水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

3月29日

2009-03-30 07:00:05 | Weblog
家人の誕生日。上の娘は休日出勤で、下の娘と2にで七里ガ浜の伊太利亜レストランのランチに出かけたが、海の見えるいい場所にあるので満員だったそうだ。孫達が一緒だといいのだが、姉の方はソフトボール、弟の方は野球と、それぞれに忙しいらしい。 センバツでプロ注目の左腕「花巻東」の菊池雄星投手を観た。12個の三振を取ったが、9安打は打たれすぎで、それでも完封した。この投手の課題はスタミナで、大会が終わればすぐに走りこみの日々になるだろう。 何年(5年以上)ぶりで従妹(父の弟の娘9から電話があった。私のような年齢になると、久々の電話をもらうときは、その大半が訃報だから、ついアレコレ(従妹の母親は84歳になるし)の顔を思い浮かべてしまうが、そういう話ではなく、ほっとした。 競馬は高松宮記念で、スポニチ小田記者の推すトウショウカレッジ(10番人気)から穴狙いのバラ買いしたが、結果は4着。 優勝馬を逃げきらせた藤田伸二の騎乗が実に見事だった。  株式市場が少し好くなってきた。というより、これ以上の落ち込みはないのではないかという気がしてきた。オバマ大統領は、株は今が買い時かもしれないと言った。こういうとき、麻生さん(あるいは与謝野さん)に元気を出すコメントが欲しい、ハッタリでもいいから、元気のいいコメントが欲しい。ソレが政治家の役目でもあるのではないか。 明日は恋人(麻酔注射)に会える日。昨年の今日は、その恋人の存在を知らなかったと思うと、ありがたいことだ。

離婚

2009-03-28 01:30:44 | Weblog
人気テレビドラマ『相棒』の鑑識役で好演した六角精児さんが28日公開の映画『米沢守の事件簿』では主役を務めていて、今日は『徹子の部屋』に出演していた。 『相棒』でも女房に逃げられた男の設定だが、実生活でも3度の結婚、3度の離婚を経験しているそうだ。3度目の奥さんは5年前に子供が生まれて間もないある日、「実家に帰る」と言って子供を連れて出て行き、そのまま帰って来ないという。そんな話を淡々と(あるいは何かを超越したように)話す六角さんも、子供のことになると「時々会うと、パパと呼んでくれます」と嬉しそうだった。でも、こんな好人物そうな男性にも(女房から見れば)どこか重大な欠点があるのかなというのが私の感想だった。 「この2人は合わないわね」とは、藤原紀香さんと陣内某さんとの5億円結婚披露宴をテレビで観たときの家人の予言だった。 マスコミは格差結婚と評していたから、夫の方にコンプレックスが重なって、その辺から結婚生活が崩れていくというヨミだったのであろうが、それは的中した。陣内さんの浮気と暴力は、病気(たとえば酒乱)でもない限り、コンプレックスから発したものだろう。 離婚理由のトップはいつも「性格の不一致」であるが、それは「結婚前にはわからなかった」ことなのだろうか。私の友人、知人にも何人かの離婚経験者がいるが、その理由は、性格の不一致よりも、どうしても許せないことが起きた場合がほとんどだ。いや、六角さんみたいな重い経験を持たぬ私に、多くを語る資格はない。しゃべりすぎました。

ファウル

2009-03-28 01:21:11 | Weblog
昭和34年6月の、いわゆる天覧試合は、巨人の長嶋茂雄選手のサヨナラ本リウだというドラマで結着する。打たれたのは阪神の村山実投手だが、彼はずっと、「あれはファウルだった」と言い続けていたそうだ。試合中、タイガースはそのことを審判に抗議していない。 むろん、天皇陛下の目の前では審判と争うことは出来なかっただろう。しかし、村山投手以外にもファウルを証言する人がいて、その1人がA氏だ。A氏はある同好会で知り合った先輩で、ITバブルの頃によく株のことを教わった。そして、その先輩はサヨナラ本塁打を、その打球が飛んできたレフトスタンドで観ていたのである。私は村山投手の肩をもつのではない。そうではなくて、長嶋さんの持っている運、村山さんの持っている運を思うのだ。 同点の9回裏、2死満塁で打者のカウント2-3という場面で、フルスウィングした打球がバックネットへのファウルになる。オーッ!というような歓声があがり、瞬間、ほっとしたような空気が流れる。私はあの刻が好きだ。野球というゲームに、ファウルというルールがあってよかったという感じになる。ファウルが作る間(ま)の価値を思う。  WBCの決勝戦の、あのイチローのV打の場面。私は第一ストライクが勝負と見ていた。そこでヒットが打てるような気がした。ところが、イチローはファウルを続ける。ファウルを続けているうちに東急にタイミングが合ってくることは、50年前に草野球の強打者だった私にもわかるが、イチローのファウルでの粘り方には、それが感じられなかった。しかし、ああまた延長かと思った瞬間に、天才打者の振ったバットは、韓国チームの投手の球を、きれいに弾き返していた。記者達がイチロー選手に、あの「ヒットを打つ前のファウルのこと」を訊かなかったのはなぜか? イチロー君なら、「あ、あれですか、大事な時間でしたよ」と答えたと思うのだが。

雨のち晴れ

2009-03-26 00:25:51 | Weblog
トントンと肩口を叩かれて目を覚ますと、蒲団屋の親父さんの笑顔があって、「そろそろ起きませんか?パレードが始まりますよ」と言った。昭和34年4月10の朝だった。前日のバイト帰りに三軒茶屋の雀荘に寄り、同じ卓を囲んだ蒲団屋の主人に誘われて、場所を移しての徹夜麻雀になったのだった。メンバーに2人の余裕があって、交代で眠っているうちに朝になった。寝不足の目に陽光が眩しかった。蒲団屋の奥さんが作ってくださった朝食は、冷酒と海苔巻きだった。誰もがテレビに注目していた。皇太子殿下と美智子妃殿下のパレードの開始を待ち構えていた。「晴れてよかったなぁ」と誰かが言い、全員が頷いた。昨日の夕方三軒茶屋で麻雀を打っていた頃は大雨だったのだ。  昭和39年10月10日は土曜日で、私の勤務先は休みではなかった。会社にテレビは無いが、私は購買課にいたので、仕事の口実を作って(外注先へ行って)開会式を観ることはできた。「でも晴れてよかったですねぇ」、トイメンの女子社員が嬉しそうに言った。東京オリンピックの第1日、前日の雨がウソのように晴れた。結局、私は開会式をライヴで観ることはしなかった。 皇太子御成婚、東京五輪に較べるとケチな話だが、昭和52年3月23日の朝は、前日からの雨が残っていた。横浜の西端にある公団住宅から鎌倉へ引っ越す日である。天気予報では、雨は朝のうちにあがるとあって、運送屋さんには、「少し待ってもらうこともあるかも知れぬが、今日中に~」と頼んでいて、その人達も8時頃には到着していた。 雨がやんだのが9時半頃で、それがすぐに快晴に変わった。そのとき私が思い出したのが(前記の)歴史的な日のことだった。鎌倉の新居に着いて最初に目に入ったのが、可愛らしい小さな花だった。「これ、何?」と私が訊いて、「サルスベリよ」と家人が答えた。それから、もう32年が過ぎた。

奇妙なオシャレ

2009-03-25 00:50:59 | Weblog
「それ、何をやっているんだ?」、不思議そうな顔で祖父が訊いた。不思議に思うのも無理はなく、そのとき私は学生帽を5円カミソリで剃っていて、それは帽子に脂を塗ってテカテカにするための舌準備だった。1年間だけ在籍した茨城の県立高校では学帽に脂を塗る習慣はなかったが、2年になるとき編入学した都会の私立高校ではテカテカ帽が多く、それが実にカッコよく見えたのだ。「なんで、そんなことをするんだ?」、祖父の理解は得られそうになく、まさか「オシャレですよ」ともいえず、「流行ですよ」と答えると、「ふーん、奇妙な流行があるんだなぁ」と笑った。 なぜ、プロ野球選手の大半がユニフォームのズボンの裾をだらんと長くして、スパイクの上に掛かるようなサイズなのかがわからない。あれをカッコイイと思うなら、服装センスは最悪と言わざるを得ぬ。しkさい、イチローはさすがで、きちんとストッキングが見えるようなオーソドックスな姿だ。そして、きょうはWBCの決勝戦の決勝打。もう一度、「さすがイチロー!」である。 「ちょっと、あの男の子、見て」、家人が指をさす方向を見ると、高校生ぐらいの男の子が2人歩いていて、2人とも耳に何かぶら下げている。クルマの中から瞬間的に見ただけだが、いかにも奇妙な感じがした。石原慎太郎氏が「弟(裕次郎)は、高校生がピアスをするような時代まで生きていなくてよかったと思っているのではないか」と語っていたのを思い出す。センバツで優勝候補№1の慶應が初戦敗退した。22日のこのブログに書いたとおりの不安が的中した。まだ夏があるが、昨年のチームに較べると明るさが足りないのが気にかかる。