親心、子心

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無題

2015年09月13日 21時47分46秒 | 世の中
誰と戦うというのだろう。

誰から守るというのだろう。

自国の平和が、もはや自国のみで守れないというのなら、その自国の平和を脅かしてくるのはどの国なんだ?

憲法の前文にあるように、国民の不断の努力によって守ろうとする主権は、平和は、あなただけのものなのか?

今目の前にいるあなたの敵ですら、助けよう、救おう、そういう思いが大切なんじゃないか?

平和って、誰かを攻撃して、つぶして、ひねって、殺して、できあがるものなのか?

不断の闘争なんて誰も言っていない。不断の“努力”じゃないのか?

努力すべきことは、国際社会『全て』を平和たらしめんとすることであって、我が国とその親しい国だけじゃないんじゃないのか?


歴史をひもとけば、過去に正しかったことが、現在間違っていると捉えられていることなんてごまんとある。

ならば今自分がしていることを、正しくないかもと、謙虚に思えなければ、子々孫々に申し訳が立たなくないか?


…ただ、今まで学んできた歴史の中で『自分の敵すらも救おうとする』姿を見せてきた国や指導者は記憶にない。

…ナイチンゲールくらいだろうか。仏陀は全てをあきらめてしまったように感じるし、イエスキリスト“個人”は、本気で考えていたのかもしれない…。


…もうそろそる、人類皆でナイチンゲールに、イエスキリスト(and so on)に、なったって良いんじゃないか?



世界平和は、そういう、敵も味方も関係なく、全ての人を救おうとする思いから始まるはずだ。

自分が良ければいいという気持ち、誰もがいだいているだろうけど、その居心地の悪さを知っているんじゃないのか?

その居心地の悪さを、『他に手段がないから』と目をつぶってしまっているだけじゃないか。


全人類が本気で考えればできないことなんてない。

全人類の平和だって、幸せだって、追究できるはずだ。

そのための一歩を、踏みだそう。



そんな一歩を、今日自分の『家族』に対してから踏み出した記念に…。

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