山崎元の「会社と社会の歩き方」

獨協大学経済学部特任教授の山崎元です。このブログは私が担当する「会社と社会の歩き方」の資料と補足を提供します。

【6月10日】新聞との付き合い方を考える」

2010-06-09 16:13:44 | 講義資料
 今回は、ビジネスパーソンの日々の情報収集について考えてみよう。
 以下の文章は、昨年の11月に私(山崎元)がブログに書いた記事だ。

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 筆者は、「週刊現代」で「新聞の通信簿」という新聞6紙の記事を較べ読みする連載を担当していた。魚住昭氏、佐藤優氏、青木理氏と私の4人でリレー連載していたものだが、現在発売中の「週刊現代」(11月14日号)をもって、筆者の担当回は最終回となる。最近編集長が交代したこともあって、連載の見直しをするようだ。「週刊現代」は、記事に読み応えが増えて、グルメ情報とオヤジ読者向けのグラビアが充実してきている。雑誌としては面白くなっているので、今後に期待したい。

 連載最終回の原稿は、連載担当期間中最大の事件であった金融危機を取り上げた「リーマンショック一周年」の記事の採点と、過去通算40回分の採点の発表を一緒にしたものだったが、過去の採点表を載せるスペースがなかったので、ここでご紹介する。

 連載メンバー4人の中で筆者は、いわば「経済部」であり、主に経済記事を取り上げて評価したが、過去に取り上げたテーマを一覧して眺めてみると懐かしい。

 あくまでも経済記事が中心で、それも全紙を均等に深く読んだのは連載担当の場合だけなのだが、個人的な印象としては、点差は大きくないが、「読売新聞」の取材がしっかりしているように思った。民主党のマニフェストや公的年金の損失額を手に入れるのが明らかに他紙よりも早かったし、経済記事の見せ方も気が利いていた(ただし、社説は切れ味が今一つだと思う)。他紙に対する評価は、「週刊現代」をご一読いただきたい。

 この連載を止めると、自宅購読に6紙は多すぎる(片付けだけでもかなり大変だ)。連載を始める前までは、自宅で「日本経済新聞」と「朝日新聞」を読んでいた。これからどうするかというと、もともと自宅で読んでいた2紙に「読売」を加えた3紙を読むことにした。仕事上「日経」は必要だとして、ここのところ「朝日」が頼りない印象だし、「朝日」とは別の意見を持ちやすい新聞をもう一紙読む方がいいと考えたので「読売」を加える(佐藤優さんによると、霞ヶ関の人々が気にしている新聞は圧倒的に「朝日」らしい。現段階で「朝日」は止めにくい)。

 私の場合は、「新聞の通信簿」が終了しても、その他の原稿書きなどを考えると、新聞を3紙購読しても十分にペイするが、仮に、私が近年就職したビジネスパーソンだとすると、新聞は自宅で購読しなくてもいいような気がする。

 ロイター、朝日、日経、時事通信くらいに2、3の海外メディアを加えてニュース・リーダーに登録しておいて、毎日チェックするとニュースに「遅れる」ということは先ずないし、いつどんなニュースがあったかが分かれば(つまりニュースを検索すれば)、事柄の詳しい内容を知りたい場合に十分な手掛かりとなる。自宅で紙の新聞を購読することは必ずしも必要ではない。アメリカなどで見られるように、紙ベースの新聞を中心とするメディアの経営は今後苦しいに違いない。

 今しばらくは(長くても数年の「しばらく」だろうが)、新聞社が記事の内容に責任を持っていて、記者も新聞社も名誉と法的なリスクを負って記事を発表していることで、新聞の記事に一定の権威がある。しかし、今後、書き手が実名のニュースが発表されるようになると、ネットの記事でも(たとえば一ジャーナリストのブログでも)、書き手にとってのいわば「賭け金」は変わらない意味を持つので、記事は同様の信憑性を持つようになるだろう。そうなると、紙の新聞そものには特別な権威や価値が残るわけではない。現在は過渡期だろう。

 複数の新聞社が現在のJALと似た経営問題を抱え、新聞記者OBの年金を削減できないかといった議論をするようになる時代が遠からず訪れるようになるのではないだろうか。ただし、この場合、新聞社は構造不況業種になるが、個々の記者の中にはジャーナリスト個人として大きな経済的価値を持つようになる人が現れるのではないか。経済価値が、新聞紙や新聞社ではなく、個々のジャーナリストなりニュース記事なりに対して発生するようになるなら、それはいいことだろう。

 そうした場合に、たとえば、ジャーナリスト個人が広告スポンサーの影響を受けずに客観的な記事を書くことが出来るかが問題になる。もちろん、記事の質に関する評価情報にもニーズもあるにちがいない。何らかの形で「ジャーナリストの通信簿」的な第三者による評価が行われることになるかもしれない。
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 以下が、『週刊現代』に掲載された連載最終回の記事の原稿だ。

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 私の担当回はこれで最後だ。約3年間経済記事を中心に6紙を評価してきたが、最も大きな出来事は何といっても、昨年9月15日のリーマンショックで一気に加速した世界金融危機だった。リーマンショック一周年の時期に、各紙は特集記事を用意したが、これを読みながら、過去の評価と合わせた各紙の経済記事に対する総評を記す。
 本文中の点数は今回も含めた私の担当全40回の平均点(端数切捨)だ。今週の点は別欄を参照されたい。
 経済専門紙『日経』は記事の量が多いが、中でも注目度の高い朝刊1面左側の特集で「危機再発の芽消えず」(9月15日)と伝えた。ウォール街に十分教訓が浸透していないことと、米国の住宅だけではなく商業用不動産の不良債権問題を指摘した記事の納得性は高い。
 金融危機は「大規模だがごく普通」のバブルの形成とその崩壊(バブルだから必然的に崩壊する)だった。その原動力は単に人間一般の欲だけではなく、他人のお金でリスクを取り高額の成功報酬を貪る金融のビジネスモデルにあるが、この原因はほとんど手つかずに残った。同様の問題が遠からず起きるにちがいない。
 総合点で『日経』は66点と経済記事では他紙をはっきり凌駕した。さすがだ。しかし、偽装請負問題でキヤノンを批判できなかったような根性の無さや、一般記事で時に一歩遅れて「日を経た」記事を書く弱点がある。ビジネスパーソンは他紙と併読したい。
 『読売』の指摘する「懲りないウォール街」(9月14日朝刊)、原油・金価格の再騰に見る「マネーの再膨張」(9月15日社説)の懸念はもっともだ。各紙を読み比べると『読売』の取材力は充実していた。民主党のマニフェストも公的年金の損失額も他紙よりも早く抜いて書いていた。総合61点。
 『朝日』(9月15日)が指摘するように実体経済面で日本の傷は深く、「需要もとに戻らぬ」が現実だ。「中央銀に『やりすぎ』批判」(9月14日朝刊)といった視点も大切。過去三年、『朝日』は60点だ。偽装請負の報道はスポンサーを怖れず面目躍如だったが、ここのところ取材力が落ちている(明確に読売に劣る)。
 『毎日』は一周年の15日の朝刊トップで「強欲が復活ウォール街」と大見出しを打ったが、「変わらぬ『無責任』の土壌」と題した前日の社説と共に、最重要のポイントを突いた。過去を含む総合評価は60点。記事の分量は読・朝とはっきり差があり戦力不足が見える。日米政府に分け隔て無く説教する社説など、取材力不足をオピニオンで補う産経的路線にやや傾く。
 オピニオンといえば『産経』だが、総合的に経済記事は手薄だった。49点。主なニュースが外国で起こる時に夕刊無しは痛い。リーマンショック1周年の特集は充実しており、日本のデフレの指摘(11日)も重要。
 『東京』の経済記事は分量は多くないが、的確な理解が好印象。64点。今回はシリーズとして読み応えあり。
 読者のご愛読に深謝。
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