙げてみよう。

(1)副業の不自由

 本来、人は、何をして働いてもいいはずだし、仕事は一つでなくても構わない。
 しかし、多くの会社が、就業規則に副業の禁止を謳う。判例的には、副業は原則自由なのだと教えて下さった先生がいらしたが、会社と裁判して勝っても、十中八九は不幸せだろうから、現実的には、「『副業の禁止』を原則禁止」しなければ意味がない。
 会社の許可を取ればやってもいい場合があるだろうが、一々許可や報告が必要だということ自体が不自由だ。
 この点、フリーであれば、職種・職業上の制限はあるかも知れないが、何をして働いたらいいか自分で判断して、決めることが出来る。評論家がバーテンダーでも構わないし、作家が通販会社を運営していても構わない。
 副業、あるいは複業の自由は、現状では、フリーの身分の大きなメリットだが、これが会社員にもあって悪いことはない。会社は、他人の自由に嫉妬しないで、社員の副業を原則的に認める方向に変化すると世の中がより楽しくなるのではないか。

(2)意見発表の不自由

 世間体を気にする企業に所属していると、意見を自分の名前で発表することが難しい場合が多い。個人名で意見を自由に言えないことは、重大な人権侵害だと思うのだが、就業規則に規定があったり、規定はないけれども事実上禁止されていたりする場合が多い。
 たとえば、銀行に勤めていたら、金融行政に関する個人的な意見を雑誌に実名で投稿することは難しいだろうし、金融でなく、政治や社会一般に関する意見でも、実名で発表することが困難な場合が多い。証券会社でもそうだし、保険会社でもそうだし、商社でもそうだった。メーカーなど他の分野の事業会社でもそうだろうし、お役人さんもそのような場合が多そうだ。一見自由に見える外資系の会社でも、日系の会社よりも厳しい場合がしばしばある。
 フリーの立場から見ると、会社員は社内に於ける評判を意識しすぎではないかと言いたい場合があるだろうが、名前を出すことの実害が存在する場合は頻繁にある。また、単に本人の気分だけの制約ではあっても、そう思わせる雰囲気が会社組織に存在する場合が多い。これも十分実害だ。
 たとえば、証券会社の場合、証券会社の肩書きを持つ社員が発言したこと(たとえば相場に関する個人的見通し)が、所属会社の意見と混同される場合があり、これを避けるために、社員の個人的な発言を規制する場合があるが(もともと「コンプライアンス」は法令遵守よりも先にこの種の問題だった)、この場合、一つには発言の責任所在について誤解する情報の受け手側に問題があるし、混同が起こると拙いからといって、会社が社員個人の基本的な権利を制約して物事を片付けようとするのは安易だ。せめて、発言する際のルールを明確化するくらいに留めるべきではないだろうか。
 貴重な情報や優れた意見を持っている人が多数居るはずの会社員や官僚が自由に発言できない状況は、社会的にも損失が大きいと思う。

(3)投資の不自由

 これは大きな不自由ではないが、インサイダー取引に関する規制などを考えると、勤務先の株式(転換社債なども同様)を投資対象にしない方がいいし、取引先についても投資対象から外す方が無難であることが多い。
 そもそも、勤務先の株式を持つということは、リスク分散の観点から好ましくないし、社内にいると会社のことがよく分かるかというと、投資に関しては案外そうでもない場合が多いので、自社株や取引先の株式に投資できないことは、実質的にそう大きなハンディキャップではないが、仕事の関わりで得た情報が貴重な投資情報に見える向きには、我慢することが苦しい種類の不自由かも知れない。

(4)購入商品の不自由

 たとえば、キリンビールの社員は、同僚や先輩がいる場所で、アサヒのスーパードライを飲みにくいに違いない。また、三菱グループの会社の宴会で、乾杯のビールをスーパードライにすると、幹事さんは後で叱られるかも知れない(逆に、住友グループなら、スーパードライでなければならない)。
 日立製作所の社員は東芝のダイナブックを使いにくいだろうし、東芝の社員は日立のフローラを買いにくいだろう。或いは、トヨタ自動車の勤務先に、日産の車で毎日自動車通勤する社員が居たら立派なものだ。
 この種の不自由は会社にもよるだろうが、商品選択の幅が狭まるくらいのことはいいかも知れないが、生活上のこまかな好みに会社が関わるというのは気持ちのいいものではない。フリーの場合、この点の気遣いはない。

(5)人間関係の不自由

 俗に「バカの下にも3年」という言葉がある。ムシの好かない上司でも、3年くらいすれば異動してしまうから我慢しよう、という意味だが、「人生に於いて、3年は長い」とフリーなら思うだろう。もちろん、上司の側が「バカの上にも3年」と思って我慢するケースもあるはずだ。
 会社組織の場合には、人事は全員の希望するようにはならないので、気が合わない相手とも付き合わなければならない場合がある。特に、同じ会社で上司と部下、あるいは同僚として働く場合には、嫌な相手でも深い付き合いを余儀なくされる場合がある。
 多くの場合、フリーの人間がフリーで良かったと思うのは「嫌な奴と無理に付き合わなくてもいい」という点であり、「嫌な奴」でイメージされる人物の多くは同じ会社の人間だ。

(6)時間の不自由

 いわゆる「9 to 5」のシステムに組み込まれた会社員生活の大きな不自由は、時間の使い方にある。もちろん、多くの会社で9時-5時よりも長い時間拘束される。
 会社員は、給料と引き替えに会社に時間を売っている関係にあるので、ウィーク・デイはたいした仕事が無くても、カラダを会社に置いて、位置エネルギーを換金しないといけない。位置エネルギーだけで商品になる点は、フリーから見て会社員の羨ましいところだが、人生全体の問題として考えると無駄が大きそうだ。
 一方、フリーだと、たとえば平日の空いている時間帯にゆっくり映画を観ることも出来る。必ずしも経済的に恵まれていなくても、時間の自由を味わえるので、フリーの立場に満足する人は少なくない。また、いったんフリーをやってしまうと、この種の時間の自由が癖になって捨てがたくなる。

(7)仕事の不自由

 会社員の多くは、自分で自分の仕事を選ぶことができない。たとえば、総合商社の入社式では、自分の意図しない部署に配属されて泣く新入社員がいる場合もある。
 会社生活では、何度も人事異動があるのが普通だが、自分のやりたい仕事ばかりであるとは限らないし、不本意な仕事に就いている年数は、フリーから見ると「人生のムダ」だ。



 さて、一方的に、会社員(あるいは、お役人)の側の不自由を書いてみたが、上で挙げたポイントにあっても、必ずしも「フリーの方が自由だ」と言い切れるものではない点に注意が必要だ。

 フリーの場合、喰わなければならない、働く場を得なければならない、という問題がある(注;両者は重なり合うが、全く同じ、ではない)。フリーは、日本語で言い換えると、「自営業」だが、「自分で業を営む」という以外に、「自分という商品を、営業(セールス)しなければならない」という面がある。
 従って、相手が嫌な人間であっても、取引相手だったり、自分にチャンスをくれる人間だったりした場合に、この相手と徹底的に付き合わなければならないケースはある。
 また、フリーは仕事を選べる立場だが、率直に言って、仕事を断る際には勇気が要る。一度断ればその相手からは二度と依頼が無いかも知れないし(たとえば、放送、出版のような属人的仕事の場合、よくあることだ)、フリーは多くの場合経済的に不安定なので、出来るだけ多くの仕事を抱えておきたいと思う場合が多い。
 フリーの場合、実質的な立場を考えると、「人間関係」や「仕事」はよほど実力と自信を蓄えないと「私は、自由だ」と言い切れるほどのものにならない筈だ。
 また、時間の点でも、仕事を抱え込んだフリーは、仕事が完成するまで自分の時間を投入しなければならないので、全く自由時間が無くなるような状況に陥ることがある。元を辿ると自分の選択ではあっても、結果が不自由になることもある。
 アイドルの追っかけ(熱心なファン)で多い職業は地方公務員だと聞いたことがあるが、勤務時間が一定で、収入が安定している立場の人だからこそ得られる自由もあるということだ。



 学生は、会社員、或いは公務員とフリーの何れになりたいと思うのだろうか。彼らの反応が楽しみだ。

==========================

【6月2日】鳩山内閣を振り返る

2010-06-02 18:08:39 | 講義資料
 鳩山首相が6月2日に辞任を発表しました。今回は、民主党政権のこれまでと、今後について考えてみます。
 以下の文章は、メールマガジン「JMM」(過去分の閲覧、申し込みは、http://ryumurakami.jmm.co.jp/index.html。購読は無料)の昨年8月24日号に私が投稿した回答文を見て、かつて民主党政権に何が期待されていて、その後の現実はどこが違っていたかを、主に経済政策の面から振り返ってみましょう。

 村上龍さんの質問文は以下の通りです。
「Q.1025 総選挙は、民主党の優位が伝えられています。政権交代が実現した場合、日本の経済状況は変化するのでしょうか。変化するとしたら、どういう変化が予想されるのでしょう」

 この種の論評を後から振り返るのは、書き手にとって苦痛な作業ですが、自分が何を考え、特にどこで間違っていたかを振り返るのは、時々必要なことです。
 尚、他の方の回答文もJMMのサイトで読んでみて下さい。
(全回答一覧;http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/economy/question_answer566.html)

 また、鳩山内閣の最後について触れた文章では、私が「ダイヤモンド・オンライン」に書いた文章も読んでみて下さい。鳩山首相の辞任一日前の6月1日に投稿したものです。
(http://diamond.jp/articles/-/8308)



山崎元の回答文
==================================
 世論調査に基づく報道ベースでは、選挙の形勢は民主党の優勢から圧勝を示唆する
ものが多く、特に先週の木曜日、金曜日に相次いで発表された大手新聞社の調査では、
何れも民主党が300議席を超えるのではないかという予想数字が報道されました。
選挙はやってみなければ分かりませんが、政権交代の可能性は現在かなり大きいと見
ていいでしょう。

 政権交代後の経済情勢を占う簡単な参考データーとして株価と長期金利とを見ると、
株価はここのところ日経平均で1万円台を回復し、これをキープするなど堅調な推移
となっており、一方、長期金利は概ね安定的で、先週末は1.3%そこそこに低下し
ました。大雑把で荒っぽい解釈ですが、株式市場の参加者は民主党政権になっても概
ね現在の延長線上程度の景気が維持されると思っているのでしょうし、他方、ことさ
ら「財源」が攻撃対象になっている民主党の政策ですが、国債市場の参加者は、今の
ところ、民主党政権の誕生で国債発行が急増するような事態を懸念している訳ではな
いようです(より正確には自民党政権と大差なし、という判断でしょう)。

 もともとかなり前から民主党優勢が伝えられているので、市場の参加者にとっては
政権交代が市場用語で言う「織り込み済み」なのですが、少し長い期間(数ヶ月間)
で見るとしても、政権交代による、景気の腰折れや財政赤字の急増による国債市場の
混乱といった事態は懸念されていないようです。つまり、一番ありそうな事態は、政
権交代があっても日本の経済状況に不連続で大きな変化は無いと現在多くの国民が見
ているように思います。

 そう考えると、麻生首相が演説で強調している、日本の景気対策は現在道半ばなの
で、現与党がこれを継続することが必要なのだ、との訴えは有権者の心にほとんど響
いていないことでしょう。

 一方、民主党の鳩山代表が「現在の補正予算の未執行分を民主党の政策の財源に充
てる」と言った発言は些か軽率だったと思います。ただでさえ政権交代を見越して駆
け込み的な予算執行が増えやすい状況で、このようなことを言うと混乱を助長する可
能性があります。実際、補正予算の駆け込み消化が増えているとの報道も目にしまし
た。鳩山代表は、麻生首相や先々代の安倍元首相などと比較すると相対的には知的で
言葉も丁寧であるような印象を受けますが、何度かの発言の修正(たとえば「消費税
の議論の可否」など)の様子を見ると、「言葉が軽い」印象を受けます。選挙期間中
も、上手く行って政権交代が出来てからも、彼の失言や発言の訂正で民主党が信用を
失うことは心配です。

 マクロ的な経済運営としては、(1)急に緊縮的になって経済に需要減少のショッ
クを与える可能性と、(2)非効率的で有効でない大きな支出を行ってしまう可能性
の二つが心配ですが、これらの二点に関しては、幸い大丈夫そうな感じがします。

 民主党のいう「ムダづかい」の削減だけが突出して行われた場合、15兆円の補正
予算が実行された今年度比では大きな総需要減になる可能性があり得ますが、現実的
には、子ども手当などの給付は来年度から行われますし、政府の「ムダづかい」の削
減はある程度時間を掛けて行われることになるので、過剰な緊縮のインパクトが生じ
ることはなさそうです。

 また、子ども手当は来年度に半分(注:私は、はじめから満額でもいいように思い
ますが)、再来年度から満額となりますが、年間5.5兆円程度の金額となり、これ
は財政赤字でファイナンスされる場合、定額給付金の2兆円且つ1回限りよりもかな
り大きなインパクトの需要追加となります。減税や給付金による需要の追加は、その
使途を個々の国民が判断することができるので、「効果的でない公財政支出」よりも
フェア且つ効率的でムダがないでしょう。たとえば、今年度に景気対策として行われ
た補正予算が自動車と電気製品(学校のPC、太陽電池、エコポイント付き家電な
ど)の購入に偏ったことなどに較べると、家計へのお金の配分の方が随分ましではな
いでしょうか。

 減税あるいは給付金の効果は、長期的には、主に分配政策として見るべきであって、
需要拡大効果は限定的です。短期的には政府の財政が介在しますが、長期的には税金
が給付ないし減税に回るだけなので、需要拡大の効果はせいぜい低所得層の方が消費
性向が大きいことの効果にとどまります。しかし、社会的に富の分配を伴う福祉が必
要だとすると、大きな官僚機構や公共事業を通じて行う施策よりも、直接的に無駄な
く分配を行うことが出来ます。

 そもそも政府に「成長分野への民間よりも有効な投資」期待すること自体が現実的
でないと考えるなら、必要な再分配を効率よく行って、政府機構自体を肥大化させな
い政府は「ましな政府」だろうと思います。政府に「成長戦略」など求めるのは危険
です。成長は、主に民間の努力と幸運によって実現するものです。成長を邪魔しない
政府であってくれれば十分ではないでしょうか。とはいえ、「邪魔しない度合い」は
マニフェストを見る限り民主党と自民党で五十歩百歩です。規制緩和には、もう少し
努力が必要でしょう。

 さて、民主党を中心とする政権に政権交代が時点元した場合に経済状況になるかに
ついては、民主党が目指していることと、現実に実行できることの二点について考え
なければなりません。

 特に、民主党が主張するような「ムダの排除」を伴う「脱官僚」を実現するために
は、かなりの戦略性が必要です。なぜならば、政府の施策は結局は官僚機構を使うこ
とによって行わざるを得ませんし、政策に関わる情報やノウハウの相当部分を官僚機
構が持っていることも現実です。

 民主党のマニフェストを見ると、地方自治体の効率化については殆ど何も語ってお
らず、政権交代当初は、中央官庁関連の効率化に注力する戦略を持っているのではな
いかと想像します。ただ、こと中央官庁に対象を絞るとしても、中央官庁全体を均等
に敵に回すのは大変でしょう。現実的には、敵を適当な単位に分断し、官僚について
も、モチベーションを上げて協力させる官僚と、整理ないしコストカットの対象にす
べき官僚を、両方作り、前者の協力の下に後者の抵抗に対処するような戦略的なマネ
ジメントが必要です。現実的にその方法は「ある」だろうと考えますが、果たして、
民主党政権がこれをどの程度実行できるかが最大の注目点です。

 ところで、総選挙の公示後に、都内のある飲食店の郵便受けに自民党のマニフェス
トと共に投函された同党の政策パンフレット「知ってドッキリ 民主党 これが本性
だ!!」と題する小冊子を見せて貰いました。幸い、自民党のホームページにもPD
Fファイルがあるので、是非ご一覧下さい。
( http://www.jimin.jp/sen_syu45/seisaku/pdf/pamphlet_honsyou.pdf )

 「民主党には秘密の計画がある!! 民主党にだまされるな!」というサブタイト
ルがついていて、中身には、「第1章 民主党と労働組合の革命計画」、「第2章 
日教組 教育偏向計画」、「第3章 日本人尊厳喪失進行中」とあって、それぞれの
項目で「民主党には隠された邪悪な意図があるから、騙されないように気をつけま
しょう」といった文脈の民主党批判が書かれています。個々の批判については論評し
ませんが、この稚拙な書きぶりと、文書としての下品な作りを見たときには、街宣車
で騒いで歩くような団体が作成したものかと思ったのですが、冊子の裏に「自民党
www.jimin.jp 」とあって、私は心底驚きました。端的に言って、逆効果ではないで
しょうか。

 そもそも今日の財政赤字を作ってきた政権党である自民党が、自党の政策に掛かる
費用も示さずに、民主党の政策の「財源」を批判するアンバランスに違和感を感じて
いましたが、百歩譲って、これは政策論だから、議論すること自体はいいでしょう。
また、二代にわたって首相が政権を投げ出し、さらに選挙直前まで「麻生降ろし」で
ドタバタしていた自民党がキャッチフレーズとして「責任力」を掲げるのは不思議で
すが、政治上のブラック・ユーモアとして笑って済ませることが出来ます。しかし、
上記の小冊子をはじめとする自民党の民主党に対するネガティブ・キャンペーンは、
内容以前に、あまりにも品が無く、言葉を失います(思い切って言えばアメリカの選
挙並みの下劣な品性を感じます。戦争に負けたからといってここまで真似しなくてい
い)。自民党のセンスの問題を現状で問うても仕方がないとしても、自民党にも選挙
コンサルタントなり広告代理店なりがついていると思うのですが、今回はどこの会社
がついているのかが気になります。

 それにしても、小泉純一郎元首相が言った「自民党をぶっ壊す!」という宣言が、
想像を超える完璧さで実現しつつあることには「感動」します。これは、約束の範囲
を超えて実現された「超公約」として長く記憶に残りそうです。
=================================

<考えてみて欲しいこと>

① 筆者(山崎)は、民主党政権の経済政策的性格をどのように捉えているか。それは、どの程度当たっていたか?

② 筆者の見通しが最も大きく外れている(あるいは「間違っている」)のは、どの点か?

③ 民主党政権はこれからどうしたらいいか?