yabanjin-soulのTシャツ魂

ロック魂を手描きで表現するyabanjin-soulのたわごと・ひとりごと

ジョンにとってのジョージ。

2014年01月16日 | ビートルズ

自分の音楽の趣味をどんどん広げていったポールやジョージに対し、

ジョンはどうやらあまり広げようとは思ってなかったようだ。

1964年のヨーロッパツアーの頃のインタビューの映像のなかで

「これから音楽の好みは変わっていくと思う?」という質問に

ジョンは即座に「変わらないね」と答えたんだけど

その横でポールが「先のことはわからないな。変わることもあると思う。」

さらにジョージが「きっと変わるよ」と答え、

その答えを聞いたジョンが首をすくめてる姿があったところにもそれは表れてるし、

実際、ボブ・ディランのことはジョージがビートルズの面々に教えてるらしいし、

インド音楽もジョージで、それらに見事にはまっていったのがジョンなんだよね。

ジョンはビートルズの解散直後に

『後の時代になって「イエスタディ」で表彰されたくはない。だってあれはポールの曲だから」と発言しており

ビートルズ中期にバイオリンを取り入れたポールに、内心では対抗してあせってたであろうことが伺われる。

「マジカル・ミステリー・ツアー」の評価がイマイチだったときでも

「『I am the walrus』のビデオクリップがあるだけでもこの映画の存在価値がある。」とコメントしてたポールとはエライ違いだよね。

ビートルズの曲をすべて自分達のものととらえてるポールと、元歌を作曲したヒトのものととらえてたジョンとの性格の違いが如実に表れてる。

テープの逆回転でギターフレーズをいじったのはジョージ。

でも、インド音楽の楽器シタールを初めて取り入れて作曲したのは「ノルウェーの森」のジョンで

テープの逆回転やループを最初に取り入れて作曲したのも「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のジョン。

結局、ジョンはジョージがビートルズに持ち込んだセンスをことごとく吸収し、

ものの見事に花を開かせたというわけになる。

でも、それは結局ジョージやポールがビートルズに持ち込んだもので

自分がバンドに持ち込んだわけじゃなく、

きっとジョンはそういった意味での自分主導のセンスというものに渇望してたんだと思うね。

だからこそ、前衛芸術家のヨーコだったんじゃないかって思う。

「誰もやってない方法で表現しようとしている!」

こういう感動をジョンはヨーコから受けたんじゃないかって思うし、

「これだ!自分もそういう表現活動をしたい!」という欲求が高まったんだと思う。

んでそれをビートルズでやろうとしたら

「レボリューション」でメンバーに拒否され、

しかたなしにプラスティック・オノ・バンドでの活動で「平和運動」せざるを得なくなってしまったんだと思う。

もちろん、ちょうどそのときビートルズのバンドの雰囲気も悪くなってしまってたというのも原因のひとつだったろう。

とにかく「平和活動」や「前衛芸術活動」で社会を変革しようとすることに自分のアイデンティティーを見出そうとしてたんだと思う。

でも、ジョン的にはビートルズとしては多少の活動の減少があったとしても

解散するだなんて、具体的には全く予期してなかったんじゃないかって思う。

音楽的に広がりを見せたことで

メンバーの距離感をひろげていったことにつながったんじゃないかって思ってるんだよね。

ジョンはジョージの曲作りのセンスにはあまり興味がなかったのかもしれないけど

ジョージの音楽や芸術センスには一目置いていたんじゃないかとは思うんだ。

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YouTube: Norwegian Wood (This Bird has Flown)

↑初めてシタールを取り入れた曲。これはボツになったバージョンで、発表されたバージョンよりシタールが強調されている。

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YouTube: The Beatles - "Tomorrow Never Knows" Mono

↑アルバム「リボルバー」のレコーディングで一番最初に録音されたのがこれ。この曲でリボルバーの音楽の方向性が定まったらしいね。

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YouTube: The Beatles - I'm a Loser (Live In Paris, 1965)

↑ジョン曰く「ディラン時代のうた」。この映像をみると確かにハーモニカをディランのように首に設置してるね。(笑)

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コメント (2)
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