山崎元の「会社と社会の歩き方」

獨協大学経済学部特任教授の山崎元です。このブログは私が担当する「会社と社会の歩き方」の資料と補足を提供します。

【秋学期 9回目】 転職の方法

2010-11-24 20:29:00 | 講義資料
 希望して入社した会社でも、職場の様子が期待とちがっていたり、不本意な仕事に配属されたりすことがあるし、時間が経過すると、会社も自分も変化することがある。「私には、転職は不要だ」と就職する前から言い切れるケースは殆ど無い。
 特に、30代前半くらいになると、ビジネスパーソンとしての骨格が固まってくるが、これが勤務先の会社と合わない場合が生じてくる。たとえば、自分のスケールと会社・職場のスケールが合わないケースにあっては、積極的に転職をお勧めしたい。

 そこで、転職はどうやってするのか、ということが問題になる。

 以下の文章は、リクルート・エージェント社のホームページに「転職原論」と題して私(山崎元)が書いた数編の文章から抜粋したもので、転職手順のあれこれについて述べている。
(リクルート・エージェント社のサイト:http://www.r-agent.co.jp/guide/genron/)


(1)自分でアプローチするのが基本

 現在の職場に不満を持ち、転職したいと思った場合に、転職先をどう探せばいいのだろうか。

 入社したいと思う会社が最初からある場合は、きっかけを作るべく、自分でアプローチするのが基本だ。仕事で付き合った相手を辿る、学生時代などの友人・知人に仲介を頼む、会社のホームページの人材募集を見て問い合わせてみる、といった個人的な努力を先ずは考えよう。自分が働きたいと思う部署のマネージャーに会うことが出来れば理想的だ。

 当面の求人がなくても、将来の候補としてマネージャーの記憶に残ることがあるし、どんな条件の人材が欲しいかについても教えてくれるだろう。優秀なマネージャーは、自分の部下になりうる候補者に常に関心があるのが普通だ。それに、自分の会社や仕事に対して真面目な関心を持ってくれる人に対して悪い印象は持たない。

 もちろん、目標とする会社がライバル会社だったり、取引先だったりする場合には、ビジネス上の配慮が必要だ。特に、自社の情報を漏らしたり、悪口を言い過ぎるのは良くない。しかし、相手の会社で働くことに関して積極的な関心を示すことは構わない。
紹介会社を通じて「マーケット」を知る

 日頃から、いわゆる「横のつながり」(同業他社の人との付き合い)を心掛けていると、転職先へのアプローチは、案外、自分でも出来ることが多い。

 しかし、そもそも自分の適職が自分でよく分からない場合や、転職したいと思っている業界の求人状況や求人の条件など、転職マーケットの状況が分からない場合は、人材紹介会社が持っている情報を利用しよう。

 近年は、求人についてネットだけでもかなりの情報が手に入るようになったが、それでも、直接コンタクトしてきた相手にしか開示されない情報も多いから、ネット経由で、あるいは直接、人材紹介会社のコンサルタントと相談してみるといいだろう。

 どんな職種に求人があるか。採用側が求める候補者の条件は何か、そのためにはどのような準備が有効か。求人のある職種はどんな経済的条件か。どこの会社の調子がいいか。こういった基本的な事柄について、プロである紹介会社のコンサルタントから出来るだけ多くの情報を引き出そう。

(2)ヘッドハンターとの付き合い方

 人材紹介会社ないしは、そこで働いている人のことを、俗に「ヘッドハンター」と呼ぶ。特に、「エグゼクティブ・サーチ」と言われるような、企業側の依頼に基づいて、特定のポジションに採用する人を探す職業がこう呼ばれることが多い。アメリカのビジネス界では、医者と弁護士とヘッドハンターにそれぞれいい友人を持て、といわれるくらい、ヘッドハンターは、ビジネスパーソンにとって身近な存在だ。これら三つの職種は、特に自分がピンチの時に役に立つ点が共通だ。

 ヘッドハンターにも種類がある。転職しようとする側で厳密に区別する必要はないことが多いが、(1)特定のポジションの候補者を探すエグゼクティブ・サーチなのか、一般的な人材紹介会社なのか、(2)依頼先から報酬の一部ないし全部を前金(リテイナー・フィー)で受け取っている会社なのか、そうではないのか、(3)仕事の内容が候補者探しなのか、社員を別の会社に転職させることを請け負う「アウトプレイスメント」なのか、が主な区別だ。

 エグゼクティブ・サーチの会社で特に前金で報酬を受け取るような会社からコンタクトがあった場合は、どこかの会社が、自分に興味を持ってアプローチしてきた場合が多い。基本的に話を聞いてみていいだろう。また、特定の求人が背後に無い場合にもアプローチがあるケースがあるが、こうした時にも、情報収集を兼ねて会ってみることは悪くない。

 ヘッドハンターからのアプローチがあった場合に注意すべきケースが二つある。一つにには、現在の職場の様子や心境について根掘り葉掘り訊いてくるケースで、これは、ヘッドハンターを使った情報収集やアウトプレイスメントでのアプローチの場合がある。

 もう一つは、履歴書を手に入れて、これをばら撒いて、成約できれば儲けものといった乱暴な仕事をするヘッドハンターだ。通常この種の履歴書は社名と氏名を匿名にして流通させるが、転職のアプローチは、ヘッドハンターを通さない方がいい場合もあるし、ライバル会社や取引先などに自分が職探しをしているという情報が漏れて不都合な場合がある。初対面の相手に直ぐに履歴書を渡さないことと、履歴書を渡す場合は、匿名であっても企業に履歴書を回付する場合は一件一件相手先毎に必ず自分に確認を取ることを条件とすることが大切だ。この条件を守らないヘッドハンターとは一切付き合わない方がいい。

 アメリカ人を真似るわけではないが、ヘッドハンターと個人的に付き合うのはいいことだ。筆者も、ヘッドハンターに転職戦略を相談して進路を決めたことがある。ヘッドハンターとの付き合いでは、先方からは主に転職市場の情報を得るわけだが、反対にこちらからは候補者となる人の紹介と自分の業務の専門知識の提供(仕事に関わる技術や制度の説明やトレンドの解説など)が程よい「ギブ・アンド・テイク」となる。

(3)面接は積極的に受ける

 どんな求人情報があるのかを具体的に調べてみると、必ずしも第一志望ではないが、興味はあるという程度の求人が見つかることがある。こうした場合、「第一志望ではないから」、「まだ転職すると決めたわけではないから」といった理由で面接に行くことを躊躇する人が居るが、これは勿体ない。

 先ず、採用されれば入社すると決めていなくても、興味のある会社なら、面接を受けに行くことは失礼ではない。それに、実際に相手の会社の誰かに会ってみなければ、会社の実情も、職場の雰囲気も分からないことが多い。情報収集の観点からも、面接の機会は大いに利用すべきだ。

 副産物として、面接の練習という意味がある。はっきり言って、第一志望の会社との面接が初回の場合、いきなり自分のベストの面接が出来る人は少ない。面接を受ける際に何が自分の課題なのかを見極めるためにも、興味のある会社・職種の募集があれば、面接に行ってみることをお勧めする。

 相手企業に対するアプローチにせよ、求人に応募して面接に出向くことにせよ、結果的に採用に直結しなくとも、情報収集や経験として十分に元が取れる場合が多い。人生全般に通じる傾向だが、恥ずかしがらずに自分から積極的にアプローチしてみる方が何かと実りが多いものだ。

(4)応募書類は相手の立場に立って書く

 転職に自分から応募するとき、面接抜きに、書類選考だけで採用が決まることは、ほぼ無い。転職しようとする場合、最初に目指すのは、面接まで辿り着くことだ。通常は、履歴書と職務経歴書を送って、面接の可否の連絡を待つことになる。面接のアポイントメントが取れたら、履歴書・職務経歴書は役割を果たしたと考えていいだろう。基本的には、面接が勝負だ。

 上手い履歴書、あるいは職務経歴書の書き方として、特別なノウハウがあるわけではないが、基本的に考えるべきことは「読み手の立場に立って書く」ことで、これに尽きる。初歩的には読みやすく正確に書くということが大事だし、もう一歩先のレベルでは、先方が応募者の何を知りたいと思っているのかを推測して書くことが重要だ。自分を表現したりアピールしたりするのではなく、自分に関する「情報」を相手に適切に伝えるのだ、という気持ちで書くといい。

 仕事に無関係な趣味の資格などを書いても仕方がないし、応募職種にもよるが、外資系の会社に応募するのに「英検二級」なら書かない方がまだいい(どのみち面接でテストされるだろうが「英検一級」なら履歴書に書いた方がいい)。一方、募集している仕事に関係のある経験やスキルを持っている場合はそれが伝わるように職務経歴書を書こう。
面接の前に準備しておくこと

 面接で採用側が知りたいことは、重要な順に、
(A)募集職種に於ける候補者の能力と経験(この人にこの仕事を任せて大丈夫だろうか?)、
(B)候補者の人柄(一緒に仕事をして楽しい人だろうか?)、
(C)どれくらい入社したい気持ちがあるのか(本当に来てくれるのだろうか?)、
(D)将来も働いてくれるだろうか(近い将来、辞めてしまう心配はないか?)、
といったことだ。

 新卒学生の面接なら、「学校で勉強したことを簡単に説明して下さい」、「どうして当社に入社したいのですか」、「当社に入ったら何をしたいと思いますか」という三つくらいの質問をすることで、(A)~(C)くらいまでは短時間で分かる。たとえば、学校の専門について訊くと、どの程度まじめに勉強したか、それを他人に過不足無く分かりやすく説明できるか(素人に専門内容を説明できる人は「頭がいい」)、といったことが相当程度分かる。

 学生なら、上記の三つの質問に関して答えを自分のものにしておけば大丈夫だが、転職の面接の場合、もう一つ準備が必要だ。それは「(以前の、あるいは、今の)会社を辞めた理由は何ですか?」という質問に対する回答だ。仕事の能力に問題がない場合、採用する側が一番聞きたいのはこの質問に対する答えだ。

 この質問で問われるのは、過去の経緯と仕事に対する考え方とと共にビジネス的なコミュニケーション能力だ。嘘を答えてはいけないし、露骨な答えや、投げやりな答えはビジネスのやりとりとして不適切だ。

 しかし、会社を辞める事に関しては、何となく疾しい感じがして必要以上に言い訳口調になったり、過去の経緯があると感情が高ぶったりすることがある。この質問を上手くこなせない場合、面接全体の出来にも影響するので、過去の転職について「辞めた理由」、これからについて「辞めてもいいと思っている理由」の二点は、あらかじめ答えを紙に書いて、自分で吟味してみるくらいの周到な準備が必要だ。

(5)いきなりお金の話はしない

 面接は、基本的に、(1)採用側から見て候補者が仕事とに合っているか、(2)候補者側から見て会社と仕事に関して疑問はないか、そして(1)、(2)について問題がないことが確認されたら、(3)経済的な条件を含めて条件面で合意できるか、という流れで進むと考えておこう。「仕事」が第一に重要で、給料を含めて「条件」はその次の話題、というのが尊重すべき建前だ。

 最初に質問するのは採用側だし、その後に「何か質問はありませんか?」と訊かれても、「要はいくら貰えるのですか?」といった質問をするのは印象が悪い。ドライだと言われる外資系の会社でも、これは、そうだ。

 お金が重要でないとは言わない。しかし、仕事が何で、どのように進める必要があるのかということは、転職後の居心地と共に将来の自分の人材価値にも関わることなので、非常に重要なのだし、面接中は「仕事の内容の方がお金よりも大切だ」と思っている方が結果がいい場合が多い。

(6)面接は自分という商品を売る「商談」

 面接の服装だとか、応募書類の作り方だとか、あるいは話の仕方にしても、基本的には「面接は自分(の仕事)という商品を売るための商談なのだ」と理解しておけば良く、殆どのことはその延長線上で適切に判断できるはずだ。

 商談だから、時間も服装も相手に合わせる(相手に対する敬意が伝わるようにする)ことが大事だし、話の呼吸も、交渉の詰めが肝心でリスクや曖昧さを取り除かなければならないことも、転職面接の基本的な考え方は全て商談と一緒だ。

 尚、さまざまな調査で面接は、最初の1分くらいの印象で決めた結果と長時間やりとりして決めた結果とに殆ど差がないことと、誰かが好印象を持つ相手は、他の面接者が見ても好印象を持つらしいことが報告されている。最初の印象で決まるのは事実だろうが、最初が良ければ後で失敗してもいいということではないし、後の準備に自信がなければ最初に好印象を与えることも難しい。

 一つの心構えに集中するとすれば「これからお互いにとって良いビジネスを作るのだ」という「緊張感のある楽しみな感じ」を自分に言い聞かせることだろう。

 もう一言付け加えておこう。書類選考も、面接も、相手の都合で決まることだから、落選することがある。筆者も、過去の転職活動で何度も不採用を経験してきた。不採用の通告は、人間としての自分が否定されるか嫌われるかするような情けない気分になりやすいものだが、これも「あくまでも『商談』の不成立であり、自分の全人格ではなく、自分の仕事という「商品」が今回は売れなかっただけなのだと割り切って気分を切り替えよう。

(7)転職の基本は「猿の枝渡り」

 転職するか・しないか、最後の決断は誰にとっても悩ましい。決断のポイントの前に転職の基本を説明しておくと「次の入社が確実に決まるまで、現在の会社を辞めるアクションを一切起こしてはいけない」ということを肝に銘じて欲しい。

 仕事と生活のリスク管理上当然のことなのだが、この基本が守れない人が少なくない。自分は今勤めている会社を辞めるかも知れないと臭わせたり、実際に我慢しきれずに辞めてしまったりするのだ。前者は全く余計な行動だし、自分に関心を惹こうとしているようで大人として見苦しい。後者は、後のことを考えるといかにも不利だ。

 会社を辞めてしまうと、仕事のキャリアに空白が出来て人材価値が下がる、次の入社の際の給与交渉で無収入状態は不利だし、無業状態が続くと焦りが出て転職活動に悪影響を与える、といった不利がある。

 また、「辞めたい」あるいは「辞めるかも知れない」と一度口にした人は、組織の中で信用を失い、価値が下がる。使う側は、辞めるかも知れない社員に重要な仕事を任せないだろうし、仕事上の重要な情報を伝えるのも躊躇するようになる。

 筆者はよく「転職の基本は猿の枝渡りだ」と説明する。猿は次の枝を握ってから、現在掴んでいる枝から手を離すというのが主な理由だが、ついでに地上に落ちた猿は弱いということも併せてイメージしておこう。

(8)リスクとリターンで判断する

 転職の決断には、必ず何らかの不確実性が伴う。しかし、転職に限らず「現在よりも『絶対に』良くなるのでなければ○○しない」といっていると、人生で重要なことは何も決められない。転職は、大まかでも確率を一緒に考えて、投資の世界でリスクとリターンを考えるように決めなければならない。

 転職先の職場のことが完全に分かることはあり得ないし、転職後の自分の気分にも不確実性がある。しかし、現在の職場についても、将来の会社の盛衰、自分や上司の人事異動など、不確実なことは山ほどあることも考えなければならない。一般に、後者を軽視しがちな傾向があるし、自分が決めたことで後悔したくないという心理が働くので、現状維持に過大なウェイトが掛かりがちになることが多いかも知れない。

 また、逆に、今の職場が嫌だと思っていると、次の職場を過度に美化して、早く転職を決めたいという心理になることもある。現在の自分が、どちらの偏りを持っているのかを考えて、意識的に気持ちをリセットしよう。

 二つの職場をできるだけ公平に較べることが大事だし、完全にはそれが出来なくても、そうしようと努めたことが転職してもしなくても、自分の決定に対する納得の源になる。

 考慮すべき要素は人それぞれだが、一般的には、
(1)その転職がもたらす自分の人材価値への影響はどうか、
(2)二つの仕事はどちらが自分の価値観に合っているか、
(3)働くための組織の環境はどちらがいいか、
(4)経済的にはどちらが勝るか、といった点がポイントだ。

 大雑把な質問で言い換えると、
「仕事のスキルはどっちの会社にいる方がアップするか?」、
「どっちの会社の仕事が誇らしいと思うか?」、
「どっちの会社の方が自分をフェアに評価してくれそうか?」、
「損得を年収換算するとどれくらいか?」、といったところか。
若い読者に対して、敢えて一点だけに絞るなら、(1)だけを集中的に考えるのがいい場合が多いと言っておこう。自分の仕事のレベルを上げることが出来れば、それを後からお金や時間や自由に換えることが可能だ。

(9)転職の相談相手

 転職は基本的に自分で決めるものだが、自分の頭の整理のためにも相談相手が欲しい場合がある。こうした場合、どうすればいいか。

 理想的な相談相手は「同業他社の優れた先輩」といったところだろうか。

 絶対にやってはいけないのは、自分の会社の同僚や上司に相談することだ。情報が漏れる危険があるからということもあるが、相手が秘密を守ってくれるとしても、相談された側は、友人の秘密を守るべきか、それとも会社の為に友人の状況を然るべき相手に報告すべきかという問いに晒される。人間として、相手を「試す」ようなことはすべきでない。

 妻や夫といった家族も、生活上の利害が絡むし、相談者と距離が近すぎて、あまり適当な相談相手でないことが多い。

 尚、採用の面接をしていて好感触を伝えると、「それでは家に帰って妻(夫)とよく相談して、お返事します」と答えられて脱力することがある。妻や夫の賛否で自分の仕事を決めるという説明はいささか恥ずかしい。

(10)転職の失敗は後からリカバーできる

 今の会社か、転職先か、どちらかの方が「良さそうだ」という暫定的な結論が出ても、踏ん切りが付かないことがある。特に、一回目の転職については、転職自体の経験がないので、「良いだろう」と思っても決めきれない人が時々いる。

 こうした人には、転職の失敗(転職しないことの失敗も含めて)は、後から十分取り返しが利くということを言っておきたい。転職に失敗した場合、人生の中の 1、2年の貴重な時間をある意味で無駄にすることは事実だが、その後にまた転職することは十分出来る。

 仕事の内容さえ十分確認して転職していれば、それほど人材価値を落とさずに再び転職が可能な場合が多い。

 人生の時間は貴重だが、チャンスは何度か自分で作ることが出来る場合が多い。

(補足)「やる気」と「健康」があれば大丈夫!

 実は、若い頃の筆者は、当時、転職が一般的でなかったこともあって、最初の転職にあたっては大いに悩んだ。その時に、自分なりに考えに考えて得た結論は「もし、この転職で失敗しても、健康で働く気さえあれば、元より得ではなくとも、人生は何とかなるのではないか」という大雑把な割り切りだった。

 転職するにしても、しないにしても、自分で決定することを恐れていてはつまらない。

  以上

【秋学期8回目】 転職する理由と目的について

2010-11-17 06:34:45 | 講義資料
 今回は転職の理由について考える。就職するときに、将来その会社を辞めようと考える人は少ないかも知れないが、会社や職場の状況も、本人の気持ちも、時間と共に変化するので、転職した方がいい状況になる場合が将来あるかも知れない。「私は、将来も絶対に転職しない」と言い切れる人は殆どいないはずだ(そう言うこと自体が無駄だ)。
 キャリアプランニングに於いても、将来の転職の可能性は排除しない方がいい。

 以下の文章は、私(山崎元)がリクルート・エージェント社のサイトに書いたもので、転職の理由について説明したものだ。
(「転職原論」第5回。http://www.r-agent.co.jp/guide/genron/genron_05.html)
 
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★転職に「攻め」も「逃げ」もない

転職の理由は何でもいい。本人の心の中にごまかしが無ければ、本当に何でも構わない。

しかし、世間を見渡すと、若者の転職にケチを付ける大人の言動が少なくない。たとえば、「攻めの転職はいいけれども、逃げの転職は良くない」などという、分かった風な言い草だ。転職に慣れていない人は不安もあるし、現在の職場を離れることに対して後ろめたい気分を持つことがあるので、自分がしようとしている転職は「逃げ」なのではないか、などと気に病む場合がある。

しかし、転職自体は自分の取引相手となる会社を変えるだけのことであり、何らやましいことではない。

「逃げはいけない」と言っている人は、やりかけの仕事から離れることがよくないと言っていたり、嫌な環境を克服できないことがよくないと言っていたりするようだ。そして、もう少し現在の職場で時間を使えば「逃げ」が必ずしも「逃げ」ではなくなる、というようなことを言う。

だが、基本的に仕事に責任を負っているのは会社の代表者や上司の側であり、彼らの要求を無限に聞く必要はないし、それを聞かないことを「逃げ」呼ばわりされるいわれはない。また、職場との相性は誰にでもある。転職でこれを改善しようとするのは普通のことだ。

そして、もっと大切なことは、時間は無限ではないし、チャンスには限りがあることだ。「よりよい職場」があるなら大体は早く移る方がいいし、転職のチャンスがいつでもあるとは限らない。説教好きの大人は、しばしば若者の持つ時間の価値に対して鈍感だ。無意識のうちに、若者が持っている時間に嫉妬しているのかも知れない。

★人間関係が理由で辞めても構わない

転職の「実質的な理由」でたぶん一番多いのは、職場の人間関係だろう。世間の転職の半分以上が、そうではないだろうか。上司との関係で悩む人も多いし、同僚との人間関係がしっくりいかないという人もいる。人間同士が集まって仕事をしている以上、これは仕方がない。自分が他人に対してそうならないという保証はないが、「嫌な人」「苦手な人」というのは、どこにでもいるものだし、これが我慢できないこともある。不必要な我慢はしなくていいし、不可能な我慢は不必要な我慢である。

ただ、転職の「実質的な理由」と書いたように、対外的な説明では、必ずしも人間関係の困難を、転職したい主な理由として述べる必要はない。最初に転職を考えたきっかけが人間関係だとしても、具体的な転職を決めるときには「こちらよりも、こちらがいいと思ったから」という理由があるはずだ。もっとも、この場合でも、転職を決意した理由の一部として人間関係を挙げることは何ら悪いことではない。

経営学者の故P・F・ドラッカー氏は組織を辞めることが正しい時として「組織が腐っているとき、自分がところを得ていないとき、あるいは成果が認められないとき」を挙げている。人間関係が上手く行かないと感じているときの多くは、これら三つの何れかに該当するのではないだろうか。

★転職の三つの理由

筆者の転職にも、特に若い頃には、職場の人間関係がきっかけだった場合が何回かある。しかし、もう少し距離を取って個々の転職の意味を考えると、自分の転職には次の三通りの「意味」あるいは「目的」があった。

若い頃の転職で多かったのは、「仕事を学ぶ」ための転職だった。最初の転職は、ファンドマネジャーの仕事を覚えるための転職だったし、その後二回の転職も目的は、もっと自分の仕事のスキルのレベルを上げられる職場に移ることだった。

外資系の会社に移る頃からの転職の典型的な理由は「機会を得る」ということだった。経済的な条件も考慮しないわけではなかったが、主な目的は、よりよい仕事の環境を得ることだった。尚、この段階に入ってからも、よりよい仕事を覚えることに主目的のある転職が二回ほど混じっている。

最近二回の転職は40歳代になってからのものだが、これらの目的は「ライフスタイルの実現」であった。会社の仕事と自分の仕事を並行して行う形を作り、また、自分の名前で自由に意見を発表できるような仕事の条件をつくることが、転職の目的だった。自分が働きたい形で働けるようにということもあるし、将来への準備を早めに始めるという意味もある。

読者がしようとしている転職も、「仕事を学ぶ」・「機会を得る」・「ライフスタイルの実現」の何れかの意味があるのではないだろうか。
「前」と「後」を冷静に比較して決める

転職の理由は場合によっていろいろだが、他人の言葉や評価を気にする必要はない。但し、転職を決めるにあたっては、現在の職場よりも、これから移ろうとする職場を冷静に偏り無く評価して、後者の方が総合的に「良い(のではないか)」という明確な理由が必要だ。

「偏り無く」というのは現実には難しいが、一般論としては、人は、これから手に入れるものよりも、現在手に入れているものの価値を過大に評価しがちなので、この点に注意すべきかも知れない。これは、全く同等と思える場合は、新しい会社の方がいいという意味だ。

何れにせよ、転職に明確な理由があれば、それを他人にも堂々と説明できる。この点は精神衛生上大変重要だ。
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以上

 以下の記事は、5年ほど前に『読売新聞』に載ったもので、私(山崎元)の転職にあって、大きな意味があったと本人が思う3回の転職について説明している。上下二回に分かれていて、読売オンラインで読むことが出来る。

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12回の転職の中で大きかった3回の転職(上) 山崎 元さん

 決して自慢になる話ではないが、筆者はこれまでに12回の転職を経験した。多くの転職を重ねたことを、決して恥じてはいないのだが、「想定の範囲外」であったことは認めざるを得ないし、転職に伴ってかかった有形無形のコストも小さくなかった。

 ちなみに、「コスト」というのは、たとえば、転職の時期によって貰えるはずのボーナスを満額貰い損なったり(合計6回ある)、退職金や年金で損をしていたり、新しい職場に適応するために手間が掛かったり、といったことだ。少なくとも経済的な損得からいえば、転職すること自体は得ではないから、覚悟されたい。しかし、幸い、筆者の場合はそれ以上に自分の仕事の内容や環境を自分で選択できたことのメリットが大きかった。

 さて、12回の転職は、後から振り返ってみると、自分にとって全てが等価であったわけではない。今回は、自分の職業人としてのライフスタイルの選択に大きく関わっているという意味で、自分にとって大きな意味を持っていた三つの転職について少し詳しく触れてみよう。
(1) 最初の転職(三菱商事→野村投信)

 最初の会社に就職する時から「十年も経てば世の中が変わっているだろうから、その時にまた考え直そう」というくらいの気持ちではあったのだが、4年目の時点で、世間的には「いい会社」といわれることの多い会社を辞めるにあたっては、かなり考えた。かれこれ1年以上かけて行き先を探していたのではあったが、現実に転職先が見つかってみると、「日本にあって、最初に勤めた会社を辞めても大丈夫なものだろうか」という事について、理屈では「大丈夫だろう」と思っていても、実感がないので自信が持てなかったのだ。

 結局、〈1〉仮に多少損になることはあっても、〈2〉心身共に元気で且つ人並みの勤労意欲があれば、〈3〉食うには困らないだろう、と最悪の事態について見当を付けることによって、自分の選択を肯定した。

 実際にやってみてどうだったのか、といえば、まだ大きな企業からの転職が珍しかった時期(1985年)のことでもあり、新しい職場への適応や、転職者であることへの自意識に苦労をしなかったといえば嘘になるが、結果的にはプラス面が大きかった。

 プラスと思えた要因は、〈1〉新しい仕事を覚えて職業人としての価値を向上させることができた、〈2〉自分で進路を選択して無事働けたことで自信がついた、〈3〉特に前の会社との「距離感」が分かって、会社というものを客観視する事ができるようになった、という三点だ。

 三点目について補足すると、一つの会社の中にずっと居ると、世の中におけるその会社の重要性や自分個人にとっての重要性がどれくらいのものかが分からなくなり、同時に会社にとって自分がどれくらい重要なのかも分かりにくくなる。しかし、一度転職を経験すると、自分が所属している会社が世間や自分にとって不可欠なまでに重要なものではないことや、自分が居なくてもその会社は無事に動いている、というようなことが分かる。

 要は、会社についても、自分についても、客観的な視点を持てるようになるということなのだが、筆者以外の転職経験者の話を聞いてみても、大なり小なりそのような実感を持つようだ。たぶん、転職を経験すると「少しオトナになる」ということなのだろう。

つづく
(2005年5月27日 読売新聞)
http://job.yomiuri.co.jp/howto/experience/ex_05052701.htm


12回の転職の中で大きかった3回の転職(下) 山崎 元さん

(2) 外資系的な雇用契約へ(住友信託銀行→シュローダー投信)

 最初の転職をクリアして、二度目、三度目の転職は、結果の成否はともかく、自分の意思でコース選択することができた。かくして辿り着いた会社は、当時の同僚に恵まれたこともあって、気に入った職場だった。

 しかし、ここでは事の詳細には触れないが、会社の方針について筆者としてはどうしても許すことができない点があって、せっかく張り合いのあった職場を早く離れた方がいいと思うような事態に至った。それまでに、三回転職していることもあり、日系の会社で良い就職口を探すのは大変だろうと思われたし、また、当時の日系の会社にはさほど魅力的な会社が見つからなかった。

 そんな訳で、「そろそろ外資に出る頃合いかな」と思って、外資系の会社に転職したのが、33歳の時であった。

 外資系の会社では、基本的に、報酬は個々人が別々に決まるし、何といっても、「クビ」の心配がある。近年は、日系の会社でもクビがあるし、年俸制の契約もあるが、外資系の会社の緊張感はまた少しちがう。

 しかし、考えてみると、一人一人違う個人が「自分の仕事」を売るわけだから、「給与テーブル」によってではなく、個々人が個別に評価され、かつ個人と会社が合意の上で取引をするのが当たり前の姿だろう。ちなみに、日本企業の「成果主義」は、マネジメント構造をそのままにして相対評価にお金を絡める「陰気な成果主義」だが、外資系のそれは、会社によって差はあるとしても、成果(≒利益)への貢献に対して喜んで報酬を払う「陽気な成果主義」であって、両者は似て非なるものだ。

 外資系の会社に転職して以降、筆者は日系の会社に勤める場合も、個人として年俸を決めるような形で会社と契約して働く道を選択している。勤め人ではあっても、ある意味では個人事業主の感覚だ。雇用の保障は曖昧になるが、近年では、日系の会社でも交渉次第で外資系的な年俸を払うようになっている。

(3) より自由な働き方を求めて(明治生命→UFJ総研)

 大きかったと思う三つ目の転職は、働き方を大きく変えた11回目の転職だ。

 それまで三社ほど、日系の会社に外資系的な報酬で勤める形を取っていたのだが、もっと自由な時間あるいは仕事が欲しかったことと、特に自分個人の名前で(正々堂々と)意見を言いたいという欲求が強まってきた。数年前から、かなりの頻度で雑紙に原稿を書いたり、専門書を書いたりしていたのだが、前者では多くが匿名ないし筆名の原稿であって、意見発表の形態としては不満であった。

 また、年齢的にも40代に入り、当面はいいとしても、50代以降に自分のペースでできる仕事の基礎を作っておきたいということも考えた。

 さりとて、いわゆる「起業」が好適とも思えなかったので、次のような仕組みを考えた。先ず、(1)勤務の日と時間が自由で、(2)個人としての発言の自由が確保され、(3)副業(もちろん本業と競合しないものだが)を認める、という条件の職場を探した。ただし、自由度が大きい代わりに、(4)収入は少なくても(前職の半分以下で)満足する。そして、自分の活動(ほぼフリーの個人としての活動と友人との会社的活動の両方)とサラリーマンとしての立場を両方確保するライフスタイルを軌道に乗せようと試みたのだ。

 この働き方は、現在も試行錯誤的に進行中だが、個々の仕事の稼ぎ能率はそれほど良くないものの、収入源が多方面にわたる分リスク分散が働いており、何よりも個人としての自由度が大きい。自分で自分を要領よくマネジメントしなければならない、といった多少の苦労もあるが、今のところ気分も経済的条件もまあまあだ。

 一人が一社に完全に取り込まれる形以外にも、会社と個人双方にとってリーズナブルな雇い方・雇われ方(より正確には対等の契約なのだが)があるのではないか。働き方にはまだまだ多くの工夫が可能なのだろうと思う。

以上
(2005年6月8日 読売新聞)
http://job.yomiuri.co.jp/howto/experience/ex_05060801.htm
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【秋学期 7回目】 成果主義の傾向と対策

2010-11-10 23:33:07 | 講義資料
● 成果主義の傾向と対策

(1) 今回は、「成果主義」について考える。

 先ず、「成果主義」と呼ばれるものには、明らかに異なる二つのタイプがある。これを、私は、「陽気な成果主義」と「陰気な成果主義」と分類している。

 授業では、先ず、次の点についてお話しします。
・ 「陽気な成果主義」とは、どのような制度で、どこで使われているか?
・ 「陰気な成果主義」とは、どのような制度で、どこで使われているか?

(2)「陰気な成果主義」のゲームのルールと攻略法

 実は、日本の大企業の多くは「陰気な成果主義」を採用しています。

 授業では、次の点について考えてみます。
・ 「陰気な成果主義」の背後にある論理
・ 「陰気な成果主義」の弱点
・ 「陰気な成果主義」を採用する組織の本当の評価原理
・ 「陰気な成果主義」を採用する組織での「得な行動」

(3)「陽気な成果主義」のゲームのルールと攻略法

 真の成果主義は、「陽気な成果主義」でしょう。
 この仕組みは、金融の世界でいうと「オプション」の性質を持っており、このことから、「陽気な成果主義」の攻略法を考えることができます。
 「陽気な成果主義」はいくつかの長所を持っていて、今後、採用が拡大することになると思われますが、重大な欠点が一つあります。

 授業では、次の点について説明します。
・ 「陽気な成果主義」とこれに対応したマネジメントの仕組み
・ 「陽気な成果主義」の下での「得な行動」
・ 「陽気な成果主義」の三つの長所
・ 「陽気な成果主義」の弱点

(※)考えるための参考として、春学期に使った、拙文(数年前の考察です)を以下に貼り付けます。ご一読下さい。
 尚、授業に出席できなかった学生は、リクルートエージェント社のサイトにある「ビジネス羅針盤」という私の連載コラム(http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/)に、成果主義について書いた文章が今月中にUPされる予定なので、こちらを読んで下さい。上記の諸点に関する解答が載っているはずです。

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「成果主義」攻略のポイント

★ 被害者ヅラしていても仕方がない

  成果主義は基本的に「今の働きに、今報いる」ので、新しい会社にあってはその会社における過去の実績が関係ないし、会社を辞める場合にも過去の業績に対する「貰い残し」が少ないので不利が小さいというのがその理由だった。同時に、成果主義はこれを上手に使うことが簡単ではないけれども、競争上有利な仕組みだし、個人に対してもフェアなので、良い仕組みなのだということも説明した。これら二つの論旨にその後も変更はない。そして、成果主義的な処遇制度はますます普及している。
 しかし、成果主義の普及と共に、その弊害を指摘する声が多く聞こえるようになってきた。最近では、成果主義を導入した大手電機メーカーの元人事部員が、成果主義導入の失敗例を書いた本がベストセラーとなるなど、成果主義への批判が増えている。
 成果主義への批判は、①成果主義導入企業が増えるとその中にうまく行かない企業が混じる確率が高まるがこの際に経営の失敗が成果主義のせいにされやすい、②そもそも成果主義でない制度を成果主義だといって批判している、③成果の計測や人の評価など成果主義でなくても重要かつ難しいポイントでの失敗が成果主義のせいにされている、といった要因に基づく場合が多い。
 先の電機メーカーの例では、これらの三点が全て関係しているように思われるが、一番大きいのは②だろう。この電機メーカーの成果主義は、成果の計測と報酬の与え方の両方に問題があって、個人間の差を強調することにのみ力点がある「陰気な成果主義」ともいうべきニセモノの成果主義だった。本来の成果主義は「稼いでくれたら、喜んでたくさん払う(だから、稼いで下さい)」というような「陽気な成果主義」なのだ。
 成果主義を導入企業の現実の人事制度は「陰気な成果主義」と「陽気な成果主義」の中間のどこかにあるようなのだが、ビジネスパーソンにとって重要なことは、これが与えられた現実なのだということだ。「成果主義はダメだ」「成果主義は大変だ」と言って被害者のような顔をしていても、現実が後戻りする可能性は乏しいし、幸せにはなれない。それに、成果主義にはゲームでいう「攻略法」のようなコツがあり、その利用は難しくない。

★ 成果主義ではリスクを取る方が得になる

 成果主義(陽気な成果主義の方)を攻略するコツは、一言で言えば「できるだけ大きなリスクを取ること」だ。ひとたびチャンスを掴んだら、自分でリスクを大きくするくらいの積もりがちょうど良い。
 どういう事かと言うと、たとえば(A)中くらいのプロジェクトを引き受けるのと、(B)非常に大きなプロジェクトの責任者を買って出るのとを較べると、仮に成功・失敗が半々の確率だとすると、成功した場合の報酬は(B)の方がずっと大きいことが多いのだが、失敗した場合の処遇は(A)、(B) 似たようなものである場合が多いのだ。外資系などの厳しい会社の場合、失敗すると(A)でも(B)でもクビかも知れないし、逆に原則としてクビはない会社の場合だと、失敗しても多少格好が悪かったり割が悪かったりする部署に異動する程度で済むことが多い。また、後者の場合だと、会社や部門の浮沈に関わるような大きなリスクを取ると、経営者や上司と半ば一蓮托生の関係になって、「かえって安全だ」ということがしばしば起こり得る。
 他方、過去に主流であった、終身雇用と年功序列を特色とするシステムの場合には、成果と報酬が時間的に大きくかけ離れており、せっかく良い業績を上げても、将来偉くなる前に失敗すると報酬を貰い損ねる心配があったから、「余計なリスクを取らない」ということがサラリーマン人生のコツになっていた。
 「年功序列」と「成果主義」では、リスクに対する損得が180度違うのであり、ビジネスパーソンは制度によって感覚を修正しなければならない。
お金の運用の世界に喩えると、前者は少しずつポイントを稼いでリスクを避ける債券の運用のような感覚に近く、後者はのオプションに近い感覚だ。オプションというのは選択権のことで、たとえば株を一定の価格で買えるというオプション(「コール・オプション」という)では、後から株価が上がった場合には権利を行使すると利益になるが、株価が下がった場合には単に権利を放棄することができる。財務の勉強にもなるので、ご存じない方は是非入門書を見て欲しいが、こうしたオプションの価値は株価の変動の程度(つまりリスク)が大きくなるほど高くなる。つまり、成果主義の仕組みの下では、チャンスを得たら、なるべく大きなリスクを取る方が得だということなのだ。
まずは、「陰気な成果主義」か「陽気な成果主義」か、という見極めが大事だが、人事制度が後者の要素を持っている場合には、リスクを取ることが出来るチャンスを手に入れたら、自分から大胆にリスクを拡大し、失敗しても成功しても、また別のチャンスにチャレンジすることが基本になる。
 若い人で且つ現在の収入が低い人の方が、感覚を合わせやすいだろうし、リスクにチャレンジするに際して犠牲にするものが小さくなる(経済学的には「機会費用が小さい」という)ので、成果主義に適応しやすいだろう。
 なお、最近、起業して株式公開した人が成功者として注目されているが、株式の価値も将来の期待値まで含めて現在の成功を評価する一方で、失敗した場合の価値はゼロに留まるオプションの性格を持つ。起業も成果主義の一種だといえる。誰もがうまく行くというわけではないが、失敗した場合に再チャレンジするガッツがあれば、どんどんチャレンジするといいと思う。

★ ゲームのプレーヤーとしてのビジネスパーソン

 個人間の競争は強調するけれどもあまり報酬に差を付けない日本的年功序列にしても、最近の成果主義にしても、あるいは、一見新しい成果主義のようでありながらその実は旧来型とあまり変わらない「陰気な成果主義」であっても、それぞれの制度で有利に振る舞うコツがある。
 人事制度を論じる書籍や雑誌などの記事は、どうしても会社(とその経営者)にとってどの制度が得かという視点で書かれることが多い。しかし、会社の利害と、個々のビジネスパーソン個々の利害とはしばしば別のものだ。ビジネスパーソン個人の側から、人事と報酬の仕組みを評価し、攻略するという視点が必要になる。また、最終的には、こうしたビジネスパーソンの視点に耐えうる制度でないと、会社にとってもプラスにならない。
 そして、どうしても自分に与えられた仕組みが自分の目的に合わない場合に、個々の部ジネスパーソンは、「転職」を自分に合ったルールのゲームを選ぶための手段として考えることが出来る。

以上
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【秋学期 6回目】職業によって稼ぎに差があるのはなぜか?

2010-11-03 23:30:02 | 講義資料
 以下の文章は、拙著「お金とつきあう7つの原則」(KKベストセラーズ刊)の第2章「お金の稼ぎ方」の原稿の一部を加筆修正したものだ。
 収入に大きな個人差が生じる理由と、拙文で言う「四つの階級」について、皆さんなりに、考えてみて欲しい。

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★お金は何かと交換で手に入れる

 お金は支払いの手段であり、不測の事態に備えるために、また、自分の自由を実現するためにも、ある程度必要なものだと前章で述べた。
 そのためには、まずお金を手に入れないと始まらない。基本的には、何かと交換することによってお金を手に入れる。
 最も普通に考えられるのは、自分の労働を提供することだ。
 自らの身体を動かし、場合によっては頭を使い、文字を書いたり、モノを動かしたりすることによって、一定の時間とその時間に自分が行使することができたはずの自由を諦めて他人に提供する。「自分の時間と努力をお金に換える」と考えてもいい。
 その際に稼いだ額と使う額との差がプラスになれば、その差額を自分のお金として貯めたり、増やしたりすることができる。
 この際考えておきたいのは、「時間」と「お金」と「自由」は緩やかに交換が可能だということだ。
 たとえば、お金をもっと増やしたいと思った場合。ごく一般的には、自分が働く時間、自分が提供する時間を増やすということが考えられる。具体的には、昼の仕事だけで足りなければ、夜のアルバイトをすれば、お金は増える。残業を増やして残業代を稼ぐというのもこれに該当するだろう。このように「時間」と「お金」は交換が可能だ。
 一方、「自由」と「お金」も、ある程度交換可能だ。
 たとえば、好きな職業、それ自体が楽しい仕事に就いた場合と、それをすることが苦痛であるような仕事に就いた場合を比較してみよう。
 傾向としては、楽な仕事よりもきつい仕事のほうがお金になる。仕事の好みは人それぞれだが、傾向として「嫌な仕事」なら、さらにお金になる。たとえば、アルバイトにしても路上でのビラ配りよりは、重い荷物を運ぶきつい仕事のほうが、同じ時間に対して多くのお金をもらえることが多い。
 そして、このお金を蓄えることによって、「お金」を「自由」と引き換えにすることが可能になる。たとえば将来1年間仕事を休んでアフリカにボランティアに行くようなこともできるだろうし、希望していたNPOの仕事ができるようになるかも知れない。また、退職後には、給料は安いかもしれないが、学校でものを教えることも考えられる。いずれにしろお金があれば、自分の時間を自由に使えるようになる可能性が高い。
 そもそも人が持っている資源というのは、最初は「時間」と自分の身ひとつの場合がほとんどだ。しかし、時間を提供し続けることで「お金」が貯まり、今度は自分の「自由」のために時間を使うことができるようにもなる。
 このように、「時間」と「お金」と「自由」は緩やかに交換可能なので、それを少しでも有利に交換していくことを心がけたい。そう考えると、自分が何をしようとしているのか、人生の見通しがよくなるはずだ。

★ 仕事によって稼ぎが違うのはなぜ? ~お金の立地条件~

 一生懸命、同じ時間働いたとしても、たくさんお金をもらう人もいれば、生活するのにいっぱいいっぱいの収入しか得られない人もいる。
 たとえば、同年齢で、同じ大学を似たような成績で卒業した2人がいたとしよう。片方は銀行に入り、もう片方は電機メーカーに就職した。ところが、入社10年後の収入を比べると、銀行員のほうが電機メーカーの社員の2倍もらっているというようなことがよくある。
 仕事によって稼ぎが違い、同じ時間を提供しているのに収入格差があるのは、動かし難い現実だが、その理由は何なのか。
 お金には「立地条件」があると考えるのがわかりやすいだろう。
 そもそも、会社というものは何なのかというところから考えよう。ごく単純に言えば、会社は、他人の力を利用してお金を稼ぐための仕組みと位置づけられる。
 自分で会社を興す経営者の立場になれば、働く場を提供して、1人だけでは稼ぎにならないような仕事を稼ぎに結びつける。働いてくれる人に対してはその人が貢献した稼ぎの中から、ある部分を会社が利益としてもらう。そのような関係の中で、経営者は社員の働きを利用し、社員は経営者がつくった会社を利用して、お金を稼ぐ。
 仮に、1人の社員が年間1000万円を稼ぎ、会社はその人に年収500万円を支払うと、会社には500万円が残る。そのような社員が10人いれば、粗利が1億円となり、そのうち5000万円が会社の利益で、それぞれの社員は1人当たり500万円をもらえる。単純化すると、そのような仕組みで運営されているものが会社だ。
 社員にとってずいぶん不利だと思われるかも知れないが、そもそもが、この会社という仕組みがなければ、稼ぐ場がないのだとすると、社員の側も会社で働くことには十分なメリットがある。
 ただし、現実の会社では、これらの10人はみな同じ立場ではないだろう。たとえば、この人でなければこの仕事はできない、あるいはこの人がいなければ会社が成り立たないというような人が1人いる場合がある。
 何らかの商品の訪問販売をしている会社だとして、セールスの「やり方」を考える人と、このやり方を使ってセールスするだけのセールスマンの差を考えてみよう。あるいは、誰かに国家資格が必要なサービス業で、その資格を持っている社員が1人だけだと考えてもいい。
 こうしたケースでは、会社は1人当たりに500万円ずつ払っていれば5000万円の儲けがあるが、その人がいなくなってしまうと、儲けそのものが成立しなくなってしまう。そうなると、たとえばその人だけに1000万円、あるいは1500万円をあげてもいいかも知れない。
 いわゆる「余人をもって代えがたい仕事」をしている人は、利益の中からそれ相応の配分がもらえる可能性が大きい。逆に、「代わりがいくらでもいる」仕事をしている人の報酬は安くなる傾向がある。たとえば、同じ会社にいながら、一方はボーナスで稼ぎ、一方は一定額の給与だけというように分かれる。

★4つの階級 ~「株式階級」「ボーナス階級」「給料階級」「非正正社員階級」~

 収入格差が生じる仕組みは、それだけではない。
「株式」の仕組みが収入に影響することもある。
 経営者の立場で考えよう。先ほどのケースだと、社員が1人当たり1000万円ずつ稼いできて、10人に500万円ずつ給与を支払うと利益は5000万円だ。ところが、その5000万円には課税されるので、税金を払わなければいけない。仮に税率が4割とすると、経営者にとっての儲けは3000万円に目減りする。
 これでは満足できないと考えると、たとえば、売り上げを増やすために、この仕組みを10倍にできないかといった発想がわく。たとえば、一店舗で10人を使っている場合、これを10店舗まで増やす。社員も10倍の100人を使えば、単純計算では、10億円の売り上げとなり、粗利益は5億円。これに4割が課税されるとして、最終的な儲けは3億円になる計算だ。
 仮にここまでたどり着いたとして、さらに、大きなお金を手にするために、今度は株式を公開することを考えてみよう。
 そもそも株式の価値は次のような要領でカウントされる。まず、その会社の1年分の利益を織り込み、そこに来年稼ぐであろう利益、再来年稼ぐであろう利益、さらには将来稼ぐであろう利益をいずれも「現在の価値にひきなおして」積み重ねて、合計として評価する。
 現実には、1年先がもっと成長するとか、その先はあまり成長の見込みはないとか、見込まれる利益成長率の差が重大だが、投資する側は、たとえば今年の利益の何倍くらいかと考える。たとえば、将来の利益は総合的に今年の利益の20倍くらいでいいのではないか、などと考える。
 年間3億円の利益を計上する会社なら20年分の利益を見込んで、一気に60億円で評価される。この株式の評価額の合計が「時価総額」と呼ばれるものだ。
 ちなみに、この倍率を「PER(株価収益率)」と呼び、現在の株価を1株当たりの今期予想利益で割って算出することが一般的だ。このPERが高いほど、利益に比べて株価が割高となるが、将来の利益成長率が大きいと評価されれば、投資家はPERが高くてもいいと納得しやすい。
 仮に、株式の半分を創業者が持っているとして、株式を公開して得たのが60億円の時価総額だとすると、この創業者は計算上30億円の富を得たことになる。会社設立から株式公開までが10年だとすると、1年当たりで換算して年収3億円の計算だ。もちろん、株式の価値を現金に換えようとすると、株式を売らなければならないが、このケースでも持ち株の一部を売ることで何億円ものお金を得ることが可能になる。
 株式は、他人に、会社の儲けを先取りして評価させて、現在価値としてそのお金を先に手に入れることを可能にしようという仕組みなのだ。
 多くの従業員を使って利益を取る、いわば「横方向のピンハネ」だけでなく、この先の何十年分かの利益を投資家に期待させて富を手に入れる、時間方向、いわば「縦方向のピンハネ」も利用して、短期間にリッチマンになる人がしばしば登場するようになった。
 仮に、六本木ヒルズのような近代的なオフィスビルで働き、首からIDカードをぶら下げ、Tシャツにジーンズという出立の35歳のビジネスマンがいるとしよう。
 もしも彼が株式を公開した会社の創業者や幹部クラスになれば、その会社の株式を保有していることが少なくない。彼は通常の給与よりもずっと大きく「株式」によって稼ぎを得ていて、それは年収に換算すると数億円にのぼるかも知れない。
 あるいは彼が、会社側から特別な社員と認められて多額の「ボーナス」をもらっている人なら、年収で言えば数千万円になるかも知れない。
 しかし、多くの場合、一般的な社員として年収数百万円相当の給料を受け取っているくらいの人が多いだろう。給料で稼いでいる人の収入は、彼が会社の「正社員」なら、まだ安定的だと言えるが、同じ社内にはいわゆる「非正規(労働者)」と呼ばれるような非正社員のアルバイトや派遣社員などの形で働いている社員もいる。彼ら彼女らは、必要がなくなれば、その時点でクビ(契約解除など)になることがままあるのだ。
 同じ場所、同じ会社で働いていて、似たような歳格好でも、どのような立場で働いているのかによって、経済力には大きな格差が生じる場合がある。
 職業に貴賎はないし、人間性まで格付けするつもりはないが、お金との関わり方に関して一種の「階級」があると考えるとわかりやすい。
 株式で稼いでいる「株式階級」、主にボーナスで稼いでいる「ボーナス階級」、安定的な雇用を得て給料が収入の大半の「給料階級」、雇用の継続性がほとんど「保証されていない「非正社員階級」の4つだ。
 中でも株式で稼いでいる人々は、会社の将来の稼ぎまでを含めて現在の富を手に入れている。資本主義というゲームの中では一番効率よく稼ぐことが可能なグループだと言えるだろう。人生でそれが一番の価値を持つのかどうかは別の議論だが、人を使って会社をつくり、その会社を上場させることで、将来の利益まで他人に評価させて、莫大な報酬を手に入れるというのが、短期間に大金持ちになる最も典型的なパターンだ。
 ついでに1つ注意しておきたいのは、いわゆるベンチャー企業に勤める場合、株式に対して自分がどういう権利を持てるのかをぜひ、しっかりと確認しておきたいということだ。たとえばストックオプション(あらかじめ決められた価格で自社株を買う権利)という形で報酬がもらえるのか、あるいは自社株そのものを給料とは別にもらえるのか、そして、その時の株価はどのように決まるのか。また、株式は公開されているのか、されていないとすれば、公開される見込みがあるのか。こうした株式まわりの権利は特にベンチャー企業で働く場合に重要なポイントとなってくる。
 あえて言えば、株式で大儲けできる可能性がないなら、いわゆるベンチャー企業に勤める楽しみはない。ベンチャー(=冒険)企業である以上、いつつぶれるかわからないというリスクもある。
 いずれにしろ、自分がどの階級に属しているのか、どの立場を目指そうとしているのか。まずはそのことを確認しておきたい。大きなお金が動くような場所にいて、そこにかかわっている会社はお金を稼ぐチャンスが大きいし、そこに携わる人間の実入りも大きくなる。たとえば、まったく同じ大きさ、同じ品揃えのコンビニエンスストアでも、人通りが多いところにあるかどうかで収益が大きく異なるように、「お金の立地条件」は、個人にとっても重要なものなのだ。

★需給。代わりの少ない仕事は報酬が高い

 もうひとつ、収入を決める条件として、その労働力に対する「需給」がある。
 その仕事が誰にでも取って代われるような仕事なのか、それとも、ある程度の経験やノウハウを要する代わりが少ない仕事なのか、その違いが大きい。有利不利は、求められる需要に対してどの程度の供給があるかという「バランス」で決まる。
 たとえば、日本で電気製品をつくっている労働者は、間接的とはいえ、韓国や台湾、中国などで電気製品をつくっている労働者とその製品を通じて競争している。外国の製品価格が下がれば同様に日本製品も値下げしなければ売れなくなるから、その分、日本の労働者の賃金が圧迫される。国内と海外で同じような物をつくることができる場合、それにかかわる労働者どうしは、製品を通じて競争させられる。そして、現在、中国などの新興国の労働者の賃金のほうが日本の労働者よりも安いケースがほとんどだから、彼らと競合する日本の労働者の賃金には下方への圧力が掛かる。賃金だけの問題ではなく、少しでも安い賃金を求めて生産自体が海外に移管されて、雇用機会が減ってしまうこともある。
 こうした競合は製造業労働者に限らない。たとえばソフトウェアの技術者など、知的な労働を提供する労働者にも当てはまる。
 アメリカのプログラマーたちがしばしば悩むのが、ソフトウェアの制作会社が、アメリカにいるプログラマーに発注するのではなく、インターネットを使ってインドにいるプログラマーに発注するような、仕事の海外流出だ。
 インドのプログラマーは英語を不自由なく使えることが多いし、数学はもともと非常に強い。高度なプログラムもつくることができて、しかもインドのプログラマーに頼むほうが安いのだ。アメリカからインドへの仕事の流出は、顧客に電話で受け答えをする「コールセンター」などで大規模に存在する。通信の発達と多くのインド人が英語に強いことでこうなっている。

 産業・職業の将来性は簡単に見通せるものではないが、同類の職業の人が余っていないかという単純な現状認識に加えて、将来に関して、敢えて、職の需給のチェック・ポイントを考えると以下の三点だ。
(1)その仕事は新興国労働者で代替が利かないか?
(2)その仕事はコンピューター・プログラムで置き換えが利かないか?
(3)その仕事が貢献している製品・サービスは社会が豊かになってもニーズがあるか?

 仮に、国立大学の理科系の学部を出て大手メーカーの技術者としてエンジニアをやっているようなケースでも、安穏とはしていられない。彼(彼女)は、社内や国内ばかりでなく、中国やインドの技術者とも競争しなければならない環境におかれている。どのような知識と技術を身につけてれいれば安全圏で一生食べるに困らないのか、ということに対して、確実な正解がなくなってきた。
 このように考えると、たとえば、銀座で売れっ子のホステスをやっている女性のほうが東大出のエンジニアよりも競争上有利かも知れない。彼女たちは、銀座の中で競争しており、そこで勝てばいい。上海やムンバイの女性達と直接競争しているわけではない。
 話を戻そう。
 よく代わりがきかない何か強みを持つことが大切だと言われると、すぐ技術とか資格に走りがちだ。
 しかし、たとえば外資系の証券会社などで高く評価されるのは、資格を持っているかということよりも、「自分の顧客を持っているか」であり、次に「業務に必要な知識と経験を持っているか」だ。特によい顧客をがっちり持っているセールスマンには確実な需要がある。これは、雇う側の立場に立って考えるとわかることだろう。英語ができるMBA(経営学修士)よりも、単によい顧客を持っているセールスマンのほうが断然採用されやすい。加えて、採用された場合の稼ぎもたぶん多いだろう。
 そんな人材になるためにはどうしたらいいのだろうか。
 即効薬はないが、1つの発想法として、自分を「個人商店」と位置づけると見通しが良くなるはずだ。自分は、自分の労働力を売っている個人商店で、自分という社員1人を使っている経営者だと考えてみるのだ。
 たとえば、今後、売り上げ(=年収)を向上させるためには、どういう方面のスキルを身に着けて、どのような労働を提供できるようになればいいのかということを真剣に考えなければいけない。これは、企業でいうと、調査やマーケティングの仕事に相当する。
 たとえば、自分が経理マンなら、日本の会計制度だけでなく、アメリカの会計制度も把握していれば外資系の会社に勤めることも可能になり、収入アップの可能性が見えてくる。この場合、英語もできるようになれば、管理職への道も開けるし、経理だけではなく、税理士の資格を取れば仕事の幅が広がり、収入はさらに上がるかも知れない、といった具合に「商品としての自分(の労働力)」をバージョンアップしていくことが考えられる。
 ただし、たとえば、税理士の資格を取るためには結構な時間と労力がかかる。資格を取ることのメリットが、資格取得にかける時間と苦労に見合うかどうかは、人によるし、時代によっても変化する。世間のニーズを絶えず考えて、自分の商品価値を計画的につくらないと、人生の貴重な時間を有効に使えなくなってしまう。
 人材価値について1つ恐ろしいことは、仮に、まったく同じ価値、同じ能力の人間が2人いた場合、若い人のほうがより大きな価値があるということだ。雇う側から見ると、若い人のほうが長く使うことができるし、長く使っている間にスキルを習熟することが期待できるからだ。経済合理的には、同じ能力なら、より若い人に高い給料を払ってもおかしくない。だから、去年と今年とで同じ能力だとすれば、それは去年より自分の人材価値は落ちているという具合に考える必要もある。
 時には本人が自分自身の価値がピークから下がっているということを認めることも大切だが、それに甘んじることなく、せめて下げ方を小さくしよう、あるいは価値を上げようと意図するなら、去年より進歩した自分をつくり続ける必要がある。年齡を重ねるごとに収入が上がるのが当然というのは過去の話であり、これからは、ますますこうした経済的な現実に向き合うことが必要になる。
 ただ、何にせよ、目指すべき方向は割とはっきりしている。「なるべくなら、代わりの少ない仕事を選ぶ」ことであり、それは、そのほうが有利に稼げるからだ。自分の代わりの少ない仕事、自分が有利な競争環境のつくり方が求められている。
 有力な手段は、しばしば複数の能力の組み合わせによる。
 これだけというのではなく、これもできるしあれもできる、という組み合わせによって「代わりの利きにくい自分」をつくるのだ。英語もできるし、経理もできる。あるいは、デザインなどもできて美的センスもある技術者であるとか、複数の長所の「組み合わせ」を考えるといい。
 もちろん、それは今まで自分が持っていたものに何かを付け加えていくことでつくることができる場合が多い。
 本書はキャリアデザインの方法を語ることが主題ではないので、仕事の仕方の話はこれくらいにしておくが、自分の「人材価値」を育て、かつ維持していくということを絶えず考えておいてほしい。
 こうした考え方は、お金の扱い方や財産の増やし方にも大きく関わる。現金だけでなく、預貯金や株式投資をどう組み合わせてお金を増やしていくのかを考える時にも、欠かせない要素だ。
 自分の人材価値や労働力を商品と考えることについては、これを否定的にとらえて目をそらしたり、禁止したりしようとするよりは、現実を認めて、その中でなるべく有利に要領よくやろう、と考えるのがいい。
 現実に働く経済原則を無視すると生きづらくなるからだ。稼ぎの多寡が人生の価値を決定づけるわけではないが、自分の労働力を高く売れるほうが、自分の自由を豊かに拡大できる可能性が高まる。
 単に「頑張れば何とかなるだろう」とだけ考えるのでは不十分だ。頑張っている姿だけを誰かが密かに見ていて、その頑張りの分だけ評価してくれる、というほど世の中は親切にできていない。

 自分の時間と努力を投入することに対して何を得ようとするのかを常に考えておく必要がある。同じ頑張るのであれば、せめて何をどう頑張ると効率的なのかを気にかけてほしい。なりふり構わず身体を動かす前に、少し頭を使って考えてみよう。
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