とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。とこは樺太に住んでいたことがあります。とこの嫁の体験談、日記、備忘など。

寒い満月の夜に6

2024-02-04 18:32:13 | 日記
今年の正月は、能登半島の地震で不穏な始まりだった。
個人的に言えば、田舎の父が離婚したらしい、という話がありながら、年の初めの挨拶すらできない臆病な自分を恥じる時間だった。
いろいろなことを考えると、連絡できたとしても、なんの言葉も発せられそうにない。

二つ、良いことがあった。
社会人となった息子から2月の初めにまた来てくれるという約束を取り付けたことだ。
正月に帰ってきた息子、「ばぁばの一周忌だから」という私たちを受けて、ああ、わかった、と応えた。それが、私たちと彼との関係性をゼロベースに引き戻した。
一年前の姑とこのお葬式の時には、息子は修論に打ち込んでいるのだからと声掛けすらできなかったことを。

ちゃんとやってきた息子に、少し前に迎えた彼の誕生日のことはそうと言わずに、夫は色々と用意したあれこれをテーブルに並べ、息子のグラスへ酒を注いだ。

夫は肝心な話を上手に伝えた。
とこの遺骨を、このまま手元に置くこと。
いずれは本人が希望したように散骨、する(、かな。夫の思惑は少し違うかも)
こんな話は、なかなかいいタイミングなどないものだ。
(後で「話し合っておけばよかったのに」と、
 悩ましいことになるはずだから。)

もうひとつは、
一周忌のために用意した料理はお寿司で、ウニの軍艦巻きが4巻入っていたが、息子が1巻食べたことだ。
(とこは孫かわいさあまりに、幼い息子を「回らない寿司」に連れて行ったことがある。)
息子はこれまで「ウニはいらない」と言って、常々とこに「ママが好きなネタだからね、親孝行な子ねぇ」と言わしめたが、子供の舌には旨すぎるのだと私は思ってありがたく頂戴していたものだ。(とこにも食べてもらいましたが、ほとんど厚かましく食べてたかも)
おそらく、この数年で、息子も外で寿司を食べる機会もあったのだろう、食べられるようになったので、家でも「ウニが嫌いなお子様を脱却」したと思われる。

小さなことを積み重ねていく日常を、有難く想う。

地震被害でご家族を失われた方の悲しみいかばかりかと拝察する。
悲しみに沈むけれど。たくさんの後悔とともに生きていかなくては。
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