山崎元の「会社と社会の歩き方」

獨協大学経済学部特任教授の山崎元です。このブログは私が担当する「会社と社会の歩き方」の資料と補足を提供します。

【秋学期 13回目】ビジネスパーソンの人間関係など

2010-12-22 17:20:11 | 講義資料
 12月23日の授業は、当日が祝日(天皇誕生日)でもあり、少しのんびりと話をしようと思っている。テーマは、ビジネスパーソンの「人間関係」のあれこれだ。

 人間関係に対する考え方は人それぞれだし、その人の個性や環境によって多様であり得るが、人間関係に関わる方法論は自分では気づきにくい場合が少なくない。ご参考になる話が、できれば幸いだ。

 以下の諸点についてお話しする予定だ。

<主に社内の人間関係について>
(1) 入社(転職での入社も含む)して最初にやるべきことは何か?
(2) 「自己紹介」の注意点
(3) 21世紀における先輩・後輩関係
(4) 「同期」の効用
(5) 社内派閥をどう扱うか
(6) 社内恋愛について(自分の場合、他人の場合)
(7) 「飲み」について
(8) 転職と人間関係

<主に社外の人間関係について>
(1) 同業他社との付き合い
(2) 異業種交流会・勉強会のコツ
(3) 人脈の作り方(どうやって役に立つ人間関係を結ぶか)
(4) 人脈の価値とその維持について

(※)23日に出席できない学生へ。
 内容について、ブログにUPできるかどうかは、私(山崎)の年末のスケジュールなどによるが、今回の話は、試験には出題しない。なお、試験については、1月13日の授業で詳しく説明する予定だ。

【秋学期 12回目】「副業」あるいは「複業」について

2010-12-15 23:46:28 | 講義資料
 今回は、「副業」あるいは「複業」がテーマだ。就職前のみなさんには、具体的なイメージが湧かないことが多いだろうし、就職直後の数年は副業・複業の余裕がないかも知れないが、将来の選択肢として複数の仕事を持つことについては是非頭に入れておいていただきたいし、多くの人が可能ならやってみてもいいのではないかと思う。
 以下の文章は、リクルート・エージェント社のサイトの「ビジネス羅針盤」という連載コラムに「副業または複業のすすめ」と題して寄稿したものだが、複数の仕事に関わることのメリット・デメリットについて考えてみて欲しい。
(http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/bn.html)
 尚、授業では、「評論家」「著述家」を題材に、私が現在の仕事を副業を通じて育ててきた過程についてもお話ししてみたい。基本的に「副業としての評論家のすすめ」を述べてみたい。「評論家」は、多くの人が副業ないし本業にできる稼ぎのスタイルだと思う。



『副業あるいは複業のすすめ』

★副業は趣味よりも面白い

 本稿では、ビジネスパーソンの皆様に副業をお勧めしたい。現在ただちに始めなくとも、将来副業を持つことを意識した方がいいという意味では、読者の大半に当てはまる話だ。現在、高収入な人でも、低収入な人でも、あるいは、何らかの特別なスキルを持っていてもいなくても、副業は考えてみる価値がある。

 筆者が現在「経済評論家」を名乗ってやっている原稿書きやテレビ出演、講演などは、かつて筆者にとっては副業だった。

 現在、会社員としての仕事の時間や収入よりも、経済評論家方面の仕事のウェイトが高くなったので、これを副業と呼ぶのは不適当かも知れないが、始めたプロセスは完全に「副業として」であった。少し気取って言い換えると現在、複数の仕事があるという意味で「複業」の状況になった。

 あなたの場合は独立する勇気がなかっただけだろう、と言われたら。「はい」とお答えしよう。いきなりの独立にはかなりのリスクがあるが、副業なら、リスクの程度をある程度自分でコントロールできる。完全独立も一つの選択肢だが、複業も悪くない。

★副業を持つことをお勧めしたい理由は大きく言って二つある。

 一つは、副業は張り合いがあって面白いからだ。敢えていえば、同じ事を趣味としてやるよりも、仕事としてやる方が、張り合いがあって面白い場合が多い。全てがそうだ、と言い切る自信はないが、多くの場合にそうだろう。

 たとえば、経済や政治あるいは社会問題、文化などについて考えたり発言したりすることに興味がある場合、現代であればブログなどを立ち上げて自分の意見を多くの人に発信することは難しくない。もちろん、それも悪くないのだが、出版社などの依頼者から依頼を受け、これに応えて、お金を貰う「仕事」として意見発信を行う方が、ずっと張り合いがある。

 もちろん、仕事として依頼を引き受けると責任も伴う。しかし、ある程度の責任や成否が問われるような負荷がないと、物事を達成した時に張り合いを感じないのも事実だ。こちらの仕事をビジネスとして評価してくれる依頼者からの手応えがあることは好ましいし、仕事ベースのアウトプットの方が、情報の受け手の受け止め方も真剣な場合が多い。

 原稿書きや講演のような、自分が知っていることを他人と共有する活動の多くは、これを仕事の状況に置くことで、充実感が増す場合が多い。また、料理でも、外国語でも、着物の着付けでも、他人にものを教えることが出来るスキルを持っている場合、趣味として同好者を募るだけでなく、お金を取って人に教えるというレベルまで持っていくと、単なる趣味とは別の張り合いが生じる。

 副業を持つことをお勧めする第二の理由は、少額ではあっても会社に頼らない稼ぎの道を持つことで、経済的な安心感や自信が増すことだ。

 勤め先の会社と個人の関係は、時間とともに変化する。現在、会社の業績が順調で、個人として快適に働いているとしても、会社の業況の変化、人事異動、家族や健康も含めた個人の事情の変化、心境の変化など、将来、会社と個人の相性がピッタリとは言えない場合が現れることは少なくない。こうした時に、会社以外の収入手段を持っていることは現実的なサポートになる場合があるし、それ以前に、自分の自信になる。勤めている会社以外の場所から、自分の仕事に対する対価を受け取るのは、なかなか気分のいいものだ。
本業と副業

 率直に言って、現在の企業の殆どは、社員の人生の終わりまで社員の生活の面倒を見る実力と意思があるわけではない。会社とは、案外頼りないものだ。

 しかし、多くの会社で、就業規則には「副業は(原則)禁止だ」という内容の規則が載っている。これは、「会社ごとき」の横暴だと筆者は思っているが、本業(副業を始める時点では勤務先の会社の仕事)と副業の関係をどう整理したらいいのだろうか。

 法律論は筆者の専門ではないが、副業それ自体は原則として会社が禁止できるものではないということについては判例が確定している。少なくとも、本業に支障を生じるような副業であるとされない限り、副業自体は自由だ。ある程度以上の大きさの企業の人事部は、この判例を知っているはずだ。

 しかし、現実に、面と向かって「副業をしたいのですが、いいですか」と問い合わせると、「ウチは原則禁止だ」「一体何をやるつもりなのか、詳しく説明するとともに、許可を申請しなさい」といった、不当に偉そうな答えが返ってくるはずだ。

 さて、どうすべきか。この種の問題には常に100%それでOKという回答がないことが多いが、この問題もそうだ。

 結論をいうと、本業の出退勤さえきちんとしていれば、目立たないように、断り無しに副業を始めても問題のないケースが多い。どうしても難しそうな会社に勤めている場合、会社の許可が必要だったり、当面諦めておくしかない場合があるが、諦める場合でも、将来、会社の延長以外に、自分で何が出来るかを考え、準備をしておく方がいい。ただ、多くの場合は、本業との衝突がない限り、見つかっても、黙認されることが多いだろう。また、ペンネームで直接仕事と関係のない本を書いたり、ネットを使った相談や物販などの副業を行っていたり、という程度のことなら、問題にならないことも多い。

 もちろん、本業に支障を来さないこと、本業の営業の秘密などを使った副業ではないことなどには注意がいる。しかし、本来、副業は個人の自由なのだということは知っておきたい。

★副業はためになる

 実際に可能な副業は、人により様々だが、たくさんある。

 いくつか列挙すると、先ず、趣味の延長線上にあるサービスの仕事があるだろう。スポーツにしても、将棋や囲碁、麻雀のようなゲームにしても、あるいは茶道、華道、楽器のような芸事にしても、高いレベルの能力と経験があれば、他人に教えることを仕事に出来る場合が多いし、その場所を提供したり、用具などの販売を行ったりといった副業につながる可能性が大きい。いきなり独立するのは難しくても、副業の形でなら、自分も楽しみながら安全にビジネスを立ち上げることが出来る場合が多い。

 もちろん、飲食業などのアルバイト、介護などのサービスのように、主に時間と体力を使う副業もある。副収入の道としては、手っ取り早いことが多いだろう。また、自分が興味のある商品の物販や、何らかの相談に応じるコンサルティング、自分のブログなどを使ったアフィリエイトビジネスなど、近年であればインターネットを使って顧客にアクセスするビジネスで副業が立ち上がる場合も多い。他人よりも詳しくて、毎日語っても話題が尽きないくらいの興味があるテーマがあれば、何らかの副業に利用できる場合が多い。兼業禁止が厳しい会社に勤めている場合でも、別名を使ってビジネスが出来る場合が多い。

 ただし、こうした場合は、将来ビジネスが軌道に乗った場合に、ブランドに連続性を持たせられるように、一定した名前を使う(原稿書きなら、同じペンネームを使う)ようにするべきだ。筆者は、数年間、多数のペンネームを使って雑誌の原稿を書いたことがあるのだが、こうした仕事は、全くとは言わないが、将来の役には立たなかった。

 趣味の延長でも、自分の得意分野の仕事でも、副業としてビジネスの形で行うことで、また、自分のアウトプットに責任が生じることで、自分の知識やビジネス・センスのレベルアップにつながることが多い。一つの会社の中だけで仕事をして、もっぱらその会社を通じて人間関係を形成していると、どうしても視野が狭くなりがちだ。

 「会社なんて、どこでも似たようなものだ」と言うのは、転職の経験がなく一つしか会社を知らない人か、そうでなければ、異なる組織や仕事の違いに鈍感な感性の鈍い人だろう。副業の形で、勤務先の会社以外の世間と、ビジネスとしての真剣な関わりを持つと、転職をしなくても、ビジネスパーソンとしての視野を広げるチャンスを持つことが出来る。

★もちろん、将来のために!

 筆者が副業を育てることに力を入れ始めたのは、40歳台前半の頃からだった。率直に言って、その頃は、収入の高い会社への転職を目指す方が、より多く稼ぐことが出来たように思う。

 しかし、一つには自分の意見を発信するような機会を増やしたかったからだが、もう一つには、会社の定年に関係なく将来も自分のペースで続けることが出来る仕事の基盤を作りたかったからだ。

 勤めている会社の定年が何歳であるにせよ、その後にも働くことが出来る期間は長いし、何らかの形で働いている方が張り合いがある場合が多い。

 もちろん、定年の前にも様々な経済的なリスクはある。手間が掛かるのは事実だし、いつも上手く行くとは限らないが、副業はビジネスパーソンにとって有力な手段だ。何が出来るか、考えてみることは無駄ではないし、小さなリスクで試してみることができるのが副業のいいところだ。
 
 以上

【秋学期 11回目】 「内部告発」で組織人の倫理を考える

2010-12-08 19:41:49 | 講義資料
 世間ではウィキリークスが話題になっていることでもあり、今回は、「内部告発」の問題を取り上げて、組織人(会社員・公務員等)にとっての倫理の問題を考えてみたい。
(1)リーク報道についてどう考えるか、
(2)個人の正義感と組織人としての立場をどう整理するか、
(3)自分が当事者になった場合どう判断すればいいか、
の三つの問題意識を持って考えてみて欲しい。
 実は、私も、ウィキリークスのような大きな問題には発展しなかったが、内部告発に関わったことがあるので、授業ではその際の話もする予定だ。

 以下は、内部告発について考えるための参考素材だ。何れも、私が「ダイヤモンド・オンライン」(私の連載のバックナンバーは、http://diamond.jp/category/s-yamazaki)に書いた原稿だ。

 ●

★『リーク報道は新しいジャーナリズムなのか?』』

<面白い情報はリークから>

 ここのところ、興味深い報道の多くが何らかの「リーク」によるものだ。
 もちろん、その筆頭は連日のように新たな重要事実が報道されるウィキリークスだ。米軍ヘリからの民間人への銃撃映像は衝撃的だった。各国首脳への赤裸々な酷評も、報道価値に多少の疑問があるとしても、外交の現実を垣間見させてくれる面白さがあった。決して、報道価値ゼロの内容ではない。
 アフガン政府に対するアメリカのクラスター爆弾使用要求や、情報機関に対してアメリカ政府が国連職員や海外外交官に関する個人情報収集を指示したといった、政府の逸脱的行為に対する報道は、権力のチェックを行うべきジャーナリズムのアウトプットとして本来高く評価できるものだ。
 ウィキリークスによる秘密文書大量公表を「情報版の911テロ」とテロになぞらえる向きがあるが、政府の非合法行為に関わる情報公開の本質はむしろウォーターゲート事件に近い。ウィキリークスが情報の門を開けたという意味も込めて「ウィキ・ゲート事件」とでも名付けたらいいのではないか。
 我が国でも、公安警察の人権侵害的とも思える活動が情報流出の形で明らかになった。また、その行動に対して賛否両論があるとしても、尖閣諸島沖での中国漁船と我が国巡視船の衝突の映像は一海上保安官の動画ネット投稿によって、多くの国民の目に触れることになった。
 日頃はインターネット嫌いで、ネットの情報には責任を伴った信憑性が乏しいなどと述べることの多いテレビ局が、「sengoku38」の投稿による映像を繰り返し長時間放映する様子は、報道における主役の交代を象徴しているようにさえ思われた。
 アメリカでさえニューヨーク・タイムスといった主要メディアがウィキリークス発の情報を無視できないし、他人の情報を報じることを割合恥じない日本のメディアは、連日ウィキリークス関連の情報を報じている。
 一方、日本の新聞、テレビは、よく見るほどに相変わらず記者クラブ経由の官製情報が中心だし、与野党共に緊張感を欠く、政治家の「いかにもありそうなこぼれ話」的な観測記事などを読んでもさっぱり面白くない。リーク情報と既存メディアを、善悪は別として、コンテンツとしての魅力で評価すると、話にならにくらいの大差で前者の勝ちだ。

<リークの善悪に揺れる世論>

 一方、リーク情報に関する善悪の判断については、我が国でも、外国でも、人々の間に迷いがある。
 尖閣沖の動画を投稿した海上保安官に関しては、彼の行動こそ愛国的だと賛美する声もあれば、一定の武力をも持つ海上保安庁の公務員が職場のルールを逸脱していることを戦前の軍部の暴走になぞらえて危険視し、これを厳しく処断すべきだという議論もある。
 ウィキリークスに関して、アメリカ国民は、今のところかなり批判的だ。民間調査会社ゾグビーが行った調査によると「ウィキリークスは安全保障上の脅威だと思うか」という質問に対して77%が肯定的に答えている。
 米政府としては、「海外で働く米兵の安全」を脅かす可能性があることを強調して、反ウィキリークスの世論を喚起したいはずだ。世論が十分に批判に傾いていない段階でジュリアン・アサンジ氏の逮捕等の表だって強権的なウィキリークス潰しに出ると、追加でさらに致命的な情報が流出する可能性もあり、政権に批判の矛先が向かう可能性がある。
 クリントン国務長官は、「ウィキリークスの情報公開には偏向が含まれている可能性もあるので注意すべきだ」という微妙な言い回しでウィキリークスを牽制している。これは、「権力のチェック」がジャーナリズムの重要な機能の一つであることを踏まえた、慎重な物言いだ。単に「違法行為だ」と批判の声を上げた、我が国の前原外務大臣と比較すると、思慮と悩みの深さには大人と子供くらいの差がありそうだ。

<大事な論点は複数ある>

 ことを善悪の判断に限っても、リーク情報問題には、複数の論点がある。「ウィキリークスは、いいのか悪いのか?」といった大雑把な問題だけを立てると、肝心な問題を幾つも見落とすことになる。
 肝心な問題とは何か。
 ウィキリークスの問題でいうと、ウィキリークスが外交機密に当たる情報を公開していることよりも、そもそも情報が漏れるような体制であった米政府の情報管理責任の方が遙かに大きな問題だ。機密情報に関して、こんなに間抜けな管理がまともなはずがない。
 米政府はウィキリークスに対する圧迫を強めるだろうし、今後、アサンジ代表が逮捕・訴追される可能性もある。情報提供者に対して違法行為を教唆しているという点での非倫理性が、確かにウィキリークスにはある。しかし、そうした情報収集行為はそもそも既存のジャーナリズムが行ってきたことでもある。その正否を、目的の善し悪しを含めて、社会的に判断してきたのが、アメリカの伝統だった。
 圧倒的に非があるのは、国務省をはじめとするアメリカ政府だ。アメリカの国益が損なわれ、海外の米兵が危険に晒されたのだとすれば、その第一の責任は、ウィキリークスよりも、アメリカ政府にある。本件に関しては、クリントン国務長官が引責辞任して当然だと筆者は思うのだが、さて、今後の推移はどうなるのだろうか。
 我が国の公安警察の情報流出も大問題だ。当局は、流出した情報が自らのものであることについて曖昧にしたまま、自らを被害者として、情報漏洩のルートに関して捜査を開始した。
 捜査すること自体は良かろう。しかし、真の被害者は、個人情報を不当に晒された人達なのだ。警察当局は先ず自分たちの非を認めて、被害者の救済に全力を挙げるべきだ。もちろん、情報の管理責任も問われるべきだし、過去及び現在の公安情報収集活動自体の適切性も検証されるべきだ。
 もちろん、情報漏洩者の法律上の問題は別個に存在する。これは、否定できないし、無視すべきではない。但し、社会の倫理の問題としては、彼らの行為が正しいのか否かについて、情報の内容、告発の目的などの点も含めて総合的に評価すべきだろう。
 いかにも野暮だが、あえて箇条書きにまとめると、
① リークの対象になった政府その他の行動の正否、
② 上記を公開し晒す行為の公益性、
③ 情報の取得と公開にあたってルールを逸脱することの罪の軽重、
④ リークがなかった場合の既存メディアの行動、
といった複数の論点があり、全てが個々に重要だ。
 日本の既存メディアは、行為の主体(「sengoku38」にしても「ホリエモン」にしても「小泉純一郎」にしても)の善悪を一方に決めつけて、全て「善い」か「悪い」の文脈で物事を伝えようとする傾向があるが、こうした短時間のテレビ番組的な決めつけでは、問題を的確にとらえることができない。
 尖閣沖の問題で考えると、以下のような整理になろう。
① そもそも事実はどうで、何が問題だったのか。特に、独自のルートで中国と裏交渉したといわれる日本政府の行動は適切だったのか。
② 衝突のビデオを国民一般に知らせることに公益性はあるか。
③ 情報を流した海上保安官の行為をどの程度悪い逸脱行為だと見るか。
④ 海上保安官が情報を公開しなかった場合に代替的な事実を知るための手段があったか(論理的には、「一般国民に事実を知らせる必要はない」という議論もあり得る)。
 情報を流出した海上保安官への社会的評価は、②、③、④を総合的に評価することによって決まるものだろう。②や④だけを評価するのはアンバランスだし、少なくとも海上保安官は身分的に自由意志が認められていない奴隷のような存在ではないのだから③だけで総合的に「悪い」と決めつけるわけにはいかない。当たり前の話だ。

<日・米メディアのちがい>

 リーク問題の推移を見ると、我が国の既存大手メディア、端的にいって記者クラブ所属のメディアのあり方について考えざるを得ない。
 記者クラブに所属し、政府や自治体から、便宜を受けると共に情報の提供も受ける我が国のメディアについて考えると、そもそも「ジャーナリズムとしての権力のチェック」を期待することが非現実的だ。
 彼らは、一つには記事を広く且つ高く売りたいビジネスの従事者だし、社内で評価を受け出世するにはどうしたらいいかと悩む一サラリーマンにすぎない。この点を踏まえると、彼らにとっては、取材源である政府その他と対立しない方が、仕事もやりやすいし、社内で出世もしやすい場合が多かろう。記事のジャーナリズム的価値よりも、社内出世や年金、退職金などを重視して入手した事実の報道に自主規制が掛かる記者個人は、特にメディアでも長期雇用が前提で、給与水準も(年金も)悪くない我が国では「普通」だろう。彼らに、純粋なジャーナリズム的価値観を期待するのは愚かだ。
 メディアの人々がネットの情報との対比でよく問題にする、会社や媒体の信用や、ひいては記者の信用と生活を掛けた記事の信憑性は、記者クラブがはびこる我が国の場合、むしろジャーナリストが権力のチェックを行えないことの理由になっている。
 そして、近年、主にネットの普及によって、大手メディアから情報を発信できる人でなくとも、重要情報を持った個人は、その情報を広く一般に周知する手段を持つようになった。
 この際重要なことは、職業ジャーナリストだけが特権階級として、情報を公開し世に問う権利を持っているのではないということだ。
 新聞記者などの取材にも、公務員に対して情報の漏洩を教唆する行為が含まれる。しかし、その行為に対する最終的な評価は公益性等の報道の目的を含めて総合的に評価される。ウィキリークスであっても、sengoku38であっても、ごく一般の一個人であるとしても、最終的な善悪が問われるのは、こうした文脈においてであるべきだ。もちろん、情報発信先の範囲が広いことに対しては、相応に大きな責任が伴うことも、大手メディアの記者と全く一緒だ。
 残念ながら、日本にはまだウィキリークスのような情報発信者は存在しないが、ジャーナリズムは一部の既存メディアの独占物ではない。
 それにしても、多くの優秀な人材を擁し(←皮肉も少しありますが)、多大なコストを掛けながら、記者クラブに依存したメディアの流す情報の何とツマラナイことだろうか。このツマラナさは、現実に対して大きな影響力を持っている。

 ●

 以下も、「ダイヤモンド・オンライン」に向けて私(山崎元)が書いた原稿だ。会社の中で社内のルールに基づいた内部告発を行い、その結果、不適切に扱われている社員の問題を取り上げている。(http://diamond.jp/articles/-/1497)
 皆さんが、この社員の立場だったら、どうするだろうか?考えてみて欲しい。

<先ず、会社の不正行為を知った時点で>
① 内部告発はしない
② この社員と同じような内部告発をする
③ 別の方法で内部告発を行う

<会社に不当に扱われた時点で>
① 会社とは争わない
② この社員と同様に会社と法的に争う
③ 別の手段を採る

★『オリンパスのケースに見る内部告発者の悲惨な現状』

 経済、政治に大きなニュースはあるのだが、今回は、別の問題を取り上げる。2月27日の各紙で報道された、内部告発の問題だ。

一番詳しく報じていた読売新聞(27日朝刊)の記事に基づいて内容をざっと伝えると、東証1部上場の精密機器メーカー「オリンパス」の男性社員が、社内のコンプライアンス通報窓口に上司に関する告発をした結果、配置転換などの制裁を受けたとして、近く東京弁護士会に人権救済を申し立てるという。

告発の内容は、浜田正晴さん(48歳。申し立てを行っているとして既に実名報道されている)が大手鉄鋼メーカー向けに精密検査システムの販売を担当していた2007年4月、取引先から機密情報を知る社員を引き抜こうとする社内の動きを知った。浜田さんは不正競争防止法違反(営業秘密の侵害)の可能性があると判断し、当初は上司に懸念を伝えたが、聞き入れられなかったため、この件を、同年6月にオリンパス社内に設置されている「コンプライアンスヘルプライン室」に通報したという。

 記事によると、オリンパスは、浜田さんの告発を受けて、相手側の取引先に謝罪したという。謝ったということは、浜田さんが告発した内容そのものについては「不正競争防止法違反」の可能性があると判断し、悪いことだと認めたということだろう。

 しかし、告発した浜田さんのその後のが、何ともやり切れない。読売新聞の記事によると、オリンパスのコンプライアンス窓口の責任者は、浜田さんとのメールを、不正の当該部署の上司と人事部にも送信した(先ずは、ここがまずい)。約2か月後、浜田さんは、なんとその上司の管轄する別セクションに異動を言い渡された。配属先は畑違いの技術系の職場で、現在まで約1年半、部署外の人間と許可なく連絡を取ることを禁じられ、資料整理しか仕事が与えられない状況に置かれているという。人事評価も、長期病欠者並の低評価だという。

浜田さんは昨年2月、オリンパスと上司に対し異動の取り消しなどを求め東京地裁に提訴し、係争中だ。窓口の責任者が「機密保持の約束を守らずに、メールを配信してしまいました」と浜田さんに謝罪するメールも証拠として提出されたというが、オリンパス広報IR室は「本人の了解を得て上司などにメールした。異動は本人の適性を考えたもので、評価は通報への報復ではない」とコメントしている。

 常識的に判断するかぎり、コンプライアンス窓口に通報する社員が、相手に対して自分が通報者だと通知することを了解するとは考えにくい。これは、オリンパスの説明のほうに無理があるのではないか。

 2006年4月に施行された「公益通報者保護法」に関する内閣府の運用指針には、通報者の秘密保持の徹底のほか、仮に通報者が特定されるようなことがあっても、通報者が解雇されたり、不当な扱いを受けたりすることがないようにと明記されている。また、読売新聞によると、オリンパスの社内規則でも、通報者が特定される情報開示を窓口担当者に禁じているという。記事を読む限り、オリンパスは、内閣府の運用指針も自社の社内規則も尊重していない。

 オリンパスにとって、この内部告発は会社の利益になったと考えられる。取引先から機密情報を知る社員を本当に引き抜き、後々明るみに出たら、不正競争防止法違反になって、もっと大きな問題となったかもしれない。そう思ったからこそ、オリンパスは“引き抜き”を止めたのだろうし、後々問題化すると困るから相手側に謝罪したのだろう(ところで、本筋には関係ないが、この「引き抜かれなかった社員」のその後も気になる)。それなのに、浜田さんに対するこの扱いは釈然としない

 このオリンパスのケースに限らず、企業社会の現実として、内部告発者が不当に扱われることは十分にあり得る話だ。たとえば、ある上司をセクハラで訴えたら、その上司が会社で重宝されている人だったために、訴えたほうが最終的には会社にいられなくなるように追い込まれたといった、とんでもない話を聞いたこともある。

 読者への率直な忠告としては、まず会社のコンプライアンス窓口やいわゆる目安箱的制度を簡単に信用してはいけない、と申し上げておこう。

 問題を起こしている当事者や責任者が、会社の中で有力者だった場合、通報窓口が裏切る可能性を覚悟しておくべきだ(いかにいけないことだとしても、現実に起こりうる)。その際に、どうするかも考えてから告発を行うべきだ。

 徹底的に不正を止めるつもりなら、メディアに告発するなど、次の手段も検討しておきたい。ただ、そこまでやる場合には、自分の職業人生をどうするかも考えておく必要がある。転職などの「退路」を準備しなければならない場合もあるだろう。

 会社のコンプライアンス窓口に自ら名乗り出る以外の告発の手段も検討しておこう。コンプライアンスの窓口なり社長室なりに対して匿名で、あるいは外部者を装って告発をして、様子を見る手もある。また、一般論として、そういう不正のケースがあるということを、マスコミに書かせる選択肢もある。上手く行くと、問題の人物や組織が悪事を止めるように促すことができる。

 そもそもコンプライアンス窓口のレポートラインに問題があるケースもある。理想論を言うと、コンプライアンス部署は、オペレーションのラインとは別のラインで株主に対して直結しているべきで、社長に対しても牽制が聞くようでなければならない。しかし、実際には、社長であったり、管理担当の役員であったり、オペレーションラインの実質的な影響下にあるケースが少なくない。

 また、告発を行う場合には、どのような告発内容を伝えたのか、その時に相手が何を言ったのか、記録をきちんと取っておくことが重要だ。オリンパスのケースでは、メールの転送については本人の了承を得たと会社側が言っているが、事実が凝れと異なる場合、そうした言い訳をさせないためにも、絶対に社内に漏らさないと確認した上で、どういうやり取りがあったのか記録をしておきたい。付け加えると、告発内容そのものに関しても、いつ何があったのか記録を持っていることが大事だ(ノートや日記、手帳へのメモでもいい)。最終的に何か争いになったときには、自分を守るために記録が役立つことがあるし、また、きちんと記録しておけば、相手に対して、適度なプレッシャーをかけることにもなる。

(中見出し)内部告発者のための制度的整備が必要

 それにしても、今回のオリンパスのケースを見ると、内部通報者の立場があまりに可哀そうだ。告発をして、告発が正しいものとして扱われ、かつ告発された側が眼を覚まして、目的が達成されたとしても、何ら本人のメリットにはならない。

 もちろん個人的なメリットのために告発を行うのではいけないが、告発者の側が、自分で悪いことをしたわけでもないのに、自分が告発したことを誰かに知られるのではないかと、びくびくしながら、毎日を過ごさなければならないのでは割りに合わない。不正に手を染めずに済んだとか、不正を見過ごさずに済んだという社会人としての正しい満足感はあろうが、少なくともサラリーマンとしては、リスクとデメリットばかりが目に付く。

 せいぜいうまくいっても何もなしで、何かまずいことがあると逆恨みされ、人事上不利益となる。むろん、内部告発者を解雇してはいけない、不当に扱ってはいけないことは前述のとおり公益通報者保護法で明記されているから、企業側と争い裁判で勝って不当な人事を撤回させることは可能だろう。だが、そこまですると、会社での“居づらさ”は増すだろうし、事実上居られなくなることもあるだろう。

 制度にも問題があるのではないだろうか。内部告発の扱いに関して不正が明らかになった場合の企業への罰則規定は最低限必要だ。また、企業が内部告発者を不当に扱ったことによって、内部告発者に不利益があった場合、その不利益と精神的苦痛を十分に補うだけの補償がなされるように規定を整備すべきだ(仮に判例が出来てもそれだけでは不十分であり、明文化された規定があることが望ましい)。

 ここ数年間いろいろな企業不祥事が出てくるようになったが、不祥事は急に増えたのではなく、昔からあったのだろう。それが多数表面化し出したのは、内部告発が多少なりとも機能するようになったからだろうし、これ自体は世の中にとって良いことだ。

 率直に言って、申し立てを行う立場にまで追い込まれたオリンパスの浜田さんの、今後のサラリーマン人生は大変だろうと思う。筆者は、原稿で応援することぐらいしかできないが、会社のためにも社会のためにもなる正しいことをしたのだと胸を張って、負けずに頑張ってほしい。

 以上

【秋学期 10回目】 ビジネスパーソンの「勉強法」

2010-12-02 00:26:51 | 講義資料
 ホワイトカラーのビジネスパーソン(大まかには「事務職」全般)は職業人生の期間中、ずっと何らかの勉強をしていかないと、人材価値が維持できない。研究職(研究所や調査部など)や教師はもちろんだが、たとえば、金融業にあっては、「勉強することが苦にならない」ということを職業適性の一つに加えてもいいのではないか、というのが、金融・証券関係の会社を転職して歩いた筆者の実感だ。金融の世界では、新しい金融市場や経済の動向を常に把握し続ける必要があるし、融資などで関わる産業や取引の事情を勉強する必要がある。
 金融業はその典型だが、ホワイトカラーの中でも、特に競争が激しい職種では、勉強で遅れを取るとビジネスの競争で直ちに不利になるし、効果的な勉強で「プラスα」のもとになる知識やスキルを手に入れて「僅かに作った差」が、ライバルに対する差別化の原動力になる。勉強の習慣を持つこと、勉強の効率を上げる工夫をすることの二つは、ビジネスパーソンの人材価値に直結する。

 今回は、ビジネスパーソンの勉強法、情報処理の方法についてお話ししてみたい。
 お伝えしたいのは、主に以下の内容だ。

(1)ビジネスパーソンにとっての勉強の意味

(2)ビジネスマンの勉強時間

(3)仕事の専門知識の勉強方法
 ・新しい分野をどうやって勉強するか
 ・新しい分野の全体像を早く知るにはどうするか
 ・入門書、教科書、専門論文の使い分け
 ・新しい研究のフォローの方法

(4)日々の情報処理
 ・新聞との付き合い方
 ・「日本経済新聞」は読むべきか?
 ・ニュースのスクラップの方法

 授業に出席できなかった学生は、春学期にブログにUPした記事や、リクルート・エージェント社のサイトの私(山崎)の連載(「ビジネス羅針盤」:http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/)の関連記事などをご参照いただきたい。特に、上記(1)(2)(3)については、12月中に掲載予定の原稿に概要を書いておいた。

 以上