水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

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チャンス

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「出れる・出れない」「着れる・着れない」「食べれる・食べれない」・・・「ら抜き言葉」は、ゴムの緩んだパンツの感じがすると、以前に書いたが、最近は、「ら抜き人間」がますます増えて、テレビに出てくる政治家、評論家、司会者、アナウンサー、とにかく喋ることを職業としている人達も「ら抜き」揃いである。「ここはチャンスだ!」と思う人はいないのだろうか。「食べれる、食べれない」t喚いている連中の横で、自分だけ「食べられる・食べられない」といった、たった「ら」の音を1つ加えるだけで、かっこよく見えるのだ。オシャレに見えるのだ。 私は茨城の中学で、学年250人中ただひとり標準語が話せた。普段はもちろん茨城弁で話すが、肝腎なところでは標準語を使う。たとえば教師がテストの採点を終えて、答案用紙を抱えて教室に入って来て、「今回はこのクラスがいちばんの出来だった」と言う。このとき何か一声かけるのが私の役目だったが、「そりゃあ、あたりめぇ(アタリマエ)だっぺ」では冴えない。ここは標準語の「当然、当然」か「もちろん、そうでしょう」でなければならぬ。そうやって私はうんと得をした(面白がることができた)。それをキザと思う者もいたかもしれぬが、悔しかったらマネしてみろ、である。ちょっとした言葉使いで得したり損したりすることは、日常にいくらでもある。
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6月29日

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朝の『週刊ニュース番組』は、北朝鮮と食品偽装。前者に関しては、安倍晋三氏と山崎拓氏をよんで対決討論を試みれば面白いと思うが、無理な注文だろう。後者のことは、すべて内部告発でバレるようだ。若林農水大臣が目の前にランクの異なる4枚の牛肉を置かれて。その価値を見定められるかどうか試されていたが、全然ダメだった。それはそうだろう。昨年、吉兆の牛肉味噌漬が偽装だったときも、内部からの訴えによるものだった。逆を言えば、美食家やグルメと気取る連中の誰一人として、「これは但馬牛に非ず」と指摘することは出来なかったのだ。 6月29日は孫娘の誕生日。競馬の宝塚記念は、偶然に6・2・9に有力馬が入ったので3頭の(馬連)ボックス買いが中心。3連複の2・6・9,3連単の6・2・9(的中すれば500倍)もおさえる。結果は2・9が的中して配当は10.8倍。儲けのことより、1年の前半を気分よく締め括れたので酒が旨い。 次は夏の新潟競馬。新潟はテレビの画面からでも、空の美しさ(空気が澄んでいる)が他の競馬場と較べて抜群である。 東京株式市場は7日間の続落中に900円下げ、明日も期待できる材料がない。 8日後にはサミットが始まるが、何かぱっとした話が出ないものか。それにしても、首相をはじめ、閣僚達に、経済に関する発言が少ない。少なすぎる。
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大丈夫か?

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長年、経理畑にいて年金のことなどに詳しい叔母は「昭和61年がポイントだった」と言う。その年、役所が「年金記録の確認」を呼びかけ、たとえば払い込み期間がわずかに足りない人には「追っかけ一括払い」などの救済策を用意したそうだ。叔母は自分の社の人間だけでなく、近所の人達などにもいろいろと教えたそうで、そのとき「これだけみんながわかっていないのだから、いつか大変なことになるのでは」と思ったそうだ。 テレビが地上デジタルになって、古い形のものでは観られなくなるそうだが、これは大丈夫だ。テレビはほとんどの家で生活の友になっているし、機械方面にヨワい我が家でも、すでに地デジ対応のもおんい買い換えている。  来年から株券が電子化され、所謂「タンス株」が無効になることも起こり得る。これは危ない。祖父母が遺してくれたもので、もう何十年も押入れの文箱の中に眠っている・・・なんてケースは少なくないだろう。 もっと危ないのが「陪審員(裁判員)制度」だ。「逆恨みされると怖い」といった理由もあろうが、とにかく、法の世界の中に法を知らぬ人も入るのだから、ヤヤコシくなるだろう。しかも、世の中には鳩山法相を「死神」と呼ぶ人も、「法の守り神」と讃える人もいるのである。このことになると、また『12人の怒れる男』の話になってしまうのでやめておくが、私はこの制度が巧く機能するとは思わない。
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平成3年に「宅建」の受験勉強をしていた或る日、ふと思いついて、娘に問題集を音読してもらった。文字で読むのと耳で聴くのとの比較の興味もあった。結果だけいうと、これが当たった。目を閉じて娘の読むのを聴くと、1肢1肢(宅建は全50問で、1問は4肢1択)が「ははぁ、これはヒッカケだな」「故意に表現を難しくしているな」というように明確に区別できるのである。そのとき和つぃは(大袈裟に言えば)、「これで壁が取れた!」と思った。   「子供用の自転車に乗って、ニッコリと笑っている私」の写真が残っている。小学校1年のときだ。それまで後部を支えていてくれた8歳上の叔母が、その日、黙って手を放し、それに気づかぬ私が見事に一人で乗れたのだ。叔母が喜んで、カメラの巧い叔父を呼びに行き、そのニッコリ写真を撮ったわけだ。  中学2年の孫娘が4月から受験塾に通い出した。「塾に通わなければ志望校には合格出来ない」という風潮を当然だと思っている。受験塾は営利企業であり、そのためには優秀な講師を集める(資本投下)という理屈だけでも、結果は見えている。そして孫娘は、今月の(学校の)テストで、今までよりはるかに高い点を取って喜んでいる。これまた眼前の壁が取れたのだ。  人生、ある日、あるとき、目の前の壁が取れることがある。別の言い方をすれば、視界が広がるということだ。そういう場面に、生涯に何度会えるだろうか。
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牛肉と豚肉

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岐阜の食肉業者が別の牛肉を飛騨産と偽装して、県と国から査察を受けているが、あの社長の弁解をテレビで観た人は、みんなミートホープの社長に人間の質が似ていると思った筈だ。 ところで、この飛騨牛というのは、岐阜県内で14か月以上育ったことが条件なのだそうだ。素人考えでは、親の血、つまり両親が飛騨産であれば、北海道で育とうと千葉で育とうと飛騨モノになると思うのだが、違うようだ。いずれにせよ、牛肉のブランドなんか、私には何の興味もなく、スキヤキのときに家人に「きょうのお肉、おいしいでしょ?」と訊かれて頷き、「たまには贅沢しなくっちゃ」と言われて、また頷く程度だ。 私は牛肉よりも豚肉で育った。学生時代はもちろん、社会人になっても、カツ丼、カツライスが昼食の主役だった。新婚時代は豚スキが主で、ボーナスが出ると、渋谷の東横の地下にあった『和田金』で牛肉を買った。 そういう育ちのためか、今でもビーフカレーよりポークカレーがいいし、あの妙に気取ったビーフステーキを、あまり旨いとも思わない。いかにも物知り顔のオッサンが「ミディアム・レア」なんて田舎言葉を使うのを聞くと、豚モツの煮込みの店に、襟首をつかまえてでも連れて行きたくなる。3年前の正月に、牛肉と豚肉の、それぞれ高級料理店製の味噌漬があって、贅沢な食べ比べをしたが、私の舌には、はるかに豚の方が合った。娘が「パパ、牛肉の方が(値段は)3倍だよ」と笑った。
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アイドル

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テレビの『笑っていいとも!』で「あなたのアイドルは何人いた?」というのをやっていた。アイドルの定義は何だろう? まぁ、男の子なら「いいな、あんな娘がいいな、お嫁さんにいいな」があって、しかしお嫁さんどころか、はるか彼方の別世界の女性といったところだろうか。私のニキビ時代(余談だが、私はニキビの出ない体質)、友人達の憧れを多く集めていたのが、若尾文子さんと南田洋子さんで、少しオトナっぽい連中は、「性典映画」(若尾さん、南田さんが主役)をバカにして、角枝梨子さん、津島恵子さんの作品を追っかけていた。 私のアイドルは紙京子さん団令子さんで、紙さんについては以前に書いた。団令子さんを評して、大映の永田雅一社長が「アンパンのヘソのような」と言ったが、その通りで、とにかく可愛らしかった。 ただ、不思議なことに団さんの映画の記憶があまりない。トランジスタ・グラマーという言葉の流行った時期で、団さんの体型が将にソレで、落下傘スカートがピッタリだった。 我が家の食堂兼台所の前の廊下に電話機とファクスを乗せた台があって、ソレは昔、次女が使っていた本箱だが、その横板に、今では少し汚れてしまって田原俊彦君の写真(雑誌の切り抜き)が貼ってある。 中学時代の次女は本当にトシちゃんに熱心だった。長女は藤竜也さんだったかなぁ。そうそう家人は石浜 朗さん・・・誰にも、半熟の青春があった。
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6月22日

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朝の時事放談が中止になったサッカー「EURO2008」のロシア対オランダ戦の生中継。 後半終了の少し前から観たのだが、ギリギリでオランダが追いついて延長戦。結局はロシアが2ゴールを加えて押し切ったが、久しぶりに面白かった。サッカーには詳しくないが、ヨーロッパの強国同士の対戦の迫力というか、スピードとパワーは、まだまだ日本はとても敵わないと思わせる。朝食後の果物はスイカで、14年前に脳梗塞から生還したときに、担当医から「シウカがいいですよ、毎日食べてください」といわれたのを思い出す。 再発防止のイロハのイは、水分を摂ることで、水を飲むよりはスイカの方がおいしいし、というような意味だった。政治経済報道も冴えない。イカ漁の舟を出すと(燃料費の高騰で)赤字になるそうで、さりとて、小売価格のアップは難しいようだ。先週末のニューヨーク株(ダウ平均)も200ドル以上下げているから、明日の東京市場も梅雨空だろう。 私の接骨医院行きで、しばらく遠ざかっていたマッサージ院へ、やっと家人が行ってきた。「気持ちよかった!」と言う声が若くなっている。 競馬は来週の宝塚記念待ちで、阪神のマーメイドステイクスをアソビのバラ買い。宝塚記念は前半の締め切りでいわば、夏の有馬記念。 29日は孫娘の誕生日で、5年前の同日に、このレースをヒシミラクルで万馬券が的中していて、ゲンもいい。狙いはメイショウサムソンか。
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3人の怒れる男

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朝日新聞の『素粒子』というコラムに「永世死刑執行人、またの名、死神」と名指しで書かれた鳩山法務大臣が、「彼(宮崎死刑囚)は死神に連れて行かれたのか。そうではないだろう、朝日は、執行した方々を侮辱した」と怒った。宮崎死刑囚の刑が執行されたのは国家の法律に基づくものであり、執行した方々とは刑務官を指すのだと思う。この鳩山発言について、評論家の小沢遼子氏は「鳩山氏を怖いと感じ、死神のようだと思う人がいても当然」と語っている。 この問題の底にあるのが、死刑肯定論と廃止論だが、その中間論と言うべき終身刑について議論がなされないのはなぜか。 「政府の意見より甘い話をするのは、何かの利権が~」と安倍晋三氏に言われた山崎拓氏が「利権など何もない!名誉に関すること!」と怒り、更に安倍氏は「私の講演(の内容)をよく聞いて、拳拳服膺していただきたい」と繰り返している。ことは北朝鮮問題である。興味があるのは、「利権」のことで、北朝鮮に対して「制裁」を緩め、「対話路線→国交回復」の方向に進めば、どういう利権が生じるのだろうか。 その辺の情報を安倍氏はつかんでいるのがどうか、次週の週刊誌あたりに期待したい。 表題の「怒れる男」はアメリカ映画『12人の怒れる男』から借用したが、あれは名画だ。来年から日本でも陪審員制度が復活する(昔、あったようだ)。前述の死刑論のことも含めて、この制度がうまくいくとは思えないが、とにかく、陪審員になった人は、まずあの映画を2度は観ておくといいだろう。 追記安倍氏の言の中の「ケンケンフクヨウ」は、久しぶりに出会った!いいですね!私のような老人は、すぐに「教育勅語」を思い浮かべてしまう。
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税金のムダ使い

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家人の姪の名は『あづさ』である。母親の出身地である信州の「梓川」からとったものだ。命名のときの選択は『あずさ』『あづさ』しか無かった。つまり漢字の『梓』は法律の定める人名漢字には存在しなかった。これは34年前の話であって、現在は『梓』も認められているそうだ。その人名漢字を決めるのは誰なのかよく知らないが、おそらく、ヒマな役人か、役所が選んだヒマな学者達であるだろう。これこそ、野村楽天監督の唄う「バッカじゃなかろかルンバ!」ではないだろうか。 「甍の波と雲の波~」で始まる『鯉のぼり』の歌は、「いらか」という語が難しいので教科書には採用されないのだそうだ。これはもう「なかろか」でなく、「バカ」である。 「甍」は難しい文字である。だったら辞書を引けばいいし、親に訊けばいい。そもそも、勉強とは難しいことを知ることである。ついでに言えば、「その難しい文字を教えてくれたのが、隣の家のお婆ちゃんで、アタシが小学校3年生のとき」なんてのが大事なのだ。 税金のムダ使いについては、毎日テレビでみのもんた氏が叫んでいるが、上記のようなコマカイことも、誰かに調べて欲しいものだ。 教科書のことはすぐに「歴史の反省」といった方向にだけ光があたりがちだが、「甍の波は難しいから~」と排除する文部科学省の役人に払う金は「税金のムダ」どころか、子供の頭を低下させる面もあるのではないか。
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煙草の話

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自販機で煙草を買うときに「成人証明」と言うべきカードが必要になったら、途端に売上が激減したという。未成年者が買えなくなったからではなく、オトナもいちいちカードをポケットから出すのが面倒で、自販機では買わず、コンビニを利用するようになったのだ。気をよくしたコンビニはた煙草をレジの近くで売るようになり、売上は2ケタ増加しているそうだ。むろん、一方で、おばあちゃんが小さな雑貨屋を営み、店頭に置いている煙草の自販機はコインを入れる人もほとんどいないという状態のようだ。「時代の変化」という言葉があるが、私はこの煙草の購入の際の成人証明に関する法律は悪法(ムダ法)だと思っている。やがて、何かのデータが出てくると思うが、この法律によって未成年者の喫煙が急減することはないだろう。私は高校3年から煙草を吸っていた。 最初は旨い筈もないから、つまり、オトナびたふりをしていただけである。 それでも20歳を過ぎる頃には、喫煙が必要な刻が出来ていた。頭を使う(麻雀、将棋)、トイレの中、飲酒・・・もう「オトナびた恰好づけ」ではなくなっていて、以後58歳で脳梗塞でダウンするまで、煙草は「親友」だった。  独断的になるが、多くの喫煙者は私と同じような歴史をお持ちではないだろうか。 反対に、体質的に、若い頃から嫌煙の方も少なくないだろうし、端的に言えば、未成年でも体質に合う人は馴染んでいくし、そうでない人は、生涯ケムリを寄せ付けないのだ。 そこのところを規制するのは、ムリというかムダな気がするが、どうだろう?
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