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西安見所 鼓楼

2008-10-20 16:10:34 | 西安観光地
西安観光名所である鼓楼は鐘楼とともに西安のシンポルです。

   
 太鼓の音で時を告げていた鼓楼です。内部では一日数回太鼓の演奏が行われてい

ます。
 
 鼓楼は大太鼓が中にあり、時刻を知らせるためにそれを鳴らしていました。1380

年に立てられたもので、現在も人や車が通過しています。



参考:中国旅行専門サイト―西部旅情

西安観光スポット 陝西省歴史博物館

2008-10-20 16:08:54 | 西安観光地
陝西歴史博物館


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西安主な観光地の一つである陝西省歴史博物館は中国でも有数の規模を誇る博物館です。秦から清まで各時代毎に展示されていま

す.


唐代の建築様式を取り入れた中国一の博物館であり、収蔵品が37万点、そのうち

6000点が常時展示されている。原始社会から明の時代までの長い歴史を代表す

る貴重な文化財がここに集められ、一堂にして中国の5000年の歴史を巡ること

ができる。特に唐代の壁画展示が人目を引く。300㎡の唐代の壁画から34枚を

厳選し、公開している。いずれも中国最高のレベルに達しているこの壁画は宮廷生

活や楽隊、儀杖隊、狩猟風景などが多彩に描かれ、中国古代絵画の最も重要な遺産

である。

参考:中国旅行専門サイト―西部旅情

西安観光名所 秦の始皇帝 兵馬俑博物館

2008-10-20 15:25:39 | 西安観光地
兵馬俑博物館は西安観光名所及び歴史名所です。西安旅行なら、必ず行く西安観光地です。

秦始皇兵馬俑博物館
一号坑


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兵馬俑は、始皇帝陵とともに世界遺産に登録されている博物館です。

体育館のような施設に入るといきなり整列した
数え切れないほどの俑が視界に飛び込んできます




2000年以上も前に作られたモノが、目の前にある~!感激!!

顔の表情が一体一体違うそうですが・・・。本当!違う!!またすべての顔が東に

向いていますが、秦の敵国が存在した東を向いて置かれていたことがわかっていま

す。

平均身長は178㎝だそうです。 紀元前だというのに・・・。結構身長高いんだ~。

参考:中国旅行専門サイト―西部旅情

西安観光名所 華清池

2008-10-20 15:22:25 | 西安観光地
 
華清池は、唐の皇帝玄宗と楊貴妃とのロマンスの場所となった温泉です。


 
楊貴妃時代に使用されていた温泉跡。

 
華清池は西安から東に30キロ離れたところに位置しています。唐の玄宗皇帝が楊

貴妃とここに住んで温泉に入ったり、宴会と歌舞に明け暮れていた場所として有名

です。華清宮には玄宗と楊貴妃のために蓮花湯と海棠湯という専用の浴室も造られ

ました。楊貴妃はライチが大好きだったので、600キロも離れている産地から長安

まで3日間でライチを運べという命令もありました。


 唐代の有名な詩人白楽天は、玄宗と楊貴妃の華清宮におけるロマンスを素材にし

て長編の叙事詩「長恨歌」を作りました。「春寒くして浴を賜う華清宮、温泉の見

ず滑らかにして凝脂を洗う」。



参考:中国旅行専門サイト―西部旅情

西安観光名所 西門 シルクロードの出発地

2008-10-20 15:19:15 | 西安観光地
西安西門(安定門)


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シルクロードの起点とする西安は、かつて長安と呼ばれた都です。

城壁の上は幅が10m以上あり、自転車も通れます。また城壁上でのマラソン大会も行われるとの事です。西安の城壁は暫定世界遺産になっています。


シルクロードへと出発する商人達がこの門を通って行ったのだろうか…



西安城壁は紀元1374年から1378年にかけて築かれた西安城壁は長方形を成し、周囲11.9Km、高さ12m、上部の幅は 12~14m位、中身は土、表面はレンガで覆われて、現存する中国の城壁の内、最も完璧なものである。東西南北にそれぞれ城楼があるが、東西だけが、二重 城楼になっている。シルクロードの起点として西門がとても有名である。昔、中国の絹はここから運び出し、西域の品々もここの門を通って中国全土に伝わっ た。今、西門の周辺には西域から移住してきた異民族の末裔が多く住んでいる。

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西安歴史名所 青龍寺

2008-10-20 15:01:26 | 西安観光地


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西安の青龍寺 春は桜 秋は紅葉 

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西安の東南部、楽遊原にある寺。もとは紀元582年、隋の文帝時代に創建され、原

名は霊感寺といったが、紀元711年の唐の叡宗時代に青龍寺と改名された。唐代に

はかなり有名な寺院で、日本との縁も深かったといわれる。最も有名なのは空海法

師で、恵果法師に弟子入りし、ここで密教を伝習。日本に帰国すると、高野山に金

剛峰寺を建立し、真言宗を改宗、東密の初代法師となった。唐末の戦乱で寺は廃寺

となっていたが、1973年に塔の土台と殿堂が発掘され、再建された。1981年に日本

仏教界は、寺の中に空海記念堂と5層からなる空海記念塔を建立。その後、日本か

ら千株の桜の木が送られ、毎年春になると寺院内は淡紅色の桜でいっぱいになる。



参考:中国旅行専門サイト―西部旅情

中国旅行 西安 阿倍仲麻呂記念碑

2008-10-13 12:28:20 | 西安観光地
やっと みました!
興慶宮公園で建てられた記念碑。
立派!

阿倍仲麻呂の記念碑 阿倍仲麻呂の記念碑は興慶宮公園にあります。これは、西安

と日本の奈良市の友好都市関係締結五周年を記念して、1979年7月1日に立て

られたものです。大理石作りの美しい記念碑の高さは6.1m、碑の正面には金文

字で「阿倍仲麻呂記念碑」と刻まれ、側面には阿倍仲麻呂が故郷の奈良を偲んで詠

んだ望郷詩と当の詩人李白が仲麻呂を哭す詩がそれぞれ掘られています。 阿倍仲

麻呂は698年、奈良に生まれ、717年、19才の時、留学生として遣唐使に従

って長安に来ました。彼は国子監(大学に相当)で一所懸命勉強し、当時最難関と

されていた進士の試験に合格し、唐王朝の官吏となり、752年に今の国立図書館

館長に当る職にも就きました。こうして、彼は長安で35年間生活しましたが、祖

国日本および親類を偲ばないことはなくて、小倉百人一首で有名な短歌を作りまし

た。「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」仲麻呂は

753年6月、玄宗皇帝の指示で唐王朝の身分のまま遣唐使の藤原清河、副使吉備

真備と共に長安を離れ、帰国の途につきました同年10月15日、仲麻呂は楊州で

鑑真和尚を表敬訪問し、鑑真を日本に誘いました。11月15日、仲麻呂は藤原清

河と第一船に、鑑真は第二船に、吉備真備は第三船に、他の碑とは第四船に乗船し

て蘇州を出発しました。渡航は困難を極め、12月6日沖縄を横切る途中で暴風雨

に巻き込まれ、大部分の人が遭難してしまいました。かろうじて生き残ったのは仲

麻呂など十数人で、仲麻呂は暴風に任せ、ベトナムに漂流し、中南島に上陸しまし

た。そして、あらゆる困苦辛酸を嘗めながら二年後の天宝十四年六月(755年)

に再び長安に戻りました。 この年、安禄山の乱が起こり、その後、彼は玄宗皇帝

に従って蜀州へ行き、757年12月、再び玄宗と共に長安に戻りました。その後

も唐王朝の高級官僚として長安で活躍し、770年、73才で亡くなりました。

参考:中国旅行専門サイト―西部旅情

西安観光スポット 興慶宮公園

2008-10-13 12:20:10 | 西安観光地
  興慶宮公園 阿倍仲麻呂の紀念碑が建てられている公園です。 
 唐代三大宮殿のひとつ、興慶宮跡地に造られた公園だそうです。

 目的は阿倍仲麻呂記念碑を見ること!
 
 しかし・・・ヒ・・・広い!なかなか見あたらず・・・。

 興慶宮は今の城外、東南郊外にあり、唐代の興慶宮の一部です。昔の興慶宮は玄

宗皇帝の兄弟五人の王子たちの御殿として造営されました。その後、皇帝や貴族た

ちがよくここで歓楽を尽くしました。特に玄宗皇帝が728年に興慶宮で正式の政

務を執りはじめてから、ここは大明宮に代わる唐代の政治の中心地でした。また、

玄宗皇帝は楊貴妃と共に、長い間ここで酒と歌舞に明け暮れ、生活を欲しいままに

していました。745年~756年までのことでした。唐代の興慶宮の面積は13

5ヘクタールでしたが、今の面積は50ヘクタールに過ぎません。しかし、昔の需

要な建物がこの範囲にあるため、現在地は昔の興慶宮の中心です。現在の興慶宮に

は勤政務本楼の遺跡や沈香亭、花萼相輝楼、長慶軒、湖などがあります。勤政務本

楼とは、玄宗皇帝が詔勅を公布したり、公式の宴会を行ったり、外国の賓客と会見

したりするところです。花萼相輝楼とは、玄宗皇帝が毎年の旧暦8月15日に中秋

節の際に自分の兄弟をそこに招いて、一緒に月見を楽しみ、深夜にはひとつの大き

な枕とベッドで兄弟が一緒に寝たと伝えられる建物です。それは兄弟の間で互いに

助け合う気持ちを高めるためでしたが、実は同床異夢で、血で血を洗う骨肉の争い

が当時の常でした。 沈香亭とは、楊貴妃が牡丹を観賞するために建てられたもの

です。唐代、沈香亭の回りには牡丹が沢山植えられ、毎年春になると綺麗な牡丹が

鮮やかに競い合って咲いていたそうです。史書によると、牡丹の花は百種類以上あ

って、一日に何回も色が変わったといいます。その季節になると、玄宗皇帝と楊貴

妃は沈香亭で酒を飲み、歌を歌い、花盛りの牡丹を観賞しました。輿に乗って、李

白を呼び、詩を作らせたこともありました。 今日、よく詠われている「清平調」

という詩はその時に作られた物です。「名花傾国両つながら相喜ぶ、常に君王の笑

いを帯びて見るを得たり、春風無限の恨みを解釈し、沈香亭の北欄干に倚る。」名

花である牡丹と傾国の美女楊貴妃は共に玄宗皇帝の喜ぶもの、皇帝はいつも笑いを

含んで見ていました。李白はこの詩で牡丹と楊貴妃を交互に書き、花即ち人、人即

ち花、牡丹の美しさと楊貴妃の艶やかさを重ねて詠んでいました。この建物の材料

には沈香木が多く用いられていたため、沈香亭と名付けられました。湖は面積38

ヘクタールで、竜池と呼ばれています。湖水は樹木の陰を映して非常に美しい。玄

宗は楊貴妃と船に乗り、風景を観賞し、楽しい生活を送ったことは広く伝えられて

います。長慶軒とは、かつて玄宗皇帝の音楽室でしたが、今は休憩室として使われ

ています。興慶宮は今日、西安最大の講演となり風景秀麗で、昔日の宮殿の雰囲気

を演出しています。

参考:中国旅行専門サイト―西部旅情

大好きな都市 西安 兵馬俑

2008-10-13 11:35:47 | 西安観光地
   
 今回の旅は、広範囲に渡っているので飛行機で移動です。中国の西部都市 西安 へ行った。
   
  西安は陜西省の省都である。関中盆地中部やや南にあり、北は渭河に臨んでいる。中国西北地区の最も大きい都市である。西安は昔、長安と呼ばれ、中国関中平原の中部に位置し、北に渭水が東西方向に流れ、南は秦嶺山脈が東西に走っている。総面積は9983平方キロ、総人口は約700万人、そのうち市街地の人口は約300万人である。現在すでに国際商業貿易の中心、中国と西洋の文明の集まる都市となりました。

  周秦時代から、西安はその独自の歴史的地位により、全国の政治、経済、文化の中心となった。紀元前三世紀より、西周、秦。西漢、新莽、西晋、前趙、大夏、後秦、西魏、北周、隋、唐など、十三の王朝が都を置き、西安は中国の古都として三千年以上の歴史をもつ。

  西安の歴史と文化の遺産は非常に多く、物質的形態として残された文物は至る所にみられる。西安には重要文物遺跡が314ヶ所、国家級、省級の重要文物遺跡が84ヶ所、博物館と記念館が約20ヶ所、遺跡や陵墓が約4000ヶ所、出土した文物は約12万点ある。

  中国と日本は隣国であり、唐時代には日中両国の往来は極めて頻繁に行われ、日本はたびたび留学生と留学僧を含む遣唐使を長安に派遣していた。
  阿倍仲麻呂は長安に54年も住み、宗教と文化の伝播と日中両国の友好のために貢献した。

  日本の僧侶空海は青龍寺で密宗の法を受け、密宗文化を一心に学び、漢学の研究にも力を入れ、その造詣は非常に深い。

  また西安は革命の伝統を持つ都市でもあります。1936年12月にここで中国現代史上でも有名な“西安事変”が発生しました。改革開放以降、古い都市である西安は大きく変化し、国務院は西部大開発を実施しました。

  今日の西安は世界的に有名な観光都市で、無数の歴史遺物、中国西北部の雄大な自然風景、伝統的な民族風情が西安の独特の観光資源を構成し、外国人観光客を引きつけている。兵馬 、法門寺、西安碑林、陝西歴史博物館、西安古城壁など「十大観光スポット」は、いずれも「中国の最たるもの」と称される。秦の始皇帝陵と「世界第八大奇跡」と称される兵馬 はユネスコによって世界文化遺産リストに登録されている。
  
   
  一番印象深いのはやはり世界八大奇跡 兵馬俑 です。
  とてもすごい!すばらしい!
 
  1974年井戸掘り作業中の農夫により偶然発見された兵馬俑は、秦始皇陵の衛兵  として作られたと言う。
  現在までに、8千体もの数にのぼるほぼ等身大の俑(人の代わりに埋められた人  形)が発見されているようだ。


  参考:中国旅行専門サイト―西部旅情