四季折々 やぶさか真佐の吉野だより

世界遺産の地 吉野から怒れるおばちゃんの四季折々をお届けします。

鮎釣り異変 清流吉野川が死んだなんて・・

2008年05月30日 01時17分46秒 | Weblog
 清流吉野川の鮎釣りが解禁になりました。でも、この写真を見て下さい。いつもなら、鮎より釣り人が多い位なのに、きょうは、はるか遠くにたった二人。(妹背大橋から下流)

 鮎が釣れない原因には、カワウの激増で放流した幼魚が食べられてしまうことや水質の異変で上質のこけが無くなり鮎が育たなくなったことなどがあげられています。

 28日の「吉野川を守る会」の席上、来賓挨拶で国中県議が「吉野川は死んでいると言ってもいい」「吉野川条例の制定を提案したが問題にならなかった」と言っておられました。吉野川は危機を迎えています。

 昨年度、水道水のカビ臭が発生しました。カビ臭の原因と言われる2-MIBの数値が6月時点で21ng/L (21ナノグラム 水質基準の10ナノグラムの倍)。コーヒーがまずくなり、香りがとても気になります。
何とかしなければと論議の結果、濾過器の耐久年数が残り3年ということもあって新しい濾過装置を約8500万円もかけて新設しました。今年は、カビ臭は、大丈夫だろうと思われます。これにかかる維持費が年間約400万円。隣の大淀町や下市町でも活性炭の使用などで苦労しておられます。

 「吉野川を守る会」の水質検査の中に2-MIBの項目がなかったので、「ぜひ、取り上げてほしい。また、2-MIBは川のよどみや水温上昇で発生しやすくなるので、根本的な解決のために県や国に声を上げてほしい」と言いたかったのに、発言するチャンスが見つからず、しゃんしゃんで終わってしまいました。自分のふがいなさに落ち込んでいます。

 高知県では、四万十川条例を作り、県をあげて日本最後の清流キャンペーンを張っています。研修に行ってきましたが、本当に美しい。河原や川縁の草木にゴミやレジ袋が見あたらないのです。
 住民の意識も高くて、おどろきました。本当の河川美化で飲み水を守る取り組みをしたいとつくづく思いながら、おいしい吉野の地酒で酔っぱらっています。

木曽町長のすてきな田舎に住んでみたい

2008年05月28日 00時38分25秒 | Weblog
 ひょんなことから、木曽町長の「すてきな田舎 元気なふる里」という本に出会い、はまってしまいました。合計6冊買って、共感してもらえそうな人に読んでもらうことにしました。とにかくおもしろい。町づくりにかける高い理想と志に感動しました。

 我が吉野町は、壬申の乱の出発地点であり、柿ノ本人麻呂の短歌がいくつも残されている文化と歴史の町です。でありながら・・・悲しいことに万葉の里・吉野離宮の遺跡の残る雅な里が、経済効率一辺倒のご時世に流されようとしているのです。

 木曽町は、「日本でもっとも美しい村連合」に加盟し、自治体(田中町長)が村作りの理念を掲げて様々な取り組みをしている。「町づくりは人づくり」というフレーズが何度も出てくる。共感。

 以前、テレビドラマ『海峡を渡るバイオリン』を見て、泣いたことがある。主人公の陳昌鉉氏が木曽で苦労しながら、東洋のストラディウ゛ァリウスといわれるバイオリンを作り出した。その陳先生を招いて、講演会をしている。また、木曽音楽祭は、33回を数えるというのです。すごいとしか言いようのない取り組みであり、文化水準の高さに目を見張ります。

 万葉のふるさと・後醍醐天皇の南朝の悲史ののこる吉野町。歴史や文化を大切にすることで心が豊かになる。マルクスが「すべての人類の文化遺産を次世代に引き継ぐ」ことの意義を述べていましたが、「ペイしないから歴史資料館を売り払え」と言う人たちのやせ衰えた心のありように何とか一石を投じたいというのが今の切なる願いです。

蟹工船と若者たち

2008年05月17日 23時29分06秒 | Weblog
  今、「蟹工船」(1929年 小林多喜二作)が若者たちにブレークしているとか・・。驚きです。こんなにむつかしい本が・・。作者は、ばりばりの共産党員で、戦時中に特高警察の過酷な拷問により殺されてしまったのです。
 「蟹工船」は北洋で捕った蟹を船内で缶詰にする漁船兼工場船です。過酷な搾取と労働、生命より船を大切にする資本主義の在り方が、今のワーキングプアの状態の若者たちに共感されているのでしょうね。
 
学生時代に読みましたが、つらすぎて胸が苦しく、読みかねた1冊です。今、読み直してみると、使い捨ての労働者の様子や資本家が利潤のみ追求するために「日本帝国のために命をかけて食料の確保を・・」と詭弁を弄する事態など現代の日本の状況とそっくりです。小林多喜二のすごさにびっくり。

 私たち団塊の世代は「金のたまご」ともてはやされ、こんなに過酷な状況とは一線を画した人生を生きてきました。

 若者たち、自分たちの力で格差社会を打破しようよ、自分たちの幸せをつかめる社会を作ろうよ、それが実現できる時代に生きているんだからと呼びかけたい。「希望を捨てないで」「死なないで」おばさんの切なる願いです。

 
 画像が文章とあっていない。その通りです。今夜のナマウマ1(ナマくらさんのうまい料理一品)を紹介します。椎茸のナマウマ。
 
 レシピは、しいたけのいしづきをとり、足の部分に切れ目を入れます。
 マヨネーズと醤油あるいは白だしを混ぜ合わせて、ひっくり返した傘の部分に垂らします。
 オーブントースターで約10分。焦げ始めたらできあがり。青のりをふりかけてもおいしい。吉野は椎茸の産地です。付け合わせは、畑の大根葉。からしマヨネーズでどうぞ。では、お休みなさい。
  

宇宙基本法って?

2008年05月12日 23時53分26秒 | Weblog
先日の新聞赤旗に「破壊された軍事衛星の破片が地球を回っている」との雑誌記事の紹介が載っていました。
 米国が2月に、制御不能となった自国の軍事衛星をミサイルで撃墜。
 撃墜により破片は3000個以上ばらまかれ、ほとんどが大気圏に突入、燃え尽きる。しかし、問題はここから。まだ、本体と数十の破片が地球を回っているそうです。『天文ガイド』5.6月号
 『日経サイエンス』6月号の紹介も出ていました。愚かな宇宙軍拡競争という題名で、「破片がたとえ小さくても秒速数キロメートルなので衛星や有人宇宙船に損害を与える・・」「米国の宇宙政策などで宇宙軍拡の動きが加速しそう」「軍拡競争が始まれば世界的紛争の危険が高まる」「宇宙開発国にとって唯一の思慮深い行動とは宇宙軍拡競争を防ぐ道を模索することだろう」と指摘。
 科学者とは危険な発明もするけれど、的確な未来への提言もするのだと感心していました。
 9日、いきなり「宇宙基本法案採決」・・・これは、「ミサイル防衛など」宇宙の軍事利用に道を開くものです。
 1969年に国会決議で「宇宙開発は平和目的に限る」(非軍事)として、日本は「かぐや」「はやぶさ」などで国際的にも大きく貢献してきたのに、この法案が通ったことで宇宙の軍事利用が始まり、情報の適切管理の名の下にベールに覆われてしまいます。しかも、莫大な国民の税金を使って。
 こんな恐ろしいことが、マスコミでほとんど話題にならない。ロシア並みに情報が管理され、国民に不利なものは意図的に隠されているとしか考えられません。国民の未来に関わる大切な情報をもっとマスコミは取り上げてほしい。でないと、多数の国民が知らない間に、海外での戦争への備えができあがってしまうのです。
 宇宙ステーションでの土井さんの活躍に、子供たちだけでなく多くの人が宇宙へのロマンをかき立てられました。輝く星々が平和の象徴であってほしい。彗星大好き人間としては、多くの人が平和な日本のために声を上げてほしいと願わずにはいられません。

吉野離宮と宮滝

2008年05月09日 13時05分14秒 | Weblog
 朝日の中の宮滝・100文岩です。今は渇水期で吉野川の水量も少なく、毎年若者が何人も飛び込んで命を落とす場所とは思えません。川上の材木を筏(いかだ)に組んで流し、和歌山に運んでいた頃、水路が狭く急流で筏が激突し、筏師さんが命を落としました。川上村の土倉庄三郎さんが大金を出して川幅を広げ、岩に「南無阿弥陀仏」と刻みました。風化が激しくほとんど読めませんが吉野の歴史を語る貴重な場所です。
 この風景のすぐ下流側に吉野離宮がありました。「壬申の乱のスタート地点」といわれています。672年、大海人王子(後の天武天皇)と宇野皇女が6月24日に出発。津振川から宇田を経て行ったのですがあまりにも速かったので、ルートを実地に探索する取り組みが何度か行われていました。乱後、天武天皇は飛鳥浄見原から何度かこの地に来ている。持統天皇は、32回も行幸したと記録が残っています。神聖な吉野の地へ足を運んだ目的は何か?と推測するのも楽しいですね。
 様々な歴史遺産や風景がありながら、町おこしに生かし切れていないのが吉野の現実です。過疎化がどんどんすすみ、空き家がいっぱい。最近やっと、空き家バンクという形で町の皆さんに利用していただくという動きが出てきました。売り家も次々出ています。みなさん、どうぞ吉野の地に終の棲家を求めて下さい。お待ちしています。

今日は憲法記念日です。

2008年05月03日 11時44分36秒 | Weblog
いただきもののフリージアが部屋いっぱいに甘い香りを漂わせ、しかも上天気でとてもハッピーな朝です。
 今日は憲法記念日。戦前の暗い時代を経験した日本人たちの英知が詰まった日本国憲法を喜び合う日です。「アメリカの押しつけ憲法」という人たちがいます。何という無知。あるいは、事実をねじ曲げて平和憲法を破壊し、戦争で金儲けをしようという意図が見え見えです。
 映画「日本の青空」の鈴木安蔵さんだけでなく平和や人権を希求した先達はたくさんいるのです。「橋のない川」の作者住井すえさんの講演をお聞きした時、「憲法制定の時意見を求められ、女性を奴隷的に縛る家父長制度の廃止や人権の向上を求め続けた。ほとんどが盛り込まれたが、天皇制の廃止だけは却下された。」と、おっしゃっていました。
 今朝の新聞赤旗に「自衛隊のイラク派兵違憲の判決確定」という記事が載っていました。また、判決は、憲法の平和的生存権をすべての基本的人権の基礎と位置づけました。すばらしい判決です。
 私の先輩で、とても口数の少ない男性がいました。まじめで誠実ないい人なのにお酒が入ると荒れるのです。「酒癖の悪い人」とみんなが思っていました。晩年は、敬虔な仏教徒としていきられたのですが、彼の死後、「中国へ出兵中、残虐な皆殺し作戦に加わったことで一生自分を責め続けていた」というお話を聞いて胸が痛くなりました。人殺しはだめ。どんな理屈をつけようと戦争は大量殺人です。子供や孫たちを戦場に送らないためにがんばる。私の生涯の目標です。
 ついでに、その記事の下に青ばかりの美しいコイのぼりの写真・・ではなくて「カツオのぼり」でした。高知県黒潮町だそうです。行ってみたい。  

現代のロミオとジュリエットたちは?

2008年05月01日 10時18分23秒 | Weblog
 朝日に輝く妹背山。左のまろやかなのが妹山。右のとがったのが背山。吉野川を挟んで向かい合っています。吉野町上市で撮影。
 江戸の昔、妹背山婦庭訓「いもせやまおんなていきん」という題目で人形浄瑠璃が上演されました。妹背とは、恋人や夫婦のこと。長いので前後は省略しますが、妹山にすむひな鳥と背山に住む久我之助は、恋人同士。でも、親同士は領地争いの最中。吉野川の急流が二人を離しており、会うことさえままならない。もっとひどいことに蘇我入鹿がひな鳥を妾によこせというのです。この後の残虐ともいえる二人の別れ・・・。続きは、またのお楽しみ。
 今朝の新聞赤旗の「潮流」欄に「男子は貨幣の奴隷であり、女子は男子と家族の奴隷であって、奴隷たることは同じです」という与謝野晶子の文章が引用されていました。最近の出会い系サイトから始まる残虐な事件。胸ときめかす出会いが監禁、拉致、レイプ、殺人と続くのですが、若い女性たちにはこの流れが認識されていない危うさを実感します。本来、男女の出会いで恋が始まり、伴侶となるべきひとと恋の悩みや苦しみを共感しあって人間として成長するのが望ましいのに、 実社会はあまりにもかけ離れています。安定した仕事に就けない、働く喜びには遠い過酷な労働の現場・・。企業は設け第一で完全な貨幣の奴隷となり、希望に燃えた若い労働者を使い捨てにしています。事件の犯人たちに20代や30代の人たちで無職が多いのも、現代を反映しているように思えます。生き生きと仕事ができる職場で健全な男女の出会いが未来の日本を支えてくれる。今日はメーデー。ぜひ、よき出会いを。わたしは、これからお寺の手伝いに出かけます。