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東山魁夷記念碑 心の旅路館😐😐😐風景画を描いた東山魁夷の原点に建つ美術館と記念碑

2020-10-25 15:00:00 | 文学 美術 音楽
「東山魁夷(ひがしやま かいい)」(本名「東山新吉/ひがしやま しんきち」 1908/明治41年~1999/平成11年)は、東京美術学校(現在の「東京芸術大学」)日本画科で、写実的で穏やかな作風で知られた「結城素明(ゆうき そめい)」(1875/明治8年~1957/昭和32年)に師事、静謐で深い郷愁をたたえた装飾的な風景画を描いた現代日本画を代表する画家だ。
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1968(昭和43)年に制作の「皇居新宮殿壁画」の「朝明けの潮」や、1971(昭和46)年~1982(昭和57)年に描いた「唐招提寺 御影堂」の「鑑真和上坐像厨子扉絵」「襖絵」「障壁画」などが広く知られているが、1987(昭和62)年に所蔵していた自作品を長野県に寄贈し、1990(平成2)年「長野県信濃美術館 東山魁夷館」が開館している



 ❖ 東山魁夷記念碑 心の旅路館  国道19号線「岐阜県中津川市山口」の「道の駅 賤母(しずも)」併設施設に、「東山魁夷」から版画作品約500点を寄贈され、1994(平成6年)に開館した美術館「東山魁夷 心の旅路館」がある
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その同館前には、「ローテンブルグ城シュピタール門」(ドイツローテンブルグ市)に刻まれた「PAX INTRANTIBVS SALVS EXEVNTIBVS(訪れる者には安らぎを 去りゆく人には安全を)」を「東山魁夷」が「歩み入る者に安らぎを 去りゆく人にしあわせを」と訳したことで、ひろく知られることとなった言葉が刻まれた記念碑が建立されている
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この言葉は「川端康成」が「ホテルオークラ」にふさわしい言葉として、色紙で同ホテルに残したといわれ、また「群馬県吾妻郡草津町民憲章」に採用されている言葉だともいうが、この言葉と当処との所縁は「東山魁夷」が、1926(昭和元)年の「東京美術学校」1年生の夏休みに、友人と「御嶽山(おんたけさん)」に登った旅に始まるという。
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途中この地「賤母」(当時「長野県西筑摩郡山口村」現在「岐阜県中津川市山口」)で大変な夕立に遭遇し難渋した「東山魁夷」は、一夜の宿を求めた村はずれの農家から、思いがけずうけた温かいもてなしに、深く感じ入ったという。また、信州で知ることになった雄大な自然にも心打たれて、風景画家への道を決心したといい、信州と結びつく第一歩がここに始まったのだという。

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