山崎元の「会社と社会の歩き方」

獨協大学経済学部特任教授の山崎元です。このブログは私が担当する「会社と社会の歩き方」の資料と補足を提供します。

【7月15日】春学期の「会社と社会の歩き方」のまとめ

2010-07-15 01:57:51 | 講義資料
 13回(今回を含まず)にわたって、あれこれお話ししてきましたが、私が、皆さんに是非お伝えしておきたいと思う内容を厳選して要約すると、以下のようなものでした。

★ キャリアプランニングの基本的な考え方

 もちろん、個人によって差がありますが、大まかに言って、会社に就職するビジネスパーソンについて私が考える基本は以下のようなものです。
(1)数年の間に自分の職業分野を選択する(メドとして28歳迄に)。
(2)現実の仕事で立証された人材価値を作る(メドとして35歳迄に)。
(3)人材価値を育てて、維持しつつ、自分に合った働き方を実現する。
(4)「自由」「お金」「時間」が緩やかに交換可能であることを意識する。
(5)自分が社長で自分が従業員の会社を経営するように自分をマネジメントする。

★ 人生には「転職も」ある

 転職は必ずしなければならないというものではないが、転職を選択肢に入れて考えることで、職業人生の自由度と達成可能性は大きく広がる。

 私が考える、転職の3つの目的は以下の通り。

(1)職業スキルの向上のため
(2)より良い仕事の場を得るため
(3)ライフスタイルに合った働き方を実現するため

★ 「副業」を持つことは有力な手段

 就職して直ぐに、でなくてもいいが、会社の仕事以外に稼ぐことが出来る手段を持つことは、経済的安全にも役に立つし、本人のやり甲斐にもつながり、良い効果をもたらすことが多い。
 副業は法的には禁止されていないが、就業規則で禁じる企業が多い(←望ましくない)。状況に応じて、上手に準備し、行う必要がある。

★ 倫理と会社、あるいはお金

 授業でも取り上げた木村剛前日本振興銀行会長が7月14日に逮捕されました。彼は、現段階では容疑を否認しており、法的な立証はこれからですが、現実問題として、彼が「失敗」したのは間違いない。なぜ、このようなことになったのかは、考てみる価値のある問題です。
 推測ですが、私は木村氏が「お金の魔性」と上手く付き合うことが出来なかったのではないかと思っています。

 さて、会社が非倫理的な行動や違法行為を行うことは、実は、よくあります。
 大原則としては、その会社や場に関わった場合「自分の実力に応じて、自分で判断せよ」としか言い様がありませんが、以下のようなことが言えます。

(1)長い目で見ると「悪いこと」は続けられないし、それを続けることが会社全般のためにならないことが多い。但し、会社には、一時的にごまかしが可能ならそれが得になる人がいるし、告発者が幸せになるかどうかは分からない。
(2)価値観に反する仕事は、気分を腐らせるし、そういう仕事に就いていると、いざというときに頑張ることが難しい。お金の損得の問題や生活の問題はあるとしても、仕事に使う資源(自分の時間やプライド)は大きいので、嫌な仕事はしない方が良い。

【7月8日】日本に残された”秘策”「法人税ゼロ!」

2010-07-07 03:17:52 | 講義資料
 以下の文章は、今週配信されたJMMのもので、村上龍編集長の「日本が金融立国を目指す場合の成功の条件は何か?」といった趣旨の質問に対する私(山崎元)の答えです。
 「法人税ゼロ!」という政策は、財源的には十分実現可能性があり、しかも、その効果はかなり大きいのではないかと思われますが、文中にあるような理由で、多分実現しないだろうと、私は考えています。
 しかし、思考実験として考える価値は大いにあるのではないかと思うので、ご紹介する次第です。

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 ある国に立地する金融業が、世界一と言わぬまでも大いに栄えるための条件としては、税制、規制(緩和されていることと整備されていることの両方)、言語、セキュリティ、地域の資金、地域の資金ニーズ、交通など多くの条件があります。

 昔を振り返ると、バブルに湧いた80年代後半と、その余韻が残っていた90年代には、東京を中心とする日本が少なくともアジアではメインの金融業立地国になれるのではないかと思われた時代がありました。特に、80年代末から90年代初頭にかけては、日本の大手都銀が現在の「寄せ集めメガバンク」になる前の時代に、世界の金融業の時価総額の上位に軒並み食い込むような時期(残念ながら「時代」と呼べるほど長くなかった)が、ありました。

 当時の日本には、資金と資金のニーズの両方がありましたし、有力な投資機会が豊富にあるようにも見えていました。また、今では信じられないかも知れませんが、東京が国際金融の一大拠点になるので高級なオフィスと住居の両方が不足するのではないかとの思惑を呼び、「国際金融都市・東京」の夢が不動産価格の上昇に一役買っていました。当時、「金融立国日本」は直ぐそこにあるかのようでした。

 今、日本には、相変わらず運用先を探している資金はありますが、投資機会に魅力が無いと思われているようです。加えて、法人税・所得税が高いことと、日本の規制の厳しさ、それにビジネス・取引全般での英語の通じにくさ、それに国際空港が成田という不真面目なまでの交通の便の悪さ、などが要因となって、シンガポールと香港に、かつて期待していた地位を奪われています。

 金融業の立地決定要因を総合的に考えると、日本が負ける理由は納得できますが、大差ではないように思います。思い切った策を短期間で実施できれば逆転が可能ではないでしょうか。

 完全な逆転が可能かどうかは、やってみなければ分かりませんが、やってみることで日本国民の損にならない作戦を以下に述べます。

 それは、法人税の廃止と金融取引に於ける日本の「タックス・ヘブン」化です。法人税を恒久的に廃止することを宣言して、同時に利子・配当に対する課税を廃止します。特に、法人税は、ケチケチ数%ずつ下げるのではなく一気に廃止することの効用が莫大であることを強調します。

 法人税の税収は変動が大きく、金融危機前は13~14兆円ありましたが、金融危機の直撃を受けた2008年度には5.2兆円に落ち込みました(何れも、一般会計分)。ざっと10兆円と考えると、ほぼ現行税率(5%)下の消費税収と拮抗します。
上記の措置の財源は、消費税率の5%アップと所得税の課税強化で十分賄えるでしょう。こうした施策の「格差」の拡大に対する対処は、「負の所得税」的な給付も含めて、所得税や相続税などを操作することで十分可能でしょう。

 法人税率の高低は、国内に立地することがはっきりしている企業の行動よりも、国際的な立地選択を行う企業(今や純然たる日本企業にも多い!)の行動に影響を及ぼしますが、大手の外資系金融業にとって効果は絶大でしょう。本国に利益を引き戻すと課税されるとしても、日本に置いた拠点(たぶんアジア地域の統括拠点)で挙げた利益を日本国内で再投資する限り課税が繰り延べられるので、日本に投資は集中し、資金は滞留して、再投資に回ります。

 ヘッジファンドやプライベートエクイティーファンドのような各種の(怪しい面もあるが高収益な)金融商品も、ケイマンなどといった小さな場所ではなく、日本籍でローンチされるようになるでしょう。この場合、ビジネスを日本の金融業者に有利に運ぼうというような小さな利益を追ってはいけません。海外から、人も会社も資金も呼び込むことが大切です。もちろん、これに合わせた規制緩和が必要です。

 加えて、法人税ゼロで利子・配当課税もゼロとなると、株価をはじめとする資産価格は控え目に見ても倍以上の値上がりになるのではないでしょうか。ファンダメンタルズに裏打ちされた地に足の着いた理論価格の近辺でもそうなるはずです。つまり、資産価格は上昇しますが、その価格はバブルではありません。消費も投資も相当の伸びが期待できそうです。もちろん、海外からも投資資金が大挙して流入するでしょう。企業は儲かりますから、国内にも豊富な資金需要が発生し、貸し出しが伸びて、(日銀が意地悪をしない限り)デフレが解消し、金融機関も高収益を上げるでしょう。

 ビジネス環境が劇的に改善するので、金融業以外でも、海外からの直接投資はすさまじいのではないでしょうか。様々なビジネス分野で、日本に、人と企業と資金がやってくるでしょう。もちろん、ここでも、外国人を日本国内に寛大に受け入れ、各種ビジネスの規制を緩和することが大事です。

 もう一つ見落とせない効果は、企業の税金対策費用が削減されることです。日本の企業の経理部門の仕事のざっと半分くらいは、税金に関係しているのではないでしょうか。税務関係で税理士や会計士に払う費用、さらにはコンサルティング料も小さくないでしょうし、経理部門は大幅な人員削減と、法人税の勉強をしてきた経理マンには申し訳ない事ながら、人材のダウングレードによるコストセーブが可能です。企業にとって、収益上この効果も小さくないはずです。

 複数の効果を合わせると、日本の成長率は大きく高まるでしょうし、もちろん日本に立地する金融業が儲かるようになると思われます。経済活動が活発化することで、所得税も消費税も税収は大きく増えそうです。

「法人税廃止」及び「日本のタックス・ヘブン化」は、日本の成長戦略に於ける効果絶大な最終兵器ではないでしょうか。菅“騎兵隊”内閣は、是非、この兵器を使うべきでしょう。目下劣勢に見える形成を、一挙に逆転する秘策になるのではないでしょうか。重要なのは、ライバルよりも早く仕掛けることです。

 ポジティブな効果をもう一つ補足しましょう。法人税関係の仕事がなくなると、たとえば税務署の職員は半減できるのではないでしょうか。費用削減において、これも国民経済的なメリットです。

 しかし、我ながら素晴らしいと思うこの提案は、この期に及んで、「現実性」について大きな疑問があることが分かります。税務署員の半減や税務署OBが多い税理士の仕事も半減させることにつながる法人税の廃止を含む税制簡素化は、我が国最強の利益集団である財務官僚の利害に反します。政治も含めた現在の力関係を考えると、我が提案は実現しそうにありません。

 近い将来、われわれが「金融立国日本」を見ることはほぼ無さそうです。
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【7月8日】ベーシックインカムについて(2)

2010-07-07 02:51:14 | 講義資料
 以下の拙文は、「日経ビジネスアソシエ」の最新号の連載コラムに書いたものだ。「日経ビジネスアソシエ」は、まだ向上を諦めていない若いビジネスパーソンに向けて作られている雑誌で、ビジネスパーソンの勉強法に詳しい。就職してから読む雑誌の一つに加えてもいいのではないかと思う。
 現時点で、私は、ベーシックインカムについて、多分実現しないだろうと思いつつも、各種の経済政策を評価する補助線的な概念として有効だと思っており、また、ベーシックインカムの性質上、部分的、漸進的に実現できるので、諦めずにベーシックインカム的な方向を後押しし続けることが有効ではないか、と考えている。

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●補助線としての「ベーシックインカム」

 最近「ベーシックインカム」と呼ばれる社会保障の仕組みがよく話題になる。国民全員に対して一人当たり一定額のお金を無条件に給付する制度だ。現金を全員に、しかも同額配るというのは、突飛な政策に聞こえるかも知れないが、これがなかなかよくできている。
 セーフティーネットとしては、額が事前に計算できるので予定が立つし、現在の生活保護のように申請を拒否された場合に困る不確実性がない。生活保護を申請する際の精神的な屈辱感もない。年金も生活保護も基本的にはベーシックインカムに統合できる。
 使い道が自由である点も好ましい。ベーシックインカムは個人の暮らしの価値観に介入しない。資源配分に対して中立だ。一見社会主義的に映るかも知れないが、自由主義的な考え方と親和性が高い。実は、ミルトン・フリードマンらが唱えた「負の所得税」構想と実質的な効果はほぼ同じになる。
 財源は、所得税と消費税に二分される。所得の捕捉に困難がなければ、所得税方式なら徴税と給金の支給を差し引きで一元化できる。所得捕捉が難しいとか、業種によ差が問題であれば、消費税でいい。一人に月額5万円のベーシックインカムで年間75兆円の財源が必要だが、社会保障給付は既に年間約90兆円程度あり、医療保険分の約30兆円を除外するとしても差額は15兆円だから、消費税率にして6%くらいの増税で賄えることになる。財源的には十分現実的だ。実際には、お金がやや似た額で出入りする人が多数いるはずで、見かけの金額の大きさほどの富の移転が行われるわけではない。
 ベーシックインカムでは受給資格の審査も難しい計算も必要なく、制度運営に関わるコストが安い。これが最大の長所であり、同時に、私見では、ベーシックインカムの実現を難しくしている点だ。
 官僚の利益を考えると、認可が絡む複雑な制度を作ることで権限が行使できるし、各種の社会保障制度のために基金等の組織を作って退官後の雇用を確保できる。しかし、ベーシックインカムのようにシンプルな富の再分配では、官僚が手続きに関わることが出来ない。ベーシックインカムは「小さな政府」の仕組みなのだ。だから、官僚が反対して実現しないだろう、というのが筆者の見立てだ。
 だが、ベーシックインカムは部分的にも推進出来る。たとえば、「子ども手当」は子供のいる世帯という条件に偏りがあるが、「ベーシックインカム的」だ。だから、官僚はこれを嫌い、バラマキだと批判して縮小しようとする。
 社会にとって富の再配分は必要だ。それが、フェアで低コストに行えるかどうかが問題だ。個々の政策や主張をベーシックインカムと較べると、その目的・偏り・無駄がよく分かる。ベーシックインカムは政策評価の際に、いわば補助線のように使える概念だ。
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【7月8日】ベーシックインカムについて(1)

2010-07-07 02:48:04 | 講義資料
 近年、折に触れて「ベーシックインカム」について考えている。
 以下の文章は、約3年前に私(山崎元)のブログに書いたものだ。当時は、「よく考えると、そう悪くない考え方だ」というくらいに考えていたのだが、その後、何度かブログで取り上げ、読者ともやりとりをしてみて、「ほぼ理想的な社会保障制度だ」と思うようになった。
 適当な大きさのベーシックインカムを作って、健康保険、自助努力で追加する年金制度(確定拠出年金がいいと思う)のような補完的な制度を組み合わせると、理想に近い社会保障制度が出来るのではないかと思っている。
 何はともあれ、ベーシックインカムに関する私の最初の論考を読んでみて欲しい。

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 「VOL」(以文社)という雑誌というか出版物の第二号に、「ベーシック・インカム」の特集が載っている。雨宮処凜女史の本を読んだからかもしれないが、神保町の本屋で、何となく目について、買ってきた。冒頭に対談が出ているのだが、山森亮さんという方の話が分かりやすく、大いに興味を持った。どうやら、フィリップ・ヴァン・パレイスという人が有名らしいので、ネットで、論文をダウンロードして、斜め読みしてみた。なかなか良さそうな考え方なので、ご紹介したい。
 なにせ、三日前にはじめて知った概念なので、紹介に間違いがあるかもしれないし、幾つかのバージョンがあるかも知れないのだが、気に入ったところを中心に、大雑把に、説明する。詳しくは、各種の原典、或いは、コメントとして入るかも知れない識者のご教示(宜しく、お願いします!)を参考にして欲しい。
 ベーシック・インカムとは、社会の構成員、全員に、個人単位で、暮らすに足る一定の収入(=ベーシック・インカム)を、定期的に現金で配るシステムを指す(正確には、配られる収入のことを指すのだろうが)。これを受け取る個人は、働いていても、いなくても、関係ない。いわゆる「ミーンズ・テスト」(生活保護受給する際などの収入、資産の審査)は一切不要で、個人が、無条件で現金を受け取る。働いて、収入を得ている場合、ベーシック・インカムの他に収入を得て、収入には、多分課税される(消費税、資産税、キャピタルゲイン税などを財源とすることも考えられるが)。
 従って、生活保護を受けられずに餓死したり、受けられたとしても、「どうして、お前は働けないのだ」とさんざん言われて、惨めな思いをするようなことはない。ベーシック・インカム分の収入は、権利として、堂々と受け取ればいい。もちろん、使い道は自由だ。
 そして、基本的な考え方として、各種の社会保障・社会福祉は、できるだけベーシック・インカムに集約し、それ以上に必要な人が利用する、保険、年金、各種のサービスなどは、民間に任せる(それでも何が残るかは、各種の議論がありそうだが、福祉的制度・行政の大半は無くせるだろうし、私が、ベーシック・インカムを支持する大きな理由もそこにある)。

 どこが特に気に入ったかというと、「個人単位」というところと、「働かなくてもいい」というところだ。今日の生き方の多様化を考えると、主として、世帯を単位とする現在の各種の税制や社会保障制度などは、婚姻の形態をはじめとして、個人の生活に不当に介入している。
 また、人には、働かない自由もあっていいだろう。少なくとも、働かなくても、生存できるくらいの収入が保証されていれば、クビが怖くないから、個々の労働者が、もっと自由な働き方ができるし、雇い主と、より対等に交渉できるだろう。
 「働かざる者、喰うべからず」とは、時に、暴力的で、危険なキャッチフレーズだ。仕事を上手く見つけられない人(摩擦的失業の場合でも失業期間はある)もいるだろうし、心身の状態によっては働けない人もいる。前者の人は焦って仕事を決めようとするだろうし(偽装請負の労働者でもいい、という気分になるだろう)、後者の人は、精神的に相当に辛いはずだ。世間の人々は、「働かないなら、死ね」とは、大っぴらには言わないのだが、生活保護を与えるか否かの判断を役人が持っている場合、「キミは、働けるはずだ」と役人に言われてしまうと、死んでしまいかねない(先般の、北九州市の悲劇のように)。

 ベーシック・インカムについては、(1)幾らにするか、(2)財政的に可能か、(3)働かない人にも払っていいのか、(4)対象範囲をどうするか(外国人は?、子供は?、等)といった大きな問題がある。
 (3)については、私の結論は「いい」だ。(4)は老若男女を問わず日本の居住者全部(外国籍の人も含む)でどうだろうか。(1)と(2)は、具体的に決定するには多少の算術が必要になるだろう。
 直観的には、(2)が許す範囲でということだが、(1)は、生存できる額の十分上であることが必要だが、現実的には、「貧困」のレベルの下になるのではなかろうか。可能なら貧困レベルの上であってもいい理屈だが、長期的には、さすがに労働のモチベーションと、人口の増えすぎが心配だ。
 全く暫定的な数字であり、これを「提案している」とは取って欲しくないが、例示のために具体的な数字を挙げると、たとえば、ベーシックインカムを一人年間100万円として、税は所得税だけだとして税率を40%のフラット・タックスとすると、年収(税込み)250万円が損得のブレーク・イーブン・ポイントになり、これは、年収250万円を課税ゼロとして、税率を40%とすると、実質的には「負の所得税」の仕組み(たとえばミルトン・フリードマン「資本主義と自由」参照)と同じだ(と、思う)。
 ただ、「負の所得税」という呼び名は、いかにも陰気だし、所得を申告し、精算して、幾らかを受け取る、という仕組みよりも、その前に、「一人分、○○○ 円は、あなたの権利です!」と気前よくくれる方が、思想としても正しいし、制度として明るいのではないか。
 数字は暫定的といいながら、金額にこだわるのは潔くないが、たとえば、上記のような制度だと、子供も平等に扱った場合、働き手の年収が250万円で4人家族なら、可処分所得は550万円になる。まあまあ、ではなかろうか。家庭の規模の経済効果を考えると、子だくさんが得かも知れない。
 負担率の40%は、これで、消費税を含めた税金も、年金も、込み、ということなら、私は、全く文句はない。今度こそ、愛国心が湧いてくるかも知れない。負担率がはっきり50%を超えてきた場合に、それをフェアと感じて、納得できるかどうかは、ちょっと心配だが、まあ、慣れの問題かも知れない。
 何れにせよ、数字の問題は、別途また考えよう。

 年金は、どうなるか。他に、私的年金保険や確定拠出年金を認めることがあっていいかも知れないが、公的年金制度は解体できる。今や、年金官僚の働きぶりという、大きなリスク要因を解消できるのだから、それこそ、「100年(以上)安心」だ。考えてみると、老いには個人差がある。元気な65歳もいれば、草臥れた59歳もいるのだが、年齢で差別せずに、最低限の保障として貰える額は何歳でも同じ、ということで、いいのではなかろうか。
 ちょっとだけ心配なのは、医療保険か。日本の健康保険制度が解体されれば、アメリカ様の保険会社が舌なめずりして参入してきそうだが、マイケル・ムーアの「シッコ」的な世界にならないように、気をつけたい。
 障害者に対するベーシック・インカムは、障害者の場合、働いて稼ぐことに関して、意図せざる不自由があるわけだから、元気な人よりも多くていいような気がする。もっとも、これは、ベーシック・インカムとは別の、社会的な(生まれる時に自動的に強制加入する)保険の給付として処理するのがいいかも知れない。(注:私の場合、個人的な事情で、障害者に甘いバイアスがあるかも知れない)
 何れにしても、使途の自由なベーシック・インカムを配ることで、社会保障的なものを中心に、公的制度はできるだけ削って、政府を極小化することが、財政的にも、経済効率的にも、この制度を具体化する際のポイントだろう。

 労使関係は、どうなるか。
 ベーシック・インカムを持っていると、労働者が、自分の働き方を選択する幅が大きく拡がる。「不当な条件では働きたくない」と低賃金労働を嫌うかも知れないし、「安くても、ベーシック・インカムにプラスされるのだから、暮らせる」と低賃金でも働くのか、どちらになるのか、判断の難しいところだが、危険な仕事、過重な労働負担、などは、労働者が、意識してこれらを避けることが出来るようになるだろう。
 貿易によって、製造業賃金の「要素価格均等化」が働きやすくなるし、ソフウェアト開発のような仕事では、外国の労働者と、まともに競争することになる。また、労働者が提供するものが、製造業的肉体労働から、知識や判断によって貢献する労働に変化すると、個々人が提供できる経済価値の上下の幅は大きく拡大すると考えられる。労働の価値に連動した報酬しか受け取れないとした場合には、この報酬が、特定の地域や生活習慣の下での「人間らしい生活」をファイナンスできなくなる可能性が大いにある。ベーシック・インカムは、こうした変動を吸収するバッファーの役割を果たすだろうし、労働者が自由な意思に基づいて雇い主と対等に取引する主体であるための基盤を提供するだろう。
 これで直接的に組合が壊れるわけではないだろうが、組合の必要性は、ますます薄くなるだろうし、それは、望ましいことだと、私は考えている。
 一方、経営者は、自分が人殺しになる心配をせずに、稼ぎに専念できる。これは、これで、結構いいのではないか。

 景気には、どうか。
 一般に、低収入な人は消費性向が大きいので、ベーシック・インカムによる所得移転には、多少なりとも景気拡大効果があるだろう。
 公共事業は、お金の使い方として、非効率的な場合が多く、所得再配分の手段には適さないと、私は、一応、考えている。ベーシック・インカムを導入して、公共事業は減らす、ということでいいのではなかろうか。

 生活や文化には、どうか。
 「喰うため」のプレッシャーが減少するのだから、たとえば、若者も、若くない者も、夢を追うことが、より容易になるはずだ。ベーシック・インカムには、「面白い奴」を養い、増やす、効果があるかも知れない。変な奴が増えて、面白くなるのではないかと期待する。
 もっとも、「勝ち組・負け組」的な、勝ち負けの存在、精神的なプレッシャーなどは、簡単には、無くならないだろう。ベーシック・インカムは、「負け組」を「喰える」ようには、するが、人間は、ある意味では、本当に残酷な生き物なので、精神的な傷まではカバーできないかも知れない。もっとも、これは、ベーシック・インカム固有の欠点ではない。

 ところで、ベーシック・インカムが正当化される根拠は何か。それで世の中が上手く行くなら、哲学は、暇な人が考えればいいが、「どのように正当か」という理由にも、現実的な重要性はある。
 現在の人は、これまでに出来上がっていた地球、土地、人類、社会、各種の制度(昔の人が作った)、といったものを前提にして「稼ぐ」ことができるのであるから、資本その他への所有権を尊重するとしても、或いは個々人の労働の成果が主としてその人に帰属すべきだとしても、これらは環境・制度といった与件共に機能している。従って、いわば環境財・制度財に帰属するはずのメリットは、社会の成因全体で平等に分けてもいいのではないか。というのが、最大の正当化理由だ。マリー・ロスバードは、私的所有権(自分の肉体及び自分が正当に手に入れた所有物の)を、一種の自然権として解釈したが、これを、もう少し謙虚に、自分と社会の成員全体(最終的には人類全体を目指すべきだろう)の自然権としての所有権として、私的所有権を捉え直せば、リバタリアンは、割合抵抗無くベーシック・インカムを受け入れられるのではなかろうか。
 まあ、面倒なことを考えなくても、単に、メンバー全員を、生かし、自由な人として行為させる、ということを、社会として目的化することに合意すればいいのだ。
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【7月1日】早婚・共稼ぎ・低い損益分岐点の生活・自己投資

2010-07-01 00:50:47 | 講義資料
 一般的な若い勤労者の生活指針として面白い新刊書を見つけたので、ご紹介します。以下は、現在発売されている号の「週刊ダイヤモンド」の連載コラムに私(山崎元)が書いた原稿です。

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● 節約と生活における規模の経済

 「夫婦で年収600万円をめざす!」というサブタイトルに興味を持って、花輪陽子「二人で時代を生き抜くお金管理術」(ディスカバー)という本を読んでみた。
 勤労者世帯の平均的な収入は4百万円台前半の金額だから、夫婦共稼ぎで6百万円という設定は、現実的で想定読者が多いだろう。しかし、この本の著者もいう通り、年収6百万円は多くもあり少なくもある金額だ。お金の使い方、つまりは生活の仕方で、満足にも不足にもなるレベルの収入だろう。
 著者は「昭和の時代遅れのライフスタイルでは破産する可能性もあります」と警告する。そして、時代遅れのライフスタイルとは、家と車を買い、生命保険にたくさん入り、夫だけが外で働き、老後は年金と退職金で国と会社を頼るような暮らしだという。
 本誌の読者は、収入・年齢共に勤労者の平均よりもやや上の人が多いだろうから、6百万円に優越感を持つ一方で、生活を「時代遅れ」と言われて、愕然とする方もいるのではないだろうか。
 詳しくは先の本を読んで頂きたいが、花輪氏は、早目に結婚して、共稼ぎで、賃貸の家に住み、自動車代(経費が大きい!)と生命保険を節約し、早めの貯蓄と自己投資に励む生活を推奨する。
 稼ぎ手が二人いると、お互いのリスクヘッジにもなるし、生命保険に加入せずに済む点がいい。それに、若者は自動車を「格好の良い」消費財だと思わなくなった。
 この著者の偉いところは、将来の収入につながるスキルアップや社交のための費用をしっかり確保することの重要性を説いている点だ。「夫のおこづかいが月3万円では出世しない」という項目をわざわざ立てて、「収入アップをめざすうえで、交際費は非常に大切です。とくに、男性はケチだと思われると、致命的に仕事に響きます」と書いている。この本を家に持って帰って、妻が見ることになっても不都合がないことを、男性読者にはお知らせしておこう。
 生活に対する考え方は人それぞれだが、いざという時に、どうやれば、どの程度まで生活費を縮小できるのかについては、目処を掴んでおく必要がある。いわば「最小生活費」だが、これを十分低く抑えることができるなら、会社でいうと損益分岐点が低いのと同じだから、仕事でリスクを取ったり、自由な時間を使ったりすることができる。
 それにしても、過去何十年にもわたって進行してきた核家族化と晩婚化が、生活の費用面での効率性を下げてきたことを感じる。
 要は、生活にも規模の経済が働くということだが、これは、結婚してみるとよく分かる。二人になっても、生活費は一人暮らしの頃と較べてほとんど増えない。
 もちろん相手次第の面もあるが、経済力に自信がないから結婚を先延ばしにするというのは、問題の解決を遅らせる道である可能性が大きい。経済力に自信がないからこそ早く助け合うのが正解だ。
 また、特に働く女性にとっては出産の時期をいつにするかが問題だが、産休期間中に諦める仕事や収入を機会コストとして捉えると、相対的に収入の低い若い頃に子供を生むことが経済合理的な場合が多いかも知れない。
 個人のプライバシーをどう確保するか等、工夫すべき点はあるだろうが、家族の場合は大家族、家族以外の場合もルームシェアのような生活形態を考えると、生活コストは大きく節約できそうだ。
 単純に大家族に戻ることは難しそうだが、生活における規模の経済は、考えてみる価値がある。
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【7月1日】新しい職場への適応について

2010-07-01 00:47:54 | 講義資料
 以下の文章は、転職の際の新しい職場への適応法について書いたものだ。
(リクルートエージェント社のサイトの「転職原論」第11回目。
 http://www.r-agent.co.jp/guide/genron/genron_11.html)
 (1)~(3)は、新入社員の職場適応にも当てはまる話なので、参考にして欲しい。

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● 新職場への適応について

(1)新職場のストレスを甘く見ない

 転職活動が実って、新しい会社への入社が決まった時点では、転職が成功だったのか失敗だったのかまだ不明だ。次の職場で順調に仕事をし始めたという実感を持つまでが、転職活動の範囲だと考えよう。

 また、新しい職場に慣れるまでの間は、精神的にそれなりのストレスがある。最初の数ヶ月は、本人が感じている以上に疲れていることが少なくないので、自分のコンディションを丁寧にウォッチしておくことが大事だ。

 新職場でのストレスの源は、転職者として注目されること、新しい人間関係を作らなければならないこと、新しい仕事に十分馴染むことが出来るか心配であること、などだ。

 中途採用は「現在の職場に足りないものを持っている人材を補う」という名目でなされることが多い。転職者を受け入れる職場の人々からすると、転職者は「優れた点を持っていて当たり前」でもあるし「自分(たち)よりも優れているかも知れない油断の出来ない競争相手)でもあるので、注目度は高い。多数く注目を同時に浴びるのは疲れることだ。

 加えて、当然のことながら、職場の誰がどんな人であり、それぞれの人に自分がどう接していくことがふさわしいのかが、よく分からないことが多い。新しい人間関係を構築して自分がそれに慣れるまで、精神的には緊張を強いられる。

 もちろん、新しい仕事そのものの勉強も必要だし、新しい会社のやり方に慣れる必要もある。しかし、中途採用の場合、全くの新人社員のように周囲の社員に何でも聞くことが出来る立場ではないことが多い。必要な勉強をしながら、これと並行して実際の仕事をこなしていかなければならない。

 ただ、最後の点に関しては、筆者も若い頃の転職ではそれなりに大変だった覚えがあるが、転職後の半年から一年間くらい緊張感を持って勉強をするおかげで、仕事に関連する学習が随分捗って、「転職の元が取れた」と思ったことが何度かある。転職初期の苦労は、しがいのある苦労だということを申し上げておく。

(2)初日は座席表を入手せよ

 身近で具体的なところから始めよう。先ず、転職初日にするべきことは何だろうか。

 職場で関係する人に挨拶するのは当然で、これは、たぶん直属の上司が必要な人に紹介してくれるだろう。それでは、挨拶が終わったらどうするか。

 転職初日に是非やっておきたいことは、周囲の座席表を手に入れることだ。周囲の人の顔と名前を覚えると、ぐっとストレスが減る。逆に、こちら側からは名前を知らない人が自分の名前は知っていて、いつ声を掛けてくるか分からないという状態はストレスを招く。
また、座席表を見ながら、職場で話を聞ける相手に、個々の人がどんな人であるかをヒアリングしよう。仕事の分担、大まかな経歴、性格、職場でのエピソードなどを、いかにも根掘り葉掘りではなく、自然に聞ける分だけ聞いていこう。

 周囲の人の名前を覚えることの他に、電話機の扱い方(特に電話の転送方法をしっかり覚えること)、PCの主な操作とネットワークの設定、コピー・FAXなどの事務機の使い方(紙詰まりの修理が出来るようになると合格)、といったこともなるべく早く集中的に覚えてしまおう。他人に物事を頼んだり、あたりまえのことについて質問したりするのは、精神的な負い目になりやすい。他人に何でも質問できる精神的な強さを持つことが望ましいは当然なのだが、無駄な質問を少なくするための工夫と努力は必要だ。
自分を知らせることよりも先に相手を知ること

(3)自分を知らせることよりも先に相手を知ること

 転職後の人間関係で重要なことは、相手に自分を知って貰うことよりも、自分が相手を知ることを優先するということだ。

 転職者は、自分の性格や仕事に於ける主義・主張などを早く知って欲しいと思うし、早く自分をアピールしたいという気持ちを持ちがちだ。しかし、相手がどんな人柄で、こちらからのメッセージをどのように受け止める人なのか分からない人達に囲まれた中で、いきなり自己主張に走るのは危険だ。

 何を隠そう、筆者も、入社して日が浅い段階で、仕事上の主張や、世間話に対する自分の意見を強く言い過ぎて、周囲に警戒された苦い思い出が一度ならずある。

 先ず、職場の人々の一人一人がどんな人なのかを見極めた上で、徐々に自分について説明していくといいだろう。

 自己主張をするなとか、自説を述べるなと言う積もりは決してない。この点は誤解して欲しくない。しかし、同じ事を伝えるのでも、相手によって適切な伝え方は異なるから、先ず、相手を知る努力を優先したい。転職者は自分から働きかけなくても注目されていることが多いので、特別な努力をしなくても、自分に関する情報は職場の中に伝わっていることが多い。

 先に相手を知ることが大切な理由の一つでもあるのだが、職場の中に「派閥」とでも呼ぶべき、仕事上の組織とは無関係な暗黙のグループが出来上がっていることがある。こうした場合に、職場の前後左右が分からないうちに特定のグループに近づきすぎると、せっかく転職した新職場で働きにくくなることがある。周囲の人々について、ある程度満遍なく分かるまで、特定の人に気を許さない方がいい。

(4)前の職場にこだわらない

 転職者のよくやる失敗で典型的なものは、前の職場を話題にすることだ。「この点については、前の会社では、こうやっていた」という類の話題だ。銀行から別の会社に出向或いは転籍した人は、銀行員時代の事を話して次の職場で「浮く」ことが多いのだが、これと同じパターンだ。基本的には、質問されない限り、自分からは前の職場の話をしないと決めておこう。

 転職者は、単に情報提供の積もりで、純粋な親切心から話していても、受け取る側は、会社同士の優劣を比較されて批判されたような被害者意識を持つことがある。前の会社の話は、転職後一年くらいは、自分からは決してしないと決めておく位でちょうどいい。

 せっかく転職したのだから、前の職場に対するこだわりを捨てて、新しい環境で気持ち良く働こう。
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【7月1日】 会社の辞め方

2010-07-01 00:38:55 | 講義資料
 転職について、もう少し説明しておこう。
 先ず、会社を辞めるときに考えなければならないことを整理する。
 以下の文章は、私がリクルートエージェント社のサイトに「転職原論」と題したシリーズコラムの第10回目に書いたものだ。
(http://www.r-agent.co.jp/guide/genron/genron_10.html)

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●会社を辞めるときの「作法」など

(1)大切なのは「次の会社」だ

 転職を決めて、現在の勤務先を辞める手続きは、従来よりも簡単になっている。転職自体が増えて一般的になり、多くの会社が転職者の扱いに慣れた。

 しかし、退職の意思表明から仕事の引き継ぎなどを経て実際に退職するまでの手順は、経験がない場合、とまどうことがあるだろう。

 退職にあたって重要な事は、予定通りに後に問題を残さずに辞めることと、次の会社に良いコンディションで移れるようにすることだ。転職に興奮して、辞める会社の側に過度なエネルギーを注ぎ込む場合が時々あるようなので、注意したい。退職の日までの、意識の置き方としては、「次の会社に三分の二、今の会社には三分の一」というくらいで丁度いい。

(2)嘘を付かずに堂々と辞めよ

 会社に退職の意思を告げて、これに合意を得て、退職日を確定するまでの間で、先ず問題になるのは、転職先の会社名を言うかどうかだ。原則として、行き先の会社名は言う必要がない。もちろん、同僚にも退職の日まで言わなくていい。「迷ったら、言わない」と決めて置いていいだろう。

 転職の意思を告げられたとき、上司を含めて会社側は「この転職は止められそうか、そうでないか?」と考えながら、慰留の説得をすることが多いが、この際に、行き先の会社名を告げると、その会社の悪口や転職の不安材料を散々聞かされることになる可能性がある。新しい出発を前に、これは精神的に望ましくない。「次の会社は私の問題で、今の会社には関係ありませんので、最終日に、退職の挨拶の際に申し上げます」とでも言って、転職先に関する議論を封じるのが賢明だ。

 また、二つの会社の関係によっては、転職先の会社に手を回して転職を潰されることもある。たとえば、A社の重要顧客であるB社に勤めている社員が、A社に転職しようとしたときに、B社からA社に対して「ウチの社員を引き抜かれては困る」と通告されて、転職が白紙に戻るということがある。あるいは、両社の社長同士が知り合いで、社長同士が相談して転職を止めるというような可能性もある。

 転職を止められると、表面的には会社に残ったことを会社側が歓迎するが、人物評価としては「彼(彼女)は一度会社を辞めて転職しようとした人物だ」という芳しくない評価が後々まで残る。たとえば、会社は重要な仕事をこうした人物に任せることを躊躇するようになるだろう。

 一方、トラブルを避けるために、「留学して勉強をする」というような嘘をつくケースがあるが、これは感心しない。小さな嘘であっても、嘘は嘘だ。精神的な負い目を残すことになるので良くない。転職の前後の様子は後々まで記憶に残るので、自分を「嘘に逃げた人物」として記憶するのはつまらない。

(3)引っ越しの荷物は軽く

 厳密には、会社で得た物、作った物は、自分が作った物であっても持ち出してはならないというのがルールだ。特に、顧客の情報など、会社の業務上のデータについては、持ち出すとトラブルの元になる。通常、ネットワークにつながったPCは操作が記録されており、誰がどのデータにアクセスしたかを辿ることが出来るので、持ち出すことは出来ないと理解しておこう。

 ある外資系の証券会社では、休日に出勤して仕事のファイルを持ち出そうとした社員の姿がビデオカメラに映っていて、その社員は転職後に訴えられて転職先から解雇された、というような映画かドラマの一シーンのような話を聞いたことがある。

 しかし、仕事の際に手に入れた名刺など、手元に無いと近い将来直ちに不便を感じる物もあるし、自分が勉強中のテーマの資料など、機密性のない資料で手元にもっていたいものもあるだろう。また、自分が作った書類などで、フォーマットを将来活用したいものがあるかも知れない。

 法律や会社のルールに触れないことが大事だが、何を持っていくかについてはあらかじめ見当を付けておいて、必要な物を確保しておいてから、退職の意思を伝えるようにしたい。退職の意思を告げてから書類を大量にコピーしたりすると、データやノウハウ持ち出しの嫌疑が掛かることがあるし、トラブルにならなくてもいかにも露骨で目立つ。

 あくまでも個人的な経験に基づく感想だが、転職の際に持ち出した資料は、その時に思うほどには、後で役に立たない。筆者の場合、過去の資料を転職の際に持ち出しても、後から参照した記憶はほとんどない。トラブルを避けるためにも「引っ越しの荷物は軽い方がいい」を方針とすることをお勧めする。

(4)適度な休暇を取ろう

 転職の際、次の会社の入社予定日までの間に、出来れば旧勤務先の有給休暇を使って、適度な休みを取ることを考えたい。

 退職予定日の一ヶ月少々前に退職の意思を告げて、退職日を決定し、それから一、二週間で集中的に引き継ぎを済ませて、二週間くらい休みを取る、というくらいが理想的なスケジュールではないだろうか。

 辞められる側の都合としては、辞めることが決まっている社員は実質的に半分は外の人なので、情報管理上も残る社員への影響上も、あまり長く出社させない方がいい。仕事の引き継ぎをペース・アップさせて、その代わり、辞めていく社員には有給休暇の消化のために協力してやるというのが上司の正しい対処ではないか。

 辞めていく側としては、引き継ぎ作業の手順を心積もりして置くことが大切だ。

 新しい会社に入ってからは、緊張して疲れることが多いし、入社当初しばらくは有給休暇が取りにくいだろう。あまりに長く休みを取ると仕事の感覚を取り戻すのに手間が掛かることがあり、「ベスト・コンディションで次に入社する」という条件が満たせなくなる場合があるので、二週間くらいの休暇期間をお勧めする。

 転職を決めてから次の会社に入社するまでの通常約一ヶ月くらいの期間は、転職を決めるに至った現在の会社の難点から逃れることが決まっている一方で、次の会社に対する希望があり、また次の職場の不都合な部分をまだ見ていないので、「転職活動のご褒美」とでもいうべき非常に快適な期間だ。十分に楽しむといい。
個人と個人の付き合いは続く

 転職者が心配に思うことの一つに、職場で築いた人間関係がすっかり失われてしまうのではないかという不安がある。これに関しては、職場で育んできた友人関係などは、十分継続可能なので心配ないと申し上げておく。

「同じ釜の飯を食う」という言葉があるように、同じ場所で同じ目的に向かって一緒に過ごした職場の仲間は縁の深い友人になりやすい。何年も経ってから会っても、共通の話題、共通の感覚がある。付き合いを続けたい相手とは、あくまでも個人と個人として付き合っていけばいい。

 筆者の場合も、かつて職場を共にした友人がたくさんいるし、昔の職場の忘年会のような集まりに出掛けることもよくある。間違いなく、転職で友達は増えた。
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