山崎元の「会社と社会の歩き方」

獨協大学経済学部特任教授の山崎元です。このブログは私が担当する「会社と社会の歩き方」の資料と補足を提供します。

【春学期 2回目】企業の将来性をどう考えるか

2011-04-27 18:58:05 | 講義資料
 今回は、「企業の将来性を評価する」ことについて考えてみたいと思います。

 先ず、このエントリーの図で皆さんのご関心が高いであろう就職ランキングの変遷を見てみて下さい。どのようなことをお感じになるでしょうか?

 学生の就職人気ランキングに関してよくある大人の感想は、
「企業の盛衰は長い間には随分変わるものだ」(← 本当にそう思う?)、
「学生の人気は当てにならない」(← 案外そうでもない、とは言えないか?)、 
「人気企業に入ったからといって幸せになるとは限らない」(←負け惜しみじゃないか?)、
といったものですが、先入観を捨てて、何が言えそうか、しばし考えてみて下さい。

 ご参考用に、企業の売上高ランキングと時価総額ランキングの変遷も別のエントリーの図表として載せておきます。

 また、昨年の秋学期の授業で使ったデータですが、このエントリーの図よりもさらに長期にわたる人気ランキングの変遷を以下に再掲載しておきます。

★1965年
1 東洋レーヨン
2 大正海上火災保険
3 丸紅飯田
4 伊藤忠商事
5 東京海上火災保険
6 三菱商事
7 旭化成工業
8 松下電器産業
9 住友商事
10 三和銀行

★1970年
1 日本航空
2 日本アイ・ビー・エム
3 丸紅飯田
4 東京海上火災保険
5 伊藤忠商事
6 三井物産
7 三菱商事
8 松下電器産業
9 住友商事
10 電通

★1975年
1 日本航空
2 伊藤忠商事
3 三井物産
4 朝日新聞社
5 三菱商事
6 丸紅
7 東京海上火災保険
8 日本放送協会
9 日本交通公社
10 電通

★1980年
1 東京海上火災保険
2 三井物産
3 三菱商事
4 日本航空
5 日本放送協会
6 サントリー
7 三和銀行
8 安田火災海上保険
9 日本生命保険
10 住友商事

★1985年
1 サントリー
2 東京海上火災保険
3 三菱商事
4 住友銀行
5 日本電気
6 富士銀行
7 三井物産
8 日本アイ・ビー・エム
9 松下電器産業
10 日本生命保険

★1990年
1 日本電信電話
2 ソニー
3 三井物産
4 三菱銀行
5 東京海上火災保険
6 三和銀行
7 東海旅客鉄道
8 住友銀行
8 日本航空
10 全日本空輸

★1995年
1 日本電信電話
2 東京海上火災保険
3 三菱銀行
4 三井物産
5 伊藤忠商事
6 東海旅客鉄道
7 三和銀行
8 三菱商事
9 第一勧業銀行
10 富士銀行

★2000年
1 ソニー
2 日本電信電話
3 日本放送協会
4 NTT移動通信網
5 サントリー
6 JTB
7 電通
8 博報堂
9 本田技研工業
10 資生堂

★2005年
1 トヨタ自動車
2 電通
3 ジェイティービー
4 サントリー
5 日本航空
6 全日本空輸
7 東海旅客鉄道
8 日産自動車
9 博報堂
10 本田技研工業

【出典元】
データはリクルートワークス研究所による。1995年卒分までは「大学生男子の人気企業調査」、2000年卒分は「大学生の企業イメージ調査」、2005 年卒分は「採用ブランド調査」より。1965年卒~1995年卒分は男子学生のみ・文系のランキング、2000年卒、2005年卒については「男女計」の 全体のランキング。表記している社名は、ランキング発表時のもの(http://job.rikunabi.com/2011/media/sj /student/ranking/ranking_vol02.html)

【春学期 1回目】ガイダンス

2011-04-20 19:08:51 | 講義資料
 2011年春学期の「会社と社会の歩き方」を開講します。

 1回目の今回はガイダンスです。
 「会社と社会の歩き方」は、キャリア・プランニングの考え方を中心に、将来ビジネス・パーソンとなった場合に知っておきたい物の考え方やノウハウを受講生にお伝えすることを目的とします。
 テーマは、その都度変更することがあり得ますが、キャリア・プランニングの考え方と転職のあれこれについては必ず取り上げる予定です。
 学生諸君は、おそらく就職の問題で頭が一杯でしょうが、職業人生は新卒の就職の後(通常は)40年近く続く長いプロセスであり、就職決定だけで決着がつくものではありません。「就職の後に何を考えたらいいか?」について、イメージだけでも持っておく方がいい。
 転職は、「しなければならない」というものではありませんが、誰でも「必要になる」場合がありますし、「転職もある」と考えることによって、キャリア・プランニングの幅が大きく拡がります。就職する前の皆さんに転職の仕方を教えるのはいかがなものかと思わなくもありませんが、「知っておいて損はない」と思うので、敢えてご説明しようと思っています。
 講義の予定は以下の通りです。「会社と社会の歩き方」の過去のブログ、及び、インターネットで無料で閲読できる拙稿があるものについて、関連するテーマの原稿のURLを載せて置きます。予習・独習をされたい向きは、ご参考にされて下さい。

第一回:ガイダンス+山崎元の転職(12回)遍歴自己紹介

 就活の先にある「キャリア・プランニング」の重要性について語り、授業の方向付けをすると共に、今後の授業予定のガイダンスを行う。
 併せて、「山崎元の転職小史」的な自己紹介を行う。私の職歴を表にまとめてみた。参照されたい。

第二回:会社の将来性を評価することが可能か

 「成長性のある業種・企業を選びましょう」とはよく言われることだが、学生、あるいはビジネスパーソンは、会社の将来性をどの程度判断することが出来るだろうか。
 結論を言えば、業種や会社の長期的将来性など分かりはしない。会社を評価するに際して「ある程度の常識」は存在するし、「会社の調べ方」も知っておく必要があるが、キャリア・プランニングにあたっては、「将来の見通しは難しい」「見通しが外れることがある」ということを前提条件として織り込む必要がある。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/2e561567667f296a1efddf62343596f1)

第三回:仕事のやり甲斐を決めるものは何か

 仕事は「やり甲斐」が大切だと言われる。これはその通りだ。人生の、そして一日の重要な時間を仕事に注ぎ込むのであり、やり甲斐の無い仕事は続けることが苦痛だ。
 では、仕事のやり甲斐を決める要素は何か、「価値観」と仕事との関係をどう考えたらいいか、等について私の考えを述べる。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/ec2d0cffdb37fbcda24f971e0caac46e

第四回:人材選考のポイントと戦略 (面接の“本当の”達人、とは?)

 人材を選ぶ側は何を考えているのだろうか? 特に、「面接」にあっては何が重要で、どのような準備が必要なのか。面接対策として万能の方法は無いが、改善の手掛かりはあるし、基本的に準備すべきことは、そう多いわけではない。
 学生を見、就活関係の報道を見ると、有効でない自己アピールや自分探しに嵌って、無駄な努力をしている学生が多いように思う。面接の極意は、自分をアピールすることではなく、「相手の気持ちを理解した」という共感の気配を相手に効果的に伝えることだ。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/4b1ea8f3dd7078dffec06ef8ece9e5ac
 http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/fb0302445c7ce5995edb16f2b44dc2f5)

第五回:職業人生設計の基本(「28歳」と「35歳」)

 本講義の中核となるパートだ。
 一つの目処だが、キャリア・プランニングにあっては、「28歳」と「35歳」という二つの年齢が重要だ。28歳までに、自分が時間と努力を投資する「自分の職」を決め、35歳までに「自分の人材価値」を確立することを実現したい。もちろん、それぞれに、理由がある。
 職の選択にあたっては、機会費用やチャンスのオプション価値を意識する必要があるし、人材価値と年齢の関係も経済原則として理解しておきたい。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/c949465747bde9f8323a24e196b20978)


第六回:女性、或いは外資のキャリアプランニング

 現実問題として、キャリア・プランニングには男女差がある。女性の場合、決定的に問題なのは、結婚と出産、特に出産とキャリア・プランニングの関係だ。
 たとえば、子供を早めに産むことと、遅めに産むこととの間には、どのような損得の差があるか。人生は計画通りにはいかないが、それでも、選択の損得とその発生要因を理解しておくことは有用だ。
 併せて、外資という選択肢のキャリア・プランニングについても考えてみる。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/d49af5523b2a345675d5e331754c3e80)

第七回:「稼ぎの差」ができる原因

 同じ大学を同じくらいの成績で同じ時期に出ても、何年かたつうちに、卒業生の間で、経済的には大きな差が生じる。端的に言って、稼げる職業と稼ぎにならない職業があるが、この差をもたらすものは何だろうか?
 経済学的にも興味深い奥の深いテーマだが、考えてみる価値がある。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/a95510bbf022e4c4e905c800eaf23f3b)


第八回:成果主義といかに付き合うか

 近年、「成果主義」が普及してきたことは間違いないが、成果主義と呼ばれるものには、日本の大企業で多く採用されている「陰気な成果主義」と、外資系に多い「陽気な成果主義」がある。前者には深刻な欠点があり、後者にも弱点がある。
 二つのシステムは、全く異質なものであり、両者をゲームのルールとして考えると、そこでのプレーヤーの行動スタイルも違っていなければならない。両方のルールを深く理解することは、現代のビジネスマンにとって必要であり、有効だ。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/1d1f4f9d85a75e516e3a232416ba0970)

第九回:組織内の「人間関係」と「出世」について

 組織で仕事をする上で、人間関係はきわめて重要だ。人間関係について、どのような原則を持っていたらよいか、なるべくシンプルで応用範囲の広い原則を考えたい。
 また、「出世」は昔も今もビジネスマンの大きな関心事だ。出世するタイプの人間像の特徴は何か、出世にこつはあるか?(→ある!)

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/38bb3fcad3630d36e23bd1ffb8b4fc32
 http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/20110120.html)

第十回:転職の理由と目的について

 前述のように、企業の先行きは見通せないものだし、企業と社員との相性も変化する。将来「転職」と絶対無縁であると言えるビジネスマンはごく少数だし、転職を選択肢に加えることによって、職業人生の可能性はかなり拡大することが出来る。
 転職の理由や目的について整理して理解し、どのような場合に転職を考えるべきかについて、将来考える手掛かりを持っておきたい。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/96e8d1b209b9cc5afb72373292dd8e7f)

第十一回:転職の具体的な手順と注意点

 転職にも、手順と方法、実行に当たっての注意点があるが、これを体系的に教わる機会は少ない。世にある多くの転職指南書は、採用内定を貰うところまでに話題が集中して、会社の辞め方や、新しい職場で注意すべきことなど、現実には重要な注意事項が漏れている場合が多いように思う。
 私の失敗談の教訓も含めて、将来役に立つ(かも知れない)実践的な転職ノウハウを伝えたい。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/0e415d949fb7915ae23642c8d9186b10)

第十二回:ビジネスパーソンの情報収集と勉強法

 多くの職種で、働きながら勉強を続けて自分をバージョン・アップし続けることが重要だ。また、ビジネスマンとして、日々の情報収集をどうやったらいいか、についても知っておきたい。
 私は、勉強マニアでも情報整理マニアでもない、どちらかといえば億劫がりのビジネスマンだが、私なりの勉強の方法論をお伝えしたい。

(http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/20101216.html)

第十三回:内部告発で組織人の倫理を考える

 正義について、会社(官公庁でも)と社会で大きなギャップが生じて、会社員が悩んだり、困ったりする場合は少なくない。近年、内部告発が増えているが、内部告発者には大きな悩みがある。
 具体的な例について考えてみると共に、私が当事者になった例についても語ってみたい。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/701b8a9fa3d41e869e7705c1daa076a1)

第十四回:「副業」あるいは「複業」のすすめ

 就職前の学生に、早くも副業を勧める、というのは、些か気が早いようにも思うが、現代のビジネスマンの仕事は一つでなくともいいし、現実に副業をしなくても、「別の仕事」の現実的可能性を確保しておく方が、より安全だ。
 副業に関するメリット、デメリット、一般的な注意事項などについて伝えると共に、私が経験した「評論家」を例にとって、副業の始め方、育て方などについてお話しする。

(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_dokkyo/e/1c58e472035f683dd5038e9f132638b7)

第十五回:まとめ ~これから世に出る君たちに~

 最終回は、試験の予告と解説が中心になるが、併せて、私が授業を通じて言いたかったことの補足を行う。
 「会社と社会の歩き方」全体を通じた私の主張を総括すると共に、こらから働く若者に対して、(なるべく明るい!)メッセージを伝えたい。

【秋学期 14回目】最終回

2011-01-12 22:43:43 | 講義資料
 最終回は、秋学期の授業全体でお話ししたかったことのまとめと、翌週の試験に関する説明をします。試験については、基本的にその場で考えて書いて頂く形式を採りますが(記述式。600字程度)、出題のテーマと狙いについては、この最終回の授業で詳しくご説明します。

【秋学期 13回目】ビジネスパーソンの人間関係など

2010-12-22 17:20:11 | 講義資料
 12月23日の授業は、当日が祝日(天皇誕生日)でもあり、少しのんびりと話をしようと思っている。テーマは、ビジネスパーソンの「人間関係」のあれこれだ。

 人間関係に対する考え方は人それぞれだし、その人の個性や環境によって多様であり得るが、人間関係に関わる方法論は自分では気づきにくい場合が少なくない。ご参考になる話が、できれば幸いだ。

 以下の諸点についてお話しする予定だ。

<主に社内の人間関係について>
(1) 入社(転職での入社も含む)して最初にやるべきことは何か?
(2) 「自己紹介」の注意点
(3) 21世紀における先輩・後輩関係
(4) 「同期」の効用
(5) 社内派閥をどう扱うか
(6) 社内恋愛について(自分の場合、他人の場合)
(7) 「飲み」について
(8) 転職と人間関係

<主に社外の人間関係について>
(1) 同業他社との付き合い
(2) 異業種交流会・勉強会のコツ
(3) 人脈の作り方(どうやって役に立つ人間関係を結ぶか)
(4) 人脈の価値とその維持について

(※)23日に出席できない学生へ。
 内容について、ブログにUPできるかどうかは、私(山崎)の年末のスケジュールなどによるが、今回の話は、試験には出題しない。なお、試験については、1月13日の授業で詳しく説明する予定だ。

【秋学期 12回目】「副業」あるいは「複業」について

2010-12-15 23:46:28 | 講義資料
 今回は、「副業」あるいは「複業」がテーマだ。就職前のみなさんには、具体的なイメージが湧かないことが多いだろうし、就職直後の数年は副業・複業の余裕がないかも知れないが、将来の選択肢として複数の仕事を持つことについては是非頭に入れておいていただきたいし、多くの人が可能ならやってみてもいいのではないかと思う。
 以下の文章は、リクルート・エージェント社のサイトの「ビジネス羅針盤」という連載コラムに「副業または複業のすすめ」と題して寄稿したものだが、複数の仕事に関わることのメリット・デメリットについて考えてみて欲しい。
(http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/bn.html)
 尚、授業では、「評論家」「著述家」を題材に、私が現在の仕事を副業を通じて育ててきた過程についてもお話ししてみたい。基本的に「副業としての評論家のすすめ」を述べてみたい。「評論家」は、多くの人が副業ないし本業にできる稼ぎのスタイルだと思う。



『副業あるいは複業のすすめ』

★副業は趣味よりも面白い

 本稿では、ビジネスパーソンの皆様に副業をお勧めしたい。現在ただちに始めなくとも、将来副業を持つことを意識した方がいいという意味では、読者の大半に当てはまる話だ。現在、高収入な人でも、低収入な人でも、あるいは、何らかの特別なスキルを持っていてもいなくても、副業は考えてみる価値がある。

 筆者が現在「経済評論家」を名乗ってやっている原稿書きやテレビ出演、講演などは、かつて筆者にとっては副業だった。

 現在、会社員としての仕事の時間や収入よりも、経済評論家方面の仕事のウェイトが高くなったので、これを副業と呼ぶのは不適当かも知れないが、始めたプロセスは完全に「副業として」であった。少し気取って言い換えると現在、複数の仕事があるという意味で「複業」の状況になった。

 あなたの場合は独立する勇気がなかっただけだろう、と言われたら。「はい」とお答えしよう。いきなりの独立にはかなりのリスクがあるが、副業なら、リスクの程度をある程度自分でコントロールできる。完全独立も一つの選択肢だが、複業も悪くない。

★副業を持つことをお勧めしたい理由は大きく言って二つある。

 一つは、副業は張り合いがあって面白いからだ。敢えていえば、同じ事を趣味としてやるよりも、仕事としてやる方が、張り合いがあって面白い場合が多い。全てがそうだ、と言い切る自信はないが、多くの場合にそうだろう。

 たとえば、経済や政治あるいは社会問題、文化などについて考えたり発言したりすることに興味がある場合、現代であればブログなどを立ち上げて自分の意見を多くの人に発信することは難しくない。もちろん、それも悪くないのだが、出版社などの依頼者から依頼を受け、これに応えて、お金を貰う「仕事」として意見発信を行う方が、ずっと張り合いがある。

 もちろん、仕事として依頼を引き受けると責任も伴う。しかし、ある程度の責任や成否が問われるような負荷がないと、物事を達成した時に張り合いを感じないのも事実だ。こちらの仕事をビジネスとして評価してくれる依頼者からの手応えがあることは好ましいし、仕事ベースのアウトプットの方が、情報の受け手の受け止め方も真剣な場合が多い。

 原稿書きや講演のような、自分が知っていることを他人と共有する活動の多くは、これを仕事の状況に置くことで、充実感が増す場合が多い。また、料理でも、外国語でも、着物の着付けでも、他人にものを教えることが出来るスキルを持っている場合、趣味として同好者を募るだけでなく、お金を取って人に教えるというレベルまで持っていくと、単なる趣味とは別の張り合いが生じる。

 副業を持つことをお勧めする第二の理由は、少額ではあっても会社に頼らない稼ぎの道を持つことで、経済的な安心感や自信が増すことだ。

 勤め先の会社と個人の関係は、時間とともに変化する。現在、会社の業績が順調で、個人として快適に働いているとしても、会社の業況の変化、人事異動、家族や健康も含めた個人の事情の変化、心境の変化など、将来、会社と個人の相性がピッタリとは言えない場合が現れることは少なくない。こうした時に、会社以外の収入手段を持っていることは現実的なサポートになる場合があるし、それ以前に、自分の自信になる。勤めている会社以外の場所から、自分の仕事に対する対価を受け取るのは、なかなか気分のいいものだ。
本業と副業

 率直に言って、現在の企業の殆どは、社員の人生の終わりまで社員の生活の面倒を見る実力と意思があるわけではない。会社とは、案外頼りないものだ。

 しかし、多くの会社で、就業規則には「副業は(原則)禁止だ」という内容の規則が載っている。これは、「会社ごとき」の横暴だと筆者は思っているが、本業(副業を始める時点では勤務先の会社の仕事)と副業の関係をどう整理したらいいのだろうか。

 法律論は筆者の専門ではないが、副業それ自体は原則として会社が禁止できるものではないということについては判例が確定している。少なくとも、本業に支障を生じるような副業であるとされない限り、副業自体は自由だ。ある程度以上の大きさの企業の人事部は、この判例を知っているはずだ。

 しかし、現実に、面と向かって「副業をしたいのですが、いいですか」と問い合わせると、「ウチは原則禁止だ」「一体何をやるつもりなのか、詳しく説明するとともに、許可を申請しなさい」といった、不当に偉そうな答えが返ってくるはずだ。

 さて、どうすべきか。この種の問題には常に100%それでOKという回答がないことが多いが、この問題もそうだ。

 結論をいうと、本業の出退勤さえきちんとしていれば、目立たないように、断り無しに副業を始めても問題のないケースが多い。どうしても難しそうな会社に勤めている場合、会社の許可が必要だったり、当面諦めておくしかない場合があるが、諦める場合でも、将来、会社の延長以外に、自分で何が出来るかを考え、準備をしておく方がいい。ただ、多くの場合は、本業との衝突がない限り、見つかっても、黙認されることが多いだろう。また、ペンネームで直接仕事と関係のない本を書いたり、ネットを使った相談や物販などの副業を行っていたり、という程度のことなら、問題にならないことも多い。

 もちろん、本業に支障を来さないこと、本業の営業の秘密などを使った副業ではないことなどには注意がいる。しかし、本来、副業は個人の自由なのだということは知っておきたい。

★副業はためになる

 実際に可能な副業は、人により様々だが、たくさんある。

 いくつか列挙すると、先ず、趣味の延長線上にあるサービスの仕事があるだろう。スポーツにしても、将棋や囲碁、麻雀のようなゲームにしても、あるいは茶道、華道、楽器のような芸事にしても、高いレベルの能力と経験があれば、他人に教えることを仕事に出来る場合が多いし、その場所を提供したり、用具などの販売を行ったりといった副業につながる可能性が大きい。いきなり独立するのは難しくても、副業の形でなら、自分も楽しみながら安全にビジネスを立ち上げることが出来る場合が多い。

 もちろん、飲食業などのアルバイト、介護などのサービスのように、主に時間と体力を使う副業もある。副収入の道としては、手っ取り早いことが多いだろう。また、自分が興味のある商品の物販や、何らかの相談に応じるコンサルティング、自分のブログなどを使ったアフィリエイトビジネスなど、近年であればインターネットを使って顧客にアクセスするビジネスで副業が立ち上がる場合も多い。他人よりも詳しくて、毎日語っても話題が尽きないくらいの興味があるテーマがあれば、何らかの副業に利用できる場合が多い。兼業禁止が厳しい会社に勤めている場合でも、別名を使ってビジネスが出来る場合が多い。

 ただし、こうした場合は、将来ビジネスが軌道に乗った場合に、ブランドに連続性を持たせられるように、一定した名前を使う(原稿書きなら、同じペンネームを使う)ようにするべきだ。筆者は、数年間、多数のペンネームを使って雑誌の原稿を書いたことがあるのだが、こうした仕事は、全くとは言わないが、将来の役には立たなかった。

 趣味の延長でも、自分の得意分野の仕事でも、副業としてビジネスの形で行うことで、また、自分のアウトプットに責任が生じることで、自分の知識やビジネス・センスのレベルアップにつながることが多い。一つの会社の中だけで仕事をして、もっぱらその会社を通じて人間関係を形成していると、どうしても視野が狭くなりがちだ。

 「会社なんて、どこでも似たようなものだ」と言うのは、転職の経験がなく一つしか会社を知らない人か、そうでなければ、異なる組織や仕事の違いに鈍感な感性の鈍い人だろう。副業の形で、勤務先の会社以外の世間と、ビジネスとしての真剣な関わりを持つと、転職をしなくても、ビジネスパーソンとしての視野を広げるチャンスを持つことが出来る。

★もちろん、将来のために!

 筆者が副業を育てることに力を入れ始めたのは、40歳台前半の頃からだった。率直に言って、その頃は、収入の高い会社への転職を目指す方が、より多く稼ぐことが出来たように思う。

 しかし、一つには自分の意見を発信するような機会を増やしたかったからだが、もう一つには、会社の定年に関係なく将来も自分のペースで続けることが出来る仕事の基盤を作りたかったからだ。

 勤めている会社の定年が何歳であるにせよ、その後にも働くことが出来る期間は長いし、何らかの形で働いている方が張り合いがある場合が多い。

 もちろん、定年の前にも様々な経済的なリスクはある。手間が掛かるのは事実だし、いつも上手く行くとは限らないが、副業はビジネスパーソンにとって有力な手段だ。何が出来るか、考えてみることは無駄ではないし、小さなリスクで試してみることができるのが副業のいいところだ。
 
 以上

【秋学期 11回目】 「内部告発」で組織人の倫理を考える

2010-12-08 19:41:49 | 講義資料
 世間ではウィキリークスが話題になっていることでもあり、今回は、「内部告発」の問題を取り上げて、組織人(会社員・公務員等)にとっての倫理の問題を考えてみたい。
(1)リーク報道についてどう考えるか、
(2)個人の正義感と組織人としての立場をどう整理するか、
(3)自分が当事者になった場合どう判断すればいいか、
の三つの問題意識を持って考えてみて欲しい。
 実は、私も、ウィキリークスのような大きな問題には発展しなかったが、内部告発に関わったことがあるので、授業ではその際の話もする予定だ。

 以下は、内部告発について考えるための参考素材だ。何れも、私が「ダイヤモンド・オンライン」(私の連載のバックナンバーは、http://diamond.jp/category/s-yamazaki)に書いた原稿だ。

 ●

★『リーク報道は新しいジャーナリズムなのか?』』

<面白い情報はリークから>

 ここのところ、興味深い報道の多くが何らかの「リーク」によるものだ。
 もちろん、その筆頭は連日のように新たな重要事実が報道されるウィキリークスだ。米軍ヘリからの民間人への銃撃映像は衝撃的だった。各国首脳への赤裸々な酷評も、報道価値に多少の疑問があるとしても、外交の現実を垣間見させてくれる面白さがあった。決して、報道価値ゼロの内容ではない。
 アフガン政府に対するアメリカのクラスター爆弾使用要求や、情報機関に対してアメリカ政府が国連職員や海外外交官に関する個人情報収集を指示したといった、政府の逸脱的行為に対する報道は、権力のチェックを行うべきジャーナリズムのアウトプットとして本来高く評価できるものだ。
 ウィキリークスによる秘密文書大量公表を「情報版の911テロ」とテロになぞらえる向きがあるが、政府の非合法行為に関わる情報公開の本質はむしろウォーターゲート事件に近い。ウィキリークスが情報の門を開けたという意味も込めて「ウィキ・ゲート事件」とでも名付けたらいいのではないか。
 我が国でも、公安警察の人権侵害的とも思える活動が情報流出の形で明らかになった。また、その行動に対して賛否両論があるとしても、尖閣諸島沖での中国漁船と我が国巡視船の衝突の映像は一海上保安官の動画ネット投稿によって、多くの国民の目に触れることになった。
 日頃はインターネット嫌いで、ネットの情報には責任を伴った信憑性が乏しいなどと述べることの多いテレビ局が、「sengoku38」の投稿による映像を繰り返し長時間放映する様子は、報道における主役の交代を象徴しているようにさえ思われた。
 アメリカでさえニューヨーク・タイムスといった主要メディアがウィキリークス発の情報を無視できないし、他人の情報を報じることを割合恥じない日本のメディアは、連日ウィキリークス関連の情報を報じている。
 一方、日本の新聞、テレビは、よく見るほどに相変わらず記者クラブ経由の官製情報が中心だし、与野党共に緊張感を欠く、政治家の「いかにもありそうなこぼれ話」的な観測記事などを読んでもさっぱり面白くない。リーク情報と既存メディアを、善悪は別として、コンテンツとしての魅力で評価すると、話にならにくらいの大差で前者の勝ちだ。

<リークの善悪に揺れる世論>

 一方、リーク情報に関する善悪の判断については、我が国でも、外国でも、人々の間に迷いがある。
 尖閣沖の動画を投稿した海上保安官に関しては、彼の行動こそ愛国的だと賛美する声もあれば、一定の武力をも持つ海上保安庁の公務員が職場のルールを逸脱していることを戦前の軍部の暴走になぞらえて危険視し、これを厳しく処断すべきだという議論もある。
 ウィキリークスに関して、アメリカ国民は、今のところかなり批判的だ。民間調査会社ゾグビーが行った調査によると「ウィキリークスは安全保障上の脅威だと思うか」という質問に対して77%が肯定的に答えている。
 米政府としては、「海外で働く米兵の安全」を脅かす可能性があることを強調して、反ウィキリークスの世論を喚起したいはずだ。世論が十分に批判に傾いていない段階でジュリアン・アサンジ氏の逮捕等の表だって強権的なウィキリークス潰しに出ると、追加でさらに致命的な情報が流出する可能性もあり、政権に批判の矛先が向かう可能性がある。
 クリントン国務長官は、「ウィキリークスの情報公開には偏向が含まれている可能性もあるので注意すべきだ」という微妙な言い回しでウィキリークスを牽制している。これは、「権力のチェック」がジャーナリズムの重要な機能の一つであることを踏まえた、慎重な物言いだ。単に「違法行為だ」と批判の声を上げた、我が国の前原外務大臣と比較すると、思慮と悩みの深さには大人と子供くらいの差がありそうだ。

<大事な論点は複数ある>

 ことを善悪の判断に限っても、リーク情報問題には、複数の論点がある。「ウィキリークスは、いいのか悪いのか?」といった大雑把な問題だけを立てると、肝心な問題を幾つも見落とすことになる。
 肝心な問題とは何か。
 ウィキリークスの問題でいうと、ウィキリークスが外交機密に当たる情報を公開していることよりも、そもそも情報が漏れるような体制であった米政府の情報管理責任の方が遙かに大きな問題だ。機密情報に関して、こんなに間抜けな管理がまともなはずがない。
 米政府はウィキリークスに対する圧迫を強めるだろうし、今後、アサンジ代表が逮捕・訴追される可能性もある。情報提供者に対して違法行為を教唆しているという点での非倫理性が、確かにウィキリークスにはある。しかし、そうした情報収集行為はそもそも既存のジャーナリズムが行ってきたことでもある。その正否を、目的の善し悪しを含めて、社会的に判断してきたのが、アメリカの伝統だった。
 圧倒的に非があるのは、国務省をはじめとするアメリカ政府だ。アメリカの国益が損なわれ、海外の米兵が危険に晒されたのだとすれば、その第一の責任は、ウィキリークスよりも、アメリカ政府にある。本件に関しては、クリントン国務長官が引責辞任して当然だと筆者は思うのだが、さて、今後の推移はどうなるのだろうか。
 我が国の公安警察の情報流出も大問題だ。当局は、流出した情報が自らのものであることについて曖昧にしたまま、自らを被害者として、情報漏洩のルートに関して捜査を開始した。
 捜査すること自体は良かろう。しかし、真の被害者は、個人情報を不当に晒された人達なのだ。警察当局は先ず自分たちの非を認めて、被害者の救済に全力を挙げるべきだ。もちろん、情報の管理責任も問われるべきだし、過去及び現在の公安情報収集活動自体の適切性も検証されるべきだ。
 もちろん、情報漏洩者の法律上の問題は別個に存在する。これは、否定できないし、無視すべきではない。但し、社会の倫理の問題としては、彼らの行為が正しいのか否かについて、情報の内容、告発の目的などの点も含めて総合的に評価すべきだろう。
 いかにも野暮だが、あえて箇条書きにまとめると、
① リークの対象になった政府その他の行動の正否、
② 上記を公開し晒す行為の公益性、
③ 情報の取得と公開にあたってルールを逸脱することの罪の軽重、
④ リークがなかった場合の既存メディアの行動、
といった複数の論点があり、全てが個々に重要だ。
 日本の既存メディアは、行為の主体(「sengoku38」にしても「ホリエモン」にしても「小泉純一郎」にしても)の善悪を一方に決めつけて、全て「善い」か「悪い」の文脈で物事を伝えようとする傾向があるが、こうした短時間のテレビ番組的な決めつけでは、問題を的確にとらえることができない。
 尖閣沖の問題で考えると、以下のような整理になろう。
① そもそも事実はどうで、何が問題だったのか。特に、独自のルートで中国と裏交渉したといわれる日本政府の行動は適切だったのか。
② 衝突のビデオを国民一般に知らせることに公益性はあるか。
③ 情報を流した海上保安官の行為をどの程度悪い逸脱行為だと見るか。
④ 海上保安官が情報を公開しなかった場合に代替的な事実を知るための手段があったか(論理的には、「一般国民に事実を知らせる必要はない」という議論もあり得る)。
 情報を流出した海上保安官への社会的評価は、②、③、④を総合的に評価することによって決まるものだろう。②や④だけを評価するのはアンバランスだし、少なくとも海上保安官は身分的に自由意志が認められていない奴隷のような存在ではないのだから③だけで総合的に「悪い」と決めつけるわけにはいかない。当たり前の話だ。

<日・米メディアのちがい>

 リーク問題の推移を見ると、我が国の既存大手メディア、端的にいって記者クラブ所属のメディアのあり方について考えざるを得ない。
 記者クラブに所属し、政府や自治体から、便宜を受けると共に情報の提供も受ける我が国のメディアについて考えると、そもそも「ジャーナリズムとしての権力のチェック」を期待することが非現実的だ。
 彼らは、一つには記事を広く且つ高く売りたいビジネスの従事者だし、社内で評価を受け出世するにはどうしたらいいかと悩む一サラリーマンにすぎない。この点を踏まえると、彼らにとっては、取材源である政府その他と対立しない方が、仕事もやりやすいし、社内で出世もしやすい場合が多かろう。記事のジャーナリズム的価値よりも、社内出世や年金、退職金などを重視して入手した事実の報道に自主規制が掛かる記者個人は、特にメディアでも長期雇用が前提で、給与水準も(年金も)悪くない我が国では「普通」だろう。彼らに、純粋なジャーナリズム的価値観を期待するのは愚かだ。
 メディアの人々がネットの情報との対比でよく問題にする、会社や媒体の信用や、ひいては記者の信用と生活を掛けた記事の信憑性は、記者クラブがはびこる我が国の場合、むしろジャーナリストが権力のチェックを行えないことの理由になっている。
 そして、近年、主にネットの普及によって、大手メディアから情報を発信できる人でなくとも、重要情報を持った個人は、その情報を広く一般に周知する手段を持つようになった。
 この際重要なことは、職業ジャーナリストだけが特権階級として、情報を公開し世に問う権利を持っているのではないということだ。
 新聞記者などの取材にも、公務員に対して情報の漏洩を教唆する行為が含まれる。しかし、その行為に対する最終的な評価は公益性等の報道の目的を含めて総合的に評価される。ウィキリークスであっても、sengoku38であっても、ごく一般の一個人であるとしても、最終的な善悪が問われるのは、こうした文脈においてであるべきだ。もちろん、情報発信先の範囲が広いことに対しては、相応に大きな責任が伴うことも、大手メディアの記者と全く一緒だ。
 残念ながら、日本にはまだウィキリークスのような情報発信者は存在しないが、ジャーナリズムは一部の既存メディアの独占物ではない。
 それにしても、多くの優秀な人材を擁し(←皮肉も少しありますが)、多大なコストを掛けながら、記者クラブに依存したメディアの流す情報の何とツマラナイことだろうか。このツマラナさは、現実に対して大きな影響力を持っている。

 ●

 以下も、「ダイヤモンド・オンライン」に向けて私(山崎元)が書いた原稿だ。会社の中で社内のルールに基づいた内部告発を行い、その結果、不適切に扱われている社員の問題を取り上げている。(http://diamond.jp/articles/-/1497)
 皆さんが、この社員の立場だったら、どうするだろうか?考えてみて欲しい。

<先ず、会社の不正行為を知った時点で>
① 内部告発はしない
② この社員と同じような内部告発をする
③ 別の方法で内部告発を行う

<会社に不当に扱われた時点で>
① 会社とは争わない
② この社員と同様に会社と法的に争う
③ 別の手段を採る

★『オリンパスのケースに見る内部告発者の悲惨な現状』

 経済、政治に大きなニュースはあるのだが、今回は、別の問題を取り上げる。2月27日の各紙で報道された、内部告発の問題だ。

一番詳しく報じていた読売新聞(27日朝刊)の記事に基づいて内容をざっと伝えると、東証1部上場の精密機器メーカー「オリンパス」の男性社員が、社内のコンプライアンス通報窓口に上司に関する告発をした結果、配置転換などの制裁を受けたとして、近く東京弁護士会に人権救済を申し立てるという。

告発の内容は、浜田正晴さん(48歳。申し立てを行っているとして既に実名報道されている)が大手鉄鋼メーカー向けに精密検査システムの販売を担当していた2007年4月、取引先から機密情報を知る社員を引き抜こうとする社内の動きを知った。浜田さんは不正競争防止法違反(営業秘密の侵害)の可能性があると判断し、当初は上司に懸念を伝えたが、聞き入れられなかったため、この件を、同年6月にオリンパス社内に設置されている「コンプライアンスヘルプライン室」に通報したという。

 記事によると、オリンパスは、浜田さんの告発を受けて、相手側の取引先に謝罪したという。謝ったということは、浜田さんが告発した内容そのものについては「不正競争防止法違反」の可能性があると判断し、悪いことだと認めたということだろう。

 しかし、告発した浜田さんのその後のが、何ともやり切れない。読売新聞の記事によると、オリンパスのコンプライアンス窓口の責任者は、浜田さんとのメールを、不正の当該部署の上司と人事部にも送信した(先ずは、ここがまずい)。約2か月後、浜田さんは、なんとその上司の管轄する別セクションに異動を言い渡された。配属先は畑違いの技術系の職場で、現在まで約1年半、部署外の人間と許可なく連絡を取ることを禁じられ、資料整理しか仕事が与えられない状況に置かれているという。人事評価も、長期病欠者並の低評価だという。

浜田さんは昨年2月、オリンパスと上司に対し異動の取り消しなどを求め東京地裁に提訴し、係争中だ。窓口の責任者が「機密保持の約束を守らずに、メールを配信してしまいました」と浜田さんに謝罪するメールも証拠として提出されたというが、オリンパス広報IR室は「本人の了解を得て上司などにメールした。異動は本人の適性を考えたもので、評価は通報への報復ではない」とコメントしている。

 常識的に判断するかぎり、コンプライアンス窓口に通報する社員が、相手に対して自分が通報者だと通知することを了解するとは考えにくい。これは、オリンパスの説明のほうに無理があるのではないか。

 2006年4月に施行された「公益通報者保護法」に関する内閣府の運用指針には、通報者の秘密保持の徹底のほか、仮に通報者が特定されるようなことがあっても、通報者が解雇されたり、不当な扱いを受けたりすることがないようにと明記されている。また、読売新聞によると、オリンパスの社内規則でも、通報者が特定される情報開示を窓口担当者に禁じているという。記事を読む限り、オリンパスは、内閣府の運用指針も自社の社内規則も尊重していない。

 オリンパスにとって、この内部告発は会社の利益になったと考えられる。取引先から機密情報を知る社員を本当に引き抜き、後々明るみに出たら、不正競争防止法違反になって、もっと大きな問題となったかもしれない。そう思ったからこそ、オリンパスは“引き抜き”を止めたのだろうし、後々問題化すると困るから相手側に謝罪したのだろう(ところで、本筋には関係ないが、この「引き抜かれなかった社員」のその後も気になる)。それなのに、浜田さんに対するこの扱いは釈然としない

 このオリンパスのケースに限らず、企業社会の現実として、内部告発者が不当に扱われることは十分にあり得る話だ。たとえば、ある上司をセクハラで訴えたら、その上司が会社で重宝されている人だったために、訴えたほうが最終的には会社にいられなくなるように追い込まれたといった、とんでもない話を聞いたこともある。

 読者への率直な忠告としては、まず会社のコンプライアンス窓口やいわゆる目安箱的制度を簡単に信用してはいけない、と申し上げておこう。

 問題を起こしている当事者や責任者が、会社の中で有力者だった場合、通報窓口が裏切る可能性を覚悟しておくべきだ(いかにいけないことだとしても、現実に起こりうる)。その際に、どうするかも考えてから告発を行うべきだ。

 徹底的に不正を止めるつもりなら、メディアに告発するなど、次の手段も検討しておきたい。ただ、そこまでやる場合には、自分の職業人生をどうするかも考えておく必要がある。転職などの「退路」を準備しなければならない場合もあるだろう。

 会社のコンプライアンス窓口に自ら名乗り出る以外の告発の手段も検討しておこう。コンプライアンスの窓口なり社長室なりに対して匿名で、あるいは外部者を装って告発をして、様子を見る手もある。また、一般論として、そういう不正のケースがあるということを、マスコミに書かせる選択肢もある。上手く行くと、問題の人物や組織が悪事を止めるように促すことができる。

 そもそもコンプライアンス窓口のレポートラインに問題があるケースもある。理想論を言うと、コンプライアンス部署は、オペレーションのラインとは別のラインで株主に対して直結しているべきで、社長に対しても牽制が聞くようでなければならない。しかし、実際には、社長であったり、管理担当の役員であったり、オペレーションラインの実質的な影響下にあるケースが少なくない。

 また、告発を行う場合には、どのような告発内容を伝えたのか、その時に相手が何を言ったのか、記録をきちんと取っておくことが重要だ。オリンパスのケースでは、メールの転送については本人の了承を得たと会社側が言っているが、事実が凝れと異なる場合、そうした言い訳をさせないためにも、絶対に社内に漏らさないと確認した上で、どういうやり取りがあったのか記録をしておきたい。付け加えると、告発内容そのものに関しても、いつ何があったのか記録を持っていることが大事だ(ノートや日記、手帳へのメモでもいい)。最終的に何か争いになったときには、自分を守るために記録が役立つことがあるし、また、きちんと記録しておけば、相手に対して、適度なプレッシャーをかけることにもなる。

(中見出し)内部告発者のための制度的整備が必要

 それにしても、今回のオリンパスのケースを見ると、内部通報者の立場があまりに可哀そうだ。告発をして、告発が正しいものとして扱われ、かつ告発された側が眼を覚まして、目的が達成されたとしても、何ら本人のメリットにはならない。

 もちろん個人的なメリットのために告発を行うのではいけないが、告発者の側が、自分で悪いことをしたわけでもないのに、自分が告発したことを誰かに知られるのではないかと、びくびくしながら、毎日を過ごさなければならないのでは割りに合わない。不正に手を染めずに済んだとか、不正を見過ごさずに済んだという社会人としての正しい満足感はあろうが、少なくともサラリーマンとしては、リスクとデメリットばかりが目に付く。

 せいぜいうまくいっても何もなしで、何かまずいことがあると逆恨みされ、人事上不利益となる。むろん、内部告発者を解雇してはいけない、不当に扱ってはいけないことは前述のとおり公益通報者保護法で明記されているから、企業側と争い裁判で勝って不当な人事を撤回させることは可能だろう。だが、そこまですると、会社での“居づらさ”は増すだろうし、事実上居られなくなることもあるだろう。

 制度にも問題があるのではないだろうか。内部告発の扱いに関して不正が明らかになった場合の企業への罰則規定は最低限必要だ。また、企業が内部告発者を不当に扱ったことによって、内部告発者に不利益があった場合、その不利益と精神的苦痛を十分に補うだけの補償がなされるように規定を整備すべきだ(仮に判例が出来てもそれだけでは不十分であり、明文化された規定があることが望ましい)。

 ここ数年間いろいろな企業不祥事が出てくるようになったが、不祥事は急に増えたのではなく、昔からあったのだろう。それが多数表面化し出したのは、内部告発が多少なりとも機能するようになったからだろうし、これ自体は世の中にとって良いことだ。

 率直に言って、申し立てを行う立場にまで追い込まれたオリンパスの浜田さんの、今後のサラリーマン人生は大変だろうと思う。筆者は、原稿で応援することぐらいしかできないが、会社のためにも社会のためにもなる正しいことをしたのだと胸を張って、負けずに頑張ってほしい。

 以上

【秋学期 10回目】 ビジネスパーソンの「勉強法」

2010-12-02 00:26:51 | 講義資料
 ホワイトカラーのビジネスパーソン(大まかには「事務職」全般)は職業人生の期間中、ずっと何らかの勉強をしていかないと、人材価値が維持できない。研究職(研究所や調査部など)や教師はもちろんだが、たとえば、金融業にあっては、「勉強することが苦にならない」ということを職業適性の一つに加えてもいいのではないか、というのが、金融・証券関係の会社を転職して歩いた筆者の実感だ。金融の世界では、新しい金融市場や経済の動向を常に把握し続ける必要があるし、融資などで関わる産業や取引の事情を勉強する必要がある。
 金融業はその典型だが、ホワイトカラーの中でも、特に競争が激しい職種では、勉強で遅れを取るとビジネスの競争で直ちに不利になるし、効果的な勉強で「プラスα」のもとになる知識やスキルを手に入れて「僅かに作った差」が、ライバルに対する差別化の原動力になる。勉強の習慣を持つこと、勉強の効率を上げる工夫をすることの二つは、ビジネスパーソンの人材価値に直結する。

 今回は、ビジネスパーソンの勉強法、情報処理の方法についてお話ししてみたい。
 お伝えしたいのは、主に以下の内容だ。

(1)ビジネスパーソンにとっての勉強の意味

(2)ビジネスマンの勉強時間

(3)仕事の専門知識の勉強方法
 ・新しい分野をどうやって勉強するか
 ・新しい分野の全体像を早く知るにはどうするか
 ・入門書、教科書、専門論文の使い分け
 ・新しい研究のフォローの方法

(4)日々の情報処理
 ・新聞との付き合い方
 ・「日本経済新聞」は読むべきか?
 ・ニュースのスクラップの方法

 授業に出席できなかった学生は、春学期にブログにUPした記事や、リクルート・エージェント社のサイトの私(山崎)の連載(「ビジネス羅針盤」:http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/)の関連記事などをご参照いただきたい。特に、上記(1)(2)(3)については、12月中に掲載予定の原稿に概要を書いておいた。

 以上

【秋学期 9回目】 転職の方法

2010-11-24 20:29:00 | 講義資料
 希望して入社した会社でも、職場の様子が期待とちがっていたり、不本意な仕事に配属されたりすことがあるし、時間が経過すると、会社も自分も変化することがある。「私には、転職は不要だ」と就職する前から言い切れるケースは殆ど無い。
 特に、30代前半くらいになると、ビジネスパーソンとしての骨格が固まってくるが、これが勤務先の会社と合わない場合が生じてくる。たとえば、自分のスケールと会社・職場のスケールが合わないケースにあっては、積極的に転職をお勧めしたい。

 そこで、転職はどうやってするのか、ということが問題になる。

 以下の文章は、リクルート・エージェント社のホームページに「転職原論」と題して私(山崎元)が書いた数編の文章から抜粋したもので、転職手順のあれこれについて述べている。
(リクルート・エージェント社のサイト:http://www.r-agent.co.jp/guide/genron/)


(1)自分でアプローチするのが基本

 現在の職場に不満を持ち、転職したいと思った場合に、転職先をどう探せばいいのだろうか。

 入社したいと思う会社が最初からある場合は、きっかけを作るべく、自分でアプローチするのが基本だ。仕事で付き合った相手を辿る、学生時代などの友人・知人に仲介を頼む、会社のホームページの人材募集を見て問い合わせてみる、といった個人的な努力を先ずは考えよう。自分が働きたいと思う部署のマネージャーに会うことが出来れば理想的だ。

 当面の求人がなくても、将来の候補としてマネージャーの記憶に残ることがあるし、どんな条件の人材が欲しいかについても教えてくれるだろう。優秀なマネージャーは、自分の部下になりうる候補者に常に関心があるのが普通だ。それに、自分の会社や仕事に対して真面目な関心を持ってくれる人に対して悪い印象は持たない。

 もちろん、目標とする会社がライバル会社だったり、取引先だったりする場合には、ビジネス上の配慮が必要だ。特に、自社の情報を漏らしたり、悪口を言い過ぎるのは良くない。しかし、相手の会社で働くことに関して積極的な関心を示すことは構わない。
紹介会社を通じて「マーケット」を知る

 日頃から、いわゆる「横のつながり」(同業他社の人との付き合い)を心掛けていると、転職先へのアプローチは、案外、自分でも出来ることが多い。

 しかし、そもそも自分の適職が自分でよく分からない場合や、転職したいと思っている業界の求人状況や求人の条件など、転職マーケットの状況が分からない場合は、人材紹介会社が持っている情報を利用しよう。

 近年は、求人についてネットだけでもかなりの情報が手に入るようになったが、それでも、直接コンタクトしてきた相手にしか開示されない情報も多いから、ネット経由で、あるいは直接、人材紹介会社のコンサルタントと相談してみるといいだろう。

 どんな職種に求人があるか。採用側が求める候補者の条件は何か、そのためにはどのような準備が有効か。求人のある職種はどんな経済的条件か。どこの会社の調子がいいか。こういった基本的な事柄について、プロである紹介会社のコンサルタントから出来るだけ多くの情報を引き出そう。

(2)ヘッドハンターとの付き合い方

 人材紹介会社ないしは、そこで働いている人のことを、俗に「ヘッドハンター」と呼ぶ。特に、「エグゼクティブ・サーチ」と言われるような、企業側の依頼に基づいて、特定のポジションに採用する人を探す職業がこう呼ばれることが多い。アメリカのビジネス界では、医者と弁護士とヘッドハンターにそれぞれいい友人を持て、といわれるくらい、ヘッドハンターは、ビジネスパーソンにとって身近な存在だ。これら三つの職種は、特に自分がピンチの時に役に立つ点が共通だ。

 ヘッドハンターにも種類がある。転職しようとする側で厳密に区別する必要はないことが多いが、(1)特定のポジションの候補者を探すエグゼクティブ・サーチなのか、一般的な人材紹介会社なのか、(2)依頼先から報酬の一部ないし全部を前金(リテイナー・フィー)で受け取っている会社なのか、そうではないのか、(3)仕事の内容が候補者探しなのか、社員を別の会社に転職させることを請け負う「アウトプレイスメント」なのか、が主な区別だ。

 エグゼクティブ・サーチの会社で特に前金で報酬を受け取るような会社からコンタクトがあった場合は、どこかの会社が、自分に興味を持ってアプローチしてきた場合が多い。基本的に話を聞いてみていいだろう。また、特定の求人が背後に無い場合にもアプローチがあるケースがあるが、こうした時にも、情報収集を兼ねて会ってみることは悪くない。

 ヘッドハンターからのアプローチがあった場合に注意すべきケースが二つある。一つにには、現在の職場の様子や心境について根掘り葉掘り訊いてくるケースで、これは、ヘッドハンターを使った情報収集やアウトプレイスメントでのアプローチの場合がある。

 もう一つは、履歴書を手に入れて、これをばら撒いて、成約できれば儲けものといった乱暴な仕事をするヘッドハンターだ。通常この種の履歴書は社名と氏名を匿名にして流通させるが、転職のアプローチは、ヘッドハンターを通さない方がいい場合もあるし、ライバル会社や取引先などに自分が職探しをしているという情報が漏れて不都合な場合がある。初対面の相手に直ぐに履歴書を渡さないことと、履歴書を渡す場合は、匿名であっても企業に履歴書を回付する場合は一件一件相手先毎に必ず自分に確認を取ることを条件とすることが大切だ。この条件を守らないヘッドハンターとは一切付き合わない方がいい。

 アメリカ人を真似るわけではないが、ヘッドハンターと個人的に付き合うのはいいことだ。筆者も、ヘッドハンターに転職戦略を相談して進路を決めたことがある。ヘッドハンターとの付き合いでは、先方からは主に転職市場の情報を得るわけだが、反対にこちらからは候補者となる人の紹介と自分の業務の専門知識の提供(仕事に関わる技術や制度の説明やトレンドの解説など)が程よい「ギブ・アンド・テイク」となる。

(3)面接は積極的に受ける

 どんな求人情報があるのかを具体的に調べてみると、必ずしも第一志望ではないが、興味はあるという程度の求人が見つかることがある。こうした場合、「第一志望ではないから」、「まだ転職すると決めたわけではないから」といった理由で面接に行くことを躊躇する人が居るが、これは勿体ない。

 先ず、採用されれば入社すると決めていなくても、興味のある会社なら、面接を受けに行くことは失礼ではない。それに、実際に相手の会社の誰かに会ってみなければ、会社の実情も、職場の雰囲気も分からないことが多い。情報収集の観点からも、面接の機会は大いに利用すべきだ。

 副産物として、面接の練習という意味がある。はっきり言って、第一志望の会社との面接が初回の場合、いきなり自分のベストの面接が出来る人は少ない。面接を受ける際に何が自分の課題なのかを見極めるためにも、興味のある会社・職種の募集があれば、面接に行ってみることをお勧めする。

 相手企業に対するアプローチにせよ、求人に応募して面接に出向くことにせよ、結果的に採用に直結しなくとも、情報収集や経験として十分に元が取れる場合が多い。人生全般に通じる傾向だが、恥ずかしがらずに自分から積極的にアプローチしてみる方が何かと実りが多いものだ。

(4)応募書類は相手の立場に立って書く

 転職に自分から応募するとき、面接抜きに、書類選考だけで採用が決まることは、ほぼ無い。転職しようとする場合、最初に目指すのは、面接まで辿り着くことだ。通常は、履歴書と職務経歴書を送って、面接の可否の連絡を待つことになる。面接のアポイントメントが取れたら、履歴書・職務経歴書は役割を果たしたと考えていいだろう。基本的には、面接が勝負だ。

 上手い履歴書、あるいは職務経歴書の書き方として、特別なノウハウがあるわけではないが、基本的に考えるべきことは「読み手の立場に立って書く」ことで、これに尽きる。初歩的には読みやすく正確に書くということが大事だし、もう一歩先のレベルでは、先方が応募者の何を知りたいと思っているのかを推測して書くことが重要だ。自分を表現したりアピールしたりするのではなく、自分に関する「情報」を相手に適切に伝えるのだ、という気持ちで書くといい。

 仕事に無関係な趣味の資格などを書いても仕方がないし、応募職種にもよるが、外資系の会社に応募するのに「英検二級」なら書かない方がまだいい(どのみち面接でテストされるだろうが「英検一級」なら履歴書に書いた方がいい)。一方、募集している仕事に関係のある経験やスキルを持っている場合はそれが伝わるように職務経歴書を書こう。
面接の前に準備しておくこと

 面接で採用側が知りたいことは、重要な順に、
(A)募集職種に於ける候補者の能力と経験(この人にこの仕事を任せて大丈夫だろうか?)、
(B)候補者の人柄(一緒に仕事をして楽しい人だろうか?)、
(C)どれくらい入社したい気持ちがあるのか(本当に来てくれるのだろうか?)、
(D)将来も働いてくれるだろうか(近い将来、辞めてしまう心配はないか?)、
といったことだ。

 新卒学生の面接なら、「学校で勉強したことを簡単に説明して下さい」、「どうして当社に入社したいのですか」、「当社に入ったら何をしたいと思いますか」という三つくらいの質問をすることで、(A)~(C)くらいまでは短時間で分かる。たとえば、学校の専門について訊くと、どの程度まじめに勉強したか、それを他人に過不足無く分かりやすく説明できるか(素人に専門内容を説明できる人は「頭がいい」)、といったことが相当程度分かる。

 学生なら、上記の三つの質問に関して答えを自分のものにしておけば大丈夫だが、転職の面接の場合、もう一つ準備が必要だ。それは「(以前の、あるいは、今の)会社を辞めた理由は何ですか?」という質問に対する回答だ。仕事の能力に問題がない場合、採用する側が一番聞きたいのはこの質問に対する答えだ。

 この質問で問われるのは、過去の経緯と仕事に対する考え方とと共にビジネス的なコミュニケーション能力だ。嘘を答えてはいけないし、露骨な答えや、投げやりな答えはビジネスのやりとりとして不適切だ。

 しかし、会社を辞める事に関しては、何となく疾しい感じがして必要以上に言い訳口調になったり、過去の経緯があると感情が高ぶったりすることがある。この質問を上手くこなせない場合、面接全体の出来にも影響するので、過去の転職について「辞めた理由」、これからについて「辞めてもいいと思っている理由」の二点は、あらかじめ答えを紙に書いて、自分で吟味してみるくらいの周到な準備が必要だ。

(5)いきなりお金の話はしない

 面接は、基本的に、(1)採用側から見て候補者が仕事とに合っているか、(2)候補者側から見て会社と仕事に関して疑問はないか、そして(1)、(2)について問題がないことが確認されたら、(3)経済的な条件を含めて条件面で合意できるか、という流れで進むと考えておこう。「仕事」が第一に重要で、給料を含めて「条件」はその次の話題、というのが尊重すべき建前だ。

 最初に質問するのは採用側だし、その後に「何か質問はありませんか?」と訊かれても、「要はいくら貰えるのですか?」といった質問をするのは印象が悪い。ドライだと言われる外資系の会社でも、これは、そうだ。

 お金が重要でないとは言わない。しかし、仕事が何で、どのように進める必要があるのかということは、転職後の居心地と共に将来の自分の人材価値にも関わることなので、非常に重要なのだし、面接中は「仕事の内容の方がお金よりも大切だ」と思っている方が結果がいい場合が多い。

(6)面接は自分という商品を売る「商談」

 面接の服装だとか、応募書類の作り方だとか、あるいは話の仕方にしても、基本的には「面接は自分(の仕事)という商品を売るための商談なのだ」と理解しておけば良く、殆どのことはその延長線上で適切に判断できるはずだ。

 商談だから、時間も服装も相手に合わせる(相手に対する敬意が伝わるようにする)ことが大事だし、話の呼吸も、交渉の詰めが肝心でリスクや曖昧さを取り除かなければならないことも、転職面接の基本的な考え方は全て商談と一緒だ。

 尚、さまざまな調査で面接は、最初の1分くらいの印象で決めた結果と長時間やりとりして決めた結果とに殆ど差がないことと、誰かが好印象を持つ相手は、他の面接者が見ても好印象を持つらしいことが報告されている。最初の印象で決まるのは事実だろうが、最初が良ければ後で失敗してもいいということではないし、後の準備に自信がなければ最初に好印象を与えることも難しい。

 一つの心構えに集中するとすれば「これからお互いにとって良いビジネスを作るのだ」という「緊張感のある楽しみな感じ」を自分に言い聞かせることだろう。

 もう一言付け加えておこう。書類選考も、面接も、相手の都合で決まることだから、落選することがある。筆者も、過去の転職活動で何度も不採用を経験してきた。不採用の通告は、人間としての自分が否定されるか嫌われるかするような情けない気分になりやすいものだが、これも「あくまでも『商談』の不成立であり、自分の全人格ではなく、自分の仕事という「商品」が今回は売れなかっただけなのだと割り切って気分を切り替えよう。

(7)転職の基本は「猿の枝渡り」

 転職するか・しないか、最後の決断は誰にとっても悩ましい。決断のポイントの前に転職の基本を説明しておくと「次の入社が確実に決まるまで、現在の会社を辞めるアクションを一切起こしてはいけない」ということを肝に銘じて欲しい。

 仕事と生活のリスク管理上当然のことなのだが、この基本が守れない人が少なくない。自分は今勤めている会社を辞めるかも知れないと臭わせたり、実際に我慢しきれずに辞めてしまったりするのだ。前者は全く余計な行動だし、自分に関心を惹こうとしているようで大人として見苦しい。後者は、後のことを考えるといかにも不利だ。

 会社を辞めてしまうと、仕事のキャリアに空白が出来て人材価値が下がる、次の入社の際の給与交渉で無収入状態は不利だし、無業状態が続くと焦りが出て転職活動に悪影響を与える、といった不利がある。

 また、「辞めたい」あるいは「辞めるかも知れない」と一度口にした人は、組織の中で信用を失い、価値が下がる。使う側は、辞めるかも知れない社員に重要な仕事を任せないだろうし、仕事上の重要な情報を伝えるのも躊躇するようになる。

 筆者はよく「転職の基本は猿の枝渡りだ」と説明する。猿は次の枝を握ってから、現在掴んでいる枝から手を離すというのが主な理由だが、ついでに地上に落ちた猿は弱いということも併せてイメージしておこう。

(8)リスクとリターンで判断する

 転職の決断には、必ず何らかの不確実性が伴う。しかし、転職に限らず「現在よりも『絶対に』良くなるのでなければ○○しない」といっていると、人生で重要なことは何も決められない。転職は、大まかでも確率を一緒に考えて、投資の世界でリスクとリターンを考えるように決めなければならない。

 転職先の職場のことが完全に分かることはあり得ないし、転職後の自分の気分にも不確実性がある。しかし、現在の職場についても、将来の会社の盛衰、自分や上司の人事異動など、不確実なことは山ほどあることも考えなければならない。一般に、後者を軽視しがちな傾向があるし、自分が決めたことで後悔したくないという心理が働くので、現状維持に過大なウェイトが掛かりがちになることが多いかも知れない。

 また、逆に、今の職場が嫌だと思っていると、次の職場を過度に美化して、早く転職を決めたいという心理になることもある。現在の自分が、どちらの偏りを持っているのかを考えて、意識的に気持ちをリセットしよう。

 二つの職場をできるだけ公平に較べることが大事だし、完全にはそれが出来なくても、そうしようと努めたことが転職してもしなくても、自分の決定に対する納得の源になる。

 考慮すべき要素は人それぞれだが、一般的には、
(1)その転職がもたらす自分の人材価値への影響はどうか、
(2)二つの仕事はどちらが自分の価値観に合っているか、
(3)働くための組織の環境はどちらがいいか、
(4)経済的にはどちらが勝るか、といった点がポイントだ。

 大雑把な質問で言い換えると、
「仕事のスキルはどっちの会社にいる方がアップするか?」、
「どっちの会社の仕事が誇らしいと思うか?」、
「どっちの会社の方が自分をフェアに評価してくれそうか?」、
「損得を年収換算するとどれくらいか?」、といったところか。
若い読者に対して、敢えて一点だけに絞るなら、(1)だけを集中的に考えるのがいい場合が多いと言っておこう。自分の仕事のレベルを上げることが出来れば、それを後からお金や時間や自由に換えることが可能だ。

(9)転職の相談相手

 転職は基本的に自分で決めるものだが、自分の頭の整理のためにも相談相手が欲しい場合がある。こうした場合、どうすればいいか。

 理想的な相談相手は「同業他社の優れた先輩」といったところだろうか。

 絶対にやってはいけないのは、自分の会社の同僚や上司に相談することだ。情報が漏れる危険があるからということもあるが、相手が秘密を守ってくれるとしても、相談された側は、友人の秘密を守るべきか、それとも会社の為に友人の状況を然るべき相手に報告すべきかという問いに晒される。人間として、相手を「試す」ようなことはすべきでない。

 妻や夫といった家族も、生活上の利害が絡むし、相談者と距離が近すぎて、あまり適当な相談相手でないことが多い。

 尚、採用の面接をしていて好感触を伝えると、「それでは家に帰って妻(夫)とよく相談して、お返事します」と答えられて脱力することがある。妻や夫の賛否で自分の仕事を決めるという説明はいささか恥ずかしい。

(10)転職の失敗は後からリカバーできる

 今の会社か、転職先か、どちらかの方が「良さそうだ」という暫定的な結論が出ても、踏ん切りが付かないことがある。特に、一回目の転職については、転職自体の経験がないので、「良いだろう」と思っても決めきれない人が時々いる。

 こうした人には、転職の失敗(転職しないことの失敗も含めて)は、後から十分取り返しが利くということを言っておきたい。転職に失敗した場合、人生の中の 1、2年の貴重な時間をある意味で無駄にすることは事実だが、その後にまた転職することは十分出来る。

 仕事の内容さえ十分確認して転職していれば、それほど人材価値を落とさずに再び転職が可能な場合が多い。

 人生の時間は貴重だが、チャンスは何度か自分で作ることが出来る場合が多い。

(補足)「やる気」と「健康」があれば大丈夫!

 実は、若い頃の筆者は、当時、転職が一般的でなかったこともあって、最初の転職にあたっては大いに悩んだ。その時に、自分なりに考えに考えて得た結論は「もし、この転職で失敗しても、健康で働く気さえあれば、元より得ではなくとも、人生は何とかなるのではないか」という大雑把な割り切りだった。

 転職するにしても、しないにしても、自分で決定することを恐れていてはつまらない。

  以上

【秋学期8回目】 転職する理由と目的について

2010-11-17 06:34:45 | 講義資料
 今回は転職の理由について考える。就職するときに、将来その会社を辞めようと考える人は少ないかも知れないが、会社や職場の状況も、本人の気持ちも、時間と共に変化するので、転職した方がいい状況になる場合が将来あるかも知れない。「私は、将来も絶対に転職しない」と言い切れる人は殆どいないはずだ(そう言うこと自体が無駄だ)。
 キャリアプランニングに於いても、将来の転職の可能性は排除しない方がいい。

 以下の文章は、私(山崎元)がリクルート・エージェント社のサイトに書いたもので、転職の理由について説明したものだ。
(「転職原論」第5回。http://www.r-agent.co.jp/guide/genron/genron_05.html)
 
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★転職に「攻め」も「逃げ」もない

転職の理由は何でもいい。本人の心の中にごまかしが無ければ、本当に何でも構わない。

しかし、世間を見渡すと、若者の転職にケチを付ける大人の言動が少なくない。たとえば、「攻めの転職はいいけれども、逃げの転職は良くない」などという、分かった風な言い草だ。転職に慣れていない人は不安もあるし、現在の職場を離れることに対して後ろめたい気分を持つことがあるので、自分がしようとしている転職は「逃げ」なのではないか、などと気に病む場合がある。

しかし、転職自体は自分の取引相手となる会社を変えるだけのことであり、何らやましいことではない。

「逃げはいけない」と言っている人は、やりかけの仕事から離れることがよくないと言っていたり、嫌な環境を克服できないことがよくないと言っていたりするようだ。そして、もう少し現在の職場で時間を使えば「逃げ」が必ずしも「逃げ」ではなくなる、というようなことを言う。

だが、基本的に仕事に責任を負っているのは会社の代表者や上司の側であり、彼らの要求を無限に聞く必要はないし、それを聞かないことを「逃げ」呼ばわりされるいわれはない。また、職場との相性は誰にでもある。転職でこれを改善しようとするのは普通のことだ。

そして、もっと大切なことは、時間は無限ではないし、チャンスには限りがあることだ。「よりよい職場」があるなら大体は早く移る方がいいし、転職のチャンスがいつでもあるとは限らない。説教好きの大人は、しばしば若者の持つ時間の価値に対して鈍感だ。無意識のうちに、若者が持っている時間に嫉妬しているのかも知れない。

★人間関係が理由で辞めても構わない

転職の「実質的な理由」でたぶん一番多いのは、職場の人間関係だろう。世間の転職の半分以上が、そうではないだろうか。上司との関係で悩む人も多いし、同僚との人間関係がしっくりいかないという人もいる。人間同士が集まって仕事をしている以上、これは仕方がない。自分が他人に対してそうならないという保証はないが、「嫌な人」「苦手な人」というのは、どこにでもいるものだし、これが我慢できないこともある。不必要な我慢はしなくていいし、不可能な我慢は不必要な我慢である。

ただ、転職の「実質的な理由」と書いたように、対外的な説明では、必ずしも人間関係の困難を、転職したい主な理由として述べる必要はない。最初に転職を考えたきっかけが人間関係だとしても、具体的な転職を決めるときには「こちらよりも、こちらがいいと思ったから」という理由があるはずだ。もっとも、この場合でも、転職を決意した理由の一部として人間関係を挙げることは何ら悪いことではない。

経営学者の故P・F・ドラッカー氏は組織を辞めることが正しい時として「組織が腐っているとき、自分がところを得ていないとき、あるいは成果が認められないとき」を挙げている。人間関係が上手く行かないと感じているときの多くは、これら三つの何れかに該当するのではないだろうか。

★転職の三つの理由

筆者の転職にも、特に若い頃には、職場の人間関係がきっかけだった場合が何回かある。しかし、もう少し距離を取って個々の転職の意味を考えると、自分の転職には次の三通りの「意味」あるいは「目的」があった。

若い頃の転職で多かったのは、「仕事を学ぶ」ための転職だった。最初の転職は、ファンドマネジャーの仕事を覚えるための転職だったし、その後二回の転職も目的は、もっと自分の仕事のスキルのレベルを上げられる職場に移ることだった。

外資系の会社に移る頃からの転職の典型的な理由は「機会を得る」ということだった。経済的な条件も考慮しないわけではなかったが、主な目的は、よりよい仕事の環境を得ることだった。尚、この段階に入ってからも、よりよい仕事を覚えることに主目的のある転職が二回ほど混じっている。

最近二回の転職は40歳代になってからのものだが、これらの目的は「ライフスタイルの実現」であった。会社の仕事と自分の仕事を並行して行う形を作り、また、自分の名前で自由に意見を発表できるような仕事の条件をつくることが、転職の目的だった。自分が働きたい形で働けるようにということもあるし、将来への準備を早めに始めるという意味もある。

読者がしようとしている転職も、「仕事を学ぶ」・「機会を得る」・「ライフスタイルの実現」の何れかの意味があるのではないだろうか。
「前」と「後」を冷静に比較して決める

転職の理由は場合によっていろいろだが、他人の言葉や評価を気にする必要はない。但し、転職を決めるにあたっては、現在の職場よりも、これから移ろうとする職場を冷静に偏り無く評価して、後者の方が総合的に「良い(のではないか)」という明確な理由が必要だ。

「偏り無く」というのは現実には難しいが、一般論としては、人は、これから手に入れるものよりも、現在手に入れているものの価値を過大に評価しがちなので、この点に注意すべきかも知れない。これは、全く同等と思える場合は、新しい会社の方がいいという意味だ。

何れにせよ、転職に明確な理由があれば、それを他人にも堂々と説明できる。この点は精神衛生上大変重要だ。
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以上

 以下の記事は、5年ほど前に『読売新聞』に載ったもので、私(山崎元)の転職にあって、大きな意味があったと本人が思う3回の転職について説明している。上下二回に分かれていて、読売オンラインで読むことが出来る。

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12回の転職の中で大きかった3回の転職(上) 山崎 元さん

 決して自慢になる話ではないが、筆者はこれまでに12回の転職を経験した。多くの転職を重ねたことを、決して恥じてはいないのだが、「想定の範囲外」であったことは認めざるを得ないし、転職に伴ってかかった有形無形のコストも小さくなかった。

 ちなみに、「コスト」というのは、たとえば、転職の時期によって貰えるはずのボーナスを満額貰い損なったり(合計6回ある)、退職金や年金で損をしていたり、新しい職場に適応するために手間が掛かったり、といったことだ。少なくとも経済的な損得からいえば、転職すること自体は得ではないから、覚悟されたい。しかし、幸い、筆者の場合はそれ以上に自分の仕事の内容や環境を自分で選択できたことのメリットが大きかった。

 さて、12回の転職は、後から振り返ってみると、自分にとって全てが等価であったわけではない。今回は、自分の職業人としてのライフスタイルの選択に大きく関わっているという意味で、自分にとって大きな意味を持っていた三つの転職について少し詳しく触れてみよう。
(1) 最初の転職(三菱商事→野村投信)

 最初の会社に就職する時から「十年も経てば世の中が変わっているだろうから、その時にまた考え直そう」というくらいの気持ちではあったのだが、4年目の時点で、世間的には「いい会社」といわれることの多い会社を辞めるにあたっては、かなり考えた。かれこれ1年以上かけて行き先を探していたのではあったが、現実に転職先が見つかってみると、「日本にあって、最初に勤めた会社を辞めても大丈夫なものだろうか」という事について、理屈では「大丈夫だろう」と思っていても、実感がないので自信が持てなかったのだ。

 結局、〈1〉仮に多少損になることはあっても、〈2〉心身共に元気で且つ人並みの勤労意欲があれば、〈3〉食うには困らないだろう、と最悪の事態について見当を付けることによって、自分の選択を肯定した。

 実際にやってみてどうだったのか、といえば、まだ大きな企業からの転職が珍しかった時期(1985年)のことでもあり、新しい職場への適応や、転職者であることへの自意識に苦労をしなかったといえば嘘になるが、結果的にはプラス面が大きかった。

 プラスと思えた要因は、〈1〉新しい仕事を覚えて職業人としての価値を向上させることができた、〈2〉自分で進路を選択して無事働けたことで自信がついた、〈3〉特に前の会社との「距離感」が分かって、会社というものを客観視する事ができるようになった、という三点だ。

 三点目について補足すると、一つの会社の中にずっと居ると、世の中におけるその会社の重要性や自分個人にとっての重要性がどれくらいのものかが分からなくなり、同時に会社にとって自分がどれくらい重要なのかも分かりにくくなる。しかし、一度転職を経験すると、自分が所属している会社が世間や自分にとって不可欠なまでに重要なものではないことや、自分が居なくてもその会社は無事に動いている、というようなことが分かる。

 要は、会社についても、自分についても、客観的な視点を持てるようになるということなのだが、筆者以外の転職経験者の話を聞いてみても、大なり小なりそのような実感を持つようだ。たぶん、転職を経験すると「少しオトナになる」ということなのだろう。

つづく
(2005年5月27日 読売新聞)
http://job.yomiuri.co.jp/howto/experience/ex_05052701.htm


12回の転職の中で大きかった3回の転職(下) 山崎 元さん

(2) 外資系的な雇用契約へ(住友信託銀行→シュローダー投信)

 最初の転職をクリアして、二度目、三度目の転職は、結果の成否はともかく、自分の意思でコース選択することができた。かくして辿り着いた会社は、当時の同僚に恵まれたこともあって、気に入った職場だった。

 しかし、ここでは事の詳細には触れないが、会社の方針について筆者としてはどうしても許すことができない点があって、せっかく張り合いのあった職場を早く離れた方がいいと思うような事態に至った。それまでに、三回転職していることもあり、日系の会社で良い就職口を探すのは大変だろうと思われたし、また、当時の日系の会社にはさほど魅力的な会社が見つからなかった。

 そんな訳で、「そろそろ外資に出る頃合いかな」と思って、外資系の会社に転職したのが、33歳の時であった。

 外資系の会社では、基本的に、報酬は個々人が別々に決まるし、何といっても、「クビ」の心配がある。近年は、日系の会社でもクビがあるし、年俸制の契約もあるが、外資系の会社の緊張感はまた少しちがう。

 しかし、考えてみると、一人一人違う個人が「自分の仕事」を売るわけだから、「給与テーブル」によってではなく、個々人が個別に評価され、かつ個人と会社が合意の上で取引をするのが当たり前の姿だろう。ちなみに、日本企業の「成果主義」は、マネジメント構造をそのままにして相対評価にお金を絡める「陰気な成果主義」だが、外資系のそれは、会社によって差はあるとしても、成果(≒利益)への貢献に対して喜んで報酬を払う「陽気な成果主義」であって、両者は似て非なるものだ。

 外資系の会社に転職して以降、筆者は日系の会社に勤める場合も、個人として年俸を決めるような形で会社と契約して働く道を選択している。勤め人ではあっても、ある意味では個人事業主の感覚だ。雇用の保障は曖昧になるが、近年では、日系の会社でも交渉次第で外資系的な年俸を払うようになっている。

(3) より自由な働き方を求めて(明治生命→UFJ総研)

 大きかったと思う三つ目の転職は、働き方を大きく変えた11回目の転職だ。

 それまで三社ほど、日系の会社に外資系的な報酬で勤める形を取っていたのだが、もっと自由な時間あるいは仕事が欲しかったことと、特に自分個人の名前で(正々堂々と)意見を言いたいという欲求が強まってきた。数年前から、かなりの頻度で雑紙に原稿を書いたり、専門書を書いたりしていたのだが、前者では多くが匿名ないし筆名の原稿であって、意見発表の形態としては不満であった。

 また、年齢的にも40代に入り、当面はいいとしても、50代以降に自分のペースでできる仕事の基礎を作っておきたいということも考えた。

 さりとて、いわゆる「起業」が好適とも思えなかったので、次のような仕組みを考えた。先ず、(1)勤務の日と時間が自由で、(2)個人としての発言の自由が確保され、(3)副業(もちろん本業と競合しないものだが)を認める、という条件の職場を探した。ただし、自由度が大きい代わりに、(4)収入は少なくても(前職の半分以下で)満足する。そして、自分の活動(ほぼフリーの個人としての活動と友人との会社的活動の両方)とサラリーマンとしての立場を両方確保するライフスタイルを軌道に乗せようと試みたのだ。

 この働き方は、現在も試行錯誤的に進行中だが、個々の仕事の稼ぎ能率はそれほど良くないものの、収入源が多方面にわたる分リスク分散が働いており、何よりも個人としての自由度が大きい。自分で自分を要領よくマネジメントしなければならない、といった多少の苦労もあるが、今のところ気分も経済的条件もまあまあだ。

 一人が一社に完全に取り込まれる形以外にも、会社と個人双方にとってリーズナブルな雇い方・雇われ方(より正確には対等の契約なのだが)があるのではないか。働き方にはまだまだ多くの工夫が可能なのだろうと思う。

以上
(2005年6月8日 読売新聞)
http://job.yomiuri.co.jp/howto/experience/ex_05060801.htm
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【秋学期 7回目】 成果主義の傾向と対策

2010-11-10 23:33:07 | 講義資料
● 成果主義の傾向と対策

(1) 今回は、「成果主義」について考える。

 先ず、「成果主義」と呼ばれるものには、明らかに異なる二つのタイプがある。これを、私は、「陽気な成果主義」と「陰気な成果主義」と分類している。

 授業では、先ず、次の点についてお話しします。
・ 「陽気な成果主義」とは、どのような制度で、どこで使われているか?
・ 「陰気な成果主義」とは、どのような制度で、どこで使われているか?

(2)「陰気な成果主義」のゲームのルールと攻略法

 実は、日本の大企業の多くは「陰気な成果主義」を採用しています。

 授業では、次の点について考えてみます。
・ 「陰気な成果主義」の背後にある論理
・ 「陰気な成果主義」の弱点
・ 「陰気な成果主義」を採用する組織の本当の評価原理
・ 「陰気な成果主義」を採用する組織での「得な行動」

(3)「陽気な成果主義」のゲームのルールと攻略法

 真の成果主義は、「陽気な成果主義」でしょう。
 この仕組みは、金融の世界でいうと「オプション」の性質を持っており、このことから、「陽気な成果主義」の攻略法を考えることができます。
 「陽気な成果主義」はいくつかの長所を持っていて、今後、採用が拡大することになると思われますが、重大な欠点が一つあります。

 授業では、次の点について説明します。
・ 「陽気な成果主義」とこれに対応したマネジメントの仕組み
・ 「陽気な成果主義」の下での「得な行動」
・ 「陽気な成果主義」の三つの長所
・ 「陽気な成果主義」の弱点

(※)考えるための参考として、春学期に使った、拙文(数年前の考察です)を以下に貼り付けます。ご一読下さい。
 尚、授業に出席できなかった学生は、リクルートエージェント社のサイトにある「ビジネス羅針盤」という私の連載コラム(http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/)に、成果主義について書いた文章が今月中にUPされる予定なので、こちらを読んで下さい。上記の諸点に関する解答が載っているはずです。

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「成果主義」攻略のポイント

★ 被害者ヅラしていても仕方がない

  成果主義は基本的に「今の働きに、今報いる」ので、新しい会社にあってはその会社における過去の実績が関係ないし、会社を辞める場合にも過去の業績に対する「貰い残し」が少ないので不利が小さいというのがその理由だった。同時に、成果主義はこれを上手に使うことが簡単ではないけれども、競争上有利な仕組みだし、個人に対してもフェアなので、良い仕組みなのだということも説明した。これら二つの論旨にその後も変更はない。そして、成果主義的な処遇制度はますます普及している。
 しかし、成果主義の普及と共に、その弊害を指摘する声が多く聞こえるようになってきた。最近では、成果主義を導入した大手電機メーカーの元人事部員が、成果主義導入の失敗例を書いた本がベストセラーとなるなど、成果主義への批判が増えている。
 成果主義への批判は、①成果主義導入企業が増えるとその中にうまく行かない企業が混じる確率が高まるがこの際に経営の失敗が成果主義のせいにされやすい、②そもそも成果主義でない制度を成果主義だといって批判している、③成果の計測や人の評価など成果主義でなくても重要かつ難しいポイントでの失敗が成果主義のせいにされている、といった要因に基づく場合が多い。
 先の電機メーカーの例では、これらの三点が全て関係しているように思われるが、一番大きいのは②だろう。この電機メーカーの成果主義は、成果の計測と報酬の与え方の両方に問題があって、個人間の差を強調することにのみ力点がある「陰気な成果主義」ともいうべきニセモノの成果主義だった。本来の成果主義は「稼いでくれたら、喜んでたくさん払う(だから、稼いで下さい)」というような「陽気な成果主義」なのだ。
 成果主義を導入企業の現実の人事制度は「陰気な成果主義」と「陽気な成果主義」の中間のどこかにあるようなのだが、ビジネスパーソンにとって重要なことは、これが与えられた現実なのだということだ。「成果主義はダメだ」「成果主義は大変だ」と言って被害者のような顔をしていても、現実が後戻りする可能性は乏しいし、幸せにはなれない。それに、成果主義にはゲームでいう「攻略法」のようなコツがあり、その利用は難しくない。

★ 成果主義ではリスクを取る方が得になる

 成果主義(陽気な成果主義の方)を攻略するコツは、一言で言えば「できるだけ大きなリスクを取ること」だ。ひとたびチャンスを掴んだら、自分でリスクを大きくするくらいの積もりがちょうど良い。
 どういう事かと言うと、たとえば(A)中くらいのプロジェクトを引き受けるのと、(B)非常に大きなプロジェクトの責任者を買って出るのとを較べると、仮に成功・失敗が半々の確率だとすると、成功した場合の報酬は(B)の方がずっと大きいことが多いのだが、失敗した場合の処遇は(A)、(B) 似たようなものである場合が多いのだ。外資系などの厳しい会社の場合、失敗すると(A)でも(B)でもクビかも知れないし、逆に原則としてクビはない会社の場合だと、失敗しても多少格好が悪かったり割が悪かったりする部署に異動する程度で済むことが多い。また、後者の場合だと、会社や部門の浮沈に関わるような大きなリスクを取ると、経営者や上司と半ば一蓮托生の関係になって、「かえって安全だ」ということがしばしば起こり得る。
 他方、過去に主流であった、終身雇用と年功序列を特色とするシステムの場合には、成果と報酬が時間的に大きくかけ離れており、せっかく良い業績を上げても、将来偉くなる前に失敗すると報酬を貰い損ねる心配があったから、「余計なリスクを取らない」ということがサラリーマン人生のコツになっていた。
 「年功序列」と「成果主義」では、リスクに対する損得が180度違うのであり、ビジネスパーソンは制度によって感覚を修正しなければならない。
お金の運用の世界に喩えると、前者は少しずつポイントを稼いでリスクを避ける債券の運用のような感覚に近く、後者はのオプションに近い感覚だ。オプションというのは選択権のことで、たとえば株を一定の価格で買えるというオプション(「コール・オプション」という)では、後から株価が上がった場合には権利を行使すると利益になるが、株価が下がった場合には単に権利を放棄することができる。財務の勉強にもなるので、ご存じない方は是非入門書を見て欲しいが、こうしたオプションの価値は株価の変動の程度(つまりリスク)が大きくなるほど高くなる。つまり、成果主義の仕組みの下では、チャンスを得たら、なるべく大きなリスクを取る方が得だということなのだ。
まずは、「陰気な成果主義」か「陽気な成果主義」か、という見極めが大事だが、人事制度が後者の要素を持っている場合には、リスクを取ることが出来るチャンスを手に入れたら、自分から大胆にリスクを拡大し、失敗しても成功しても、また別のチャンスにチャレンジすることが基本になる。
 若い人で且つ現在の収入が低い人の方が、感覚を合わせやすいだろうし、リスクにチャレンジするに際して犠牲にするものが小さくなる(経済学的には「機会費用が小さい」という)ので、成果主義に適応しやすいだろう。
 なお、最近、起業して株式公開した人が成功者として注目されているが、株式の価値も将来の期待値まで含めて現在の成功を評価する一方で、失敗した場合の価値はゼロに留まるオプションの性格を持つ。起業も成果主義の一種だといえる。誰もがうまく行くというわけではないが、失敗した場合に再チャレンジするガッツがあれば、どんどんチャレンジするといいと思う。

★ ゲームのプレーヤーとしてのビジネスパーソン

 個人間の競争は強調するけれどもあまり報酬に差を付けない日本的年功序列にしても、最近の成果主義にしても、あるいは、一見新しい成果主義のようでありながらその実は旧来型とあまり変わらない「陰気な成果主義」であっても、それぞれの制度で有利に振る舞うコツがある。
 人事制度を論じる書籍や雑誌などの記事は、どうしても会社(とその経営者)にとってどの制度が得かという視点で書かれることが多い。しかし、会社の利害と、個々のビジネスパーソン個々の利害とはしばしば別のものだ。ビジネスパーソン個人の側から、人事と報酬の仕組みを評価し、攻略するという視点が必要になる。また、最終的には、こうしたビジネスパーソンの視点に耐えうる制度でないと、会社にとってもプラスにならない。
 そして、どうしても自分に与えられた仕組みが自分の目的に合わない場合に、個々の部ジネスパーソンは、「転職」を自分に合ったルールのゲームを選ぶための手段として考えることが出来る。

以上
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【秋学期 6回目】職業によって稼ぎに差があるのはなぜか?

2010-11-03 23:30:02 | 講義資料
 以下の文章は、拙著「お金とつきあう7つの原則」(KKベストセラーズ刊)の第2章「お金の稼ぎ方」の原稿の一部を加筆修正したものだ。
 収入に大きな個人差が生じる理由と、拙文で言う「四つの階級」について、皆さんなりに、考えてみて欲しい。

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★お金は何かと交換で手に入れる

 お金は支払いの手段であり、不測の事態に備えるために、また、自分の自由を実現するためにも、ある程度必要なものだと前章で述べた。
 そのためには、まずお金を手に入れないと始まらない。基本的には、何かと交換することによってお金を手に入れる。
 最も普通に考えられるのは、自分の労働を提供することだ。
 自らの身体を動かし、場合によっては頭を使い、文字を書いたり、モノを動かしたりすることによって、一定の時間とその時間に自分が行使することができたはずの自由を諦めて他人に提供する。「自分の時間と努力をお金に換える」と考えてもいい。
 その際に稼いだ額と使う額との差がプラスになれば、その差額を自分のお金として貯めたり、増やしたりすることができる。
 この際考えておきたいのは、「時間」と「お金」と「自由」は緩やかに交換が可能だということだ。
 たとえば、お金をもっと増やしたいと思った場合。ごく一般的には、自分が働く時間、自分が提供する時間を増やすということが考えられる。具体的には、昼の仕事だけで足りなければ、夜のアルバイトをすれば、お金は増える。残業を増やして残業代を稼ぐというのもこれに該当するだろう。このように「時間」と「お金」は交換が可能だ。
 一方、「自由」と「お金」も、ある程度交換可能だ。
 たとえば、好きな職業、それ自体が楽しい仕事に就いた場合と、それをすることが苦痛であるような仕事に就いた場合を比較してみよう。
 傾向としては、楽な仕事よりもきつい仕事のほうがお金になる。仕事の好みは人それぞれだが、傾向として「嫌な仕事」なら、さらにお金になる。たとえば、アルバイトにしても路上でのビラ配りよりは、重い荷物を運ぶきつい仕事のほうが、同じ時間に対して多くのお金をもらえることが多い。
 そして、このお金を蓄えることによって、「お金」を「自由」と引き換えにすることが可能になる。たとえば将来1年間仕事を休んでアフリカにボランティアに行くようなこともできるだろうし、希望していたNPOの仕事ができるようになるかも知れない。また、退職後には、給料は安いかもしれないが、学校でものを教えることも考えられる。いずれにしろお金があれば、自分の時間を自由に使えるようになる可能性が高い。
 そもそも人が持っている資源というのは、最初は「時間」と自分の身ひとつの場合がほとんどだ。しかし、時間を提供し続けることで「お金」が貯まり、今度は自分の「自由」のために時間を使うことができるようにもなる。
 このように、「時間」と「お金」と「自由」は緩やかに交換可能なので、それを少しでも有利に交換していくことを心がけたい。そう考えると、自分が何をしようとしているのか、人生の見通しがよくなるはずだ。

★ 仕事によって稼ぎが違うのはなぜ? ~お金の立地条件~

 一生懸命、同じ時間働いたとしても、たくさんお金をもらう人もいれば、生活するのにいっぱいいっぱいの収入しか得られない人もいる。
 たとえば、同年齢で、同じ大学を似たような成績で卒業した2人がいたとしよう。片方は銀行に入り、もう片方は電機メーカーに就職した。ところが、入社10年後の収入を比べると、銀行員のほうが電機メーカーの社員の2倍もらっているというようなことがよくある。
 仕事によって稼ぎが違い、同じ時間を提供しているのに収入格差があるのは、動かし難い現実だが、その理由は何なのか。
 お金には「立地条件」があると考えるのがわかりやすいだろう。
 そもそも、会社というものは何なのかというところから考えよう。ごく単純に言えば、会社は、他人の力を利用してお金を稼ぐための仕組みと位置づけられる。
 自分で会社を興す経営者の立場になれば、働く場を提供して、1人だけでは稼ぎにならないような仕事を稼ぎに結びつける。働いてくれる人に対してはその人が貢献した稼ぎの中から、ある部分を会社が利益としてもらう。そのような関係の中で、経営者は社員の働きを利用し、社員は経営者がつくった会社を利用して、お金を稼ぐ。
 仮に、1人の社員が年間1000万円を稼ぎ、会社はその人に年収500万円を支払うと、会社には500万円が残る。そのような社員が10人いれば、粗利が1億円となり、そのうち5000万円が会社の利益で、それぞれの社員は1人当たり500万円をもらえる。単純化すると、そのような仕組みで運営されているものが会社だ。
 社員にとってずいぶん不利だと思われるかも知れないが、そもそもが、この会社という仕組みがなければ、稼ぐ場がないのだとすると、社員の側も会社で働くことには十分なメリットがある。
 ただし、現実の会社では、これらの10人はみな同じ立場ではないだろう。たとえば、この人でなければこの仕事はできない、あるいはこの人がいなければ会社が成り立たないというような人が1人いる場合がある。
 何らかの商品の訪問販売をしている会社だとして、セールスの「やり方」を考える人と、このやり方を使ってセールスするだけのセールスマンの差を考えてみよう。あるいは、誰かに国家資格が必要なサービス業で、その資格を持っている社員が1人だけだと考えてもいい。
 こうしたケースでは、会社は1人当たりに500万円ずつ払っていれば5000万円の儲けがあるが、その人がいなくなってしまうと、儲けそのものが成立しなくなってしまう。そうなると、たとえばその人だけに1000万円、あるいは1500万円をあげてもいいかも知れない。
 いわゆる「余人をもって代えがたい仕事」をしている人は、利益の中からそれ相応の配分がもらえる可能性が大きい。逆に、「代わりがいくらでもいる」仕事をしている人の報酬は安くなる傾向がある。たとえば、同じ会社にいながら、一方はボーナスで稼ぎ、一方は一定額の給与だけというように分かれる。

★4つの階級 ~「株式階級」「ボーナス階級」「給料階級」「非正正社員階級」~

 収入格差が生じる仕組みは、それだけではない。
「株式」の仕組みが収入に影響することもある。
 経営者の立場で考えよう。先ほどのケースだと、社員が1人当たり1000万円ずつ稼いできて、10人に500万円ずつ給与を支払うと利益は5000万円だ。ところが、その5000万円には課税されるので、税金を払わなければいけない。仮に税率が4割とすると、経営者にとっての儲けは3000万円に目減りする。
 これでは満足できないと考えると、たとえば、売り上げを増やすために、この仕組みを10倍にできないかといった発想がわく。たとえば、一店舗で10人を使っている場合、これを10店舗まで増やす。社員も10倍の100人を使えば、単純計算では、10億円の売り上げとなり、粗利益は5億円。これに4割が課税されるとして、最終的な儲けは3億円になる計算だ。
 仮にここまでたどり着いたとして、さらに、大きなお金を手にするために、今度は株式を公開することを考えてみよう。
 そもそも株式の価値は次のような要領でカウントされる。まず、その会社の1年分の利益を織り込み、そこに来年稼ぐであろう利益、再来年稼ぐであろう利益、さらには将来稼ぐであろう利益をいずれも「現在の価値にひきなおして」積み重ねて、合計として評価する。
 現実には、1年先がもっと成長するとか、その先はあまり成長の見込みはないとか、見込まれる利益成長率の差が重大だが、投資する側は、たとえば今年の利益の何倍くらいかと考える。たとえば、将来の利益は総合的に今年の利益の20倍くらいでいいのではないか、などと考える。
 年間3億円の利益を計上する会社なら20年分の利益を見込んで、一気に60億円で評価される。この株式の評価額の合計が「時価総額」と呼ばれるものだ。
 ちなみに、この倍率を「PER(株価収益率)」と呼び、現在の株価を1株当たりの今期予想利益で割って算出することが一般的だ。このPERが高いほど、利益に比べて株価が割高となるが、将来の利益成長率が大きいと評価されれば、投資家はPERが高くてもいいと納得しやすい。
 仮に、株式の半分を創業者が持っているとして、株式を公開して得たのが60億円の時価総額だとすると、この創業者は計算上30億円の富を得たことになる。会社設立から株式公開までが10年だとすると、1年当たりで換算して年収3億円の計算だ。もちろん、株式の価値を現金に換えようとすると、株式を売らなければならないが、このケースでも持ち株の一部を売ることで何億円ものお金を得ることが可能になる。
 株式は、他人に、会社の儲けを先取りして評価させて、現在価値としてそのお金を先に手に入れることを可能にしようという仕組みなのだ。
 多くの従業員を使って利益を取る、いわば「横方向のピンハネ」だけでなく、この先の何十年分かの利益を投資家に期待させて富を手に入れる、時間方向、いわば「縦方向のピンハネ」も利用して、短期間にリッチマンになる人がしばしば登場するようになった。
 仮に、六本木ヒルズのような近代的なオフィスビルで働き、首からIDカードをぶら下げ、Tシャツにジーンズという出立の35歳のビジネスマンがいるとしよう。
 もしも彼が株式を公開した会社の創業者や幹部クラスになれば、その会社の株式を保有していることが少なくない。彼は通常の給与よりもずっと大きく「株式」によって稼ぎを得ていて、それは年収に換算すると数億円にのぼるかも知れない。
 あるいは彼が、会社側から特別な社員と認められて多額の「ボーナス」をもらっている人なら、年収で言えば数千万円になるかも知れない。
 しかし、多くの場合、一般的な社員として年収数百万円相当の給料を受け取っているくらいの人が多いだろう。給料で稼いでいる人の収入は、彼が会社の「正社員」なら、まだ安定的だと言えるが、同じ社内にはいわゆる「非正規(労働者)」と呼ばれるような非正社員のアルバイトや派遣社員などの形で働いている社員もいる。彼ら彼女らは、必要がなくなれば、その時点でクビ(契約解除など)になることがままあるのだ。
 同じ場所、同じ会社で働いていて、似たような歳格好でも、どのような立場で働いているのかによって、経済力には大きな格差が生じる場合がある。
 職業に貴賎はないし、人間性まで格付けするつもりはないが、お金との関わり方に関して一種の「階級」があると考えるとわかりやすい。
 株式で稼いでいる「株式階級」、主にボーナスで稼いでいる「ボーナス階級」、安定的な雇用を得て給料が収入の大半の「給料階級」、雇用の継続性がほとんど「保証されていない「非正社員階級」の4つだ。
 中でも株式で稼いでいる人々は、会社の将来の稼ぎまでを含めて現在の富を手に入れている。資本主義というゲームの中では一番効率よく稼ぐことが可能なグループだと言えるだろう。人生でそれが一番の価値を持つのかどうかは別の議論だが、人を使って会社をつくり、その会社を上場させることで、将来の利益まで他人に評価させて、莫大な報酬を手に入れるというのが、短期間に大金持ちになる最も典型的なパターンだ。
 ついでに1つ注意しておきたいのは、いわゆるベンチャー企業に勤める場合、株式に対して自分がどういう権利を持てるのかをぜひ、しっかりと確認しておきたいということだ。たとえばストックオプション(あらかじめ決められた価格で自社株を買う権利)という形で報酬がもらえるのか、あるいは自社株そのものを給料とは別にもらえるのか、そして、その時の株価はどのように決まるのか。また、株式は公開されているのか、されていないとすれば、公開される見込みがあるのか。こうした株式まわりの権利は特にベンチャー企業で働く場合に重要なポイントとなってくる。
 あえて言えば、株式で大儲けできる可能性がないなら、いわゆるベンチャー企業に勤める楽しみはない。ベンチャー(=冒険)企業である以上、いつつぶれるかわからないというリスクもある。
 いずれにしろ、自分がどの階級に属しているのか、どの立場を目指そうとしているのか。まずはそのことを確認しておきたい。大きなお金が動くような場所にいて、そこにかかわっている会社はお金を稼ぐチャンスが大きいし、そこに携わる人間の実入りも大きくなる。たとえば、まったく同じ大きさ、同じ品揃えのコンビニエンスストアでも、人通りが多いところにあるかどうかで収益が大きく異なるように、「お金の立地条件」は、個人にとっても重要なものなのだ。

★需給。代わりの少ない仕事は報酬が高い

 もうひとつ、収入を決める条件として、その労働力に対する「需給」がある。
 その仕事が誰にでも取って代われるような仕事なのか、それとも、ある程度の経験やノウハウを要する代わりが少ない仕事なのか、その違いが大きい。有利不利は、求められる需要に対してどの程度の供給があるかという「バランス」で決まる。
 たとえば、日本で電気製品をつくっている労働者は、間接的とはいえ、韓国や台湾、中国などで電気製品をつくっている労働者とその製品を通じて競争している。外国の製品価格が下がれば同様に日本製品も値下げしなければ売れなくなるから、その分、日本の労働者の賃金が圧迫される。国内と海外で同じような物をつくることができる場合、それにかかわる労働者どうしは、製品を通じて競争させられる。そして、現在、中国などの新興国の労働者の賃金のほうが日本の労働者よりも安いケースがほとんどだから、彼らと競合する日本の労働者の賃金には下方への圧力が掛かる。賃金だけの問題ではなく、少しでも安い賃金を求めて生産自体が海外に移管されて、雇用機会が減ってしまうこともある。
 こうした競合は製造業労働者に限らない。たとえばソフトウェアの技術者など、知的な労働を提供する労働者にも当てはまる。
 アメリカのプログラマーたちがしばしば悩むのが、ソフトウェアの制作会社が、アメリカにいるプログラマーに発注するのではなく、インターネットを使ってインドにいるプログラマーに発注するような、仕事の海外流出だ。
 インドのプログラマーは英語を不自由なく使えることが多いし、数学はもともと非常に強い。高度なプログラムもつくることができて、しかもインドのプログラマーに頼むほうが安いのだ。アメリカからインドへの仕事の流出は、顧客に電話で受け答えをする「コールセンター」などで大規模に存在する。通信の発達と多くのインド人が英語に強いことでこうなっている。

 産業・職業の将来性は簡単に見通せるものではないが、同類の職業の人が余っていないかという単純な現状認識に加えて、将来に関して、敢えて、職の需給のチェック・ポイントを考えると以下の三点だ。
(1)その仕事は新興国労働者で代替が利かないか?
(2)その仕事はコンピューター・プログラムで置き換えが利かないか?
(3)その仕事が貢献している製品・サービスは社会が豊かになってもニーズがあるか?

 仮に、国立大学の理科系の学部を出て大手メーカーの技術者としてエンジニアをやっているようなケースでも、安穏とはしていられない。彼(彼女)は、社内や国内ばかりでなく、中国やインドの技術者とも競争しなければならない環境におかれている。どのような知識と技術を身につけてれいれば安全圏で一生食べるに困らないのか、ということに対して、確実な正解がなくなってきた。
 このように考えると、たとえば、銀座で売れっ子のホステスをやっている女性のほうが東大出のエンジニアよりも競争上有利かも知れない。彼女たちは、銀座の中で競争しており、そこで勝てばいい。上海やムンバイの女性達と直接競争しているわけではない。
 話を戻そう。
 よく代わりがきかない何か強みを持つことが大切だと言われると、すぐ技術とか資格に走りがちだ。
 しかし、たとえば外資系の証券会社などで高く評価されるのは、資格を持っているかということよりも、「自分の顧客を持っているか」であり、次に「業務に必要な知識と経験を持っているか」だ。特によい顧客をがっちり持っているセールスマンには確実な需要がある。これは、雇う側の立場に立って考えるとわかることだろう。英語ができるMBA(経営学修士)よりも、単によい顧客を持っているセールスマンのほうが断然採用されやすい。加えて、採用された場合の稼ぎもたぶん多いだろう。
 そんな人材になるためにはどうしたらいいのだろうか。
 即効薬はないが、1つの発想法として、自分を「個人商店」と位置づけると見通しが良くなるはずだ。自分は、自分の労働力を売っている個人商店で、自分という社員1人を使っている経営者だと考えてみるのだ。
 たとえば、今後、売り上げ(=年収)を向上させるためには、どういう方面のスキルを身に着けて、どのような労働を提供できるようになればいいのかということを真剣に考えなければいけない。これは、企業でいうと、調査やマーケティングの仕事に相当する。
 たとえば、自分が経理マンなら、日本の会計制度だけでなく、アメリカの会計制度も把握していれば外資系の会社に勤めることも可能になり、収入アップの可能性が見えてくる。この場合、英語もできるようになれば、管理職への道も開けるし、経理だけではなく、税理士の資格を取れば仕事の幅が広がり、収入はさらに上がるかも知れない、といった具合に「商品としての自分(の労働力)」をバージョンアップしていくことが考えられる。
 ただし、たとえば、税理士の資格を取るためには結構な時間と労力がかかる。資格を取ることのメリットが、資格取得にかける時間と苦労に見合うかどうかは、人によるし、時代によっても変化する。世間のニーズを絶えず考えて、自分の商品価値を計画的につくらないと、人生の貴重な時間を有効に使えなくなってしまう。
 人材価値について1つ恐ろしいことは、仮に、まったく同じ価値、同じ能力の人間が2人いた場合、若い人のほうがより大きな価値があるということだ。雇う側から見ると、若い人のほうが長く使うことができるし、長く使っている間にスキルを習熟することが期待できるからだ。経済合理的には、同じ能力なら、より若い人に高い給料を払ってもおかしくない。だから、去年と今年とで同じ能力だとすれば、それは去年より自分の人材価値は落ちているという具合に考える必要もある。
 時には本人が自分自身の価値がピークから下がっているということを認めることも大切だが、それに甘んじることなく、せめて下げ方を小さくしよう、あるいは価値を上げようと意図するなら、去年より進歩した自分をつくり続ける必要がある。年齡を重ねるごとに収入が上がるのが当然というのは過去の話であり、これからは、ますますこうした経済的な現実に向き合うことが必要になる。
 ただ、何にせよ、目指すべき方向は割とはっきりしている。「なるべくなら、代わりの少ない仕事を選ぶ」ことであり、それは、そのほうが有利に稼げるからだ。自分の代わりの少ない仕事、自分が有利な競争環境のつくり方が求められている。
 有力な手段は、しばしば複数の能力の組み合わせによる。
 これだけというのではなく、これもできるしあれもできる、という組み合わせによって「代わりの利きにくい自分」をつくるのだ。英語もできるし、経理もできる。あるいは、デザインなどもできて美的センスもある技術者であるとか、複数の長所の「組み合わせ」を考えるといい。
 もちろん、それは今まで自分が持っていたものに何かを付け加えていくことでつくることができる場合が多い。
 本書はキャリアデザインの方法を語ることが主題ではないので、仕事の仕方の話はこれくらいにしておくが、自分の「人材価値」を育て、かつ維持していくということを絶えず考えておいてほしい。
 こうした考え方は、お金の扱い方や財産の増やし方にも大きく関わる。現金だけでなく、預貯金や株式投資をどう組み合わせてお金を増やしていくのかを考える時にも、欠かせない要素だ。
 自分の人材価値や労働力を商品と考えることについては、これを否定的にとらえて目をそらしたり、禁止したりしようとするよりは、現実を認めて、その中でなるべく有利に要領よくやろう、と考えるのがいい。
 現実に働く経済原則を無視すると生きづらくなるからだ。稼ぎの多寡が人生の価値を決定づけるわけではないが、自分の労働力を高く売れるほうが、自分の自由を豊かに拡大できる可能性が高まる。
 単に「頑張れば何とかなるだろう」とだけ考えるのでは不十分だ。頑張っている姿だけを誰かが密かに見ていて、その頑張りの分だけ評価してくれる、というほど世の中は親切にできていない。

 自分の時間と努力を投入することに対して何を得ようとするのかを常に考えておく必要がある。同じ頑張るのであれば、せめて何をどう頑張ると効率的なのかを気にかけてほしい。なりふり構わず身体を動かす前に、少し頭を使って考えてみよう。
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【秋学期 5回目】 女性のキャリア・プランニングを考える

2010-10-27 18:09:17 | 講義資料
 前回、「28歳」と「35歳」という二つの年齢を軸にして、キャリア・プランニングの一般論についてお話しした。この考え方は、本講座でお伝えしたいと思っていることの中核をなすものであるが、十分考慮されていない重要な要素がある。
 それは、女性の場合に、キャリア・プランニングをどう考えたらいいか、という問題だ。特に、結婚・出産、一つに絞るとすると出産の問題をどう考えるかだ。

 例えば、会社で働く女性が、(A)25歳で出産するのと、(B)35歳で出産するのと、どちらがいいだろうか? もちろん、現実の人生の事情は人それぞれであって、簡単にパターン化できるものではないが、プランニングとしてどちらがいいかを考えることは有益だ。
 私(山崎)は、(A)を支持するが、学生諸君はいかがだろうか?
 私が、(A)を支持する上でポイントとなった考え方は、「機会費用」の概念だ。ご興味のある方は、「機会費用」について調べてみて欲しい。

(※)以下に、参考用の拙文を掲げる。「ダイヤモンド・オンライン」(10月19日)に掲載された文章だ(http://diamond.jp/articles/-/9782)。
 図は国税庁発表の「民間給与実態統計調査」(平成22年9月)から採った。

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「サラリーマン年収5.5%減で考える生活防衛手段」

<衝撃の5.5%減>

 民間勤労者の所得の実態を調べて、国税庁が9月に発表した「民間給与実態調査統計」によると、昨年12月末時点での民間給与所得者の平均年収は、前年から24万円(千円単位四捨五入。以下同じ)減って、406万円だった。調査開始以来、幅も率も最大の下落だという。
 5.5%減とは衝撃的だ。昨年12月末時点で消費者物価は対前年比-1.3%だったからこれを差し引くとしても、実質-4.2%もの大幅悪化だ。この種のデータについては、「実感」があるとか無いとか、感じ方に関する曖昧な話になることが多いが、これだけ大きな下落だと、多くの勤労者は生活条件が「実感として」悪化したと感じているだろう。
 昨年は、リーマンショック後の金融危機の影響を最大に反映している時期なので、今年も同じくらいのインパクトで悪化することはないだろう。しかし、完全失業率は昨年12月の5.2%に対して、今年の8月で5.1%とほとんど改善していない。先般、日銀が日銀としては異例ずくめの「包括緩和」に踏み切ったことからも想像できるように(内容的に異例であっても、規模とスピードの不十分さは「日銀的」だが)、今後、再び景気が悪化するリスクもある。
 事態がここまで酷くなると「生活防衛」という単語が頭に浮かんでくる。所得環境にこれだけの悪化が明白で、且つ今後にもリスクがあるとなると、サラリーマン皆がこれまでと同じ生活という訳には行かないだろう。とはいえ、具体的に何をしたらいいのか分からないのが、大方の読者の率直な心境ではないだろうか。
 今回は、「生活防衛」のための具体的な手段について考えてみたい。

<女性の稼ぎの厳しい現実>

 生活の経済的条件を改善するにはどうしたらいいだろうか。
 アプローチの仕方として定石は、収入支出の費目の大きな部分から考えることだ。厳密には、個々の項目の金額の大きさではなくて、変化の余地の大きさが問題だが、何ならば大きく変えることが出来るかが分からない場合が多いのではないだろうか。個人差もあるが、一般的に影響の大きそうな項目から考えてみよう。
 個人の生活の経済的条件に最も影響の大きな項目は、いうまでもなく「稼ぎ」だ。
 真っ正面から考えると、自分の労働に対する稼ぎを増やせばいいのだが、転職やスキルへの投資など正攻法での改善は簡単ではない。若い適応力のある人は、成長余地の大きい海外に関わるビジネスに自ら飛び込む「人的資本の国際化」がベストなのかも知れないが、そこまで行けない人も多い。
 そうなると、働きを増やすことを考えることになる。
 一つは、副業だ。勤務先の仕事以外の仕事で収入を得ることが出来るようになると、トータルの収入が増える効果があるし、本業の失業や減給リスクに対するヘッジになることのプラスもある。しかし、現実問題として、多くの企業は社員の副業を就業規則で禁止していたり、禁止していないまでも嫌っていることが多い。副業は、合理的な生活改善策だし、本来は皆が持つべき権利だが、現実には副業を持つことが難しい場合が多い(これは解決すべき大きな問題である)。
 稼ぎに関して、多くの場合現実的な改善策は共稼ぎ、およびその条件改善だ。
 典型的な例では、夫婦世帯で、夫だけではなく、妻も稼ぐ形が考えられる。この場合、妻がどのくらい稼ぐことが出来るかが問題になる。
 国税庁の同じ調査の中に、性別・年齢層別の平均給与(年収)のデータがある。これを見ると、女性の場合、25歳~29歳で289万円、30歳~35歳で291万円と30歳近辺で年収のピークを迎え、その後は、65歳~69歳の201万円へと稼ぎが減っていく。他方、男性の場合は、25歳~29歳の355万円の後にも上昇を続け、50歳~54歳の629万円がピークとなる。年齢区分を取り除いて全男性の平均を見ると500万円、全女性の平均は263万円だ。
 女性勤労者の年収を「勤続年数別」で見ると、大学卒業で直ぐに就職した(且つ転職しなかった)と想定される勤続30年~34年まで、就職からずっと年収は上がり続けている。「10年~14年」(ほぼ30代前半)で289万円、15年~19年で333万円、20年~25年で348万円と上昇し続け、25年~29年の382万円、さらに30年~34年の387万円でピークを迎えている。この調査にはいわゆるフルタイムの正社員以外のパートタイム労働者やアルバイトなどを含むせいもあって男女差は大きいが、勤続年数を重ねることが出来ると、女性の収入も上昇していることが分かる。
 もちろん、女性の場合も、正社員で男性と同じ仕事をし続けていれば、職場の差、個人差はあるものの、年収の動きは概ね男性に準ずるものになるはずだ。
 女性が働くこと、夫婦で共稼ぎすることは、現在、「当たり前」でないまでも「普通」のことになっている。その前提で何が問題かというと、結婚や出産を機に女性が職場を完全に離れてしまって、復職しようとした時の労働条件が悪いことだ。
 女性の出産に対して理解のある会社は増えつつある。その間の給与支給は減ったり途絶えたりするものの1年ないし2年の「産休」を取得して、ほぼ元の仕事・元の条件に復職できる制度を持つ会社が増えた。これは、当然のことだ。
 しかし、こうした制度を利用して出産と初期の産後の育児を終えてから復職して稼ごうとしても、問題は少なくない。
 先ず、母親の仕事時間中に子供を預かってくれる保育園が足りない。これは、各方面から指摘を受け、政府も問題を認識しているのだが、スピーディーに解決する見込みがない。政府は頼りにならないという前提で、何とか手段を講じなければならない。
 保育園が確保できても、問題は終わらない。送り迎えの時間にピタリと間に合わせることが難しいからだ。早出も残業できません、という前提で、フルタイムの仕事をこなすのは、職種によっては非常に難しい。「お迎え」だけでも代わりにやってくれる人手があるといいのだが、核家族ではそうも行かないことが多い。
 付け加えると、母親の体力の問題もある。出産が高齢化していることもあり、仮に夫が協力的であったとしても、家事と職場を両方こなすことの体力的負担は大きい。
 ついでに指摘すると、出産年齢の高齢化は、多くの場合、経済合理的とは思えない。若年で低収入の時期の方が産休の機会コストは明らかに低い。会社の側から見ても、若手社員の2年よりも、中堅社員の2年が空白になることのダメージの方が大きいだろう。出産の高齢化には、晩婚化など他の問題も絡んでいるが、出産・育児をなるべく早い時点に持ってくることができれば、経済的にも体力的にもメリットは大きい。
 これらの問題を解消するためには、生活上の戦略が必要になる。

<住居費その他の生活コスト>

 稼ぎの問題を脇に置いて、支出について考えよう。ここでも大きい方から考えるとすると、住居のコストが問題になる。
 不況と人口減を背景に、不動産価格も家賃もじわりと下がりつつあるが、昨年のような所得環境の悪化があっては、とても追いつかない。低金利ではあるが、将来がデフレで、労働環境も良くない可能性があるとすると、大きな債務を負って、資産を特定の物件に固定する住宅ローンには慎重にならざるを得ない。
 一方、前記のように共稼ぎで子育てをする生活を考えると、住居の立地はなるべく便利な場所がいい。一日に30分通勤時間が節約できるということは、夫と妻とで、往復2時間分の時間の節約が発生することを意味する。休憩に使うにしても、別の稼ぎ(端的には残業代)や自己投資(勉強や交友)に使うにしても、時間には間違いなく経済価値があり、これに鈍感ではいけない。
 また、地方によって生活の事情は変わるが、都市部では、便利な立地に住居を持つことが出来ると、自動車を持たなくても暮らせるようになることのコスト節約効果が大きい。自動車の代金、ガソリン代、保険料、加えて駐車場料金などを考えると、たとえば、東京都内で山手線の内側に住んでいる場合、公共交通を利用し、必要なときにタクシーを使うスタイルの方が毎月のコストはずっと安い場合が多いのではないか。
 近年、若者が自分の車を持つことに対してかつてほど欲求を持たなくなる傾向が指摘されているが、文化的に自動車が既に「格好いい」ものではなくなったことの他に、生活上の合理性を反映したものではないか。

<「緩やかな大家族」のすすめ>

 地域差を考え、個人の住居に関する条件差の問題を考えると、誰にでも有効なアドバイスではないのだが、たとえば、夫婦の両親のどちらかが好立地な場所に持ち家を持っている場合、二世代同居型の住宅で暮らすことは、経済合理性がある。
 都会の住宅コストの大きな部分を占める土地のコストを節約できることに加えて、二所帯が生活上協力できることの効果が大きい。
 具体的には、子供所帯の方の妻がフルタイムで働く場合、保育園のお迎えを親所帯の誰かが代行してくれると、働く上での自由度が大いに増す。子供が小学校に入ってからも、下校後の子供(親世代からは孫)に関して、ある程度の面倒を見て貰うことが出来れば、大いに安心だ。食事等、生活はばらばらであっても、何かあった場合のバックアップが近くに存在することの安心感は大きい。
 親世代から見ても、子供や孫が近くにいることのメリットの他に、病気などのトラブルがあった場合に、子供所帯が近くにいることの安心があるだろう。
 協力し合うのは必ずしも親子でなくてもいいし、親子所帯が同じ土地に住むのではなく、近隣の「スープの冷めない距離」に住んでもいい訳だが、コストを節約し、土地・不動産の生産性を上げるという意味では、二世代住宅のような居住形態・生活スタイルは、もっと工夫されていいと思う。
 もちろん、嫁・姑の確執といった、人類にとって、世界平和の達成にも匹敵する大問題があるので、二所帯の距離感の慎重な調整が必要だが、たとえば、二世代住宅で当面の住居費負担を軽減することが出来れば、子供世代が早く結婚し、子供を生むことが、可能になる。一般に、結婚の条件として、男性側の年収が600万円くらい(都市部で専業主婦世帯として暮らすための必要年収の目途)を求めることが少なくないが、先の調査で男性の年齢別の年収を見ると、20代後半(25歳~29歳)で355万円、30代前半で427万円、となかなかそのレベルに達しない(平均年収が600万円を超えるのは、40台後半だ!)。
 振り返って考えてみると、戦後しばらくのまだ物質的に貧しかった時代は、大家族によって、生活における規模の経済性を発揮することで、多くの家庭が暮らしていた。今再び、当時のような大家族を主流のライフスタイルとして再構築することは現実的ではないと思うが、緩やかな大家族、具体的イメージとしては、漫画のサザエさんの一家よりも、もう少し緩やかなつながりだというくらいの生活スタイルを作ることができると、生活の生産性が上がるのではないだろうか。

<その他の問題>

 生活防衛、一歩進んで生活改善のために、打つべき手はまだまだある。
 夫の稼ぎ、ひいては人的資本の価値をいかに増やすかという「働き方の戦略」の問題もあるし、保険を節約あるいは卒業(特に医療保険はいらないことが多い)するなどの生活コストの改善、加えて、金融資産をいかに運用するか(金融機関のためでなく、自分のために!)といった諸問題がある。
 これらの問題については、また別の機会に考えてみたいと思う。
 
 以上

【秋学期 4回目】 キャリアプランニングのポイントは「28歳」と「35歳」

2010-10-19 16:15:27 | 講義資料
 今回は、年齢とキャリア・プラン(職業人生設計)の関係についてお話ししと思います。以下の文章は、春学期の授業でも使いましたが、「会社は2年で辞めていい」(幻冬舎新書)の原稿の抜粋です(注;今回、何カ所か手を加えています)。

 予習としては、
①28歳と35歳に注目する理由はなぜなのか、
②それは正しいのか、
③例外があるとするとどのような場合か、
④自分の問題としてはどのように考えるか、
といった点について、考えていただけるといいと思います。

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●キャリア・プランのポイントは二八歳と三五歳

 いわゆる「キャリア・プラン」について、基本的なことを述べておこう。
 二二、三歳で大学を卒業してどこかの会社に就職する、という場合の、キャリア・プランを考える上では、二八歳と三五歳の二つの時点がポイントになると思う。卒業がもう少し遅れる場合でも(早く卒業する場合よりも、試行錯誤できる期間が短くなるし、確かに幾らか「不利」ではある)、あるいは、一八、九歳の時点で就職する場合でも、ある程度は同じ事が言えると思う。
 先ず、二八歳までの期間は、自分の「職決め」のための試行錯誤が可能な時期だ。この期間であれば、業種も職種もすっかり変えてしまうような転職を、比較的無理なく行うことが出来る。一方、学生としての情報収集では、「働いた実感」が無いので、最初からズバリ適職を見つけるのは難しい。就職選択の成功を期するとしても、ある程度の試行錯誤が必要な場合があることを、覚悟すべきだ。
 試行錯誤が可能な年齢を二八歳までと計算したのには、大まかに二つの理由がある。
 一つ目は、仕事をある程度覚えるのに二年掛かるとして、三〇代の前半を、仕事を既に覚えた状態でフルに使いたいからだ。
 ある程度は養われているはずの仕事のスキルと経験、気力・体力、まだ失われていない新鮮な感覚、などの点からみて、ビジネスパーソンの実力的な全盛期は三〇代の前半だと思う。日本の多くの会社で、この年齢層が「戦力」として現場でフルに使われている。この時期に、先に述べた「人材価値」につながるような実績を作らないと、その後に、それを達成することは難しい。「三五歳を過ぎると、絶対に無理だ」などという他人の希望をすっかり否定するようなことを言うつもりはないが、かなり難しくなるのは事実だ。「能力が同じなら、年齢が過ぎるほど価値が低下する」という人材価値に対して働く「重力」に抵抗して人材価値を大きく持ち上げることが出来るのは、多くの場合、三〇代前半なのだ。
 二つめの理由は、新しい課題への適応力だ。かつて、ある電機メーカーのリストラ関連の業務を経験した方にお聞きしたのだが、たとえば、工場の労働者を半分にする場合、減らされる予定の労働者に、ソフトウェアの研修を行うと、何人かに一人は、システム・エンジニア(SE)に転換できたという。
 ここで、年齢(ヨコ軸)とSEへの転換成功率(タテ軸)をグラフに描くと、二八歳ぐらいで、大きく下方に折れ曲がったのだという。業務の種類にもよるのだろうが、年齢によって、新しい課題への対応力が変化することは否めない。
 理由はよく分からないし、たぶん、一つではないのだろう。頭の柔らかさの経年変化といった生物的な要因があるのかも知れないし、覚えた事が溜まっていて、追加の知識が入りにくくなるのか。あるいは、年齢が上がると他人に教えを請うことがスムーズでなくなるのかも知れないし、二八歳くらいから家族を持つようになる場合が増えるから、生活環境が勉強に適さなくなるといった、社会的要因があるかも知れない。何れにしても、いつまでも若くて吸収力が豊富な状態ではいられない。
 そして、仮に変化に対応できたとしても、先のような理屈で、人材価値を高く確保することが難しくなる。やはり、二八歳くらいまでには、自分の職を決める必要がある。
 ここでいう「自分の職」とは、たとえばメーカーであれば、単に業種や会社だけではなく、研究なのか、営業なのか、財務なのかといった、もう少し個別の分野に絞り込まれた、自分の時間と努力の投資先のことだ。
 もちろん、この決定を二八歳まで延ばした方がいい、というわけではない。早く決められるものなら、一年でも早く決める方が、吸収力のある若い時期を有効に使うことが出来るし、仕事で実績を上げるために使える時間が豊富だということだ。
 ただし、進路を早く決めることは、その進路にあって有利に違いないが、他の進路の可能性を早く捨てることになる。どのようなチャンスが将来あるかないかは分からないし、いつ、何に自分の職を決めるかどうかについては、賭けに近い判断の要素がある。漫然と時間切れになってしまった場合、ここでも「絶対に」とは言わないが、自分の職業人生のあり方を、自分で自由に選ぶことが難しい状況になってしまうことを覚悟すべきだ。モラトリアムには、時間的期限がある。
 二八歳の次に意識すべき「三五歳」は、目標として、これくらいの間に職業人としての自分の完成を目指し、何らかの仕事の実績を持つことを目指そう、という中間地点だ。
 人材市場の商品としてビジネスパーソンを見る場合、三五歳までの「一般的な部下」としても雇われやすい時期までに、ある程度の人材価値を確立しておきたい。「転職年齢三五歳限界説」は、最近の企業の好景気や人材の流動化でかなり緩和されてきたが、それでも、マネジャーが部下を雇うと考えた場合、自分よりも低年齢な部下を雇いたいとイメージする事が多い。三五歳を過ぎると、「一般的な部下」の道は狭まるので、できれば「何かが出来る人材」でありたい。そのためには、三〇代の前半に仕事上の実績を作っておく必要があるという計算になる。「ひとかどの人物」になる、とまで力まなくてもいいが、一応の人材価値を完成する期限を三五歳までだと考えておくのがいい。
 転職の相談も含めて、ビジネスパーソンの愚痴や相談を聞いていると、三〇代前半の人の悩みが、真剣でかつ深刻な場合が多い。
 ビジネスパーソンは、三〇代前半になると、一応能力の完成を見ていて、はっきり言うと、かなりの個人差がついている。一方、能力は伸びなくても地位が上がる会社が多いので、上司よりも部下の方が能力がある、という状態が、方々で起こる。上司が一番バカに見えて、会社が最も「かったるく」見える年代が、三〇代前半なのだ。
 三〇代前半は人事的な処遇に差が付き始める頃でもあるが、相対的に低く評価された集団が不満を持つばかりでなく、高評価のグループも、十分な差になっていないことを不満に思ったり、上司の仕事ぶりがいい加減であることや、会社の方針が頼りないことなどに、不満を持つ。しかも、会社から見ると、仕事は覚えているし、無理も利く、使い頃の年齢なので、仕事の負担は重いことが多い。「こんなことで、この先いいのか?」と激しく悩む人が少なくない。
 三〇代前半になると、有能な人の多くは、大きく育ったヤドカリのように、会社という殻が、身に合わなくなってくる。三〇代前半は、自分に合った仕事の「場」を求めるという意味での転職の適齢期である。
 これが、三〇代の後半になり、四〇代になり、ということになると、不満に対する慣れが出てくるし、自分が三〇代前半以下の労働を利用する側に回れる場合もある。そして、徐々に転職は難しくなるし、自分自身の人材価値を上げることも難しくなることを自覚し始める。転職によって状況を変えるオプションについても、イソップ童話に出てくる、手の届かないところにあるブドウの房を眺めるキツネのように、「あのブドウは酸っぱい」と言うような態度を取る場合が増えてくる。まあ、気持ちは分からないではない。
 ちなみに、会社員の場合、三五歳から先は個人差が大きくなるが、この先については、たぶん、四五歳か遅くとも五〇歳くらいまでに、会社から離れた自分の人生について、プランニングを持つ必要が生じるだろう。
 ぎりぎりまで会社の中のことしか考えずにいて、「六〇歳の定年を前に、五八歳から、蕎麦打ち教室に通い出して、六〇歳に開業して、繁盛しています・・・。」という具合には、なかなか上手く行かない場合が多いだろう。
 蕎麦屋に限らないが、商売ができるレベルを確保するために相当の準備が必要な場合が多いだろうし、商売が軌道に乗るまでには、それなりの苦労や無理が必要な場合もある。まして、蕎麦屋よりもスケールの大きな仕事をしたい場合は(決して、蕎麦屋が悪いとは言わないが)、調査も含めてもう少し長い準備の期間が必要だろう。前倒しに退職したり、副業の形でビジネスを立ち上げたり、体力などの上で無理が利く年齢を有効に生かすことも考えるべきだ。
 長寿化自体はいいことなのだが、六〇歳から先の人生がかなり長いのに、人生設計が会社任せになっていて、一度きりの人生を不完全燃焼で終えている高齢者が少なくないような気がする。
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 以上、年齢別のキャリアプランニングの考え方のあらましを述べたが、いかがだろうか?学生の段階では、具体的なイメージが湧きにくい場合が多いかとも思うが、「就職のさらに先」のことも、考えてみて欲しい。
 ここで述べたのは「標準的な(と山崎が思う)」プランニングだが、他人との「競争」という観点でこれを眺めると、たとえば、自分の進路を早く決めることが出来れば早くスキルの蓄積が出来て、有利な立場に立ったり、身に着けたスキルの利用期間を長く取ったりすることが出来るようになる。しかし、文中でも述べているように、早く進路を決めることは、場合によってはもっと自分に向いていたり、有利だったりする進路を捨てる結果になるから、進路決定のリスクや機会費用についても真剣に考える必要がある。
 何れにしても、今の時点で、「就職の先」にかなり長くて平坦ではない道があることを意識して置いて欲しい。