小林会長のコラム12号を掲載します。
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再会
(12号:2010年12月20日)
昨日は冬季交歓会萩大会が行われ、私も参加しました。この交歓会は18回という回数を同じ町で積み重ねてきたもので、関係者のみなさんのご努力には頭の下がる思いです。県の大会らしく今回も熱戦が展開され、いろいろなドラマが生まれました。そのことについては後日書くことにして、今日は別のこと、私の個人的なことになりますが、とてもうれしかったことについて書いてみたいと思います。
開会式が始まる前、時間があったので交歓会のプログラムを見ていたところ、なつかしいチームに目が留まりました。そこには私が教員になって最初に赴任した学校名があったのです。チーム紹介のところをよく見ると、スタッフの一人にちょっとなじみのある名前が書いてあります。いつか聞いたような名前です。(これはもしかして私が昔教えた子どもの名前では?)と思いつきました。
体育館をぐるっと見回してみるとそのチームの人たちが座っています。私はそこに行って、○○さんはおられますかと尋ねてみました。すぐ「私です。教え子です。」と名乗り出てくれました。時は流れて、何と40年ぶりの再会となったのです。年齢ももう50前とかで立派な大人になっています。会社ではしっかり働き、日本の社会を支え、余暇にはバスケットボールを楽しむ一人の成人がありました。彼の顔を見ると、私は逆に子どもの頃の顔が全く思い出せなくなりました。
彼がバスケットボールに関わるようになったいきさつは次のようなものでした。
当時、小学校ではバスケットボールは全く行われていませんでした。しかし、私はそれがしたいばかりに、遠くの中学校から廃棄になったバスケのリングをもらいうけ、夏休み子どもたちを動員しさびを落としペンキを塗り、校庭に建てたのでした。早速、校内バスケットボール大会が開催され、学校中の子どもたちが誰でも5人以上で参加してトーナメント戦を戦ったのです。全校800人ぐらいの学校でしたが、その盛り上がりはすごく、昼休みも放課後も延々と試合は行われました。彼もこれに参加し、バスケの楽しさを覚え、中学校からクラブ活動に参加をし、高校そして一般とバスケの人生が続いているそうです。彼の二人の子どもさんもバスケをし、一家で楽しんでいるようです。成人している子どもさんたちも萩大会にも参加し、レフリーとして笛を吹いていました。
彼の場合、小学校時代はスポ少でバスケをしていたわけではありませんが、学校の遊びのスポーツとしてバスケの楽しさを味わい、これがその後の人生に影響を与えたということでしょう。(そういえば、県ミニ連の元審判長も同じ小学校の同じ校内バスケットボール大会に参加してミニバスを楽しんだのが始まりと申しておりました。)
「バスケの楽しさを味わわせる」・・・このことの大切さを今一度かみしめた一日でもありました。
昨晩は「再会」の喜びで少々興奮気味でしたが、今朝がたその子の40年前の昔の顔を鮮明に思い出しました。可愛くあどけない顔、そして大人になり社会人として立派に活躍している顔。そこにはバスケットボールに彩られた豊かさが感じられました。
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再会
(12号:2010年12月20日)
昨日は冬季交歓会萩大会が行われ、私も参加しました。この交歓会は18回という回数を同じ町で積み重ねてきたもので、関係者のみなさんのご努力には頭の下がる思いです。県の大会らしく今回も熱戦が展開され、いろいろなドラマが生まれました。そのことについては後日書くことにして、今日は別のこと、私の個人的なことになりますが、とてもうれしかったことについて書いてみたいと思います。
開会式が始まる前、時間があったので交歓会のプログラムを見ていたところ、なつかしいチームに目が留まりました。そこには私が教員になって最初に赴任した学校名があったのです。チーム紹介のところをよく見ると、スタッフの一人にちょっとなじみのある名前が書いてあります。いつか聞いたような名前です。(これはもしかして私が昔教えた子どもの名前では?)と思いつきました。
体育館をぐるっと見回してみるとそのチームの人たちが座っています。私はそこに行って、○○さんはおられますかと尋ねてみました。すぐ「私です。教え子です。」と名乗り出てくれました。時は流れて、何と40年ぶりの再会となったのです。年齢ももう50前とかで立派な大人になっています。会社ではしっかり働き、日本の社会を支え、余暇にはバスケットボールを楽しむ一人の成人がありました。彼の顔を見ると、私は逆に子どもの頃の顔が全く思い出せなくなりました。
彼がバスケットボールに関わるようになったいきさつは次のようなものでした。
当時、小学校ではバスケットボールは全く行われていませんでした。しかし、私はそれがしたいばかりに、遠くの中学校から廃棄になったバスケのリングをもらいうけ、夏休み子どもたちを動員しさびを落としペンキを塗り、校庭に建てたのでした。早速、校内バスケットボール大会が開催され、学校中の子どもたちが誰でも5人以上で参加してトーナメント戦を戦ったのです。全校800人ぐらいの学校でしたが、その盛り上がりはすごく、昼休みも放課後も延々と試合は行われました。彼もこれに参加し、バスケの楽しさを覚え、中学校からクラブ活動に参加をし、高校そして一般とバスケの人生が続いているそうです。彼の二人の子どもさんもバスケをし、一家で楽しんでいるようです。成人している子どもさんたちも萩大会にも参加し、レフリーとして笛を吹いていました。
彼の場合、小学校時代はスポ少でバスケをしていたわけではありませんが、学校の遊びのスポーツとしてバスケの楽しさを味わい、これがその後の人生に影響を与えたということでしょう。(そういえば、県ミニ連の元審判長も同じ小学校の同じ校内バスケットボール大会に参加してミニバスを楽しんだのが始まりと申しておりました。)
「バスケの楽しさを味わわせる」・・・このことの大切さを今一度かみしめた一日でもありました。
昨晩は「再会」の喜びで少々興奮気味でしたが、今朝がたその子の40年前の昔の顔を鮮明に思い出しました。可愛くあどけない顔、そして大人になり社会人として立派に活躍している顔。そこにはバスケットボールに彩られた豊かさが感じられました。