水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

頭の休息

2008-01-02 23:31:58 | Weblog
娘が6時半に起きてきた。眠たそうな「おはよう」だが、今日は福袋(娘が企画したモノも含まれている)の勝負の日だ。家人は孫達を連れて日帰りのバス旅行で「駿河湾クルーズ、沼津の鮨、いちご狩り」などがパックされているようだ。 8時からはテレビで「箱根駅伝」を観る。このレースの愉しみの1ツに、頭の休息がある。六郷橋、鶴見、権太坂、戸塚、平塚、茅ヶ崎、大磯、小田原、箱根。いろいろな想い出でのある場所で、普段はあまり想い起こすことのない、あの日、あの人が脳裡に甦る(むろん故人ばかりではなく、子供達が幼かった頃の家族旅行だって懐かしい)。 ソレが、静かな音楽を聴くのに似て、頭の休息になる(キザな書き方になったが、正直なところだ)。 レースでは、2人のアフリカ人留学生(ケニアかな?)の快走が光り、順天堂大学の棄権というドラマがあり、往路は早稲田大学が勝った。午後からは大学ラグビー選手権で、慶明戦では「どうせあかんやろ」と思っていた慶應が勝ち、次の試合で、帝京大学に勝った早稲田と12日に決勝で当たるのだが、この顔合わせが39年ぶりとは知らなんだ。 とにかく、今日(1月2日)は頭の休息日だった。 株と競馬が始まる前の、いい休み時間になった。晩酌は、『菊正宗』の樽酒と、いつものバーボン水割り。ツマミは、説明しようのない多国籍アレコレ料理で、正月の2日の夜ともなると、どこのお宅でも御同様ではないだろうか。でも、ローストビーフと柿ナマスが、焼豚とブロッコリーサラダが、仲良く酒肴になってくれるのが嬉しい。

喋る

2008-01-02 23:22:35 | Weblog
「君は普通の人が60年かけて喋る分を、もう喋ったのではないか」と、会社の上司に言われたことがあって、それは30歳を少し過ぎた頃だったから、ま、人の2倍というような意味だったろうか。私は、「喋る」に関しては、次のように考えている。まず、所謂「寡黙な人」「言葉の少ない人」が全体の3割ほどいるのではないか。更に残りの7人のうち、「自分が得意な分野にだけ多弁」なのが2人、更に「その場面(たとえば異性の前では妙に躁状態になる)」のが2人で、つまり「何事であれ、ちょっと興味があれば、その話に加わっていく」のが3人いて、私は自分をその「3人」に属すると思っている。 と、ここまで読んで、「同じだ」と手を挙げてくださった方々に、「喋ることが1ツの健康法になっていませんか?」と問えば、これはもう間違いなく「諾(Yes)」の答えをいただけるだろう。そうなのだ、私達「10人の中の3人の喋り人間」にとって、喋るのは大事な健康法の1ツなのだ。 まぁ、おしゃべり人間の自己弁護ではあるが、喋りたいときに喋るのは健康にいい。その代わり、下品な喋りはしないことを胆に銘じておかねばならぬ。下品とはもちろん下ネタのことではなく、たとえば昨今の『吉兆』問題のときの、あの老女社長の、息子へのセリフ教えの場だ。あの老女は、間違いなくおしゃべり婆さんであり、自分の得意な場面では人を押しのけるタイプであり、『女性の品格』の坂東真理氏はあのシーンをどう見ただろうか?