四季折々 やぶさか真佐の吉野だより

世界遺産の地 吉野から怒れるおばちゃんの四季折々をお届けします。

カウラ捕虜収容所のこと

2009年07月21日 17時46分05秒 | Weblog
 昨日の奈良新聞を読んでいたら、『ただ死ぬための脱走』カウラ捕虜収容所の記事が心に突き刺さり、切り抜きました。オーストラリア南東部の小さなまちに捕虜の墓がたてられている。1944年8月5日、連合軍捕虜収容所から脱走した230名の日本兵士の墓。

 彼らは、死ぬとわかっていてなぜ、脱走したのか。記事によると食べるものにも遊ぶことにも何不自由なかったが、理由は二つ。「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓。捕虜になるくらいなら死ねとたたき込まれていた。捕虜になれば、内地の家族が村八分になる。だから本名や所属を偽った。
 もう一つは、「それでも日本人か」と言われ、「死を前提の脱走」に参加せざるを得なかった。

 「日本軍に捕虜は存在しない」戦時中、日本政府は事件を無視し、戦後も遺骨引き取りに後ろ向き。偽名では靖国神社にまつれない。偽名があるから無名戦士の墓苑にも祀ってもらえない。戦争の犠牲者は、国家によって2度殺されているのです。

 実は、英霊とは何かと言うことをずっと調べていたところだったのです。
 英霊 ウィキペディアの解釈が興味深く、広辞苑ではわからない論争になっている点まで踏み込んでいます。

 初めて知ったこと。
・神道の霊魂観では、「祖霊信仰」は存在するが、「英霊」という概念は存在しなかつた。
・「英霊」とは顕彰される者であり、『天皇のために死んだ』と言う事実が顕彰されるのであって戦後の天皇は、絶対神を否定したから絶対的神である天皇がいなくなった戦後は、彼らの死は鎮魂されるべきものとなる。

 ふううん。そういう考え方もあるのかと感心。もう一つ、
・戦後、仏教関係者の中で、仏教とは相容れない「霊」を祀り、英霊思想に従属した事への反省も生まれていると書かれていた。なるほど。
 合祀反対の裁判のことが頭をよぎります。キリスト者立ちも靖国を望まなかった。仏教者だって、靖国を望んだかどうか。

 見捨てられたカウラの230名。「虜囚は恥ではない」と生きる力を与えてくれた現地の女性。墓地を守り続けてくれたオーストラリアの元兵士達。


 つくづく、「戦争はダメ」「洗脳教育ほど、こわいものはない」と思います。今、北朝鮮を見ていて、むちゃくちゃだけれどあらゆる努力で話し合うことしかないと思います。「北朝鮮のミサイルから日本を守る」と言いつつ、戦争をしたがる人たちに国民が流されることがこわい。かつて日本は、「アジアの平和を守る」と言いつつ、無謀で残虐な太平洋戦争に突入したのだから。今、日本人は、マスコミに洗脳されつつあります。多様な価値観や政治観が存在するのに、「郵政民営化が日本の国を救う」というキャンペーンに踊らされたばかり。規制緩和、三位一体改革の名の下に日本人は、心も体もぼろぼろ。残酷な事件が日常茶飯事になってしまいました。人間らしさや農耕民族の助け合いというDNAを取り戻すためにも、冷静な賢い判断が求められています。