今日のエントリーはさよならの言葉の怪です。
このさよならの言葉は皆さんご存じの純子さん正式デビュー後のセカンドシングルなんですが、セールス的には失敗でした。
この失敗により、ファルセットの多用から地声で歌う歌唱法への転換をみずいろの雨ではかることによって、ニューミュージック・クィーンなる言葉でも言いあらわされるような成功を収めるわけです。
まあ、それはそれでいいのですが、何故セカンドシングルが純子さん本人の曲ではなくて、他人の曲なのか?それも書き下ろしの曲ではなくてポプコン・グランプリを取った曲なのか、今考えるととても不思議なわけです。
この不思議感は昔からあったのではなくて、実は最近、ネット上でさよならの言葉は嫌いなる言葉を純子さんが発していたという内容の記事を目にしたことからでした。
まあ、こんな発言をすること自体は、尖ってきた印で歓迎しなくてはいけないのですけどね・・・
前述の発言がどうして発せられたかという推理を私なりにしてみました。
実は皆さんご存じのようにこの曲のオリジナルは小野香代子なので、八神純子の歌唱はカバーなのである。(このブログに来る人でこの事を知らない人はいないはず)
八神純子って人は、その当時既に相当数のオリジナルを持っていたはずなのに、なぜ肝心なセカンドシングルで他人のカバーをしなくてはいけなかったのか?
このシングルのリリース日は、1978.5.1 でありこの曲が、収録されているアルバム思い出は美しすぎてのリリース日は1978.6.25 なのだ。
これは、何を意味するのか?
以下 状況を箇条書きしてみると全体像が見えてくる。
・セカンドシングルを収録する時点で、アルバム曲は揃っていたという事実。
・小野香代子は、ポプコンでグランプリを獲得したのだが、プロデビューしない。
・みずいろの雨でファルセットの多用から地声への転換と書いたが、アルバムにある時の流れには地声で歌っている。
・シングルさよならの言葉にA面、B面は存在しない、誠に不可思議なシングル。
・この曲は嫌いだという本人の発言。
このような状況から私は一つの推理に至りました。
実は、ヤマハはこの曲を売り出したかった。しかし、グランプリを獲得した本人はプロデビューしないため、栄光のグランプリ曲が宙に浮いた。
そこで、白羽の矢が立ったのは八神純子なのだ。
当初、この制作を八神純子本人は反対していたのではないのか。
そして、このシングルにおいてダブルA面とする事で折り合いがついた。
ダブルA面なんていう訳の分からない事をすること自体、妥協の産物で中途半端。
だから、このシングルは総売上枚数 1.9万枚というセールス失敗と相成ったわけ。
アルバムで地声によって歌う曲があるのだから、別にファルセットに拘る必要はない。
しかし、イメージを大切にするためにこの時点では妥協した。
そういった、思惑によって動かされている自分やまわりの人間を見て、この曲が嫌いだと発言したのではないのかな。
この失敗のおかげで、みずいろの雨がクリフォードさんが書かれている八神純子一世一代の絶唱という結果となり結実した。
(結果的には、これでよかったのだが、さよならの言葉を出すならば、「時の流れに」をA面に持ってきて欲しかった・・)
人間の運不運はどこに転がっているのかわからない。
たった一枚のシングルの中にも、そんな博打の世界が潜んでいる。
クリエイターに出される問題に正解はない。
その事がこのシングルでも垣間見ることができるのだ。
いつものお願いです。
一日一回この上のボタンを押していただくと人気ブログランキングのランクがアップします。
ここで上位にランクされることは今後の八神さんの活動の展開にプラスとなるのではと思っています。
そういった意味でも協力の方よろしくお願いします。
さらに八神純子さんの事を知りたくなった方は、もっと深い深い八神純子論を展開されている 姉妹サイトであるクリフォードさんのサイト Turquoise Blue 比類なき歌姫八神純子 をご覧下さい。
このさよならの言葉は皆さんご存じの純子さん正式デビュー後のセカンドシングルなんですが、セールス的には失敗でした。
この失敗により、ファルセットの多用から地声で歌う歌唱法への転換をみずいろの雨ではかることによって、ニューミュージック・クィーンなる言葉でも言いあらわされるような成功を収めるわけです。
まあ、それはそれでいいのですが、何故セカンドシングルが純子さん本人の曲ではなくて、他人の曲なのか?それも書き下ろしの曲ではなくてポプコン・グランプリを取った曲なのか、今考えるととても不思議なわけです。
この不思議感は昔からあったのではなくて、実は最近、ネット上でさよならの言葉は嫌いなる言葉を純子さんが発していたという内容の記事を目にしたことからでした。
まあ、こんな発言をすること自体は、尖ってきた印で歓迎しなくてはいけないのですけどね・・・
前述の発言がどうして発せられたかという推理を私なりにしてみました。
実は皆さんご存じのようにこの曲のオリジナルは小野香代子なので、八神純子の歌唱はカバーなのである。(このブログに来る人でこの事を知らない人はいないはず)
八神純子って人は、その当時既に相当数のオリジナルを持っていたはずなのに、なぜ肝心なセカンドシングルで他人のカバーをしなくてはいけなかったのか?
このシングルのリリース日は、1978.5.1 でありこの曲が、収録されているアルバム思い出は美しすぎてのリリース日は1978.6.25 なのだ。
これは、何を意味するのか?
以下 状況を箇条書きしてみると全体像が見えてくる。
・セカンドシングルを収録する時点で、アルバム曲は揃っていたという事実。
・小野香代子は、ポプコンでグランプリを獲得したのだが、プロデビューしない。
・みずいろの雨でファルセットの多用から地声への転換と書いたが、アルバムにある時の流れには地声で歌っている。
・シングルさよならの言葉にA面、B面は存在しない、誠に不可思議なシングル。
・この曲は嫌いだという本人の発言。
このような状況から私は一つの推理に至りました。
実は、ヤマハはこの曲を売り出したかった。しかし、グランプリを獲得した本人はプロデビューしないため、栄光のグランプリ曲が宙に浮いた。
そこで、白羽の矢が立ったのは八神純子なのだ。
当初、この制作を八神純子本人は反対していたのではないのか。
そして、このシングルにおいてダブルA面とする事で折り合いがついた。
ダブルA面なんていう訳の分からない事をすること自体、妥協の産物で中途半端。
だから、このシングルは総売上枚数 1.9万枚というセールス失敗と相成ったわけ。
アルバムで地声によって歌う曲があるのだから、別にファルセットに拘る必要はない。
しかし、イメージを大切にするためにこの時点では妥協した。
そういった、思惑によって動かされている自分やまわりの人間を見て、この曲が嫌いだと発言したのではないのかな。
この失敗のおかげで、みずいろの雨がクリフォードさんが書かれている八神純子一世一代の絶唱という結果となり結実した。
(結果的には、これでよかったのだが、さよならの言葉を出すならば、「時の流れに」をA面に持ってきて欲しかった・・)
人間の運不運はどこに転がっているのかわからない。
たった一枚のシングルの中にも、そんな博打の世界が潜んでいる。
クリエイターに出される問題に正解はない。
その事がこのシングルでも垣間見ることができるのだ。
いつものお願いです。
一日一回この上のボタンを押していただくと人気ブログランキングのランクがアップします。
ここで上位にランクされることは今後の八神さんの活動の展開にプラスとなるのではと思っています。
そういった意味でも協力の方よろしくお願いします。
さらに八神純子さんの事を知りたくなった方は、もっと深い深い八神純子論を展開されている 姉妹サイトであるクリフォードさんのサイト Turquoise Blue 比類なき歌姫八神純子 をご覧下さい。
♪さよならの言葉♪は確かに当時ミステリーでしたね。私もこのシングルレコードを購入したときに真っ先に「作詞、作曲」が純子さん本人でない事に気づきましたし、まさか後輩の小野香代子(第13回グランプリ)(純子さんは第8回及び第9回の入選)の曲を自分のセカンドシングルとしてどうして発売するのかな?って感じてました。それと同時に「八神純子は自分の事をシンガーソングライターです。」っていつも言っていたのに「他人の曲もレコード化」するんだな。なんて不信感すら覚えたものでした。
今から考えられるには、当時ヤマハの販売戦略というか、経営戦略というのか、小野香代子自体が芸能活動をしないのにグランプリを受賞させたための苦肉の策ではなかったかと思います。純子さんも「新人」ですから断るに断れなかったのではないかと推測しますが・・・
結果的には、takaさんの言われるように失敗であったし、その失敗があって♪みずいろの雨♪が栄光を得たと思います。
芸能界って複雑なんでしょうね!
今回のエントリーを後で読むとあまり上手に書いていませんね。
最近少し疲れがたまっているものですから・・
♪さよならの言葉♪に関していってやはり状況証拠的には私の推測があっているように感じます。
リリース当時、このシングル誕生の違和感をいち早く感じていたなんて純子バカ様を尊敬いたします。ここで断定的に書くのは不適切なのかもしれませんが、あえて書くなら”いいように使われた”っていう言葉に妥当性を感じます。
純子さん自身はあまり苦労を知らずに音楽の仕事に入りました。
だからその当時は、いわれること全てを受け入れていたとも感じます。
しかし純子さんはこの失敗を無為にせずにみずいろの雨につなげたことは本当に素晴らしいことだと感じますよね。
20年前学生だったころ、当時つきあっていた彼女と大隈庭園でギターを弾いてこの曲を文化祭で演奏する為に練習したりしてました。その子が12年前になくなったとき、僕はこの歌を歌い一人の葬式をしました。
本人の作かどうかは関係なく、こんないい歌も八神純子は歌っているんだとファンはかんがえてほしい。
さよならの言葉に関する思いは人それぞれだと思います。
私自身は、この曲が嫌いなわけではありませんが、このシングルがダブルA面の扱いだったという事とこの後のサードシングルでは歌唱法自体を変えるという賭けに出たこと(この事自体は賭かどうかはわからないのですが、みずいろの雨に関して純子さんは99年放送の番組の中でも歌詞が届いて歌った直後のスタッフたちの反応が、それまでとは全く違っていたと述懐しています)それと、思い出は美しすぎてに較べてセールス的にかんばしいものではなかったそのような事実をまとめて書きました。へん2さんは、この曲に特に思い入れが多いのでこのような寸評は許すことができないのですね。このエントリーに関しては、客観的な事実と推測から感想を組み立てています。その辺はご理解いただけるとありがたいのですが・・