たいだい。のいつまで続くの?

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いま、会いにゆきます

2005年09月20日 | 妄想テレビ
 テレビ版「いま、会いにゆきます」が終わった。
ぼくは映画と比べるとテレビ版は‘大失敗’だとこのブログの中でも書いたのだがその理由としては「時期のタイミングの悪さ」が挙げられる。
 梅雨明けと共に澪があの世へ戻ってしまう・・・という設定は大いに結構なのだが、このドラマ、最終回の放送が夏も終わり、日も短くなり、そろそろ秋めいた頃になってしまった。ドラマではこれから夏を迎えるというのに実際はとっくに夏は終わってしまうという、なんともタイミングの悪いこと。これだけでも興ざめだが、他にも(ぼくだけの視点だが)巧の病気の描かれ方がなんとも物足りない。映画では彼の病気への理解ができたが、ドラマではそれが不十分で、彼に対する感情移入がおおいに減ってしまった。あとは、ドラマならではの演出にも不満が残る。
 映画では登場しなかった母親や近所のケーキ屋との交流も、澪が実は死んでいるという設定を生かしきれていなかった。「いつ彼らに秘密がバレるのか?」というドキドキの展開が少なかったのがその理由だ。

 いろいろ不満点はあったドラマだが、でも最終回だけはよかった。(これはただ原作がすばらしいというに尽きるが・・)
 澪の日記で、どうして彼女が記憶喪失の状態で現れたのか、なぜ佑司の誕生日のケーキを12年分も予約したのか、などなどの理由が明かされる。正直、この日記がなければこの物語、ただの「黄泉がえり」のパクリになってしまっただろう。
 ぼくもこの日記の内容を知ったときは思わず『え~っ!』と叫んでしまったほどだ。そして改めて澪の巧や佑司への愛情を知り涙した。こんなにも愛する人への思いは深かったのか。自分の死を賭けてまで一人の人間を愛する澪の姿に涙した。

 生きているうちに自分の身近な人たちの存在に感謝することはなかなかできない。どうしても嫌な面ばかりが目に付いてしまいがちで、へたをすると「この世からいなくなればいいのに」とまで思ってしまうこともある。しかし、本当の愛情に気づくのは彼らがぼくたちの前から姿を消してしまってからだ。少なくとも僕の場合はそうであった。それでは遅すぎる。あまりにも遅すぎる。母に何一つ感謝の言葉も述べず、孝行もすることなく、この世から永遠にいなくなってしまってから彼女の偉大さと愛情に気づいた僕は一生後悔してもしきれない傷を残した。
 
 だからといってすべての人に等しく愛情を注ぐことはなかなか難しいのだが、それでもほんとうに愛する人を亡くす悲しみを知ったいまは、少しは周りの人に優しくなれた自分がいる。

 死んでからでは遅すぎる。おおげさなようだが人の一生なんてほんとに儚いもの。朝「行ってきまーす」と出て行った家族に二度と会えなくなる・・・想像したくはないが、こんな残酷な現実がいつ起こるやしれないのだ。

 さて、これからぼくの前には一生を賭けて愛し続ける人が現れるのだろうか?そんな出会いがきっとある。そう信じていると素晴らしい人が待っている、そんな気がするんだ。

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