9日、「人権と防災講演会」がありました。オープニングの初瀬太鼓でウルウル。発達障害の子供達ののびのびした演奏、途中で走り出した子・・・。A君の小学校1年生入学の頃を思い出しました。人権とは、どんな環境でも支援があれば人間は「その人らしく生きられる」事を保障するものだと思います。弱者を切り捨てないで普通に暮らせることが、すべての人の安心な社会を保障する礎です。
サクランボ手話教室の「花は咲く」も感動しました。手話で会話される方も参加しておられて、すごいと思ったものの私には難しすぎてできないと言うのが、とてもはがゆい。小学生達に「手話クラブ」を立ち上げたけれど、落ちこぼれたのが私。ぜひ、記憶力も感受性もみずみずしい子ども時代に手話を獲得してほしいと思う。私は、口述速記をマスターしたい。
最後に「地球が動いた日」(アニメ)を見て、涙涙。人生観に関わるものだな。阪神・淡路大震災の記録なのに、ひしひしと迫ってきます。優れた文化をもっと拡げたい、子どもたちにもぜひ、みてほしい。
今日は、文教委員長最後の仕事、『福祉活動計画策定』の最終回。さまざまな意見が出て、中身が深められた。でも、実現困難なテーマも多くあり、今後の行動計画の建て方が難しいと思う。参加委員が積極的で、さまざまな角度から問題点が指摘された。みんな、「絵に描いた餅にしたくない。役に立つ計画を立てたい」との思いが強い。先週の障害者基本計画も議論が大切にされた。
二つに共通して感じたことは、『パブリックコメントの少なさ』 募集してもなかなか集まらない。内容が難しすぎる。役場に行っても長すぎて読み切れない。もっと方法を考えないと形式的なものだけで町民のものにならない。海士町の町づくりの手法がすばらしい。基本的なことから見直す時代が来ている。
気になったこと、いつも会議の後、「長時間有難う御座いました。」という挨拶がある。2時間ちょっとが長いとは思えない。あて職で有りながら、むしろ、充実した会議をしたいと思って下さる委員さんばかりだから、委員さんの力をお借りすべきだと思う。
1ヶ月以上も咲き続けるアネモネ。暖かくなったのでそろそろ散りそう。寒い冬、よく咲いてくれました。ありがとう。
私は、必死でがんばった選挙だったのだけれど、笑える話が・・・。やぶさか・まさを知ってもらうために、早朝、吉ストの反対側で「行ってらっしゃいコール」しました。終わった後、『まさか候補者とは思わなかった。バスを待つおばさんかと思った。』 ウーン、わかってくれた人もいるのだけれど・・・残念。
祝当選のはがきをもらいました。『あなたの4年間の舌動が評価され』 確かにこの4年間、舌はよく動いたなあ。その後、電話で「さんずいヘンを間違えて、ホワイトで消して乾かしている間に家人がポストへ。ごめんなさい」「ところで何ヘンだったのですか?」「ごんべん」アハハ、話動でも良かったかもしれない。楽しいおまけ付きの日々でした。
大雪の中の町議選が終わりました。初日から5日間、毎日雪やみぞれ。無風と言われながら1人はみだしの厳しい選挙戦でした。みなさんの雪かきご苦労のおかげで、子守や殿川は行けたのですが、三津は、ポスター掲示板から先は、スリップで上ることができませんでした。ごめんなさい。せっかく雪かきして下さったのに 車が・・。
今回の選挙で痛感したのは、1票の意味の深さ。あちこちで手を合わせて「お願いします。」と言われ、とまどいました。私がお願いにきたのに・・。また、雪の中、ふるえながら演説を聴いて下さった方達の手の冷たさと気持ちの温かさに泣きました。物陰から手を振って下さった方、待っていて下さった方、「近所に他の候補者の親戚がいるけれど、もう、やぶさかと書いてきたよ」とこっそり告げて下さった方、本当に心にしみる選挙で、忍者のごとく密やかにみなさんと握手させていただきました。「小学生の孫がやぶさかに投票すると言うので、まだ、選挙権がないから無理と言うと小学生代表で投票すると言っていました」との話にも泣きました。人の誠に触れた日々でした。
選挙が終わった日は、ちょうど、氏神さんの春の祈年祭。祝詞の中の「悪しき風荒ぶる・・から飯貝の民を守り、商いや業のますます栄えン事・・はらひたまへ、きよめたまへ・・」何度も聞いているのに じーんときました。私の政策の根底そのもので、町民の皆様を守る一石になりたいとつくづく思いました。人生の新しい1ページが開かれました。みなさんからのご要望、さっそく役場に行ってきました。元気にこつこつがんばります。
友人が「母がおからを炊いたので、持って行くよ」と言うことで、美味しいおからの煮物をいただきました。椎茸が美味しい。人参、こんにゃく、ヒラメのスープでお出しを取ったとか。さっぱり上品な味でした。
私が小学校6年生で初めて学校給食があった時、『献立表』に「うの花煮」と言うのがありました。どんなものかわからず、みんなでわくわくその日を待ちました。当番だった私は、フリルのついた白いエプロンで颯爽と給食室へ。途中の長い廊下でこっそりと食缶のふたを開けてみると、食べ飽きるほど日常的に食べさせられていたおからが・・。意味がわからず教室に持って行ったのですが、クラスのみんなの悲鳴にも近い「エエーーッ」という声が忘れられません。
ソーセージやコロッケになじんでいた私たち世代は、うの花という古風なネーミングに夢を膨らませ過ぎたのです。おからを食べるたびに思い出す出来事です。
龍門街道から見える夕日が余りに美しいので写真を撮っていました。
通りがかりの知り合いの方が、わざわざUターンして「何してるの?」「夕日が余りに美しいから・・。どこへお出かけ?」「墓の掃除に。墓道に毎日のように杉ん葉が落ちる。葉の油で滑りやすく危ないから、掃除に行ってきた」すごい。誰もいない時間を見計らって、人の役に立つことをする。すごいボランティアに感激しました。
私のちょっと上の世代って、お墓やご先祖様や村の共有地をとても大切に思っておられる。ひたすら都会に憧れたベビーブームの私たち団塊世代との違いを実感。隠れた善意の人達がいっぱい居られる。昨年の文化の日の表彰でも、ずっと桜木神社周辺の掃除をして下さった方が表彰された。優れた人材が吉野町の財産だと実感したひとときでした。
橿原のお寺で、すてきな言葉を見付けました。『今日という日は、生きられなかった人達の 今日である』
しみじみと生きられなかった人達のことを思いました。命を粗末にしないで、させないで。大災害からも命を守りたいと思います。
生活相談をされた方と話していて、「死のうと思った。車に乗って山の上から谷へ飛び込もうとしたけれどブレーキを踏んでいた」と言われ、「何か引き留めてくれる大きな力があったんだと思う。生きてるからこそ、こうやって楽しい話ができるよね」しみじみ話しました。生きてるだけで人と人がつながり心通わせられる。幸せだと思います。生きられなかった人の今日を生かされていることに感謝。
先輩にもらった陶器の花時計、友人の試作のコーヒーカップ、そこへ活けてある年末にもらった千両。わたしの『ほっこり空間』です。