水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

制服

2007-03-27 01:24:10 | Weblog
4月から孫娘が中学生になる。オシャレし、関心が向く年頃だから、気に入る制服だといいのだが・・・。 お気に入りを着て3年間通学するのとそうでないのとでは大差であり、姿勢だって違ってくるだろう。 女学生が、ショボショボと老人みたいに歩いているのを見るのは淋しいものだ。 私の中学時代(昭和23年入学)は、制服が無かった。他の都市のことはわからぬが、私が住んでいた茨城の小都市の公立校には無かった。その話をしたら、孫娘が「?」という顔をしたので、その頃はみんなが同じ着衣をそろえるだけの豊かさ(布地やお金も)無かったと説明したが、理解できたかどうか。 制服がないとどうなるか。幸いにして、私の場合は、叔父が大学時代に着ていたモノや、その叔父が学徒出陣で海軍に入り、復員のときに持ち帰った軍服を改造して(町に、そういう仕事をする洋裁店もあった)、まぁ、なんとか恰好はつけたが、女生徒は大変だったろうと思う。高校2年になる春に東京に転居した。 女学生の制服のことだけで言うと、「右隣りの昭和女子大付属」と「左斜め前の都立駒場高校」と「左隣りの実践女学園」では(その子と、いちばん仲が良かったということを別にしても)、『実践』のセーラー服が優れていた。 通学コースのポイントは渋谷だったが、何と言っても目立ったのが『東京女学館』の、あのスカートの裾に白線の入ったデザインを思い出す。 『女学館』のお嬢さんと、お友達になったことはないが・・・。 と、最初は制服のアレコレを書こうと思っていたのに、いつの間にか、「女学校の制服の話」に終始してしまった。

奇策

2007-03-27 01:15:18 | Weblog
大相撲千秋楽の本割りの最後の一番で、朝青龍が千代大海を叩き込みで破り、同じ13勝2敗で並んだ白鵬との優勝決定戦で、今度は白鵬が同じ手で勝った。 つまり、2番続けて奇策が成功したことになるが、これについて、「横綱と大関の決定戦なのだから(変化技などを用いずに)堂々と戦って欲しかった」という意見が多いようだ。 しかし、それを言うのなら(前記の)朝青龍・千代大海の取り組みだって横綱大関戦である。つまり、私は「白鵬は、何がなんでも勝ちたかったのだ」と解したい。 優勝インタビューで「(変化技は)咄嗟に出た」と答えていたが、それは違うだろう。 誰が見たって、あれは「少なくとも1回目の仕切りに入る前から用意去れた策」に違いない。 私の異父弟(5年前に他界)は、「大相撲コレクター」として、少しは世に知られた人間で、相撲に関する著作もいくつかあるが、弟は、「この千秋楽」を、彼の地からどう見ただろうか。 弟は、「物の理を第一に考える」タイプだったが、同時に、「美」や「情」も愛した。 だから、私のように「叩き込みだって、スモウのヒトツ」とは割り切らないかも知れぬが、彼の地に届く「メール」は、まだない。

2007-03-24 22:00:31 | Weblog
上海株安に始まった世界同時株安の波も静まってきた月曜日(19日)、7,000円切って来た『信越化学工業』の株を買い増した。 寄り付きで買ったのが正解で、すぐに7,000円を回復し、翌日とあわせて300円ほど上昇した。 証券会社の担当者から電話があって、「うまくいきましたね」「うん、これで高松宮記念(25日に行われる競馬のG1レース)も当たるだろう」などと笑っていたのが午後3時半ごろだったが、5時のニュースが「信越化学直江津工場で爆発事故」と伝えて、笑いが消えた。 水曜は休日で、情報は新聞、テレビしかないが、「爆発の原因は薬品製造のときに用いられるセルロースで、信越化学の主力製品、生産再開の見込み立たず」と来た。 当然に翌日(木曜)の寄り付きからウリ気配で始まり、よくて5%、悪くすると木・金で1,000円近く下げると思ったので、そのことを家人に話した。 株の売買に関して家人に相談するということはないが今回は、神経の太さが私の数倍はある家人の「あら、残念ね」という気楽なセリフを聞きたかった。 そして、木曜の朝が来た。シンドイけれど、テレビの株価情報を観る。 「信越化学 ウリ」の文字が15分続くか30分続くか・・・しかるに、速報は1分後に「信越化学 -20」と伝えた。まさに「?」である。 「助かった、よかった」もあるが、(これだけの悪材料が出たのに)なぜ?と不思議だった。 しかも、これはもう驚くべしと言うほかはないが、その日の大引けは70円高だったのである(結果として、23日の週末価は7,240円)。 「株はわからない」とは誰もが言うし、その通りだと思う。 しかし、今回のような経験(悪材料が出たのに、株価がネガティブに反応しない)は、希少である。 こういうとき、運気は続伸するのか反落するのか、明日の「高松宮記念」は、1・8・11 を狙っているのだが・・・・・・。

都知事選

2007-03-24 18:19:35 | Weblog
安井誠一郎、東 竜太郎、美濃部亮吉、鈴木俊一、青島幸男、石原慎太郎・・・。戦後の東京都の知事は、この6氏しかいないが、候補者は多彩だったなぁと思う。 明石 康、大前研一、磯村尚徳、柿沢浩治、樋口恵子、岩国哲人、鳩山邦夫といった方々の顔を思いだす。そうそう、内田裕也さんもいた。 都知事選は、他の道府県の知事選挙とは全く別の舞台であり、高額な参加料(没収される可能性がある供託金)を払ってでも、そこで踊ってみたいと考える人も多いのだろう。   さて、今回は? 『ハッスルキショウ』はレース経験がなく、距離的にも疑問。保って3コーナーまでではないか。 『ジョギングシロウ』は地方(宮城)重賞での実績があり、直線勝負に持ち込む脚力もあると見たが、東京コースが不慣れな分、買いにくい。 スタートにも不安があり、ジリ脚の追い込み型だけに2着どまりと見た。 『レッドマンゾー』もG1レースの経験がないのが弱く、持ち時計も足りない。 他の出走馬も多いが、連闘の『ナカマツエジソン』も、メンバー的に勝ち負けにはなるまい。 結局は、このレース2連勝中の『シンタロウホマレ』の順当勝ちと見る。 ・・・と、これが私の「東京ダービー2007」の予想であるが、4月8日はどうなるだろうか。

コンタクトレンズ

2007-03-24 18:12:39 | Weblog
家人との2度目のデートは、渋谷の映画館だった。 推理モノの洋画で、ちょっと複雑な筋立てで、前半の終わりごろに出て来る古いアルバムの中の数枚の写真が謎を解くカギになっていた(題名も主役も思い出せない)。 観終わって、喫茶店だったかラーメン屋だったかで、家人のそのこと(写真の部分)を訊いてみると、答えが不明瞭というか、ボソボソとしたものだった。 「まずかったな」と私は直感した。その映画を選んだのは私であり、家人は別のもの(松竹か東宝あたりの純愛路線系)を観たがっていたからだ。 つまり、私は、家人が推理モノが怖くて、よく頭に入らなかったのだと推理したのである。 それ以後、私は家人と映画を観るときは(たとえば『生きていた男』という素晴らしいミステリーがあったが)、彼女に選択を任せていた。 しかし、私の推理は外れた。家人は、怖くて観なかったのではなく、近視のために、スクリーンそのものがハッキリとは見えていなかったのである。 ここまで読んでくださった若い方々は「?」と思われるはずだが、これは50年前の話なのだ。 もちろん眼鏡はあったが、それも今日のようなオシャレっぽいものではなく、「トンボのメガネはマンマルめがね」しかないから、家人の「乙女ごころ」はわかってもらえるだろう。 コンタクトレンズが普及し始めたのは、昭和32,3年頃ではなかったか。最初は高価だったが、近視の人(特に女性)にとっては、大きな救いだったと思う。 現在では我が家の洗面所に毎朝、使い捨てレンズの容器が置かれている。いい時代になった。  そして、もうひとつ、50年前の家人の視力が「メガネを必要とするもの」ではなく、「ごく普通の(1.0程度の)もの」であったら、私のようなダメ人間を選ぶことなく、別の人生があったかも知れぬ。コンタクトレンズが世に出る前でよかった。