水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

立ち食い、立ち呑み

2009-09-30 23:31:51 | Weblog
冷たい牛乳が飲めなくなった(飲むと腹具合が悪くなる)のは30歳に近くなってからだったと思うが、学生時代は駅売りの角瓶牛乳を飲んでいた。普通の丸瓶は10円だったが角瓶は15円で、その分、ちょっと生クリームを足したような濃さがあって旨かった。牛乳がダメになってからは宿酔いの朝などは、パンピーというオレンジジースを飲んだ。現在でも角牛乳、パンピーは駅の売店に並んでいるのだろうか。 大船駅の立ち食いそばも宿酔い用だった。家の朝食(米飯、味噌汁プラスα)は、前夜の飲みすぎの体には重かったが、そばはスルスルと喉を通った。 「二級酒を1杯ください」、バイトの帰りに玉電の若林駅で降り、すぐ目の前の酒店で、立ち呑みの酒を味わった。 家に帰れば買い置きの酒があるのだが、その立ち呑みの1杯が、「きょうも1日、ご苦労さん」の感じがあって旨かった。前にも書いたが、バイト時代の私は普通の会社の正社員よりも、かなり多い収入を得ていたが、「そろそろちゃんとした仕事に就いて、結婚して~」と考えていた。 1杯の二級酒を呑んで家へ帰る(15分ほどの)道を歩きながら考えていた。 鮨店がある。焼き鳥店もある。たしかそば屋もあったかな。あとはより取りのご馳走が選ぶといった農協(JA)のパーティに参加したことがあるが、立食パーティというのは、とにかく騒然となるもので、50人が参加して、あっちに5人、こっちに4人と雑談しているのだが、全体的にはワイワイ、ゴソゴソの音になる。反対に言えば、それが立食ではなく卓食であれば、そういう雑音は起こらないだろう。あれ、どうしてなのか。立ち食い、立ち呑みの機会は滅多にないから、みんな元気になるのかな。

煮込み

2009-09-29 00:26:03 | Weblog
家人が久しぶりに、豚モツとコンニャクの煮込みを作った。 昭和63年の秋から翌年(平成元年)の初夏にかけて、我が家の裏山に、落石防止工事が行われた。その作業員の1人だったAさんは60歳前後、軍隊での思い出話(戦地では何でも食べたが、イタチだけは食べられなかったというような)も面白かった。そのAさんが冬の或る日、大きな鍋に煮込みを作ってきて、みんなに振る舞った。「何かドンブリでもありますか?」と玄関から入って来て、我が家も御相伴に預かったが、これが旨かった。家人が留守だったので私が調理法を教わった。 モツは上モツを買うこと。茹でていないものは茹でる。まず、水、酒、みりんで60分間煮る。次にネギの青い部分と薄切りのショウガを入れて、味噌(2種類使う)で味付けして60分間煮る。次に青ネギを取り出して、更に60分間煮る、という手順で、腰痛になる前は私が作っていた。  昔、蒲田に「田吾作」という名物煮込の店があった。抜群の味だった。前述の調理法は3時間だが、「田吾作」は寝ている間も火を落とさないのではないかと思えるほどに、上等のビーフシチューの肉塊のように柔らかだった。  家庭では土鍋で作るのがベストであり、ラストの60分に、焼き豆腐を入れるのも旨い。何はともあれ、モツ煮込みは庶民的であるのがいい。 キザミ葱と七色唐辛子は多めの方がいい。阿久悠さんは、「焙った烏賊には ぬるめの燗がいい」と書いたが、モツに混みは(いまコレを書きながら私が呑んでいる)中級スコッチの水割りにも充分に合う。

9月27日

2009-09-28 00:14:35 | Weblog
次の日曜日に「両親をデパートに連れて行って、何かプレゼントしよう」「子供達を遊園地で遊ばせてやろう」「久々に女房と2人でレストランで夕食をとろう」とい思い立ち、それぞれと約束してしまったが、果たしてすべて実現できるだろうか・・・。子供手当、高校無料化、ガソリンの暫定税率廃止等は、かなりキツイ約束ではないのか。 競馬は昨日準メインの「ながつきステークス」で3連複(配当34,5倍)を当てているので、今日も、いかにも堅そうなメインを避けて、準メインの茨城新聞杯で中穴狙い。 馬連で26.6倍を的中したが、土日連勝は5週間ぶりで気分がよく、秋のGⅠシリーズに、向けて弾みがつく。 大相撲の、本割での白鵬の圧勝は凄かった。しかし2連勝(優勝決定戦)は?だった。 言い方は悪いが、もし金を賭けるなら、朝青龍に1万円とするのがスジだと思った。自分の勝負のカンを自慢しているのでは決してない。そうではなくて、囲碁、将棋、オセロ、麻雀・・・なんでもいい、ウチの孫達にも「若いうちに勝ち負けのカンドコロ」を知って欲しいと思っている。勝ちばかりではない。この戦は負けだ・・・と、ヘタに粘らずに認める感覚も必要だろう。ま、いいか、今日はいい相撲を観た、いい日曜日。

ジャムパンとミルク

2009-09-27 00:43:37 | Weblog
パン屋さんが来たのは午後1時頃ではなかったか。「大変でしたね。この辺は特にひどいみたいで」と、パン屋の奥さんの言うとおりだと思った。我が家は世田谷の若林という集落の中で最も低い位置にあったし、更に裏庭の横を目黒川の支流が流れていた。「おいくらですか?」、叔母が訊くと、奥さんは「とんでもない!お見舞いですから」と手を左右に振った。頂戴した袋の中には何種類かのパンが入っていたが、憶えているのはジャムパンと冷たい牛乳の味だ。玄関に水が入ってきたのが昨日の午後6時で、それが床上に至り、ピークは9時頃で、水位は襖の取っ手スレスレまでに至った(この辺のことは前に詳述したので省略する)。水は襲撃も早いが退却も速い。立てかけておいても3分の1ほどは濡れてしまった畳を、なんとかつなぎ合わせて眠ったのは何時頃だったか、とにかくアルコールを呑み続けていたので、よくわからない。 その伊勢湾台風から今日で50年が経った。1ツの台風で5千人が死ぬなんてことは、よくはわからぬあ、世界的にも少ないのではないだろうか。私自身はまだ若かったから、恐怖も少なかったが、80歳を過ぎた祖父を充分に(風邪をひかせることもなく)守れたことを誇りに思っている。そして、あの日(正確には9月27日)のジャムパンと牛乳の味を、台風一過の眩しい陽光とともに懐かしく思い出す。

男尊女尊

2009-09-26 08:15:08 | Weblog
娘の職場での先輩A氏の奥さんは佐渡の出身だそうで、作動は男尊女卑の風土、幼いころからそれを見ているから、息子さんは大事にするが、娘さんは軽んじるようなところああると言う。むろん夫であるA氏は家の中ではドンとしていられるだろう。私にも2人の佐渡出身の女性戦友がいる。2人とも80点以上の美人だから男性社員の人気も高く、ごく当然のように社内結婚している。 戦友会には2人で連れ立ってくるが、どちらも「女権」の方が強いように見える。父方の祖父はワンマンだったし、祖母もすべて夫の機嫌に従っていた。しかし、その代わり(という表現が正しいと思う)祖母は自分の趣味(いろいろあるが、特にオシャレに熱心)に、せっせと金を使っていた(その遺産である和服や貴金属類が、戦後の我が家の台所を救うことになる)。 今風の言葉にすると、祖母は「これだけ夫に仕えているのだから、オシャレぐらいしなけりゃやってられないじゃん」という気分だったのだろうか。  我が家は「女権家族」だ。男は私1人であり、飼い猫もメスである。 但し、カカア天下でもない。「鳩山幸夫人は美人であるかどうか」「元日の夜の食卓はスキヤキがベスト」といったことは家人が決めるし、「インド洋の給油を続けるかどうか」は私が決めるから、つまり決定権の分立が出来ている。  この世のことの多くは女が決めているのだと思うし、それを「あなたのためよ」といわれれば、男は頷いて、その辺で「家庭という最小社会」も、それ以上も「中社会、大社会」も成り立っているのではないだろうか。