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たいだい。のいつまで続くの?

読んでくださりありがとうございます。

1リットルの涙

2005年11月03日 | 妄想テレビ
 毎回「命」について考えさせられるドラマだ。

 主役の沢尻エリカの境遇(父親と2番目の兄を続けて亡くす)を知っているだけに、彼女の演技、台詞が重く心に響く。

 もし自分が同じ病気だと告知されたらいったいどんな反応するだろう。
 15歳の彼女の受けた衝撃も、いまの自分の年齢になれば少しは和らぐのだろうか?
 決してそんなことはないと思う。ぼくもやりたいことはまだまだあるし、夢も希望もある。けれどやはり15歳でこの病気に罹ってしまうのはあまりにも不幸だ。
 彼女の叫び「どうしてこの病気は私を選んだの?」これしか言いようがない。

 家族の苦しみも大変なものだろうし、多感な妹がまだ病気を知らされずに怒られてばかりいるのは見ていて可哀想になる。彼女にも知らせてあげるべきだ。そして一緒にお姉さんを支えてあげるべきだ。

 今後の展開に目が離せない。

 p.s. 毛嫌いしてた陣内孝則だが、親の苦しみの演技は評価(偉そうでスイマセン)。

すごすぎるER

2005年10月18日 | 妄想テレビ
NHKで『ERXI』が始まった。

 PartXではグリーン先生が亡くなり、最終回ではERが天然痘のパニックで大混乱。続きはいったいどうなるんだろう?というところでテレビ放送が終わっただけに、再放送には大感激。

 それにしても毎回考えされられるドラマだ。

 10月15日の回では『蘇生』について考えた。
 心筋梗塞の40歳の急患が運ばれる。小学生くらいの2人の子供が付き添う。
 治療中に脈が止まり、蘇生術の甲斐もなく死亡宣告がなされる。
 が・・・
 
  一旦は止まった脈が心室細動ではあるが動き始める。
  トラブルはここから。

  レジデントが独断で蘇生させ、患者は脈を取り戻す。
  素人のぼくなんかは「生き返ってよかった」と安易に喜んでいたのだが
 ここから人間の命についての難しい問題が突きつけられる。

  蘇生はしたものの脳に酸素が行かない時間が長いため、患者は植物状態に。
 チーフレジデントのカーターや25年の経歴の心臓病医に診断を仰がずに独断で
 行った措置の結果がこれだ。

  「そっか~。単に生き返っても単純に喜べへんのやあ。難しいなあ・・・」

 結局、患者は病院に駆けつけた奥さんの前で再び心肺停止に。 
 二度と意識が戻らないことを覚悟している奥さんは延命措置を拒み、子供も
 見ている前で父親は亡くなる。
  「パパが生き返ったあ!!」
 と喜んでいた子供たちは大きなショックを受ける・・・


  毎回、「ER」を見終わるとあまりの問題の大きさにドーッと疲れてしまう。
 現場で働く医師たちはそれが日常化しているとしても、こんな体験を毎日して
 いるなんて本当に大変な職業だ。
 
  さて、今回はどんなドラマが待ち受けているのか。
  初回から診療部長が腕を真っ二つに切断する展開。今後も「ER」から目が
 離せない。

いま、会いにゆきます

2005年09月20日 | 妄想テレビ
 テレビ版「いま、会いにゆきます」が終わった。
ぼくは映画と比べるとテレビ版は‘大失敗’だとこのブログの中でも書いたのだがその理由としては「時期のタイミングの悪さ」が挙げられる。
 梅雨明けと共に澪があの世へ戻ってしまう・・・という設定は大いに結構なのだが、このドラマ、最終回の放送が夏も終わり、日も短くなり、そろそろ秋めいた頃になってしまった。ドラマではこれから夏を迎えるというのに実際はとっくに夏は終わってしまうという、なんともタイミングの悪いこと。これだけでも興ざめだが、他にも(ぼくだけの視点だが)巧の病気の描かれ方がなんとも物足りない。映画では彼の病気への理解ができたが、ドラマではそれが不十分で、彼に対する感情移入がおおいに減ってしまった。あとは、ドラマならではの演出にも不満が残る。
 映画では登場しなかった母親や近所のケーキ屋との交流も、澪が実は死んでいるという設定を生かしきれていなかった。「いつ彼らに秘密がバレるのか?」というドキドキの展開が少なかったのがその理由だ。

 いろいろ不満点はあったドラマだが、でも最終回だけはよかった。(これはただ原作がすばらしいというに尽きるが・・)
 澪の日記で、どうして彼女が記憶喪失の状態で現れたのか、なぜ佑司の誕生日のケーキを12年分も予約したのか、などなどの理由が明かされる。正直、この日記がなければこの物語、ただの「黄泉がえり」のパクリになってしまっただろう。
 ぼくもこの日記の内容を知ったときは思わず『え~っ!』と叫んでしまったほどだ。そして改めて澪の巧や佑司への愛情を知り涙した。こんなにも愛する人への思いは深かったのか。自分の死を賭けてまで一人の人間を愛する澪の姿に涙した。

 生きているうちに自分の身近な人たちの存在に感謝することはなかなかできない。どうしても嫌な面ばかりが目に付いてしまいがちで、へたをすると「この世からいなくなればいいのに」とまで思ってしまうこともある。しかし、本当の愛情に気づくのは彼らがぼくたちの前から姿を消してしまってからだ。少なくとも僕の場合はそうであった。それでは遅すぎる。あまりにも遅すぎる。母に何一つ感謝の言葉も述べず、孝行もすることなく、この世から永遠にいなくなってしまってから彼女の偉大さと愛情に気づいた僕は一生後悔してもしきれない傷を残した。
 
 だからといってすべての人に等しく愛情を注ぐことはなかなか難しいのだが、それでもほんとうに愛する人を亡くす悲しみを知ったいまは、少しは周りの人に優しくなれた自分がいる。

 死んでからでは遅すぎる。おおげさなようだが人の一生なんてほんとに儚いもの。朝「行ってきまーす」と出て行った家族に二度と会えなくなる・・・想像したくはないが、こんな残酷な現実がいつ起こるやしれないのだ。

 さて、これからぼくの前には一生を賭けて愛し続ける人が現れるのだろうか?そんな出会いがきっとある。そう信じていると素晴らしい人が待っている、そんな気がするんだ。

相武紗季>鈴木杏

2005年09月01日 | 妄想テレビ
 ドラマ「がんばっていきまっしょい」を見てていつも感じることがある。
それは・・・

 鈴木杏って顔でかくね~?

 子役時代の杏ちゃんを知るぼくとしては(豊悦競演の『青い鳥』とか)、少女の杏ちゃんがまさかこんなに顔面岩石になるとは思わなかった・・・

 どうみても相武紗季の方が‘アイドル顔’‘主役顔’だと思うのだが、みなさん、どうですか?

電車男

2005年08月26日 | 妄想テレビ
 今日偶然にも『電車男』に関するページを見つけた。
         ↓
 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Aquarius/7075/index.html

 すでに2チャンネルでは過去ログなどは消えてしまっているので本当に偶然の発見に驚いた。
 
 ぼくはテレビドラマの『電車男』を毎週見ているが、このページでのやりとりはまさにドラマと同じ(当たり前か)。リアルに電車男とネット住人のやり取りが記されていて、読んでいるとドラマのワンシーンが甦る。
 主役の伊藤敦くんやエルメスの伊東美咲の姿を思いながら読んでいくとなおよろし。

 ぼくは『電車男』が作品として成功したのにはいろいろ理由があると思うが、「エンターテイメント」としての要素のひとつとして次の点を挙げる。

 それは・・・

 『大いなる笑いと一粒の涙』

 この言葉はぼくが映画やドラマなどの作品を選ぶ際、必ず基準にしている。
 
 ぼくの記憶が正しければ、この言葉はあの武田鉄矢氏が自身の映画『刑事物語』を宣伝する際に発したものだ。

 『刑事物語』

 ぼくがまだ中学生の頃に見た映画だから、いまからもう20年以上も前になる。当時はジャッキーチェンやブルースリーなどのアクション映画全盛であった。
 『刑事物語』も武田鉄矢扮する刑事がカンフーを駆使して敵をやっつける内容だが、武田鉄矢の演技が素晴らしく、ぼくは映画館で泣いてしまったのを覚えている。

 ストーリーは長くなるので割愛するが、一言でいうと先ほどの言葉になる。
 
 『大いなる笑いと一粒の涙』

 これはあの『男はつらいよ』シリーズにも共通している。寅さんが繰り広げる恋の騒動は腹をかかえて笑ってしまうのだが、決してそれだけでは終わらない。
 映画のラストには何故かしみじみと、時には涙を浮かべてしまう。

 そういえば『吉本新喜劇』も同じかも。

 このようにぼくは感動大作もいいが、佳作でも『大いなる~』の要素が入った作品をこれからも見ていきたい。

テレビ版『いま会い』大失敗

2005年07月28日 | 妄想テレビ
 初回の放送はよかった。死んだはずの澪が現れる重要なシーン。神秘的な雰囲気が出ていたし、ミムラの演技もよかった。が、その後の回がいけない。はっきり言おう。二回目の放送からは、期待を大いに裏切る内容だ。どこがいけないのか。
 それは一回や二回放送を見逃してもなんら影響がないほど、ないようが陳腐なのだ。

 1番不満なのは、巧の障害について詳しく描かれていない点。彼がどうして移動図書館に勤めるようになったのか。どうして人混みを嫌い、仕事も要領が悪いのか。そして余貴美子の元へ通院しているのか。いっこうに彼の過去が描かれていないので正直イライラしている。

 映画と違い、日常をじっくり描くことで三人の絆を表現しようとしているのだろうが、どうでもいいエピソードでは彼らへの思い入れも半減してしまう。

 これからもダラダラとした回の連続ならぼくは最終回だけ見る羽目になるかもしれないぞ。

岩本恭生

2005年07月25日 | 妄想テレビ
 この前のものまね歌番組を見て思った。
 岩本恭生はもう終わったね。

 クレイジーケンバンドの「タイガー&ドラゴン」を歌ったんだけど、これがまあ、赤組キャプテンの出すネタとは思えないほど短絡。

 誰が聴いてもこの歌は和田アキ子そっくり。で、岩本は歌の最後に和田アキ子の扮装に着替える。「あ~あ。やっちゃったよ。」てな感じ。

 はなわがこれまで何回もネタになり、もうマンネリ化したはずの小林旭を実に面白く表現していたのとは対照的だった。

 対戦相手のコロッケも森山直太朗のネタで、ぼくからしたら「卑怯なネタ」以外の何物でもない、彼お得意の動きネタであったが、結果はコロッケの圧勝。


 面白かったのは、判定直後に後ろに控えていたコージー富田が岩本に向かって「たまには勝ってくださいよ~」とつぶやいていたのがツボであった・・・

あっぱれさんま大先生

2005年06月19日 | 妄想テレビ
 最近何故だか「あっぱれさんま大先生」に出演していた生徒達のその後について無性に知りたい自分がいる。で、ネットで色々調べてたら、ぼくがオンタイムで見ていたときの生徒さんの名前が(一部ではあるが)出ていた。

山崎 裕太  
内山 信二
住吉 ちほ
中武 佳奈子
小嶋 亜由美
前田 愛 
有田 気恵
須藤 実咲
矢川 菜穂美
福長 康一
村岡 綾佳  
御手洗 リカ

 彼らの名前を見てぼくはすぐに顔を思い浮かべることができた。そしてますます今現在の姿を見たくなった。そういえばここに載ってる生徒の他にも

 ブランド君 ジェームズ君 市役所君 あと むし君や章久君なんてのもいたなあ・・・

 「あっぱれ~」の関連サイトを見てみるとしほちゃんは今年26歳なんだとか。ひぇ~!もうそんな歳なんや。内山君や山崎裕太君、前田愛ちゃんなどはテレビでよく見かけるけれど、その他の生徒さんは素人なんかなあ?仮に芸能活動されていても露出は少なそうだし、なかなか現在の姿を見ることはできないですね(残念)

 と、偶然にも今日夜10時から放送の『世界ウルルン』に佳奈ちゃんが出演するそうです!神のお導きか、ぼくの願いが1つ実現してめちゃくちゃ嬉しいわあ!
 佳奈ちゃんの印象としては‘おてんば’なイメージが強いです。口が達者でよくさんまさんとやりあってたなあ。そんな佳奈ちゃんが同窓会で放送されたときに、ぼくは彼女の変わりぶりに衝撃を受けたことがあります。
 確か彼女は当時中学生。ブラウン管に映る佳奈ちゃんは小学生のときの‘おてんば’なイメージからは180度違っており、まさに少女から大人へと変わりつつある1人の「女性」でした。
 ほっそりとした顔と、放送ではほとんど発言しなかったその様子からは、中学生という「多感」な少女の姿が垣間見れました。

 その後何年かして再び彼女の姿をテレビで見たら、あの「美少女」からまたまた大変身しておりました。ほっそりした少女の面影は微塵もなく、まるまると太り、大きな声でしゃべりまくる小学校時代の佳奈ちゃんがそこにいました。キャラとしてはこちらのほうが愛すべきなんだけど、そのあまりの変わりようにぼくはしばらく呆然としてたのを思い出します。

 さて、そんな佳奈ちゃん。どんな風になってるんやろ~?いまから『ウルルン』の放送が楽しみです。キレイな女性になってるのか?はたまた、あのデブキャラのまま成長してるのか?どちらにせよ今の姿を見ることができるのですね。


 願わくばもう一度上のメンバーで是非、同窓会を開いて欲しいです。フジテレビさん、当時のプロデューサーさん、よろしくお願いします!!!

雨と夢のあとに

2005年06月19日 | 妄想テレビ
 映画「黄泉がえり」や「いま、会いにゆきます」などと同様、死者が生き返るという設定の物語。深夜ドラマにするにはもったいないくらいの出来であったと思う。いま放送されてるしょうもないドラマよりは絶対視聴率が取れただろう。

 死者が幽霊となって現れる設定はおよそ2パターンに分けられると思う。

 1 本人は自分が幽霊と自覚している。
 2 本人は自分が幽霊と自覚していない。

 「雨と夢~」は1のパターン。興味深いのは主人公の幽霊が見える人と見えない人がいるという点。同じ友人でも主人公に対する思いによって見える・見えないが分かれるのはなかなか面白い設定だった。雨の母親(杏子)や友人(美保純)、雨の家庭教師が見えないのは彼らなりに理由があってのことだった。最終回でこれらの人たち全てが見えるようになったのは感動的で、よいシーンだったなあ。

 死んでしまった人が現れるのは現実ではありえない。だからこそ、生きている者の叶わぬ願いとして映画やドラマで描かれるのだが、ぼくは夢の中で死者と再会することができる。


 9年前に亡くなった母が夢に出てくる。そのときぼくはそれが夢であり、母はもうこの世にいなくて夢でしか会えないことをなぜか分からないが知っている。それでも目の前にいる母の姿を見るだけで言葉に出来ないほどの幸福感に包まれるのだ。
 そして目の前の母が永遠に存在してくれるように、この夢が永遠に続くように心の中で願っている。そんな儚い思いを、夢に母が出てくるたびに思うのだ。


 人はいつ死ぬか分からない。ぼくもあなたも、大切な人も明日、いや今日にも突然この世からいなくなるかもしれない。けれど朝目が覚めて「今日自分は死ぬかもしれない。だから今日という日を精一杯生きよう。今日出会う人全てに感謝しよう」なんて考える人がどれだけいるだろう。
 母を失ったときに感じた後悔「もっと生きているときに親孝行していればよかった」という思いは、死んで初めて気づくのだ。でも、同じ思いを繰り返さないように、ぼくはこれからは毎日を大切に生きて生きたい。なかなか難しいけどね・・・

さよならグリーン先生

2005年03月12日 | 妄想テレビ
 NHKで放送中のドラマ『ER』。僕は初回から見続けているが、とうとうグリーン先生がいなくなった。たかがドラマだけれど、8年も見続けていると登場人物に思い入れを抱くのは当然だ。しかもグリーン先生は初回から出演している。そんな彼が病気で亡くなった回の放送が先週あった。

 グリーン先生の下で指導を受けてきたカーターが手紙を読む。療養中の報告を読んでいくのだが、途中で文章が終わる。そして、妻である同僚のコーデイ先生の辛すぎる報告。「今朝、彼は逝きました・・・」

 この回の放送は出演者それぞれが、グリーン先生との思い出を抱えながら仕事をこなしていく。ぼくは中でもカーターが1番つらいだろうなあと感じながら見ていた。
 学生時代から指導を受け、時には厳しく、時には優しく、常に見守り続けていたグリーン先生。

 あの優しい姿をもう見られないのは、ドラマとは分かっていても凄く悲しい・・・

 これからはカーターがERを引っ張っていく責任を負うのだろう。まだまだ頼りない面が多々あるが、グリーン先生の聴診器を形見に、これからのカーターを応援していきたい。

 放送の最後、風に揺れる手紙がなんとも言えぬ悲しさを誘った・・・

忠臣蔵に白い吐息

2004年10月20日 | 妄想テレビ
 秋の新ドラで「忠臣蔵」が始まった。今回は「マツケンサンバ」で人気急上昇中の松平健が大石内蔵助を演じる。僕は忠臣蔵が大好きなので映画やドラマは欠かさず見ているが、たった一つだけ注文がある。注文と言うか不満と言うか、毎回忠臣蔵ものを見ているときに感じる違和感がある。それが「白い吐息」なのだ。

 僕は時代劇に厳密なリアリティーなどは求めない。刀で切られても血が出ないとか、そんなことは要求しない。ただ、忠臣蔵にだけは求めたいリアリティーがある。それが「白い吐息」。

 12月の深夜に吉良邸に討ち入りをするのに、浪士の口元から誰一人として「白い吐息」が出ていないのだ。足元には雪が積もり、底冷えのする12月の夜。なのに画面からは寒さがひとつも伝わってこない。当たり前だ、セットだもの。そんなことは百も承知だ。それは分かってるんだけど、しんしんと降り続く雪の中、これまでの苦難に耐えた四十七士が身も切るような寒さの中、仇打ちをする・・・という感動的な場面なのに、ただ「白い吐息」がないだけで、僕の中では感動が半減してしまうのだ。

 といってもあの場面をロケで撮って欲しい・・・と願うのは叶わぬ夢なのか。これからも忠臣蔵の浪士たちは「白い吐息」を吐くことなく討ち入りをするんだろうなあ・・・

秋の新ドラマ その三

2004年10月16日 | 妄想テレビ
 「3年B組金八先生」

 初回放送なので2時間の拡大バージョン。そのためではないだろうが「これでもかー!」とばかりに難問がてんこ盛りでした。ドラマだから誇張はしょうがないけれど、今回のB組はひどすぎる!とても中学3年生とは思えないほど生徒の知的レベルが低くて、まるで小学校の低学年並みだ。「躾の出来てない動物の檻に放り込まれた」金八っつぁんに同情します。

 家庭内暴力・ドラッグ・障害児童

 この3大テーマでドラマは進行するみたいですね。一人一人の生徒をじっくりと描くにはテーマが大きすぎて、毎回毎回とんでもない事件が起こりそうな予感がする。一つの中学校のクラスにこんなにも重いテーマが凝縮されるなんてありえないかもしれないが、さてさて、金八先生はどのように取り組んでいくのか見ものです。初回から弱音も吐いており、金八っつぁんも歳とったなあ・・・としみじみしてみたり。
 とりあえず、半クールの長丁場、無事3B生徒が卒業できますようにお祈りしております。


 「黒革の手帖」

 すごい面白かったです。米倉涼子株急上昇ではないでしょうか。釈由美子の関西弁には辟易したけど、愛憎渦巻く女のバトルに見ながら『怖~っ』とうなっております。
 脇役も山本陽子、小林稔持、柳葉敏郎、仲村トオル、津川雅彦と、超豪華で申し分ないし、裏番の「渡鬼」を視聴率で上回ったのもうなづける。今回の新ドラの中では個人的に1番オススメです。
 

秋の新ドラマ その二

2004年10月12日 | 妄想テレビ
   「ラストクリスマス」

 織田裕二は月9の救世主になれるか?
放送前からこんな風にプレッシャーかけられる織田さんは可哀想ですね。
さてさて、第1話の感想をば・・・

 まあまあかなあ。
 設定としては絶対に「ありえない」ものばかりだけど、矢田亜希子嬢の演技がそれをカバーしてる(あくまでも僕の中だけですが)
 彼女のこれまでのイメージは「清楚なお嬢様」だったが、今回は「元レディース」。想像も出来ない180度違う役柄。啖呵を切るシーンが少ないのがちと残念。もっともっと過激な台詞を吐いて欲しいけど、CMもしている以上、あまり過激なシーンはできないかもね。

 初回放送にありがちな、「登場人物の関係や背景を台詞で分からせる」のが出てくる度に僕はいつも白けてしまうんだけど、「ラスクリ(勝手に省略)」にもやはり随所に出てきた。ま、視聴者に早く人間関係を知ってもらうには仕方ない手段と割り切るしかないか。

 織田裕二が矢田亜希子の過去のビデオを見て(これもありえない設定だが)大体物語の進む方向が示された。5年前に大きな、死ぬかもしれない病気になった由希。主治医に預けているプレゼントが実は冒頭シーンで登場。そしてこの物語自体が「いまから3カ月前」の回想になっているという設定からすると・・・・
 
  矢田亜希子は確実に3カ月後に死にますね?

 織田裕二がワムの主題歌を英語で歌うという「暴挙」も、番組内では1回しか彼の歌声が流れなかったので、被害は最小限に食い止められたし。同じ歌でもジョージ・マイケルと織田裕二が歌うのとでは、これほど印象が変わってしまうんだなあ・・・と。マイケルの持つ「哀愁クリスマス」の雰囲気が織田裕二の歌声では「陽気なトロピカル・クリスマス」になってしまうんだから!

 10月になってもまだ暖かい日が続く中でクリスマスソングを聴きながらのドラマは少し(いや、かなーり)違和感があるが、今日放送の「めだか」同様、「ラスクリ」も矢田亜希子目当てで最後まで見続けることになりそうだ。

秋の新ドラマ その一

2004年10月06日 | 妄想テレビ
火曜日に見たのは『めだか』。ミムラさん主役。出世早いね~。彼女の笑顔には『ビギナーズ』で初めて見たときから癒されまくりでした。
 さてさて『めだか』ですよ。
 これまでのドラマで腐るほど扱われたテーマ、「社会人の女の子の成長物語」。案の定、ミムラの勤める定時制高校は先生も生徒も一癖、ふた癖ある面子が揃っている。これから一人一人の生徒とのふれあいを通じて、ミムラ先生が人間として成長していくんでしょう。
 
 初回で印象に残ったのは物語のラストでのミムラの「ブチ切れ」シーン。それまでへらへら笑っていたミムラが一転、ブチ切れるシーンはなかなか見ごたえがありよかったです。

 僕はミムラさん、結構好きなのでこのドラマを見続けるつもりです。さっきも言ったけど、テーマはありきたりなのでこのドラマに感動などは期待しておりません。あくまでも「ミムラ見たさ」が目的です。

 同じフジテレビ枠の「マザー&ラヴァー」は見始めて15分ほどでリタイヤ。坂口憲二ファンは見続けるんだろうけど、僕はもう見ません。全く面白くなかったなあ・・・

 p.s. いつも思うんだけど、どうしてどしゃ降りのシーンで主人公は傘をささないんだ?ドラマ上の演出なのは分かってるが、「おいおい、またかよ~」と興ざめしてしまう。

いまさら27時間テレビ

2004年07月31日 | 妄想テレビ
 先週の土・日にフジテレビ系列で放送された。僕は今回の総合司会のナインティナインの大ファンということもあり、大いに番組を楽しめた。
 ファンであるがゆえに、残念だと感じる場面もあった。岡村さんの声がだんだんと嗄れ始め、放送中ずーっと聞き取りづらかったのは、プロの芸人としては失格やなあと。
 あと、ボクシングね。岡村さんは完璧主義で、これまでにもモーム娘。やSMAPのコンサートに乱入する時も、振り付けを完璧にして臨んできた。バラエティ番組で大学受験する時も、本気で合格を目指し、真剣に勉強していた。
 今回はなんと、具志堅用高さんにボクシングで挑戦!1年も前からジムに通っていたというから、彼の気の入れようはハンパじゃない。

 いよいよ本番。見事に3ラウンド戦った岡村さん。途中、ダウンしながらも立ち上がる姿は、バラエティの域を越えて感動すら覚えたものだ。ところが・・・である。
 何を思ったか、もう1ラウンド戦うというのだ!『え~っ?もうええやん。』と、テレビの前の視聴者はこう思ったはずだ。そして『しらけるなあ。3ラウンドで止めときゃええのに。』とか『ったく、これだから岡村は大人げないんだよ。』などと愚痴をこぼす人もいたのではないだろうか。
 正直、僕もさっきの感動はどこへやら、あきれ顔でテレビ画面に映る岡村さんの姿を見ていた。

 実はこれには後日談がある。ラジオのレギュラー番組『オールナイトニッポン』で、この時の裏話を岡村さん自身が暴露していた。
 それによると・・・岡村さん自身は3ラウンドで止めるつもりだったそうな。そして相手の具志堅さんも。ところが、レフリーの平仲さんが、『もう1ラウンドいく?いこうよ!アピールして!』と、しきりに勧めたそうだ。
 それを聞いた岡村さんは‘仕方なしに’もう1ラウンド戦うことにしたという。

 なんということか!この事実を知るか知らないかで、岡村さんに対する印象は全く変わってくる。
 『岡村、おいおい・・・』というマイナスイメージ。と『なんだ、そうだったのか。よくやったよ。』というプラスイメージ。

 生放送だけにどうすることも出来ない緊急事態。いちいちそれについて説明することなんてできない。僕は今回のことで、改めてテレビの持つ怖さを思い知りました。
 うわべだけで判断することの怖さ。ナイナイファンの僕が岡村さんに間違った印象を植え付けられられるところだった。あ~危ない、危ない。
 たかがテレビのバラエティじゃないか。そう言われたらそれまでなんだけど、一方通行のテレビの持つ危険な一面を再認識しましたとさ・・・