山崎元の「会社と社会の歩き方」

獨協大学経済学部特任教授の山崎元です。このブログは私が担当する「会社と社会の歩き方」の資料と補足を提供します。

【4月22日】 仕事のやり甲斐、2つの要素

2010-04-17 23:10:18 | 講義資料
 以下の文章は、リクルート・エージェント社のホームページに「転職原論」の第一回目として山崎が書いた文章の一部で、仕事のやり甲斐について書いた部分だ。時間があれば、全文を読んでみて欲しい。
(URLはhttp://www.r-agent.co.jp/guide/genron/genron_01.html)

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<仕事のやり甲斐の要素は二つ>

 仕事の「やり甲斐」というものが何なのかはなかなか説明しにくいが、
(A)自分の仕事が誰かのためになっていることが実感できるか、または、
(B)自分の仕事が以前よりも成長していることが実感できるか、の二つの要素に分解できる。

 お客さんでも、同僚でも、自分の仕事が役立っているという実感があると仕事にやり甲斐がある。もちろん、相手から何らかの感謝の気持ちが伝わってくれば素晴らしい。また、同じ仕事をしていても、たとえば、1年前、2年前よりも自分がその仕事についてよく理解してよりよい仕事をしているという自分の成長が自分で分かるなら、これも仕事の張り合いになる。

 もちろん(A)と(B)の両方があるにこしたことはない。経験的にいって、ある職場にいて、(A)か(B)かどちらかがあれば、その状況は我慢が利く。しかし、(A)も(B)もないという状況では、その仕事に対して精神的な張りを保つのが難しい。生活のための条件や、キャリアプラン全体を考えなければならないが、転職を考える大きなきっかけだと思う。
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 皆さんは、仕事のやり甲斐とは何だと思っているか(あるいは期待しているか)?
 私が見落としている点の指摘や、私よりも上手いまとめ方が出てくるのではないかと期待している。
 

【4月22日】年齢別の年収

2010-04-16 09:40:17 | 講義資料
 女性の出産戦略(出産時期の選択)を考えるために、年齢別の年収データを探してみました。以下のデータは「年収ラボ」のホームページを参照しました(http://nensyu-labo.com/heikin_nenrei.htm)。ページにアクセスして、解説も読んでみて下さい。

年齢

      男性(万円)   女性(万円)

70歳以上      398    236

65~69歳      402    207

60~64歳      514    228

55~59歳      630    256

50~54歳      670    276

45~49歳      663    290

40~44歳      617    288

35~39歳      530    290

30~34歳      453    301

25~29歳      378    294

20~24歳      264    232

19歳以下      154    112

平均         533    271

国税庁 平成20年 
民間給与実態統計調査結果より

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 女性の出産戦略を考える上では、男性と女性の年齢別平均年収データをミックスして考える必要があるでしょう。大卒女性がいわゆる総合職で就職し、継続的に働いた場合、キャリアの前半(30代半ばまで)は男性の年収に近い収入が期待できます。一方、出産で一度離職して復職する場合の収入は、女性のデータに近いでしょう。

 男性の年収データを見ると、30代での伸びが大きく、この年代で離職することの機会費用が大きいことが推測できます。

【4月22日】女性のライフプランニングについて

2010-04-15 11:18:50 | 講義資料
 以下は、「現代ビジネス」に山崎が寄稿した原稿です。現代ビジネス(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/451)を見ていただいてもいいのですが、原稿を貼り付けておきます。

 出産・育児をどの年齢に持ってくるのがいいかについては、いろいろな考慮要素があります。拙文では「機会費用」に注目していますが、その他にもいろいろな考慮要素があるので、考えてみて下さい。

 データについては、厚労省のホームページをご参照下さい。

 尚、通称「女性労働白書」の新版が出たことについては、阿部正浩教授にTwitterで教えていただきました。阿部教授に感謝します。

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●「働く女性白書」から考える女性のライフ・プランニング

<生活のために妻は外で働く>

 4月9日付で厚生労働省から「平成21年版 働く女性の実情」(女性労働白書)がリリースされた(要約はhttp://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/josei-jitsujo/dl/09a.pdf)。
 発表によると、女性の労働力人口(生産年齢外の就業者・失業者を含む)は過去最多の2771万人となった。しかし、女性の就業者数は前年に比べて18万人減少しており、逆に完全失業者数は27万人増加して133万人となったという。景気が後退して生活が苦しくなるのとともに、女性は働きに出ようとした。しかし、残念ながら職が得られなかった人が多いだけでなく、職を失った人が相当数いたという厳しい状況だった。
 生産年齢(15~64歳)の女性の労働力率は62.9%と、7年連続の上昇となり、過去最高を更新した。生産年齢では、三分の二近い女性が労働力化しており、今や、専業主婦ははっきりと少数派だ。全てがそうでないとしても、夫は外で働き、妻は専業主婦という伝統的分業が可能な家計は「恵まれている」。
 過去10年の変化を見ると、女性の労働力化率は、既婚者の「30~34歳」の階層での変化が大きい。この年代の未婚者の労働力化率は0.9%しか上昇していないが、有配偶者では9.0%も上昇しているという。10年前も今も、30代前半の未婚者の約9割は働いていて、大きな変化はなかったが、既婚者の労働力化率に関しては44.2%が53.2%に上昇した。今や、30代前半の妻達の半分強が外で働こうとしている。これに加えて、この年齢レンジの未婚率の上昇が「労働力率」の上昇の原因だ。
 もちろん、女性が働く動機は「生活のため」だけではないだろうが、近年の女性の労働力化率の上昇が主に有配偶者層で起きていることを見ると、生活日を補うために女性が働きに出るという動機が働いていることは明らかに思える。

<M字カーブをどう考えるか>

 女性の労働力化率を年齢階層別に見ると、「25~29歳」(77.2%)と「45~49歳」(75.3%)の二つの年齢階層にピークがあり、間に入る「35~39歳」が65.5%とかなり凹んでいる。「30~34歳」の層も67.2%と相対的に低い。
 この二瘤駱駝の背中のようなM字型のカーブは、働く女性が30歳代に出産で職場を離れる行動を反映している。
 高校・大学といった高等教育を終えて就職し、しばらく経つと、多くの女性が結婚相手を見つける。結婚しても、夫の収入だけでは不足ないし不満な場合もあるだろうし、せっかく得た職業キャリアを無にするのも勿体ないから、しばらく働き続ける。しかし、30歳台になるに及んで、子供を生むことが可能な期間がだんだん残り少なくなってくる。仕事は辞めたくないが、子供を生むために職場を離れて、出産・育児が一段落する40歳台には、生活費の補填の目的もあるだろうし、仕事を持っている方が張り合いがあるということもあるだろうから、女性は再び職場に戻ろうとする。
 しかし、多くの場合、出産・育児で離職した女性は元の職場に戻るわけではないし、まして、離職期間中に継続して働いていた場合に得られるポジションで再雇用されるわけではない。再び働く際の職場では、収入は高くないし、必ずしも満足できるやり甲斐のある仕事に就けるわけではない。
 職場での状況を、たとえばその女性が新卒で入社したときの同期の男性社員と比較してみた場合、男性社員は(全てがではないし、それなりの苦労はあるとしても)仕事のキャリアの連続性を維持するから人材価値が下がらないし、勤続年数と共に収入も上がる場合が多いので、出産で離職する女性は経済的にかなり不利な条件を負っていると言える。
 また、女性の出産・育児離職は、本人にとってだけの問題ではない。会社の側、上司の側から見ても、30代の半ばに小さからぬ確率で離職する可能性の大きな女性社員は、教育的な投資を行う上でリスクが大きい。これは、たとえば、オンザ・ジョブ・トレーニングを考える上で、潜在能力が同じだと判断すれば、女性社員よりも男性社員に将来に繋がる経験をさせようと考える理由になる。
 一方、会社側の別の考慮要素としては、出産・育児を機に女性が離職するのであれば、女性の数を通じて人件費を調整しやすいという隠れたメリットがある。
 何れにしても、少なくとも出産というイベントが女性が働く上でのハンディキャップになっていることは確かであり、グラフに見る駱駝の瘤の谷間はその重荷を象徴している。

<「30代に出産」は合理的なライフプランか?>

 一方、会社員にとって30代という年代は、知力・体力・経験を総合的に考えて、概ね働く能力のピークの時期だ。
 30代前半は、出来ればこの時期に仕事の実績を挙げて転職市場で曲がり角を迎える35歳迄に人材価値を上げておきたいところだし、30代後半はキャリア・プランニングが成功しつつある場合には収入が上昇する職業人生の回収期だ。
 職種にもよるだろうが、この事情は女性でも大きく違わないと思う。違いは、出産(とその前の結婚)時期という外的要因から生じているだけだろう。
 筆者の考えを言うと、可能であれば、出産は20代のなるべく早い時期にプランニングする方がいいのではないだろうか。理由は五つある。
 第1の理由は、この年代の時間の機会費用が、仕事で脂の乗っている30代よりも大幅に安いことだ。産休中に犠牲にする収入を考えただけでも、出産を早める価値がある。10代、20代の若さに商品価値があるというタレントや女優、あるいはある種の水商売のような仕事でなければ、30代の方が離職期間の機会費用は大きいだろう。
 第2の理由は、この時期の仕事の経験は後からリカバー可能であることだ。若い頃の仕事は、そう難しいものではない。また、「若い」という属性を維持していれば、先輩社員に指導を求めることができるから、キャッチアップが容易だ。早い話が、大学を現役で出ていれば、出産・育児で2年ブランクを作ったとしても、2浪で就職した男子社員と同じ条件だ。
 第3の理由は、若い頃の方が出産・育児に耐えられる体力があることだ。30代後半以降の出産は無事ではあっても体力的に堪えると経験者は言う。2人目、3人目まで考えると、第一子の出産は早い方がいい。
 第4の理由としては、子供が早く(母親が40代で)仕上がると、その後の仕事や人生の楽しみに存分に打ち込めることを挙げたい。
 そして、第5の理由は、会社側にとっても、経験を積んだ30代の働き盛りの労働力を使えることが有利な場合が多いからだ。育児から手が離れて仕事に集中できる40代の女性の戦力も魅力的だ。会社の側でも、こうしたライフプランに協力するインセンティブが十分あるのではないだろうか。
 20代に出産、というライフ・プランニングの実現が難しい理由として考えられるのは、以下のような問題だろうか。
(1)早く結婚したくない(独身時代を長く楽しみたい!)。
(2)仕事上の確固たる地位を築いてから産休に入らないと不安だ(復職できる場合)。
(3)離職すると元の職場への復職は不可能なので、少しでも長く働きたいから、結婚・出産が遅くなる。
 (1)の問題については、最終的には個人の好みだから、絶対的な説得材料があるわけではない。ただ、子供の仕上がりが早いと、40代以降が早くから長く楽しみやすい、ということをお伝えしておこう。ちなみに、女性の平均初婚年齢は2006年に28.2歳だが、1980年には25.2歳、1970年には24.2歳だった。初婚年齢の高齢化がどのような理由で起こったのか、それは必然的なものなのかが、問題になる。
 (2)は、復職できることが保証されているなら、20代の時期の方が会社にとっても機会費用が小さい。同期で入社した男性社員との競争に負けたくないといった焦りは分からなくもないが、自分と会社の問題として合理的に考えると、出産・子育てが早い方が有利な場合が多いのではないだろうか。
 (3)は、制度的・社会的に解決すべき問題だ。出産を機に離職した場合に、復職できない、或いは、制度として産休を十分な期間取れないという職場(会社)には問題がある。業務経験の空白は報酬やポジションなどの処遇にそれなりに反映させてもいいが、復職できないような制度は基本的に許すべきでない。しかし、女性社員の産休・育休に伴う有形無形の経済的損失は会社にもあるはずなので、このコストに関して制度的な補助を考えてもいいかも知れない。たとえば「産休提供奨励金」といった名目で、産休中の社員のサラリーの一定割合を国が負担するといった制度だ(地方分権の考え方に従って、自治体に任せてもいいが)。
 何れにせよ、女性が、主に30代に出産・育児で離職するという形は、本人にとっても、会社、ひいては社会にとっても「もったいない」場合が多いように思われる。

  以上
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厚生労働省「働く女性の実情 平成21年版 要約」
http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/josei-jitsujo/dl/09a.pdf

【4月15日】4月15日の予習(2) 「お金の稼ぎ方」 立場によって収入が違う理由

2010-04-11 01:26:06 | 講義資料
 以下の文章は、新刊拙著「お金とつきあう7つの原則」(KKベストセラーズ刊)の第2章「お金の稼ぎ方」の原稿の一部です。収入に大きな個人差が生じる理由と、拙文で言う「四つの階級」について、皆さんなりに、考えてみて下さい。
 たとえば、「ホリエモン」こと堀江貴文元ライブドア社長が、短期間にお金持ちになることができたのはなぜでしょうか?

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★お金は何かと交換で手に入れる

 お金は支払いの手段であり、不測の事態に備えるために、また、自分の自由を実現するためにも、ある程度必要なものだと前章で述べた。
 そのためには、まずお金を手に入れないと始まらない。基本的には、何かと交換することによってお金を手に入れる。
 最も普通に考えられるのは、自分の労働を提供することだ。
 自らの身体を動かし、場合によっては頭を使い、文字を書いたり、モノを動かしたりすることによって、一定の時間とその時間に自分が行使することができたはずの自由を諦めて他人に提供する。「自分の時間と努力をお金に換える」と考えてもいい。
 その際に稼いだ額と使う額との差がプラスになれば、その差額を自分のお金として貯めたり、増やしたりすることができる。
 この際考えておきたいのは、「時間」と「お金」と「自由」は緩やかに交換が可能だということだ。
 たとえば、お金をもっと増やしたいと思った場合。ごく一般的には、自分が働く時間、自分が提供する時間を増やすということが考えられる。具体的には、昼の仕事だけで足りなければ、夜のアルバイトをすれば、お金は増える。残業を増やして残業代を稼ぐというのもこれに該当するだろう。このように「時間」と「お金」は交換が可能だ。
 一方、「自由」と「お金」も、ある程度交換可能だ。
 たとえば、好きな職業、それ自体が楽しい仕事に就いた場合と、それをすることが苦痛であるような仕事に就いた場合を比較してみよう。
 傾向としては、楽な仕事よりもきつい仕事のほうがお金になる。仕事の好みは人それぞれだが、傾向として「嫌な仕事」なら、さらにお金になる。たとえば、アルバイトにしても路上でのビラ配りよりは、重い荷物を運ぶきつい仕事のほうが、同じ時間に対して多くのお金をもらえることが多い。
 そして、このお金を蓄えることによって、「お金」を「自由」と引き換えにすることが可能になる。たとえば将来1年間仕事を休んでアフリカにボランティアに行くようなこともできるだろうし、希望していたNPOの仕事ができるようになるかも知れない。また、退職後には、給料は安いかもしれないが、学校でものを教えることも考えられる。いずれにしろお金があれば、自分の時間を自由に使えるようになる可能性が高い。
 そもそも人が持っている資源というのは、最初は「時間」と自分の身ひとつの場合がほとんどだ。しかし、時間を提供し続けることで「お金」が貯まり、今度は自分の「自由」のために時間を使うことができるようにもなる。
 このように、「時間」と「お金」と「自由」は緩やかに交換可能なので、それを少しでも有利に交換していくことを心がけたい。そう考えると、自分が何をしようとしているのか、人生の見通しがよくなるはずだ。
仕事によって稼ぎが違うのはなぜ? ~お金の立地条件~
 一生懸命、同じ時間働いたとしても、たくさんお金をもらう人もいれば、生活するのに一杯いっぱいの収入しか得られない人もいる。
 たとえば、同年齢で、同じ大学を似たような成績で卒業した2人がいたとしよう。片方は銀行に入り、もう片方は電機メーカーに就職した。ところが、入社10年後の収入を比べると、銀行員のほうが電機メーカーの社員の2倍もらっているというようなことがよくある。
 仕事によって稼ぎが違い、同じ時間を提供しているのに収入格差があるのは、動かし難い現実だが、その理由は何なのか。
 お金には「立地条件」があると考えるのがわかりやすいだろう。
 そもそも、会社というものは何なのかというところから考えよう。ごく単純に言えば、会社は、他人の力を利用してお金を稼ぐための仕組みと位置づけられる。
 自分で会社を興す経営者の立場になれば、働く場を提供して、1人だけでは稼ぎにならないような仕事を稼ぎに結びつける。働いてくれる人に対してはその人が貢献した稼ぎの中から、ある部分を会社が利益としてもらう。そのような関係の中で、経営者は社員の働きを利用し、社員は経営者がつくった会社を利用して、お金を稼ぐ。
 仮に、1人の社員が年間1000万円を稼ぎ、会社はその人に年収500万円を支払うと、会社には500万円が残る。そのような社員が10人いれば、粗利が1億円となり、そのうち5000万円が会社の利益で、それぞれの社員は1人当たり500万円をもらえる。単純化すると、そのような仕組みで運営されているものが会社だ。
 社員にとってずいぶん不利だと思われるかも知れないが、そもそもが、この会社という仕組みがなければ、稼ぐ場がないのだとすると、社員の側も会社で働くことには十分なメリットがある。
 ただし、現実の会社では、これらの10人はみな同じ立場ではないだろう。たとえば、この人でなければこの仕事はできない、あるいはこの人がいなければ会社が成り立たないというような人が1人いる場合がある。
 何らかの商品の訪問販売をしている会社だとして、セールスの「やり方」を考える人と、このやり方を使ってセールスするだけのセールスマンの差を考えてみよう。あるいは、誰かに国家資格が必要なサービス業で、その資格を持っている社員が1人だけだと考えてもいい。
 こうしたケースでは、会社は1人当たりに500万円ずつ払っていれば5000万円の儲けがあるが、その人がいなくなってしまうと、儲けそのものが成立しなくなってしまう。そうなると、たとえばその人だけに1000万円、あるいは1500万円をあげてもいいかも知れない。
 いわゆる「余人をもって代えがたい仕事」をしている人は、利益の中からそれ相応の配分がもらえる可能性が大きい。逆に、「代わりがいくらでもいる」仕事をしている人の報酬は安くなる傾向がある。たとえば、同じ会社にいながら、一方はボーナスで稼ぎ、一方は一定額の給与だけというように分かれる。

★4つの階級 ~「株式階級」「ボーナス階級」「給料階級」「非正正社員階級」~

 収入格差が生じる仕組みは、それだけではない。
「株式」の仕組みが収入に影響することもある。
 経営者の立場で考えよう。先ほどのケースだと、社員が1人当たり1000万円ずつ稼いできて、10人に500万円ずつ給与を支払うと利益は5000万円だ。ところが、その5000万円には課税されるので、税金を払わなければいけない。仮に税率が4割とすると、経営者にとっての儲けは3000万円に目減りする。
 これでは満足できないと考えると、たとえば、売り上げを増やすために、この仕組みを10倍にできないかといった発想がわく。たとえば、一店舗で10人を使っている場合、これを10店舗まで増やす。社員も10倍の100人を使えば、単純計算では、10億円の売り上げとなり、粗利益は5億円。これに4割が課税されるとして、最終的な儲けは3億円になる計算だ。
 仮にここまでたどり着いたとして、さらに、大きなお金を手にするために、今度は株式を公開することを考えてみよう。
 そもそも株式の価値は次のような要領でカウントされる。まず、その会社の1年分の利益を織り込み、そこに来年稼ぐであろう利益、再来年稼ぐであろう利益、さらには将来稼ぐであろう利益をいずれも「現在の価値にひきなおして」積み重ねて、合計として評価する。
 現実には、1年先がもっと成長するとか、その先はあまり成長の見込みはないとか、見込まれる利益成長率の差が重大だが、投資する側は、たとえば今年の利益の何倍くらいかと考える。たとえば、将来の利益は総合的に今年の利益の20倍くらいでいいのではないか、などと考える。
 年間3億円の利益を計上する会社なら20年分の利益を見込んで、一気に60億円で評価される。この株式の評価額の合計が「時価総額」と呼ばれるものだ。
 ちなみに、この倍率を「PER(株価収益率)」と呼び、現在の株価を1株当たりの今期予想利益で割って算出することが一般的だ。このPERが高いほど、利益に比べて株価が割高となるが、将来の利益成長率が大きいと評価されれば、投資家はPERが高くてもいいと納得しやすい。
 仮に、株式の半分を創業者が持っているとして、株式を公開して得たのが60億円の時価総額だとすると、この創業者は計算上30億円の富を得たことになる。会社設立から株式公開までが10年だとすると、1年当たりで換算して年収3億円の計算だ。もちろん、株式の価値を現金に換えようとすると、株式を売らなければならないが、このケースでも持ち株の一部を売ることで何億円ものお金を得ることが可能になる。
 株式は、他人に、会社の儲けを先取りして評価させて、現在価値としてそのお金を先に手に入れることを可能にしようという仕組みなのだ。
 多くの従業員を使って利益を取る、いわば「横方向のピンハネ」だけでなく、この先の何十年分かの利益を投資家に期待させて富を手に入れる、時間方向、いわば「縦方向のピンハネ」も利用して、短期間にリッチマンになる人がしばしば登場するようになった。
 仮に、六本木ヒルズのような近代的なオフィスビルで働き、首からIDカードをぶら下げ、Tシャツにジーンズという出立の35歳のビジネスマンがいるとしよう。
 もしも彼が株式を公開した会社の創業者や幹部クラスになれば、その会社の株式を保有していることが少なくない。彼は通常の給与よりもずっと大きく「株式」によって稼ぎを得ていて、それは年収に換算すると数億円にのぼるかも知れない。
 あるいは彼が、会社側から特別な社員と認められて多額の「ボーナス」をもらっている人なら、年収で言えば数千万円になるかも知れない。
 しかし、多くの場合、一般的な社員として年収数百万円相当の給料を受け取っているくらいの人が多いだろう。給料で稼いでいる人の収入は、彼が会社の「正社員」なら、まだ安定的だと言えるが、同じ社内にはいわゆる「非正規(労働者)」と呼ばれるような非正社員のアルバイトや派遣社員などの形で働いている社員もいる。彼ら彼女らは、必要がなくなれば、その時点でクビ(契約解除など)になることがままあるのだ。
 同じ場所、同じ会社で働いていて、似たような歳格好でも、どのような立場で働いているのかによって、経済力には大きな格差が生じる場合がある。
 職業に貴賎はないし、人間性まで格付けするつもりはないが、お金との関わり方に関して一種の「階級」があると考えるとわかりやすい。
 株式で稼いでいる「株式階級」、主にボーナスで稼いでいる「ボーナス階級」、安定的な雇用を得て給料が収入の大半の「給料階級」、雇用の継続性がほとんど「保証されていない「非正社員階級」の4つだ。
 中でも株式で稼いでいる人々は、会社の将来の稼ぎまでを含めて現在の富を手に入れている。資本主義というゲームの中では一番効率よく稼ぐことが可能なグループだと言えるだろう。人生でそれが一番の価値を持つのかどうかは別の議論だが、人を使って会社をつくり、その会社を上場させることで、将来の利益まで他人に評価させて、莫大な報酬を手に入れるというのが、短期間に大金持ちになる最も典型的なパターンだ。
 ついでに1つ注意しておきたいのは、いわゆるベンチャー企業に勤める場合、株式に対して自分がどういう権利を持てるのかをぜひ、しっかりと確認しておきたいということだ。たとえばストックオプション(あらかじめ決められた価格で自社株を買う権利)という形で報酬がもらえるのか、あるいは自社株そのものを給料とは別にもらえるのか、そして、その時の株価はどのように決まるのか。また、株式は公開されているのか、されていないとすれば、公開される見込みがあるのか。こうした株式まわりの権利は特にベンチャー企業で働く場合に重要なポイントとなってくる。
 あえて言えば、株式で大儲けできる可能性がないなら、いわゆるベンチャー企業に勤める楽しみはない。ベンチャー(=冒険)企業である以上、いつつぶれるかわからないというリスクもある。
 いずれにしろ、自分がどの階級に属しているのか、どの立場を目指そうとしているのか。まずはそのことを確認しておきたい。大きなお金が動くような場所にいて、そこにかかわっている会社はお金を稼ぐチャンスが大きいし、そこに携わる人間の実入りも大きくなる。たとえば、まったく同じ大きさ、同じ品揃えのコンビニエンスストアでも、人通りが多いところにあるかどうかで収益が大きく異なるように、「お金の立地条件」は、個人にとっても重要なものなのだ。

★需給。代わりの少ない仕事は報酬が高い

 もうひとつ、収入を決める条件として、その労働力に対する「需給」がある。
 その仕事が誰にでも取って代われるような仕事なのか、それとも、ある程度の経験やノウハウを要する代わりが少ない仕事なのか、その違いが大きい。有利不利は、求められる需要に対してどの程度の供給があるかという「バランス」で決まる。
 たとえば、日本で電気製品をつくっている労働者は、間接的とはいえ、韓国や台湾、中国などで電気製品をつくっている労働者とその製品を通じて競争している。外国の製品価格が下がれば同様に日本製品も値下げしなければ売れなくなるから、その分、日本の労働者の賃金が圧迫される。国内と海外で同じような物をつくることができる場合、それにかかわる労働者どうしは、製品を通じて競争させられる。そして、現在、中国などの新興国の労働者の賃金のほうが日本の労働者よりも安いケースがほとんどだから、彼らと競合する日本の労働者の賃金には下方への圧力が掛かる。賃金だけの問題ではなく、少しでも安い賃金を求めて生産自体が海外に移管されて、雇用機会が減ってしまうこともある。
 こうした競合は製造業労働者に限らない。たとえばソフトウェアの技術者など、知的な労働を提供する労働者にも当てはまる。
 アメリカのプログラマーたちがしばしば悩むのが、ソフトウェアの制作会社が、アメリカにいるプログラマーに発注するのではなく、インターネットを使ってインドにいるプログラマーに発注するような、仕事の海外流出だ。
 インドのプログラマーは英語を不自由なく使えることが多いし、数学はもともと非常に強い。高度なプログラムもつくることができて、しかもインドのプログラマーに頼むほうが安いのだ。アメリカからインドへの仕事の流出は、顧客に電話で受け答えをする「コールセンター」などで大規模に存在する。通信の発達と多くのインド人が英語に強いことでこうなっている。
 重要なポイントは、競争相手がどれくらいいるのかという点だ。
 仮に、国立大学の理科系の学部を出て大手メーカーの技術者としてエンジニアをやっているようなケースでも、安穏とはしていられない。彼(彼女)は、社内や国内ばかりでなく、中国やインドの技術者とも競争しなければならない環境におかれている。どのような知識と技術を身につけてれいれば安全圏で一生食べるに困らないのか、ということに対して、確実な正解がなくなってきた。
 このように考えると、たとえば、銀座で売れっ子のホステスをやっている女性のほうが東大出のエンジニアよりも競争上有利かも知れない。彼女たちは、銀座の中で競争しており、そこで勝てばいい。上海やムンバイの女性達と直接競争しているわけではない。
 話を戻そう。
 よく代わりがきかない何か強みを持つことが大切だと言われると、すぐ技術とか資格に走りがちだ。
 しかし、たとえば外資系の証券会社などで高く評価されるのは、資格を持っているかということよりも、「自分の顧客を持っているか」であり、次に「業務に必要な知識と経験を持っているか」だ。特によい顧客をがっちり持っているセールスマンには確実な需要がある。これは、雇う側の立場に立って考えるとわかることだろう。英語ができるMBA(経営学修士)よりも、単によい顧客を持っているセールスマンのほうが断然採用されやすい。加えて、採用された場合の稼ぎもたぶん多いだろう。
 そんな人材になるためにはどうしたらいいのだろうか。
 即効薬はないが、1つの発想法として、自分を「個人商店」と位置づけると見通しが良くなるはずだ。自分は、自分の労働力を売っている個人商店で、自分という社員1人を使っている経営者だと考えてみるのだ。
 たとえば、今後、売り上げ(=年収)を向上させるためには、どういう方面のスキルを身に着けて、どのような労働を提供できるようになればいいのかということを真剣に考えなければいけない。これは、企業でいうと、調査やマーケティングの仕事に相当する。
 たとえば、自分が経理マンなら、日本の会計制度だけでなく、アメリカの会計制度も把握していれば外資系の会社に勤めることも可能になり、収入アップの可能性が見えてくる。この場合、英語もできるようになれば、管理職への道も開けるし、経理だけではなく、税理士の資格を取れば仕事の幅が広がり、収入はさらに上がるかも知れない、といった具合に「商品としての自分(の労働力)」をバージョンアップしていくことが考えられる。
 ただし、たとえば、税理士の資格を取るためには結構な時間と労力がかかる。資格を取ることのメリットが、資格取得にかける時間と苦労に見合うかどうかは、人によるし、時代によっても変化する。世間のニーズを絶えず考えて、自分の商品価値を計画的につくらないと、人生の貴重な時間を有効に使えなくなってしまう。
 人材価値について1つ恐ろしいことは、仮に、まったく同じ価値、同じ能力の人間が2人いた場合、若い人のほうがより大きな価値があるということだ。雇う側から見ると、若い人のほうが長く使うことができるし、長く使っている間にスキルを習熟することが期待できるからだ。経済合理的には、同じ能力なら、より若い人に高い給料を払ってもおかしくない。だから、去年と今年とで同じ能力だとすれば、それは去年より自分の人材価値は落ちているという具合に考える必要もある。
 時には本人が自分自身の価値がピークから下がっているということを認めることも大切だが、それに甘んじることなく、せめて下げ方を小さくしよう、あるいは価値を上げようと意図するなら、去年より進歩した自分をつくり続ける必要がある。年齡を重ねるごとに収入が上がるのが当然というのは過去の話であり、これからは、ますますこうした経済的な現実に向き合うことが必要になる。
 ただ、何にせよ、目指すべき方向は割とはっきりしている。「なるべくなら、代わりの少ない仕事を選ぶ」ことであり、それは、そのほうが有利に稼げるからだ。自分の代わりの少ない仕事、自分が有利な競争環境のつくり方が求められている。
 有力な手段は、しばしば複数の能力の組み合わせによる。
 これだけというのではなく、これもできるしあれもできる、という組み合わせによって「代わりの利きにくい自分」をつくるのだ。英語もできるし、経理もできる。あるいは、デザインなどもできて美的センスもある技術者であるとか、複数の長所の「組み合わせ」を考えるといい。
 もちろん、それは今まで自分が持っていたものに何かを付け加えていくことでつくることができる場合が多い。
 本書はキャリアデザインの方法を語ることが主題ではないので、仕事の仕方の話はこれくらいにしておくが、自分の「人材価値」を育て、かつ維持していくということを絶えず考えておいてほしい。
 こうした考え方は、お金の扱い方や財産の増やし方にも大きく関わる。現金だけでなく、預貯金や株式投資をどう組み合わせてお金を増やしていくのかを考える時にも、欠かせない要素だ。
 自分の人材価値や労働力を商品と考えることについては、これを否定的にとらえて目をそらしたり、禁止したりしようとするよりは、現実を認めて、その中でなるべく有利に要領よくやろう、と考えるのがいい。
 現実に働く経済原則を無視すると生きづらくなるからだ。稼ぎの多寡が人生の価値を決定づけるわけではないが、自分の労働力を高く売れるほうが、自分の自由を豊かに拡大できる可能性が高まる。
 単に「頑張れば何とかなるだろう」とだけ考えるのでは不十分だ。頑張っている姿だけを誰かが密かに見ていて、その頑張りの分だけ評価してくれる、というほど世の中は親切にできていない。

 自分の時間と努力を投入することに対して何を得ようとするのかを常に考えておく必要がある。同じ頑張るのであれば、せめて何をどう頑張ると効率的なのかを気にかけてほしい。なりふり構わず身体を動かす前に、少し頭を使って考えてみよう。
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【4月15日】4月15日の講義の予習(1)

2010-04-11 01:22:25 | 講義資料
 亀井大臣の郵政事業見直しに関わる、郵貯上限の2000万円への引き上げについては、私がダイヤモンド・オンラインに書いた文章を、以下の点について考えながら読んでいただけると、いいと思います。

(1)亀井大臣が、小沢民主党幹事長への根回しをすることが重要である理由は?
(2)鳩山内閣が本来掲げていたはずの「政治主導のリーダーシップ」を発揮できない理由は何か? 現在の日本の実質的な権力はどこにあるか?
(3)定額貯金とはどのような金融商品で、何が魅力か?
(4)上限を1000万円から2000万円にしたときにビジネス上何がおこるか?
(5)国債の消化と郵便貯金の関係はどうなっているか?
(6)郵政問題と財務省の利害関係はどうなっているか。財務省は日本郵政に何を望むか?
(7)金融業において情報はどのような役割を果たすか?
(8)郵貯資金で中小企業融資や個人向けのローンを行うことがどうして不適切なのか?

【4月8日】亀井大臣の郵政事業見直しについて考えてみよう

2010-04-08 02:28:50 | 講義資料
※ 以下は、私が「ダイヤモンド・オンライン」に寄稿したものだ。
(http://diamond.jp/articles/-/7817)
拙文を参考に、亀井大臣と郵政事業の見直しについて、考えてみてください。

====<「ダイヤモンド・オンライン」4月7日>====

●郵貯の限度額引き上げで何が起こるか

<鳩山内閣の見慣れた混乱>

 民主党政権が目指す日本郵政の事業の見直しの中で、郵便貯金の限度額が一人当たり2000万円に引き上げられることが決定した。
 この決定の過程では、政権内で意見の衝突があり、またもや、鳩山首相のリーダーシップが問われる展開となった。
 鳩山首相を外から見ると、「よろしく」「頼みます」などと言われたら、誰にでも反射的に友愛して「分かりました」と了承し、状況が変わったら鳥のように物忘れして前言を平気で翻す、といった様子に見えるのだが、ご本人は、どう思っておられるのだろうか。
 もっとも、この見慣れた混乱のおかげで、政治的には、分かったことが多かった。
 選挙を前に多くの民主党議員が郵政関連の組織票の意向に逆らうことが出来ないこと、この構図を見切りつつ、小沢一郎民主党幹事長と通じていたらしい亀井静香郵政改革担当相の老練な駆け引きと、対照的に、仙石由人行政刷新担当相をはじめとする巷間反小沢と呼ばれる人達の結束が緩く政治的な立ち回りが幼いことや、その仙石氏にしても、郵政問題に関する自らの意見よりも閣僚ポストが大切であるらしいことなど、いろいろなことが見えた。
 この結果、亀井氏の国民新党は票を増やしたものの、民主党については郵政票を固めた効果よりも世間があきれたことによる票の減少の方が大きくなったのではないだろうか。

<預金の取り合い>

 さて、郵貯の一人当たり預け入れ限度額が2千万円になると、何が起こるのか。
 現状は金融機関の経営状態が大いに心配されているという事態ではない。三大メガバンクのような大手金融機関からゆうちょ銀行に対して、大々的な資金シフトが起こることは当面ないだろう。しかし、経営規模が小さく、信用力の劣後する中小地銀や信用金庫などの地域金融機関の中には、預金を減らすケースが出てくるだろう。仮に、個人から、お金をどちらに預けたらいいかと相談されれば、好き嫌いを別として、相談者の立場に立つなら、地方の小さな金融機関よりも、ゆうちょ銀行を勧めるのが正しかろう。
 大手、中小何れの金融機関も目下、貸出への資金需要は乏しく、預金集めよりも、運用に困難を抱えているが、預金規模の縮小は証券運用との利鞘が小さいとはいえ、収益の低下につながる公算が大きい。
 また、郵便貯金を1000万円以上預けることが出来る「小金持ち」は、投資信託など手数料の稼げる運用商品のいい見込み客であるだけに、こうした顧客とその資金をゆうちょ銀行に取り込まれることの、競合金融機関にとっての営業上の損失も大きいかも知れない。
 信用力の差を原因とした民業の圧迫は、当面、民間金融機関の中でも経営基盤が脆弱な機関に限られるかも知れない。しかし、たとえば数年から十数年後にまたあるかも知れない世界のどこかでのバブル崩壊は、日本の多くの金融機関に再度影響を及ぼすことになるだろう。その時に日本の銀行の国際化が進んでいればいるほど、そのインパクトが大きいはずだ。この場合、1990年代後半のように安全を指向する資金のシフトが、純粋な民間金融機関から、ゆうちょ銀行に向かって大規模に起こる可能性がある。
 尚、ゆうちょ銀行の預貯金に対して、単に「トゥー・ビッグ、トゥー・フェイル」の事情が存在するだけで「暗黙の政府保証」などといったものは存在しないのだ、という議論があるが、これは目下、論じる価値がない。金融業界のアナリストも含めて、国民の殆ど全てが、ゆうちょ銀行の預貯金は実質的に政府が保証するものだと思っている。国民がそう思う以上、将来の政府による救済を法律で明確に禁止でもしない限り、環境次第で信用力を理由にした資金シフトは十分起こりうる。
 一方、現在、預金金利の水準は低金利で安定している。
 このため、預け入れから6カ月経つと解約・預け直しが可能だという強力なプットオプションが付いた定額貯金の威力は十分発揮されていないが、将来、金利がもう少し上昇し、且つ動きが出てくると、定額貯金は対顧客上、商品としての強味を発揮するようになるだろう。
 預け入れ限度額の引き上げと共に、定額貯金の商品性を見直すのも一つの選択肢だが、これは起こりそうにない。
 一方、資金の集まり具合は、日本郵政の営業方針にもよるだろう。2千万円を十分既成事実化するまでは、急いで資金を集めないといったコントロールも可能だ。また、現実問題として、1千万円を超えて預け入れた顧客が一定数出てくると、「顧客にとって不便である」という理由で上限の引き下げは事実上封印されるだろう。
 集められた資金の8割が国債に投じられる定額貯金は、実質上「個人向け国債」の一種であり、ここに国債消化の余裕が生じることを財務省は歓迎するだろう。ゆうちょ銀行の資金量拡大に対しては、実効性のある歯止めを掛ける流れにはならないだろう。
 もともと、現在の一人1000万円では収益的に不足だから、預け入れの上限を引き上げるのであり、ゆうちょ銀行は資金量の拡大を指向するだろう。財務省を味方に付けている以上、それは達成されるだろう。

<問題は資金運用>

 ゆうちょ銀行の資金が将来拡大すると見た場合、最大の問題は、この資金の運用だ。
 国債中心の資金運用では十分な利鞘が稼げまい。純粋民間銀行と資金の取り合いをするような状況になるとなおさらだ。
 しかし、通常の銀行のように、企業向けの融資を大きな資金運用先とするとことは、ゆうちょ銀行には無理だろう。純粋民間銀行との協調融資で、彼らの審査能力に相乗りする手はあるが、純粋民間銀行の側では、自分たちにとってリスクに比して高い収益性が期待できる案件をみすみすゆうちょ銀行との協調融資には差し出さないだろう。審査能力を持っていないゆうちょ銀行に与えられる機会は、ゆうちょ銀行にリスクを負担させることに価値がある案件への参加のはずだ。
 政治家に話をさせると、やたらに出てくる中小企業向けの貸し付けも、融資の判断が最も高度な業務であり、ゆうちょ銀行が一朝一夕に立ち上げられるものではない。無理である。
 一部には、個人向けのローンに参入するのではないかとの声もあるが、与信審査が難しく、厳しい取り立てが必要な個人向けのローンを、ゆうちょ銀行が手掛けることが適当だとはとても思えない。
 住宅ローンはある程度可能かも知れないが、この分野では、既に純粋な民間金融機関どうしが激しく競い合っている。ここに参入しても、リスクの割に利鞘が稼げないだろうし、強度の民業圧迫になる。
 融資業務での無茶なリスク・テイクと民業圧迫を避けるとなると、必然的に、有価証券運用はどうかという話になる。
 しかし、現状でも郵貯は約180兆円もの資金量があり、これは、公的年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用資産を遙かに上回る。運用のディスクロージャーに関する要求が厳しい公的年金の運用と違って、ゆうちょ銀行は、形の上では民間会社だから、より自由な運用を指向しやすいが、それは、資金運用を受託しようとする運用会社からよりつけ込まれやすいということでもある。
 郵貯資金を狙うのは、民間の運用会社ばかりとは限らない。何らかの「ファンド」を作って海外プロジェクトの資金源にしたり、公共事業の原資にしたり、あるいは、国家ファンド的な「金融版の公共事業」に郵貯の資金を流用したいと企む、政治家や官僚が待ちかまえている可能性がある。
 一方、財務省としては、郵貯を、特に消費税率の引き上げが実現するまでの、有力な国債の貯蔵庫だと思っているだろう。
 かつて郵貯資金は財政投融資の原資として政治的、利権的に、様々な目的に使われたが、財政投融資に対してはそれでも国会からチェックをかけることが可能だった。しかし、郵貯資金が「コントロールされた民間会社」(失礼ながらNTTのような会社)の管理下に入ると、民間会社の経営判断として、資金を様々な目的に高い自由度で使うことが出来る。利権的利用価値は「郵貯=財投」の時代よりも大きくなる可能性すらある。

<まじめにやるなら銀行買収>

 ゆうちょ銀行は、郵便局を通じた資金の「入り口」には強いとしても、出口に向かう途中のプロセスである資金運用を強化するためには、何らかの経営的な工夫が必要だろう。
 民間企業の経営問題として普通に考えると、資金運用のノウハウとそれを実現する組織とを持っている外部の金融機関を買収することが解決策として、思い浮かぶ。
 思いつきで、幾つか選択肢を挙げてみよう。
 たとえば、政策投資銀行、あるいは国際協力銀行といった政府系の金融機関を買収するとどうか。これらの機関に、純粋民間とあまり競合しないある種の資金運用のノウハウがあるだろう。しかし、持株会社である日本郵政及びゆうちょ銀行が民間会社でもあることを思うと、国策的なリスク融資を行うこれらの機関を傘下に置くことは馴染まない。
 民間銀行はどうだろうか。たとえば、合併交渉が白紙に戻って経営的には苦悩が続いているであろう、新生銀行やあおぞら銀行のような金融機関を買収して、彼らの融資や有価証券投資ノウハウを取り込む手があるかも知れない。但し、民間銀行の買収にあたっては、その銀行が持つ(不良)債権等を評価し処理する問題がある。買収条件の決定は簡単ではない。
 民間銀行を買収するなら、ゆうちょ銀行が有価証券による大規模な資産運用を必要とし、住宅ローンを積極化するかも知れない点を考えると、有価証券と不動産に強い点で、信託銀行を買収するのがいいかも知れない。
 しかし、残念ながら、信託銀行に関しては、業界の再編が一通り終わったところだ。現在ある信託銀行を買収するのは簡単でない。
 もちろん、経営的には金融機関を買収したいのは山々でも、それを純粋な民間会社ではない日本郵政・ゆうちょ銀行が行っていいのか、という大きな問題はある。
 日本郵政の問題は、時間の経過とともに、悪い方向に複雑化しているようだ。

  以上

【4月8日】 山崎元の自己紹介

2010-04-08 00:50:19 | 講義資料
 はじめまして。山崎元です。
 第1回目の講義では、履修に関するガイダンス(講義の予定概要と試験の方法や単位の認定方針など)を行うとともに、今後の内容のベースになる講師の職歴について、少々詳細な自己紹介を行います。

 添付の図(クリックで拡大)は、私の転職年表です。私はこれまでに、金融関係の職を中心に12回転職を経験していますが、この表は、職歴と共に、転職のパターン、主な勤務先での年収の変化などを要約したものです。
 尚、講義ではもう少し詳しく説明する積もりですが、年収に関しては、過去約15年くらい、主勤務先の収入とその他の収入を合わせた水準は、そう大きくは変わっていません。
 有り体に言って、私はお金持ちでも貧乏でもありません。

 以下、転職年表の補足説明です。

① 前期の転職(~住友信)は「仕事を覚えるため」、中期の転職(シュローダー~明治生)は「より良い仕事の場を得るため」、後期(UFJ総~)は「自由度を拡大するため」に転職した。

② 知識の使い方や対象顧客は変えているが、一貫して、資産運用関係の知識とスキルを自分の主たる商品にしてきたように思っている。

③ 経済的には大きな「引っ越し的コスト」(職探しの時間、年金・退職金・ボーナスなどの損、新しい職場への適応努力)があったが、一方で、収入の増加、知識・スキルの増加(転職後は概して一所懸命勉強する)などが、結果的にコストを補った(大いに得!というほどではない)。本人としては、いろいろな職場を経験できて面白かった分、得をした、という程度に考えている。

④ 一言で言って、転職は ‘山崎元商店’の「主要取引先の変更」だと本人は理解している。

 振り返ってみて、人生は、こと仕事の問題だけを考えても、思った通りには行かないものです。とはいえ、転職の中には失敗もありましたが、「まあ、何とかなる」というのも実感です。
 後者に関しては「やる気と健康があれば、就職・転職の失敗くらいなら、何とかリカバーできる」と言い換えておきましょう。

このブログの運営方針

2010-04-08 00:01:23 | ブログ運営方針
 はじめまして。獨協大学経済学部特認教授の山崎元です。2010年4月から「会社と社会の歩き方」(春学期・秋学期とも木曜日5限)を担当します。

 このブログは、「金融資産運用論」で使う講義資料や講義の補足説明などを、主として講義を履修されている学生の皆さんに提供するために開設し、運営するものですが、講義履修者以外の方の閲覧も自由です。

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  (最終改訂) 2010年4月8日 山崎 元